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第十二章 その3 おっさん、車を降りる

「な、なんてこったぁ!」


「ナディア、口調がおかしくなってる!」


 寒気が走った。まさか走行中の魔動車の屋根に飛び乗って、さらに屋根を破壊するなんて、これっぽちも想像していなかった。


「どれだけしつこいんだ……」


 ハインが舌打ち混じりに吐き捨てるも、女は屋根の上に直立したまま車内に魔動銃を向ける。先ほど兵士から強奪したあの銃だ。


「すぐに車を降りなさい。今なら傷つけはしません」


 冷徹な女の言葉に、先頭座席の運転手も「ひええ」と怯えながら減速を始める。


「そんなことできるわけ、ないでしょ!」


 マリーナは諦めなかった。彼女は後部座席から運転席に身を乗り出すと、運転手の握っていた操縦用の水晶をつかんだのだ。そして加減など一切知らず、ありったけの魔力を一気に流し込む。


 突如の魔力供給に魔動車が急加速し、車内の面々は互いに押しつぶされてしまった。


 そして屋根の上の女は慣性に足をすくわれ、「ああ!」と声を挙げながら背中から後ろに倒れてしまった。


 だが彼女は一行の予想をはるかに上回っていた。なんと、倒れた拍子に車体のわずかな溝に足をひっかけ、そのまま車体後部の出っ張りを手で掴み振り落とされまいとしがみついたのだ。


 魔動銃は道に落としてしまったものの、その見事な動きに車内の生徒たちは「げげ!」ともはや歓声の混じった驚きの声を漏らす。


「しつこいなぁ!」


 そう吐き捨てながら、後部座席に座っていたナディアは隠し持っていたナイフをそっとカバンから取り出す。そしてそのナイフを手に取り、はあっと力を込めるとその柄を車体側方の窓ガラスにぶつけたのだ。


 破砕音とともにガラスが粉々に砕け散る。飛び散るガラスの結晶が輝き、後方にしがみつく女の身体をバシバシと打ち付ける。


 窓ガラスが割れたおかげで、女が手を伸ばせば生徒たちに届くような状態に一変する。だがそれはこちらからしても同じだった。


「どりゃあ!」


 同じく座席に座っていたハインの太い腕が窓の外に伸びる。繰り出されたハインの渾身の一発は、不安定な体勢でしがみついているために動かすことのできない女の横っ面にクリーンヒットした。


 整った女の顔が歪み、眼鏡も吹き飛ぶ。そしてついに、車体にひっかけていた手も離れた。


 女の身体は高速で走り去る車のはるか後方へ、ゴムまりのようになって転がっていった。何度も何度も石畳に打ち付けられながら、無情にも全身を叩きつけられる。


 その凄惨な様子が後味悪く、女の姿が見えなくなってもしばらくの間車内はしんと静まり返っていた。


 ようやく口を開いたのはイヴだった。


「さすがにあれだけやれば……大丈夫でしょうか」


「ああ……」


 ハインは握ったままの拳をじっと見つめ、うつむいたまま静かに答えた。


 女を殴ったのは初めてだ。出来の悪い部下、喧嘩したゴロツキ、そして反王政派のテロリスト、様々な人間をこの拳で殴ってきた。


 だが自分より明らかに力の弱い、女や子供を殴ったことはこれまで一度も無い。ああする他なかったとはいえ、今なお手に残る温かさと柔らかさに、ハインはひどく心苛まれていた。


 その後、誰一人口を開くことは無く、一行を乗せた車は学園前までたどり着いたのだった。


「む、止まれ!」


 学園の敷地に乗り入れようとしたところ、鉄柵に囲まれた門の前で守衛の兵士が立ちはだかる。そして停車するなり割れた窓ガラス越しに中の女子生徒たちに怒鳴るように話しかけてきたのだった。


