第十三章 その4 おっさん、行方不明になる
「ハインさん、どこですか!?」
ハーマニーの声が王都にこだまする。だが返事は一切なく、代わりに道行く人々が不安そうにあちこちを見遣る少女に視線を注ぐだけだった。
大聖堂前の大通り、とぼとぼと途方に暮れるハーマニーの下に駆け寄るのはふたりの少女。だがいずれもずんと沈んだ顔を浮かべ、足取りも軽やかではない。
「だめ、こっちにもいないわ」
行きつけの酒場から帰ってきたナディアが首を横に振る。
「突然いなくなるなんて……何か事件に巻き込まれたのでしょうか」
不安げに吐露するハーマニーに、職人仲間の工房を訪ねて回ったマリーナが「ええ」と相槌を打つ。
「あのハインさんよ、何も言わずいなくなるなんてありえない。やっぱりただならぬ事情があったと考えるのが……」
徐々に掻き消える言葉に、全員が目を地面に落とす。そして気を紛らわせるように、皆が皆あちこち違う方向に視線を向ける。
「王都も情勢が落ち着かないし……不穏ですね」
忙しなく行き交う人々を見ながらぼそっと呟くハーマニーに、ナディアとマリーナも「そうね」と小さく返した。
ハインの失踪に、ざわつく王都。一見何の関係性も無い出来事だが、彼女たちはこのふたつが互いにつながっているような根拠なき予感を抱いていた。
重い空気に黙り込む少女たち。だが最初に意気込んで沈黙を破ったのはナディアだった。
「憲兵さんに相談に行きましょう。見回りの最中に捜索してもらえるよう、頼んでみましょう」
ナディアの提案にハーマニーが「そうですね!」と奮起するように答える。マリーナも「じゃあ」と勢いよく手を挙げた。
「あ、私似顔絵得意よ。せっかくだしハインさんの顔、描くわ!」
自信満々に言い放つマリーナ。だがその時向けられたナディアとハーマニーの眼は、木から落ちて地面を這いずりまわるひな鳥に向けられる類のそれと全く同じだった。
「マリーナ、あなたのセンスは500年先を行ってる……まだ私たち人類はそれを理解できるレベルに達していないわ」
「言い方変えてるけど、それ思いっきしバカにしてるわよね!?」
「ですが確かに絵があると探しやすいですし……そうだ、あの方なら!」
思いついた妙案に、ハーマニーはポンと手を打った。
「こんな感じかしら?」
いつものカフェ『赤の魔術師の館』に集った3人に、さらに加わったのは髪を切りそろえた小柄な少女。その少女がペンを走らせると、目の粗い紙の上にたちまち凛々しく逞しい男性の顔が描かれる。
「さすがイヴ、そっくりね!」
完成したばかりの絵を取り上げたのは横から覗き込んでいたナディアだった。ナディアとマリーナ、そしてハーマニーの3人は黒のインクだけで描かれながら見事な陰影のつけられたハイン・ぺスタロットの本物そっくりな顔に見入り、そしてきらきらとした視線を今しがた絵を描き終えたイヴ・セドリウスに向ける。
「ありがとう。これくらいならお安い御用よ」
イヴはペンを離した手をぶらぶらと振りながら、顔を反対方向に背けコーヒーをすすった。一方的にライバル認定しているナディアに「さすが」と呼ばれ、さらに尊敬の眼差しまで向けられている。そんな状況がどうも落ち着かず、照れ臭かったのだ。
「ねえ、やっぱり私も」
見事な作品を前にマリーナもよしんばと小さく手を挙げるものの、その期待の漏れ出た顔を見るなりイヴとハーマニーは無言で顔を背ける。ナディアに至っては「ダメダメ」と首を何度も横に振って拒んだ。
「マリーナの絵はデフォルメが強すぎる。こういう時は細かいタッチで写実的なイヴみたいな絵の方が適しているのよ」
「皮肉!」
「しかしこれで兵士の皆さんにも相談できますね」
嘆くマリーナのことはひとまず、ハーマニーがハインの似顔絵を眺めながらふむふむと頷く。
「それにしてもハインさんがいなくなるなんて物騒な話ね。ゼファーソンさんもまだ帰ってきていないらしいし、本当にこの国大丈夫なのかしら」
ペン先のインクを布でふき取りながらイヴがぼそっと言い放つと、マリーナもすかさず「ゼファーソンさんも?」と口をはさんだ。
