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第七章 その1 おっさん、大切なことに気付く

 図書館のすぐ隣には兵士たちの詰所が設けられている。


 裏手から図書館にも直結したこの詰所の規模自体は、さほど大きくない。それもそのはず、普段の職務のほとんどが平和な図書館の警備に割かれているここは、一見少ないように感じる人員でも十分に事足りるのだった。


 そんないつもなら兵士たちのふざけた笑い声の響くこの詰所であるが、この日に限っては絶え間なく激しい怒号が飛び交っていた。


「このクソガキ! ベーギンラート大佐の名を騙るな!」


「だからさっきから言ってるだろ、俺はヘルマン、王都防衛第一旅団長ベーギンラート大佐の息子だ!」


 一時収容のための四方を石壁に囲まれた密室。その真ん中に手錠をはめられ、さらに脇に立つふたりの兵士に押さえ込まれ無理矢理座らされたヘルマン・ベーギンラードが立ったまま怒鳴りつける兵士に吼え返す。


 ナディアからの頼みで図書館内まで追跡してきた怪しい兵士を捕まえたものの、駆けつけた警備の兵士によりふたり仲良く捕縛された後、早速この部屋に連れ込まれ尋問を受けることとなったのだった。


 警備兵にとってはどちらも図書館で騒いだならず者に他ならない。だが将校の息子だと主張し自分の行動を正当化するヘルマンに、彼らはほとほと腹を立てていた。


 そんな時だった。


「私の息子がまた皆様に迷惑をおかけしたそうだな」


 若い兵士に連れられて、立派な髭をたくわえ官帽をかぶった男が部屋に入ってきたのだった。その姿を見るなりヘルマンを押さえつけていた兵士たちは慌てて手を離し、敬礼のポーズを取った。


 ヘルマンの父にしてこの王都を守備する兵士たちのトップ、ベーギンラート大佐その人だった。


「た、大佐!? ということは、本当に?」


「何度も言ってるだろ!」


「ヘルマン、口を慎め!」


 歯をむき出すヘルマンに大佐の一喝が飛ぶ。途端、ヘルマンはしゅんと黙り込んだ。


「軍人として身分のわからぬ者を捕縛するのは当然のこと。むしろ図書館の中で騒ぎを起こしたのはお前なのだからな……と、その前に」


 大佐は床に座る息子と同じ目線までしゃがみこんだ。そしてヘルマンの頭に手を置くと、その大きな手で頭をわしゃわしゃと揉みほぐしたのだった。


「なぜ任務時間にも関わらず、市街の巡回だった兵士が管轄外の館内に入り込んでいたか、詳しく調べなくてはな。でかしたぞ我が息子よ、よく気付いたな」


 ヘルマンの頬が緩む。父は頷いて返すと、そっと息子の手を引いて立ち上がらせた。


「ところで、捕まえた兵士は?」


「はい、部屋につないでいます」


 脇の兵士が敬礼したまま答える。もう一人の不審者は、この隣の部屋に収容されている。


「ふむ……しばらく私に任せてくれないか?」


 大佐はそう言い残すとひとりで部屋を出て、例の男を閉じ込めている鉄製の扉の前に立つ。


 そして護衛の兵士に目配せすると、兵士は扉を開けながらすっと身を引いた。大佐はそのまま、ひとりで薄暗い部屋の中へと入っていった。


「大佐……」


 部屋に置かれた机と対面する形で並べられた椅子。そこに座り込んだ男はたしかに兵士の服装をしていた。


 だがその両手は金属製の手錠がはめられ、その表面には禍々しい文様が描かれていた。


 この手錠は解呪の腕輪とは逆に、魔術を封じる術式が組み込まれている。魔術の行使を許可された軍人や貴族でも、これがあれば無力化できる。


 大佐は「やあ」とほほ笑むと、その男と向かい合う席に座り込んだ。


「話は聞いている、時間外に持ち場を離れていたそうだな。しかも魔動銃を手に持ちながら」


 そう話しながら懐から海泡石を女神の姿に象ったパイプを取り出すと、その中に乾燥した葉っぱを詰め、着火魔術で火を点ける。喫煙とパイプのコレクションは大佐のささやかな趣味だ。


