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第十二章 その1 おっさん、学校に行く

 進級試験当日の早朝。


 伯爵家所有の別荘の近く、建物の陰で張り込み続けていた眼鏡のメイドは眠気と戦いながらも監視を続けていた。


 昨日から主からの通信は入っていない。だが同時に、命令の中止の報せが無いのも事実。彼女は疲弊した心身にむち打ち、時々巡回に来る兵士や使用人の目をかい潜りながら、じっと一晩屋敷の様子をうかがい続けていた。


 そして眠気も限界を迎えつつある朝、うつらうつらと船をこいでいたメイドついに頭を上げる。今まで一向に動きの無かった屋敷の前に、一台の魔動車が停車したのだ。


「出てきた!」


 自らを奮い立たせるように小さく声に出すと、ちょうど屋敷の玄関が開かれ、中から一塊になった使用人たちがぞろぞろと現れる。


 そんな大勢の中心に、一際大きな男がいた。間違いない、襲撃対象のハイン・ぺスタロットだ。


 襲うならば今がチャンス。だがメイドは動けなかい。なぜならば、ハインの前後左右にはぴったりと、4人の少女が貼り付いていたのだから。


 やはり今日の進級試験には向かうようだ。


「くそ、娘を盾に身を守るか……」


 吐き捨てるメイド。そうこうしている内にハインと4人の少女は横付けされた魔動車に乗り込んでしまう。


 遠くからの狙撃もあれでは難しい。ハインを襲えとは指示されているが、そこに無関係の者を巻き込んでも良いとは言われていない。


 主人の命令は絶対だ。中止の命令が下されるまでは、彼女には実行以外の選択肢は無い。


 ふと優しく微笑むゼファーソン氏の顔を思い浮かべ、メイドは過去の日々を思い返す。


 彼女が生まれた家は下級貴族、だがあるのは名ばかりで潰えるのは時間の問題の没落貴族だった。何代にも渡って領地を没収され続けた上に、再起を賭けた父親が事業に失敗し、残された多額の借金のため、幼い彼女はついに売りに出されることとなった。


 運が良ければ貴族や商人の養子に迎えられるかもしれない。だが身分の低い平民ならば、女の子は娼館で働かされるのが大半だ。


 だがまだ文字もろくに読めなかった彼女は、貴族という身分ゆえに幼い頃から戦闘用魔術を仕込まれる養成所に送られたのだった。言わばスパイ学校であるそこは存在そのものが一級の秘匿事項であり、貴族でも知る者は少ない。


 少女時代すべてを訓練に捧げ、やがて彼女は命令を遂行するだけの兵器となった。しかしここで人生最大の幸運が訪れる。彼女に与えられた仕事は、ゼファーソン氏の護衛だったのだ。


 単なる護衛である自分にも親身になって接し、実の娘のように可愛がってくれる。初めてなものでぎこちなく仕上がってしまったお茶を飲みながら、「おいしいよ」と言ってくれたあの主人のためならば、彼女は命をも惜しまないと誓った。


「我が主のため、今こそ恩義に報いる時」


 無関係の人を巻き込んでよい、とは言われていない。だがそれは裏を返せば、無関係の人を巻き込んではいけない、とも言われていないのだ。


「ご容赦ください、ゼファーソン様」


 そして彼女は建物の陰へと引っ込んだ。




「じゃあマリーナ次の問題。王国歴26年にゲルマニア農民運動を指導した魔術啓蒙主義の思想家は誰?」


「え、ええと……ガゼット・オルテガ?」


「ブッブー、大不正解。この試験、あなたは落ちます」


「朝一発目から縁起でもない!」


 魔動車に乗り込んだ回復術師科1年生の女子生徒3人と受験予定のハーマニー。そんな彼女らに取り囲まれるのはハインは、普通なら全ての男に羨ましがられるところだ。


 だが、生憎頑張って4人が限界のこの車では、ぎゅうぎゅうに押し込まれているためろくに身動きもとれない。


 そんな窮屈な空間、女子生徒たちは皆で、試験の予想問題を出し合いっこしていた。


 次席のイヴ・セドリウスもいっしょになって笑っているが、その本心は穏やかではなかった。


 怖いと言えばうそになる。ナディアもいる手前、この作戦なら襲われることは無いと大見栄を切ってみたものの、内心はいつ襲われるかびくびくしていた。


 他の女子生徒たちも同じだろう、落ち着かない気分を紛らわせるためわざと明るく振る舞っている。


「ん?」


 その時だった。運転手が妙な気配を感じ、じっと周囲に目を見遣る。ちょうど大通りを走っているところだ、背の高い並木道、朝仕事に向かう人通りも多い。


「危ない、伏せて!」


 だが運転手の鋭い一声に、車内は一気に凍りつく。


 窓の外を見ると、道路脇の木が突如倒れ込んでくる。運転手は強く魔力を注ぎ込み、ブレーキを作動させた。


 伏せて、と言われたもののこの狭さではどうしようもない。車内の一同はもみくちゃになり、あちこち頭や顔をぶつけるのだった。


 幸いにも、寸でのところで急停車する。このままだと屋根を直撃していたところだった。


「強硬策に出てきたわね」


 ぶつけたおでこをさすりながら、イヴがぼそっと呟く。


「そんな、昨日ゼファーソンさんは全部話したのに」


「たぶん、部下にまで指示が伝わっていないのだと思う」


 鼻をおさえるマリーナにナディアが冷静な分析を返す。


「昨日からゼファーソンさんは王城で軟禁されているんじゃないかしら?」


 たしかに、昨日ゼファーソン氏と王妃の会話を聞いたものの、それ以降王妃からの通信は途絶えてしまった。ゼファーソン氏が屋敷に帰った様子も無く、従者に命令の中止を伝えるタイミングも無かっただろう。


 王妃様は一体、何を勿体ぶっているのだろう。

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