第七話『覚醒、それぞれの思惑』
空気が赤黒く、腐っているかのようだった。
俺はこの現状をそう形容する。
ルークが闇堕ちした。
どこからか入手した闇の魔装具で、彼は力を手にし、そして人生を失った。
いや、これから失う。奪う。
そのはずだ。その覚悟はある。そのはずだが。
「……無理か。やはり」
「いや……大丈夫だ……」
ロウには見透かされているようだ。今から人を殺す。そのせいか足が震えている。
嫌な汗が流れ、落ちる。
俺はこの世界でいう異世界人に相当する。
この世界では、やはりといっていいか、人殺しなど当たり前にやっていると見える。
ロウは落ち着いている。多分、彼女はためらいも無くルークを手にかけるだろう。
俺にはできない。それが分かる。
生きるためには、人を殺さなければならない。それは理解できる。
だがそれに反して、体は動かない。
俺には殺せない。怖い。
「君は殺さない世界の住人だ。分かっている。だからシャロを連れて逃げろ」
「……でも、ロウ……」
「早く行け」
彼女はそれ以上何も言わなかった。
この場には、ルークを除いて戦えるものといえば、シャルロット、ロウ、俺の三人だ。
シャルロットは茫然とし、戦える状況ではない。俺も戦えない。だとすれば足手まといだろう。
「……シャルロットを逃がしたら、戻ってくる」
「ふん、その間には終わらせてくれる」
「ありがとう、死ぬなよ」
俺は震えを気合で止め、剣をしまった。
怯える彼女のもとに駆け寄り、手を引く。
「行こう、シャルロット」
「でも……ルークが……」
「ルークはもう……とにかく! まずは避難だ!」
虚ろな目を向けるシャルロット。半ば強制的に手を引き、その場を駆ける。
足は思ったように動かない。けれど逃げるという本能が、無理矢理に足を動かさせる。
俺は杖を持つロウの背中に、悲鳴と共に走った。
☆ ★ ☆
一人残る村の中心。対するは幼少期より一緒に過ごしている男、ルーク。
彼は今朝ほど、王都にて食糧調達に向かった。だが何があったのか彼は闇の魔装具を持ち、村を襲っている。
先ほど親衛隊の一人に聞いた話では、戻りの馬車から降りた瞬間に魔装具を取り出し、馬を殺した。
そして流れるように親衛隊数人を手にかけたらしい。何とも狂気的である。
長老様、父上は他の親衛隊とともに応戦するも、負傷。ほかの親衛隊に援護されながら逃げたという。
その攻防の末、今現在の静かな空間が出来上がっているわけだ。
「どうも、ロウ様……」
「恥ずかしくないのか。闇の魔装具に手を出しおって」
「いえいえいえ、別に、これも全てシャロ様のためでございますよ……?」
気持ちが悪い。
動きの一つ一つ、雰囲気全てが。闇の魔装具を手にしたものと戦った経験は何度かある。だが慣れるものではない。
「ルーク。シャロは確かにお前の事を慕っていた。一体何が不満何だ。言ってみろ」
「そりゃあもう……すべてですが?」
ぎょりと見開かれる目に、私はまた吐き気を覚えた。
「長老様も……親衛隊も……そしてあなた! ロウ様! あなたも気に入らなかったんですよ!?」
そう言うと、ルークは下卑た笑顔を浮かべ、こちらへと剣を向けた。
「知ってるんですよ!? あなたが宝瓶宮、セレスティア・アクアリウス・クロートの手先だってことも!」
「……ほう、誰から聞いた」
自然と目が細まる。彼はまた、高らかに、そして狂った笑い声を上げた。
「ええ、王都でね。茶髪でネコ目の男から聞いたんですよ」
「……アルツか。また面倒なことをしてくれたな……」
はぁ、と息を漏らす。ルークはアルツに唆されている。そう見えた。
獅子宮、アルツ・レオ・クラウディ。以前一緒にパーティを組んでいたこともある男だ。
