国軍の廃止された時代
2035年。小説や漫画を映像にする機械、『ノベル・レコーダー』が発売された。
その画期性は3年で全世界に伝播する程であり、先進国では漫画や小説を買ってビデオのように視聴することが流行となった。電子書籍を便利なものから不便なものに変えてしまうほどに……。
それから9年後の2047年、30年前の見立てから2年遅れてリニア中央新幹線が大阪まで開業し、東京から大阪まで2時間足らずで行けるようになった。その時点ではすでに電子書籍を読み込む技術は完成されており、電子書籍をUSBやスマートフォンで繋いで映像化された漫画や小説を視聴できるようになっていた。但し、某子供向け有名漫画のように家計簿までは映像化する技術は完成されていない。
その2047年の日本、新潟県の新潟市―――平成の大合併で幾つかの区に分かれた区域であるが―――に松尾明の家はあった。
JR越後線の沿線で人口は比較的多いが、商店街はなく、あるのは住宅街と少しばかりの店舗である。駅からそこまで離れていないところに大きな公園があり、近くにはスーパーもある。
時刻は夜。松尾家では今では懐かしいアニメとなった『ラ●ラ●ブ!サ●●ャ●ン』の映画版を再々放送で見ていた。2010年代に大きく火が点いた『●ブ●イ●!』ブランドも10年程度で廃れてしまった。
「A●o●r●なんて30年前のアイドルじゃん」
明にはなじみのないアイドルだった。彼は高校生だが、親が昔の曲を好んで聞いているので歳が同じぐらいの学生よりは平成の曲に造詣がある方だ。その彼でもA●o●r●はそこまでなじみではなかった。
「まぁな。俺もその時は子供だった。『●ブ●イ●!』のファンはラ●ラ●バーと呼ばれて社会現象になったんだよ。その口火を切ったのが●’sだがその継承者が●q●u●sだ」
明の父は昔を懐かしみながら言うが、その中には嘆きがある。
「●’sの不祥事さえなければ『ラ●ラ●ブ!』ももっと続いたんだがな……。週刊誌も下世話になって揚げ足を取ることばかりしかしなくなった。前漢の江充でもあるまいに」
前漢の江充とは武帝の時代に官僚や皇族の失態を告発し、武帝に重用された家臣である。
武帝の皇太子劉拠に濡れ衣を着せ、皇太子に反撃された人物である。
後になって江充と彼の配下である馬何羅と馬通の悪事を知って武帝は自分の子である劉拠に逆賊の汚名を着せたことを謝り、『戻太子』と諡した。明の父は捏造してまで不都合なことを隠し、敵とした対象を陥れようとする報道業界を言ったのであろう。
映画は2時間ほどで終わったが、明にとってはそこまで楽しい時間ではなかった。
翌朝、越後線に乗ると列車内の電子広告に新型『ノベル・レコーダー』の宣伝が流されていた。明のクラスでも新型のマシンは話題になっていた。
「松尾、聞いたか。ノベル・レコーダーの新しいバージョンが出るんだってよ」
「まじかよ。うちは親が買ってくれないんだよ」
「そうか。今度のやつは買った方がいいぞ。3Dポリゴンにもできるし、アニメと実写の両方が選べる」
「アニメと実写の両方が選べるのは今までと変わんねぇじゃねぇか」
「いや、アニメのキャラデザを選べるんだ。今までは自動で指定されていたからな」
「そうか。俺の親は『想像力を働かせろ』と言ってるからな」
「今時その考えは旧いって。お前の親父さん昭和生まれじゃねぇの?」
「一応平成生まれだよ。一桁生まれかもな」
「もしかしたらな」
明の通う学校は江南区にある中高一貫で共学の進学校である。校名は江南学園という。明の自宅に近い高校といえば西区の海辺に中高一貫の上新中学校・高等学校があるが、そこはカトリック系の男子校であり、共学に行きたかったので江南学園を選んだ。
「それと聞いたか。上新だとノベル・レコーダーで18禁ラノベの上映会をやってんだとよ」
「あそこ女子いねぇからな。よく先生が許したな」
「だから先生に隠れてやってるんだよ。クラスによっては先生が片目を瞑ってるとこもあるみたいだ」
「ここは女子がいるからな。体育科だって女子がそれなりにいるだろ?」
「あそこは文字通り体育会系だから軟弱な男子なんか眼中にないぞ」