「なぜ図書館内にいたのか、何をしていたのか。改めて聞かせてもらおうか」


 そして吸い込んだばかりの煙を男に吹き付けるように、大佐は尋ねる。


 だが兵士はじっと床の一点に目を向けたまま黙り込んでいた。効いたところでは彼は捕まえられてからずっと、口を閉ざしたままだという。


「……ダン・トゥーンか?」


 大佐の口から突如飛び出した名に、兵士の眉がぴくんと動く。


 やはり、と踏んだ大佐はさらに続けた。


「ここ最近、奴の勢力はどんどん拡大しているともっぱらの噂だからな。考えたくはなかったが、身内にもいつか奴の手先が出てくることは常に警戒していた……が、まさか本当にこの日が来てしまうとはな」


 そう言って煙草をふかしながら、ポケットから別のパイプを取り出す。そしてまたも乾燥葉を詰め込むと、火を点けて「吸うか?」と兵士に差し出したのだった。


 兵士は視線を床からパイプに移し、乱暴に奪うように手に取った。そしてぶすっとした表情のまま、煙を思い切り吸い込んだのだった。


 そして一回で部屋全体が白く曇るほどの煙を吐き出す。大佐も安心したようにパイプを口につけた。


 しばらく互いに黙り込んだまま、視線も交えることなく煙草を吹かし合っていた時だった。


「……同郷の友人が死んだという報せが入ったのは、半年前のことでした」


 男はぽつぽつと話し始めた。大佐も視線は逸らしながらも、「うん」と相槌を打ちながら耳を傾ける。


「あいつは農家の生まれで、毎年収穫した作物を地元の領主に納めていました。小さい頃はそれが当然で、私はあいつの生活が苦しいなんてまるで考えたこともありませんでした。ですが、成長するにつれてあいつは農民の子、こちらは軍人の子と生まれが違うだけで進むべき道も異なることを知り、やがて言葉を交わすこともなくなってしまいました」


 声に涙が混ざり始める。手に持ったパイプが震え、立ち上る煙も揺れる。


「死因は餓死でした。雨が多く日照りの少なかった今年、村はかつて無い不作だったそうです。ですが領主は例年と同じ量の作物を徴収し、払えなかった家からは代わりに若い娘を連れ去ったと聞いています。あいつの4歳になったばかりの娘も……妻に先立たれたあいつは唯一の希望さえも奪い去られ、生きる気力を失くしてそのまま……」


 そして男はついに涙ぐんだ。大佐は何も言うこと無く、ただただパイプを吸い続けた。


「私はどうしても許せませんでした。一部の貴族が富も権力も独占し、飢える民には一切の情もかけないこの国が」


「そうか……事情はわかった」


 大佐は立ち上がると、顔を覆う兵士の傍らに回り、そっと肩に手を置いた。


「ダン・トゥーンはかつて商家に奉公に出ていました。その時、王都中の商店に売りに回っていたことから、あらゆる場所にネットワークを築いています。その顔の広さを利用し、仲間を募って反王政派組織を立ち上げました」


 兵士は降参したように語り始める。彼にとって王国への憎悪は並々ならぬものであるが、上官への忠義、そしてずっとせめぎ合っていた正義感がそれを凌駕したのだった。


「奴はどんな指示を?」


「詳しくは存じません。ただ、魔術師に対抗する新たな自然科学の技術に関する資料を持った連中がいる、と。そいつらから資料を奪い、実用化するのが我々の目的です」


「自然科学か……調査役のアンドゥーラ男爵が聞いたら、すぐに駆けつけそうな話題だな」


 大佐は思わず苦笑いする。管轄が異なるために、既に男爵が動いていることを大佐はまだ知らなかった。




 その頃、ハインの逃げ込んだ彫金職人の家には、鍛冶屋の兄妹アルフレドとヴィーネも駆けつけていた。


「まさか父さんが……」


 薄暗い倉庫の一角に集うハインたちと兄妹、そして床にうずくまったままの鍛冶屋の主人。


「すまねえ、お前たちのことを想うと、どうしても研究をやめさせたかったんだ」


「そう考えるくらいなら、研究が完成することを考えてほしかった」


 アルフレドは座り込んだ父に背中を向け、じっと壁を見つめていた。ヴィーネも身体は父の方を向いてはいるものの、その視線は床に落とされていた。


 結果として主人の行動が裏目に出てしまったものの、我が子に良かれと思ってやったこと。ハイン自身、そのことを責めることはできなかった。


 だからこそだろう、息子たちも父を強く非難することはできず、ただ持っていきようの無い複雑な気持ちをどこへぶつければよいのか、兄は握り拳を何度も壁に打ち付け、妹も黙り込んだまま泣きたいのか怒りたいのか何とも言えない顔をしていた。


