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第十一章 その4 おっさん、喝を入れられる

「ハインさん、何てこと言うのですか!」


 固く閉ざされた扉に向かってマリーナが声を荒げる。


「そんな迷惑だなんて、私たちはそんな風に思っていませんよ」


 ナディアが何度も不規則なリズムで扉を打ち鳴らして中のハインを急かすが、相変わらず扉が開けられる気配は無い。


「いや、そういう意味じゃない。僕と一緒にいるとみんなに危険が及ぶ……だからもう僕に近付かないでくれ」


「ねえハインさんってば、ちょっと開けてください!」


 今まで聞いたことの無いほど弱気なハインの声に、ハーマニーも扉を叩き始めた。


 そう扉の前でハインを呼ぶ少女たちを見ながら、伯爵夫人は無言で懐から合鍵を取り出し、鍵穴に挿し込んだ。そしてゆっくりと回転させ、がちゃりと錠を外す。


 たちまち開け放たれる扉。マリーナたちは一斉に部屋に飛び込んだ。


「ハインさん!」


「こ、来ないでくれ!」


 わっと走り寄る少女たちを目にし、慌てて布団に潜り込むハイン。背中の傷がまだ痛むので、ベッドからは抜け出せないのだ。


 駆けつけたナディアとマリーナが布団をつかむと、渾身の力で引っ張る。


「話を聞いてくださいハインさん……うわ、すごい力」


 引き剥がされまいと、ハインも自分の腕力と体重とで布団を引っ張り返していた。


「みんな思ってますよ、ハインさんと一緒に回復術師になるんだって!」


 マリーナが顔を真っ赤にして全身の力を込めるも、少女ふたりの力ではハインの剛力にはまったく及ばなかった。


「やめてくれ、本当にダメなんだ!」


「どうしてです?」


 見ていられないとハーマニーも加勢する。だが、それでもハインの布団を引き剥がすことはできない。


「話すことはできないけど、このままだと君たちにも迷惑が掛かってしまう。もし僕が回復術師に……いや、魔術師になればさらに多くの人にまで迷惑がかかるんだ」


 3人との力比べの最中でも、ハインは悲痛な声を響かせていた。少女たちは余計にムキになりさらに力を込めるがビクともせず、ついに茫然と見ていたイヴも加わる。


「そんな風に他人を困らせたくはない。僕はこのままひっそり、ひとりで生きていくよ、そうだ、そうする他ないんだ」


「甘っちょろいこと抜かしてんじゃないわよ!」


 空間そのものを切り裂くような怒号に、その場にいた全員が跳びはねた。力の抜けたハインは手が緩み、少女たちによって布団をはがされきょとんと目を丸めた情けない姿をさらしてしまう。


 声の主は伯爵夫人だった。普段のおしとやかな姿がここまで変わるものか、エレンは肩を何度も大きく上下させ、目を吊り上がらせてまっすぐにハインを睨みつけていたのだった。


「みんなに迷惑がかかるから? 馬鹿言わないで、迷惑かけずに生きてる人間がどこにいるのよ! 誰だって迷惑かけたりかけられたりしながら生きてる、それが人間ってものでしょ!」


 ベッドに横たわるハインにずんずんと詰め寄る伯爵夫人はいつもより大きく、強く見えた。


「あなたが回復術師になりたいって、あの時私に話してくれた覚悟はそんな簡単にへし折れる程度のものだったの? 違うでしょ、だからこそ何年もかけて勉強して、その歳で入学できたんじゃない!」


 そしてハインの大きな頬を両手で挟み込み、ぽかんと開けた口をぎゅっと潰す。いつもなら優しく何もかもを包み込んでしまいそうなその瞳が、この時は強く燃え滾っていた。


「今まであなたはたくさんの苦労を乗り越えてきた。その時は色んな人と協力したり力を借りたり、とにかく我武者羅になって今のあなたがあるんじゃない。私の知ってるハイン・ぺスタロットなら、これくらいでへこたれるようなこと、今まで絶対に無かったわ!」


 ひとしきり言い終えると、伯爵夫人はここでようやく呼吸を整える。あまりの豹変に誰もが唖然としたまま静止し、部屋どころか時間さえも流れが止まっているようだった。


 そして伯爵夫人はいつもの穏やかな眼をちらりと少女たちに向けると、まるで子供に言い聞かせるように話し始めたのだった。


「ここにいる子はみんなあなたが今まで助けてきた子たちなのよ。そして今、みんなあなたを助けたいと思っている。だからハイン、たまには他人に迷惑かけるのもいいんじゃないかしら?」