「怪しい連中め、何者だ!」


 確かに、怪しいのは間違いない。


「守衛さん、私たちここの学生ですよ」


「学生? 今日は試験だぞ。よりによって今日、何でこんな半壊した車でやって来るんだ。学生だと言うなら、学生証を見せてもらおうか」


 それなら仕方がない。一行は車から降りるとカバンから各々学生証を取り出し、「はい、どうぞ」と兵士に見せる。


「よし、通れ」


 学生証を確認した兵士は道を開けた。こうして4人は無事、学園の敷地に入ることができたのだった。


「運転手さん、ありがとう!」


 女子生徒たちが手を振って運転席に座る伯爵家お付きの運転手に礼を言う。今回、彼の助力が無ければハインたちは学校にたどり着くこともできなかっただろう。


 運転手は少しばかり赤面すると、ぐっと親指を立て、そのまま来た道を戻っていったのだった。


「ここまで来れば安心ね」


「ええ、後は兵士さんが守ってくれるわ」


 門をくぐり、整えられた植栽の庭園を横切る一行。ただ登校するだけだというのに、一日のエネルギーを全て使い果たした気分だった。


「色々あったけど、ようやく試験ね。さあ、ここからは頭を切り替えていきましょう」


 イヴの言葉に「ええ」と意気込む少女たち。だが当のハインは今ひとつ、浮かない顔を貼り付けていたのだった。


「ハインさん、どうしたの?」


 ナディアが覗き込むように尋ねる。


「うん、これでようやくみんなと試験が受けられると思うと、ほっとしてね」


 それにハインは苦笑いで返す。あの女を振り切れて安心しているのは事実だ。だが同時に、今なお彼の心中はざわめきが収まらなかった。


 その不安がまるで期待に応えたかのように、後方から兵士の叫び声が回復術師科一行の耳に届く。


「何者だ!」


 直後、物音とともに「ぐわあ!」と男のうめき声があがる。一行は目を見開き、慌てて振り返った。


 門の前、倒れ込んだ兵士の頭を踏みつけ、あの女が立っていたのだった。


 車から転げ落ちて負傷したのか、めくれた服の袖が痛々しくも血に染まり、眼鏡も外れている。誰が見ても満身創痍、息も荒くだらんと下げた指先からはぽたぽたと赤い血がしたたり落ちている。


 だがその眼だけはまだ活力がみなぎっていた。もはや限界を迎えた身体を、気力だけで奮い立たせているような状態だった。


「う、嘘でしょ!?」


 絶叫する少女たち。あまりの気迫に足がすくみ、走って逃げるという選択肢すら思い浮かばなかった。


 そして傷だらけの女は懐から鉄球を取り出し、血に染まった手に載せる。それをハインに向け、ふらふらと今にもへし折れてしまいそうな足取りの中、狙いを定める。


 その時だった。


「部外者の立ち入りは許さん!」


 駆けつけた巨体がタックルをしかけ、女を突き飛ばした。我を失っていた少女たちも、はっと正気に戻る。


 ヘルバールだった。軍事魔術師科の教員でありながら、ハインの飲み友達、そして体格もハインに負けず劣らずの筋骨隆々。


「く、くそ!」


 立ち上がろうとするも、素早くつかみかかったヘルバールによって拘束される。


 さすがの女も力比べではヘルバールに敵わない。現役は退いているとはいえ彼もかつては勇敢な王国兵士であり、優れた実績を持っているからこそ魔術師養成学園の教員に任命されているのだ。


「ヘルバール……先生!」


「ハイン、お前また面倒そうなことに巻き込まれてるな」


 今しがた捕まえた女に魔封じの手錠をはめながらヘルバールは笑って言った。これは本来、貴族など魔術の使用を許されている生徒が問題行動を起こした時、懲罰用に使う手錠なのだが、侵入者を捕縛する時にも有効だ。


「試験を……受けさせては……」


 だが女は口の端から血を流しながら、なおもハインをギロリとにらみつけていた。


 その恐ろしさに少女たちは血の気が引いたものの、ハインは同情するように優しくふうと息を吐いたのだった。


「先生、彼女を医務室まで運んでください。このままだと死んでしまう」


 ヘルバールがきょとんと眼を丸める。


「ハインさん、こんな人に情けをかける必要はありませんよ!」


 マリーナがハインに詰め寄るが、ハインはそんな彼女を手で制すると捕縛された女に顔を近づけ、そして頭を下げたのだった。


「さっきは殴ってすまなかった」


 突然の謝罪。女子生徒たちも「何で謝るのですか!?」と驚嘆の声をあげる。


 だがハインはそれも聞き流し、「ところで、なぜ君は僕をそこまでつけ狙うんだい?」と小さな子を諭すように尋ねたのだった。


 なぜこの男はこんなに優しいのか。女は少しばかり取り乱したように顔を背けるが、その口は荒く呼吸を続けるだけで一切の返答はなかった。


 その女を見ながら、ハインはなおも穏やかに続けた。


「君はゼファーソンの部下だね。その顔からするに、きっと理由は知らされていないんだろう。僕はもう知っている。ゼファーソンさんがなぜ、僕の妨害をするのか。それがゼファーソンさんなりに王国に対しての忠誠の表れであることも」


 女の細く鋭い眼がかっと開かれる。だがそれでも女は強く口を閉ざし、一切の言葉を返さない。


「君にとって一番大切なことは何かな? ゼファーソンさんに尽くして、恩に報いることかい?」


 ハインの問いかけに、ついに女の口が開く。


「主人のためならば……この命も捨てる覚悟だ」


「君の主君への忠誠心は本物だ」


 ハインの話しぶりは、まるで懸命な子供をなだめているようだった。母親のように包容力があり、それでいて父親のように力強い。


「だからこそ僕も真っ向から話そう。僕は回復術師になるため、何があっても今日の試験を受ける。例え自分さえも知らなかった出自が公になろうとも、僕はその意志を曲げるつもりは無い」


「出自……? それが王国にとって重要なものなのか?」


 女がふっと顔を上げる。彼女は此度の命令が王国のためとは聞かされていたようだが、その全貌はまったく知らないようだ。


「ハインさん!」


 何を話そうとしているのか、鋭く察したマリーナが声をはさむ。だがハインは首をゆっくりと横に振り、改めて女の顔をじっと向き直った。


「ああ、何せ僕の父は」


 そして一呼吸置き、ゆっくりと、はっきりと声にする。


「ルネ・デ・カール・コンドルセ。先代の国王であり、現国王ジャン・コンドルセ陛下の父親だ」

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