「そういえばハインさん仰っていました。ゼファーソンさんもずっと王城から帰ってこられないって。国王陛下もそんなにお忙しいのでしょうかね」
ハーマニーが腕を組んで眉をゆがめる。
そんな風に話していると、カウンターでコーヒーを淹れていたマスターがそっと近づいて少女たちの囲む机に金属製のポットを置いたのだった。
「コーヒーをどうぞ」
「あれ、注文したっけ?」
ナディアが全員の顔をぐるっと見回すが、皆互いに目を点にして顔を見合わせている。
「お嬢さん、あまり大声でそういう話はなさらない方がいいですよ」
前かがみになったマスターは彼女たちに顔を近づけると、そっと小声でそう諫めたのだった。
「この店にも反王政派の客は来ているはずです。うかつなことを聞かれれば、後々面倒に巻き込まれますよ」
いつもの温和な笑顔は失われ、代わりに冷徹な仮面がはめられている。それは歴戦の猛者のもの、幾度となく命を賭した経験を無言で物語っていた。
「ありがとうマスター」
びくっと震える少女たちの中、マリーナが返事する。聞くなりいつもの顔に戻ったマスターは席を離れ、再びカウンターでお湯を沸かし始めたのだった。
「マスターってたまにすごくその……人が変わったように思えるわね」
「そうよね、ただのカフェのオーナーじゃないぞ、的な」
ひそひそと顔を近づけて話す少女たち。
「赤の魔術師……まさかね」
ひとり顎に手を当てて考え込んでいたイヴ・セドリウスがふふっと笑う。
「イヴ、どうしたの?」
好奇心でナディアが訊いた。
「南の辺境領に伝わる噂なんだけど……30年くらい前、当時の領主が王国からの独立を宣言して堅牢な砦を構えたの。でも王都から派遣されたたったひとりの魔術師がそこに侵入して、こもっていた領主を暗殺、領地も王家に接収されたって。表向きは領主は急病で倒れたってことだけど、旧領民の間ではそっちの方がよっぽど浸透してるみたいで。で、その魔術師を一目だけ見たという兵士の話で、領主を殺した魔術の返り血で服が赤く染まっていたって」
「それで赤の魔術師? まさかそんなことが」
わざとらしく笑う少女たち。
「無いとは……言い切れないわね」
マリーナの言葉に、彼女たちは黙り込む。単なる噂に過ぎないものの、誰も否定はしなかった。
一方その頃。城壁に囲まれた王城の一角、軍事用魔道具の保管されている倉庫に囲まれた屋外に、巨大な機械を弄り回す男女の姿があった。
金属製の配管や歯車が複雑に組み合わさった機械。魔術を使用しなくとも走行のできる蒸気自動車、その試作の真っ最中だった。
「最近王城もピリピリして居心地が悪いよ。こうやって機械弄ってないと落ち着かないな」
鍛冶屋のアルフレドは油に汚れた顔を拭いながら、ふうと吐き出す。
「そうよね、反王政派がまた活発化しているみたいだし……ダン・トゥーンみたいに暴力に訴える連中じゃないだけマシだと思うしかないわね」
そんな兄の傍らで、妹のヴィーネは小型の魔動バーナーを手に、金属管を溶接している。結構な魔力と集中力を消費する道具であるが、彼女ほどの使い手であれば話しながらでも作業は可能だ。
彼ら兄妹は反王政派の反乱鎮圧における活躍をたたえられ、騎士位を叙勲されている。それからは自然科学の専門家としては異例の王城内での研究を許されていた。研究費用や材料収集の面で王城からバックアップを受けられ、研究と開発に専念できるとあって短期間のうちに以前の蒸気機関をさらに改良させていた。
「ねえ、あれ!」
ふと目を逸らしたヴィーネが声をあげ、同時にバーナーから炎が失せる。
妹の声に顔を上げたアルフレドの見たものは、人目を避けるようにして城壁の壁際を歩く兵士たち、それに囲まれるようにしてとぼとぼと歩くひとりの男だった。深くフードを被せられ、顔をしっかりと見ることはできない。だが周囲を圧倒するほどの巨体までは隠し切れなかった。
そして何より、ちらりと覗き見えた瞳がいつもの輝きを失いぼうっと虚ろに淀んでいる。それは事態の異常性を感じ取るのに十分すぎる材料だった。
「ハインさん、何でこんな所に?」