「やっぱそうだよな」
「俺達は普通科だし、特進でもないから上新みたいに堕ちることはねぇし、特進や体育科みたいに禁欲生活をすることもねぇ」
「そうだな」
「そこ、何話してるの」
「よぉ、山岸。新しい『ノベル・レコーダー』の話だよ」
横槍を入れてきた女子は山岸美奈子。肩にかかる程度の茶髪である。
「新しい『ノベル・レコーダー』ねぇ。女子の間でも評判になってるわよ。『恋愛小説がゲームみたいに上映できそうだ』って五十嵐女子の娘が言ってたけど」
「そうかあそこはお嬢様学校だからな」
「そうでもないわよ、佐藤君。女子高って意外にぶっ飛んでるから。可愛い顔したおっさん、といった娘が少なくないし、ボーイッシュな女の子は学園のヒーローになるみたいよ」
「でもよぉ。その女子たちもノベル・レコーダーで小説とか漫画を見てんだろ?」
「TVや映画の好きな娘以外はね」
「うちの親もテレビは見るんだよな……」
「そうね。松尾君、平成世代までは役者さんの演技を見る、ということでドラマやアニメ、映画を見ていたのよ。うちの親も昔のドラマが好きなの」
美奈子は言う。『ノベル・レコーダー』が開発されるまで、TV離れが進んでいたとはいえ、TVのドラマやアニメは世間的な話題となり、月曜日の夜に放送される民放ドラマやN●Kが日曜日以外の朝や日曜日の夕方に放送されるドラマは主婦の話題の種であったと。
「でもアニメは作画崩壊してたし、ドラマは事務所本位だったんだろ」
「そうね。厳密にいうと作画の『ズレ』ね。原作である漫画やゲーム、ライトノベルの絵を描いている絵師とは違う人が描くからネットの間では『作画崩壊』と、叩かれていたそうよ。実写の方は無理に漫画を実写にしたり、配役ありきの人選をしていたりしたからノベル・レコーダーが開発されてからすぐに廃れたわ」
ノベル・レコーダーが開発されてからTVドラマやアニメは弱体化し、俳優や声優の仕事もナレーターやゲームのドラマ化、アニメ化またはオリジナルのドラマやアニメが主体になってきた。その『オリジナル』には原作にはない話も含まれている。
その日の放課後、明と佐藤は視聴覚室でメディア研究会主催のライトノベルの上映会に参加していた。
「ラノベもバラエティ路線になってきたんだな」
「あぁ今どき……。いや何十年前からそうなんだが、社会派の小説は日本じゃ人気がないんだよ」
「佐藤、一番前の右側の机、それも真ん中の席に座ってくる娘は誰だ?」
「ありゃ3組の加藤春香だよ。お前、あの娘に一目惚れしたのか?」
「ほっとけ」
「いいじゃねぇか。スタイルはいいし、成績優秀、でもって容姿端麗なんだから」
「なんだよ。それ」
この時は松尾明が加藤春香を最初に意識した時だった。
松尾家に帰ると黒い直方体の機械と明の父が好きな江戸町文化ものの時代小説がリビングに置かれていた。
「明、帰ってきたな。今日のゴルフコンペで『ノベル・レコーダー』を当ててきたんだ。これから『剣客稼業』を視ようと思ってな」
「今まで『本は見るものじゃない。読むものだ』と言っていた親父がなんでノベル・レコーダーなんか買うんだよ」
「そうだな。俺も芯はぶれないつもりだが、最近の役者はアイドル化していて演技に身が入ってないからな。ドラマもつまらなくなったし、これで再生した方が原作に忠実だ。だが、これはお前と美咲にやるよ」
美咲とは明の妹のことである。彼女は高校1年生で、2年生の明とは1つ離れているが、通っている学校は異なる。
「うちにもノベル・レコーダーが入ってきたんだ。これでケータイ小説見ていい?」
「明と仲良く分かち合えよ」
その週の週末からノベル・レコーダーを兄弟で分け合う日々が始まった。明は美咲と話をして取り決めを作り、土曜は美咲が優先、日曜は明が優先的に使用することにした。優先権のない日は新しい本を買ったり、昔ながらの『脳内で再生する』読み方をするべく活字や漫画のままで読んだり、図書館で借りに行ったり、他のことをしたりする日にした。
土曜日の朝、松尾家の朝食はパンだった。おかずはスクランブル・エッグにキャベツとニンジン、トウモロコシのサラダ。汁物はひき肉と野菜のコンソメスープである。