今度は何を企んでいる。またどうせロクでもないことだろうと思う。まあ、そいつの話は今はいい。
問題は闇の魔装具になる。どこから入手したのか。案外魔装具自体は普通に手に入る。転売や、コレクターなのだが。
それにしてもあの魔装具、以前見たものよりどことなく禍々しい気がする。
まあいい。締め上げて尋問したいが、そうも言っていられないだろう。
「前前から気に入らなかったんですよ……執拗にシャロ様にくっついて回り……果ては愛だのなんだのほざきやがって……」
「そうか? 私は嘘でも何でもなく、シャロを愛しているぞ」
「嘘をつくな、だったら何故本名で呼ばない!? 師匠に言われ、監視しているだけだろ!」
「……それは主従である分別だ」
「何を呆けたことを言っている! お互いに踏み込まないようにするためだろうが!」
何かの糸が切れた気がする。一瞬にして魔導球を発生させ、ルークめがけて放つ。
光速で放たれた魔導球。それはルークの左肩を貫き、爆散させた。
だが私はこの攻撃が無意味だと言うことを知っている。
左腕は重力にならい、音をたてて地面へと落ちた。
「ふふふっ……あはははっ!」
「何が可笑しい」
ルークは壊れた人形のように、カラカラと笑った。
もはや人の形などとどめていないように思える。
すると肩の傷口から黒い触手のようなものが伸び、落ちた腕を拾う。
傷口にあて、にちにちと気持ち悪い音が鳴り、その傷はたちまち治っていった。
もはや肉体は魔物と化している。
「それは、ロウ様。攻撃したということは、認めるってことですよね?」
「……今すぐその首をかききってやる」
詠唱をし、先日のように氷の槍を創り出す。
できる限り細く、出来る限り鋭く、出来る限り早く。打ち出し、首を貫くことにだけ神経を集中させる。
それを見たルークは即座に行動を開始し、こちらへととびかかってくる。
力任せの振りだ。だがそれはどの太刀筋よりも速く、決して避けられるものではないだろうと悟った。
だからこそ理性の無い彼の一撃は、誰にも予測できず、誰よりも強かった。
氷の槍は、ことごとく破壊され、粉々になってしまう。
「チッ……お前、もう人間じゃないな」
「……あなたこそ」
「はぁ……進撃する冷気の神よ、万物を凍てつかせ、その力を知らしめん……」
私は彼を殺したくなって来た。
何故かはよく分からないが、明確な殺意がそこにあったといえよう。
圧倒的力で、気に入らない相手をひれ伏せる。
私はとある魔術を唱えた。
空気が冷えていく。ものすごい勢いで体内の魔力が減っていくのが分かる。
これは私が扱える魔法の中で、最も魔力を有し、さらには最も威力のある攻撃である。
師匠から習った技だ。宝瓶宮。二つの世界を併せ持つ彼女だからこそ生み出し、そして扱えた技だと思う。
彼女はいつも言っていた。それこそ口酸っぱく、何度も言い聞かせるように言っていた。
『魔術を使う相手はほぼ人間だ。だったら殺すつもりで放たなければいけない』
私はその教えを守り、人には魔法を放つときにはかならず殺すつもりで放っている。
たとえそれが長い付き合いのある友人だったとしても。
ルークだったとしても、私は殺すのを躊躇ったりはしない。
「……死ね。『ブリザードゼロ』」
杖を振る。放たれたそれは、彼を一瞬で包み込み、冷凍した。
この世界には冷凍という技術はあまり知られていない。それは外の世界では当たり前の技術であるらしい。
それを応用した魔術。
冷凍された体を、地から生える氷の槍が貫く。一瞬にして凍った肉体は貫かれ、そして散り散りになっていく。
もはや修復不可能なまでに霧散した肉。これ以上の復活は無いだろう。
実際ルークはそれ以上何も反応しなかった。