 やがて兄はハインたちを振り向くと、深く頭を下げた。


「ハインさん、ナディアちゃん、それにパーカース先生。大変なご迷惑をおかけしました、何と謝ればよいのやら……あなたたちを巻き込んでしまって、事は最早収拾がつきません。資料は軍に提出します、責任もすべて私が負いますので、どうか状況が落ち着くまで、もうしばらくご辛抱を――」


「そうだ!」


 苦々しくもアルフレドが話していたところに、突如ナディアが声を上げる。当然、ハインもアルフレドもパーカース先生も、固まってしまった。


「マリーナ……ちゃんと逃げられてるかしら?」


 あまりの疲れと目まぐるしく変わる状況に危うく忘れかけていた。自分の囮となった親友は今、どうなっているのだろう。


「ええ、マリーナも巻き込んでいたのか!?」


 ハインは声を上げて驚き、ナディアに詰め寄った。


 なぜマリーナまで、という疑問よりも先に、彼女の身が危ない、と案じたつもりだったが、そのあまりの剣幕にナディアは「ひっ」と身を震わせてしまった。




 雪の降り込む王都の裏路地。そこではひとりの少女と8人の男たちの壮絶なる攻防が繰り広げられていた。


「まさか魔術が使えるなんて……」


 身体中に切り傷をつくりながら、男のひとりがよろよろと倒れた。


 そんな男を睨みつけるのはマリーナだった。両腕を広げ、激しく肩を上下させながら白い息を吸っては吐いてなんとかふらつく脚を支える。


 マリーナは新興とはいえ貴族だ。魔術を使える身分として、護身用魔術くらいは幼い頃から教え込まれている。風起こしの魔術や帯電の魔術を駆使すれば、並の男では指一本触れることさえできない。


 だが今回の相手は8人の屈強な男たちだ、いくらマリーナでも数が多すぎる。このままではいずれ体力も尽きてしまう。


 相手の大将のダン・トゥーンもそれを狙っているのだろう、自分は最後方で身構えながら、大勢の手下を時間差で襲い掛からせては魔術を使わせ、徐々に徐々にマリーナの体力を奪っていく。


 そして恐ろしいことに手下たちも素直に指示に従う。彼らの間には主従や友情、あらゆる利益を超えた信頼関係でも存在するのか、誰もがこのダン・トゥーンという別段変わったところの無い男の命令には軍隊のように従うのだ。


 実際に何度倒れてもすぐに立ち上がり、性懲りもなく飛びかかり続ける姿にマリーナは恐怖を覚えていた。身体に触れた途端に電撃で反撃する帯電魔術を唱えても、男たちはダメージ覚悟でつかみかかってくる。


 なぜ、こんなにしつこいの……?


 魔術を過度に使用し、マリーナの意識も途切れかけんとしていたその時だった。雪の路地の向こうから、派手で安っぽいドレス姿の女がふらふらと歩いてきたのだ。


 娼婦だろうか、昼間から酒を飲んでいるようで顔は真っ赤だ。今にも倒れそうな足運びが危なっかしい。


「危ない、逃げて!」


 マリーナが叫ぶ。だがダン・トゥーンはにやりと笑うと、素早くその女に飛びかかった。


「きゃああ、何をするんだい!?」


 そして訳も分からず叫び声を上げる女を捕まえると、その喉元にナイフを突き付けたのだった。赤かった女の顔がさっと青くなる。


「降参しろ、そうせねばこの女の喉を今すぐ切り裂いてやる」


 人質を取られ、下手に動けなくなったマリーナは足元の雪を強く踏んだ。女の目から溢れ出した涙を見れば、強気のマリーナもここは引き下がらざるを得なかった。


「くっ……!」


 腕をだらんと下げ、帯電魔術の展開を解くマリーナ。


 直後、背後から近づいた男が手に持った金属棒で背中に一撃をかます。


「あう!」


 たちまちマリーナは気を失い、雪の上に倒れ込んでしまった。


「へへ、かかったな」


 ダン・トゥーンが不敵に笑い、手に持ったナイフを下げて女を解放する。同時に捕まっていた女もふふっと笑うと、雪の上に伏すマリーナの傍まで近付き、軽く足先で小突いたのだった。


「言ったとおりだろ、あたいみたいな女にはね、あんたたちみたいな男よりもこういう若い娘の方が同情してくれるんだよ」

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