「このカスタードクリーム、誰が作ったの?」
「兄さん。それ、私」
「美咲もお菓子が作れるようになったんだな」
「うん。母さんがエンゼルケーキを焼くからその残りでカスタードクリームを作って、って」
「そうか……」
「ねぇ兄さん。『ノベル・レコーダー』のアプリができたって、知ってる?」
「初めて聞いたな。いつから配信を開始するんだ」
「今日から。スマホの電子書籍が読み込めるようになって、スマホでも漫画や小説が見れるんだって」
「スマホで見れるのか」
「うん。ニコ動とかYouTubeにもアップできる仕様になるんだって」
「全部の機種にか」
「うちの家族が持ってる機種なら問題ないって」
この年、2047年は業界の力に屈したフィーチャーフォンが廃れてプリペイド式ですらスマートフォンに入れ替わっているのである。
「で、いくらかかるんだ?」
「基本は無料だって。でも100作品以上を書庫に納めたいときや人気タイトルを再生したいときには課金しないといけないんだって」
「それなら電車の中でも見れるな」
「だからうちの学校でもみんな期待してる。特に女子だけど」
「どうして特に女子なんだ」
「『木いちご』と『魔法島』のケータイ小説が見れるから」
「Web小説じゃん」
「書籍化が決まったのは電子書籍にもなってるの」
その言葉を聞いて松尾父が言う。
「Web小説がすぐに電子書籍になるなんて時代も変わったな」
「お父さん古~い」
と、美咲。
「お父さんが子供だった頃は旧い本が電子化されていたんだよ。Webとは別だった」
「そういえば本のWeb化も早くなったわね」
松尾母が父の言葉に注釈を入れる。
「ノベル・レコーダーがそうさせているんだろ。アプリになったくらいだからな」
「お父さん、タブレットのアプリもできたんだよ」
「そうか。良い情報を教えてくれたな、美咲」
「親父は時代小説が好きだからWebか電子でダウンロードすればアプリで再生してくれるんだろうな」
「明、よく言ってくれたな。平成10年代よりも劣化したドラマより、ノベル・レコーダーの方がドラマとして完成されているから」
松尾家の食卓は新型のノベル・レコーダーで話に花を咲かせながら料理を減らしていった。
朝食が終わると、ノベル・レコーダーの視聴が始まる。この頃は液晶テレビも安くて軽く、手入れもし易くなっており、ガラスも丈夫になっている。
美咲が見たのは『1年限りの恋』というケータイ小説である。機械のセットは昨夜のうちに終わらせており、読み込む本をデッキにセットし、再生ボタンを押すだけである。
そんなとき、明のスマートフォンに着信が来た。送信者は佐藤だった。
「佐藤か、何だよ」
『うちの学校やべえぞ』
「何があった」
『サッカー部が10年間公式戦出場停止だってよ。来年からスポ薦枠は消滅。今年のインターハイ予選から出場禁止だってよ』
「嘘だろ」
『本当だ。新潟新聞の一面にも載っているし、全国紙でも大きく載っている』
明にとっては衝撃的だったか、江南学園サッカー部は少なくとも2度、部内で虐めをしている。古い方は平成の10年代、発達障害のアスペルガー症候群を患っている男子生徒に『退部テスト』と称して他部の女子部員と勝負をさせたり、リフティングの試験をさせたりするなど退部を強要するだけではなく、エース級の部員が『素で辞めて欲しいだけど~』と常時圧力をかけてくるのである。その中には部活で使うジャージやピステの膝をライターか何かで融かされるなど、陰湿なものも入っている。新しい方はそれに近いが、部活ぐるみで場になれていけない部員を除け者にする行為を常態化させている。虐められた部員は両方とも最終的に辞めたが、古い方は訴えることができず、泣き寝入りし、歳を取ってからもトラウマになっている。新しい方は被害者の部員がレギュラー候補生だっただけに訴えやすく、辞めた翌年の2044年に訴えることができた。訴訟から3年かけて協会からのお裁きが下りたのである。
「そうだったのか……。サッカー部は随分エグいことやってたんだな」
『だから顧問陣は全員解雇、スポ薦の部員も転校を斡旋しているそうだ』
「呆れてきたわ」