「はぁ……いつもどおりの闇堕ちだったな」
短く息を吐いた。
私らしくない。相手の挑発に乗り、一番の魔術を使ったのだから。正直魔力が底をつきかけている。
何故こうもカッとなり、魔力を使ったのか。不思議だ。いつもの私ではないような気がする。
まあ、痛いところを突かれたのだ。キレても仕方のない場面だ。まあ、勝ったしいいだろう。
けど気になるな。この心に引っかかっている何かが、気になる。
まあ、いい。きっとアルツのことだろう。あいつには今度小言でも言ってやろう。
そう思い背を向けたときだった。
「……いぐっ!?」
「あははははははははっ! なああああに勝った気になってるんですかああああっ!?」
胸から剣が生えている。いや、背中から貫通しているのだ。
そして勢いよく抜かれた。血が滝のようにあふれ出る。
私は地面に突っ伏した。吐く息とともに、血が口から出てくる。
「あ……かはっ……ルー……ク……」
「安心してくださいよぉ、ちゃんとあの男も殺してあげるんで寂しくないですよぉ!?」
そのまま彼はずりずりと剣を引きずりながら、彼らの逃げた方向へと向かっていった。
私は何もできず、ただもぞもぞと動いていた。
ようやく仰向けになる。
私は夕焼けになりつつある空を見上げた。
「ああ……これでいいのか……体張らせるな……」
口にたまった血を吐いた。
「……アルツ、いい加減出て来いよ。私そろそろ死にそうだ」
「あはは、まさか怒るとは思わなかったんだ、ごめんごめん」
私の影から声がする。一瞬揺らめき、煙のように動き出した。
それが形となり、一人の男の形となった。
茶髪にネコ目。そして軽そうな態度。
「ま、いいさ。これくらいの情報開示は彼にも必要だろう」
その男、アルツ・レオ・クラウディは口の端をにっと上げた。
「僕は怖いね。なんてったってセレスちゃんの言う通りなんだもん」
「……師匠は全能だからな」
視界が赤に染まる。
さっさとヒールをかけてほしいと思う
☆ ★ ☆
息をするのが苦しい。
未だ体調はすぐれず、熱と、吐き気と、関節痛に見舞われていた。
しばらく走り、村を抜けた。そして先日シャルロットと一騎打ちを行った場所へとたどり着いた。
俺はそれから走れなくなった。
胸を押さえて激しく咳込む。
「げほっ……げほっ……うぅ……きつ……」
「だ、大丈夫? 休んでた方が……」
「いや、ロウのところに戻らないと……うぐっ……」
すぐ近くでは命の取り合いが行われている。そう思うと無性に吐き気が催してきた。
だがここは俺の住んでいた世界とは違う。殺さなければ殺されることを、今現在は理解しているつもりだ。
だがどうにも足がすくんでしまう。体調を崩しているというのもあるだろうが、それ以前の問題だろう。
俺は人を殺せない。殺すのが怖いのだ。
頭では殺さなければいけないのは分かっている。だからといって殺せるものでもない。
「シャルロットだって……相手があいつじゃ、剣も向けられないんじゃないか……?」
「……それは……」
俺は彼女の手を、両手で握った。
しっかりと目を見据え、諭すように話す。
「いいか、闇堕ちっていうのは……殺す以外の方法が無いんだ……」
「え……嘘でしょ……じゃあルークは……?」
「……多分もう、助からない……」
彼女は苦虫を噛み潰したような、そんな顔をしていた。
仕方が無いことだろう。彼を慕っていたシャルロットが、簡単に割り切れるはずがない。
だったら逃げる以外の術はないのだ。けれど俺の体は言うことを聞いてくれない。
「逃げよう……早く逃げなきゃ……」
彼女は未だ困惑していた。だが殺せないとなると、もう逃げるしかない。
俺はまた彼女の手を引き、走り出そうと力を込めた。