 顔を近づけたままにこりと微笑みを向けられたハインは「エレン……」と呟きながら、自分の頬に当てられた伯爵夫人の白く細い手をそっとつかみ、ゆっくりと押しのけた。


「ハインさん、今まで私たち散々迷惑かけてきましたから。だから今回ばかりはそのお礼の意味も込めて、どうか力添えさせてください、お願いします」


 マリーナとナディア、そしてイヴにハーマニー。4人全員がまっすぐにハインを見つめている。


 命の危機に瀕した時、抱えた悩みに潰されそうになった時、彼女たちは皆ハインに助けられていた。勇敢に救出に来てくれたのはもちろん、打ち明けた悩みに打開策を導いてくれたことも、普段の何気ない一言でさえも。


 それらはハインにとって当然のことだったかもしれない。だが少女たちにとっては、これからの生き方さえも変えてくれるほどの大きなきっかけとなっている。ハインなくして今の彼女たちはあり得ないのだ。


 それは伯爵夫人も、この場にいないパーカース先生やヘルマンも同じだった。


 全員の熱く、優しい瞳を向けられたハインは頬を熱い涙が伝うのを感じると我に返り、慌てて手で拭った。彼女たちの背後には、今までハインの助けてきた数え切れない人々が立っているようにさえ思えた。


 そして改めて気弱そうな顔を向けると、「……すまない、ありがとう」と頭を下げたのだった。


「すっかり忘れていたよ。僕は回復術師になりたいと思って、今ようやくここまで来たんだ。明日の試験は絶対に受けないとね」


 にわかにぱあっと明るい顔を向ける少女たち。伯爵夫人も「それでこそハインよ」と再びハインの頬に優しく手を当てた。


「そうだ、みんなのためにも僕は回復術師になる。そしてまだ出会ったことの無い多くの人々を救うんだ」


 そして力を込めて立ち上がるハイン。だが伯爵夫人は「待って」と頬から肩へと手を移し、ハインをベッドに寝かしなおした。


「まだ傷は完治していないわ。今回復術師を呼んでくるから、少し待ってて」


「あ、私にも何かお手伝いさせてください。料理なら自信ありますよ」


「それなら私も、穴の開いた服の修繕くらいなら」


「じゃ、じゃあ私も、布巾しぼるくらいなら」


「あらそう? じゃあ、皆さんの力、私もお借りしようかしら」


 わいわいと部屋を飛び出す伯爵夫人と少女たち。その去り際、マリーナはちらりとハインを振り返り、そして先を歩く伯爵夫人のしゃんと伸びた背中へと目を移す。


「やっぱり……敵わないな」


 誰にも聞こえないほどの小さな声、マリーナはぼそりと呟いたのだった。




 一方ほぼ同じ時刻、屋敷の外は伯爵家使用人の男たちによって、見回りが強化されていた。


 いつも以上に監視に気を配り、普段は屋内での業務に当たる下僕や車の運転手でさえも屋敷の内外を隈なく警備していた。


「まさかブルーナ伯爵家が助けに入るとは……計算違いだった」


 そんな屋敷の垣間見えるレンガ造りの建物の陰、眼鏡をかけた背の高い女が舌打ちして吐き捨てる。


 彼女はゼファーソン家に仕えるメイドだ。だがそれは表向きの話、実際は幼い頃より特殊な訓練を受けた諜報員であり、国王に代わって汚れ仕事を担うゼファーソン氏の右腕として働いている。


 ハインの受験を妨害するため、昨夜ハインを襲撃して重傷を負わせはした。だがまさか伯爵夫人が介入してくるとは思ってもおらず、当初はハインの状態を見てさらに追撃を行っても良いかと考えていたが、こうも厳重に守られてしまっては手の出しようが無い。


 侵入しようにももし見つかった場合、伯爵家にまで問題を飛び火させてしまってはゼファーソン氏の名も表に出てしまう。そうなれば主人の信用失墜にもつながる。


「4人の娘が入ってから結構経つが、まだ出てこない……あの男はどの部屋にいるんだ?」


 不満気に口にしながら、女は小型通信用水晶を取り出すと魔力を込めて起動させる。水晶がぼうっと光り、相互での会話が可能となる。


「旦那様、旦那様。ターゲットに動きは確認できません」


 周囲にバレないよう、吹きかけるような小さな声。直後、水晶から男の声が返ってきた。彼女の敬愛する主、ゼファーソン氏の声だ。


「そうか、引き続き監視を続けてくれ。それから私はしばらく通信に出られなくなる」


「いかがなさいました?」


「王城から呼ばれたんだ、王妃様が私に用があるらしい」

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