『理事会は怒り心頭だろうな。学校の顔に泥を塗られたんだから。それじゃあ新潟駅の喫茶店で待ってるぞ』
「たりめーだ。じゃぁな。今行く」
「兄さん、何があったの?」
「美咲、うちのサッカー部が虐めで10年間公式戦出場停止だってさ」
「それでもまだ優しい方じゃない?」
「お前までそんなに言うか」
明は自宅を後にして越後線で新潟駅へ向かう。
「待たせたな」
新潟駅構内の喫茶店にいる佐藤に声をかける。
「俺もいきなり呼んで悪かったな」
「俺とお前の関係だからな。こんなこともあるさ」
「で、本題に入るぞ。俺―――サッカー部に入りたいんだ」
「サッカー部?火中の栗を拾うなよ」
「いや、今だからだ。スポ薦組は転校の手続きを取るみたいだし、『全国に行けないなら』と、出て行くことを考えてる奴らもいる」
佐藤はチャイをすすりながら言った。
「薄情な奴らだな」
明は吐き捨てるように言う。
「いや、強いところは意外とそんなもんだろ?名前で入りたい奴だって少なくないからな」
「じゃぁ何で呼び出したんだよ」
「お前が心配なんだよ。何年帰宅部続けるつもりだ。登校して授業受けて帰る、その三拍子揃った学園生活じゃ彼女なんかできやしねぇぞ」
「俺の勝手だろ」
「本来はそうだけど、松尾の様子を見てるとそうじぇねぇんだ。文化部か同好会でも入ってご縁を掴んじまえよ。あと、お前も何か頼め」
明はホットコーヒーを頼んだ。このコーヒーは至って標準的でそこそこ苦い。
「加藤春香って女子いたよな。あの娘、何処の部活行くんだ?」
「意外にもメディア研究会だってよ。クラスの女子から聞いた。」
「運動部のマネージャーにでもなっていそうな娘だけどな」
「これもクラスの女子が言ってたんだが、彼女はそこまでミーハーじゃないみたいなんだ」
「何かあるな」
2人ともカップの飲み物を啜りながら考える。
「あぁ、何か訳がありそうだ」
「そしたら行くか?」
「早いとこお代払って江学行こうぜ」
江学とは江南学園の通称である。明と佐藤は信越線に乗り、2駅目の亀田で降りた。そこから公園の方へ直進すると江南学園がある。
校門を見てみると『サッカー部内に於ける虐めの発覚に伴う人事入れ替えのお報せ』とあった。
「嘘じゃなかったな」
明が佐藤にそう言った。
「だろ?」
佐藤はそう言いながら内心では全く笑っていない。
この時代、サッカー部が10年間公式戦に出られないということはもう1つの不幸があった。
2034に国連軍が常備軍となり、各国の軍隊が廃止され、首脳たちから兵権が取り上げられた。全ての核兵器は廃棄され、軍隊は国連軍の駐屯部隊だけとなった。
刀や銃を使った戦争に替わるものとして野球やサッカーなどの国際試合が取って代わり、国軍に替わる存在としてナショナルチームが各国で結成された。
戦争に替わる国際試合―――2040年ごろから『ウォーゲーム』と揶揄されるようになった―――に出る選手は2010年代におけるオリンピックやワールドカップのスター選手のような扱いを受け、実際にスターとなった。そのスター候補生が母国から10年間出ることはない、ということも意味しているのである。
『戦争反対』を声高に叫んでおきながらその戦争より醜い一方的侵略を誘致した者達は『戦争の形態』が『野球やサッカーの国際試合に替わったこと』を初めは喜んでいた。が、2038頃から左翼団体による国際試合出場選手への虐めが激しくなった。
彼らは『戦争は人を殺すから良くない』なのではなく、『日本が彼らの精神的な母国の言いなりにならないことが嫌』なのである。
仮想カメラを江南学園に戻す。
「松尾君、聞いた?朝鮮半島の戦争終わるみたいだよ」
「山岸さん、それホント?」
「うん。北朝鮮代表チームが韓国代表に3―2で敗れて条約を結ぶんだって」
「あの北朝鮮がねぇ。ほぼ100年越しじゃないか」
この後、交渉は決裂したが、金体制に嫌気の差した選手団が国連軍に直訴し、国連の強制力で金政権は取り潰された。朝鮮半島が100年越しで再統一を果たすのは年末になる。因みにウォーゲームで勝った大韓民国も国連から行政指導を受ける処分を下され、翌年には所得再分配を推進する制度を強制された。