その瞬間、爆音が響いた。
「……きゃあっ!?」
「シャルロット!」
咄嗟に彼女を押し倒し、おおいかぶさる。
熱風が走り、その場を砂煙を上げながら通り抜けていく。無意識で闘気を纏っていたため背中は焼けなかった。
時間としては数秒だろう。だがそれはもっと長い時間に感じてしまう。
おそるおそる起き上がると、そこには案の定彼の、いや、彼だったものの姿があった。
「見つけましたよ……シャロ様……」
「ルーク……お前……」
「ああ、お前まだ生きてたのか。あのまま死んでおけばよかったのによ……」
闇落ちしたルークが、焦点の合わない目をこちらへと向けてくる。
俺は剣を抜いた。同じくシャルロットも。だがどちらも戦える状態ではないだろう。
けれどこうも言っていられない。彼女にルークを殺させるわけにもいかない。
第一、目の前でシャルロットが誰かを殺すところを見たくないと思った。
何故そんな風に思ったのかは自分でもよくわからない。
ただ何かそんな風に思ってしまった。
殺す。目の前の化け物を殺さなければいけない。
「本当にどいつもこいつもイライラさせるよなあ……何で俺の邪魔ばっかするんだ……」
「ねえ、ルーク! もうやめようよ! こんなことしても意味なんて……」
「シャロ様は黙っていください! あなたには分からないでしょうよ!」
彼は狂っていた。嫉妬、もしくは欲しいものが手に入らないことへの苛立ち。
それら欲望がむき出しになっている。本で読んだ通りだ。
この場合、ルークの首を斬り落とすことができれば俺の勝ちだ。
問題は、俺が本調子ではないと言うこと。正直意識も朦朧としている。苦しい。
もうひとつはシャルロットがルークを斬れないということだ。
それに斬らせたくない。だったら俺が汚れ役を買わなければだろう。
「俺は……ルーク、お前を殺す」
「あはははははははっ! 無理無理無理っ!」
高らかに笑い、剣を振るうルーク。集中する。剣道の試合と同じように集中する。
だがこれは試合ではない。命がかかっている。失敗は許されない。
太刀筋は以前戦ったときと変わらない。
荒々しく降られる剣。右からの太刀筋。
何の事は無い。返すことができる簡単な攻撃だ。まっすぐ構えたこの太刀を横に振ればいい。
幾度となくした動きだ。大丈夫だ。
俺は力を込め太刀を振るった。
「……っ!?」
「あははははっ! それで振ったつもりかっ!?」
ルークの振った剣が、俺のわき腹を捉えた。何かよくわからないものに引っ張られるように、俺は吹き飛ばされた。
何度かバウンドし、先日のルークのように木へ叩きつけられた。
その場に崩れ、盛大に咳込み、血を吐く。
体中に激痛が走り、動かすことができない。いくら闘気を纏っているとはいえ、ダメージが無くなるわけでは無い。
結果、俺はうつぶせに倒れ、ゲームオーバー状態になってしまった。
器官に砂が入る。苦しい。体が言うことを聞かない。
ただ目の前の化け物を、睨むことしかできなかった。
「あははははははははははははっ!」
「ルーク……何で……何でこんなことするの……?」
シャルロットは彼に怯えた目を向けていた。
彼の剣は別に速くも何ともなかった。だがその力が異常だった。
いなすことができず、太刀ごと叩きつけられたかのようで、俺は彼に敗北した。
きっとシャルロットは太刀打ちできないだろうと思う。
ロウが来なかったと言うことは、きっと彼女も敗北したのだろう。
死んだかな。生きてるといいな。そんな感情がぐるぐると回る。
もう俺は死ぬだろう。そう悟った。
走馬燈は流れない。ただ目の前の、シャルロットの事が気がかりだった。
「シャルロット……逃げろ……」
「あ……ああ……」
「シャロ様?」
彼女は錯乱していた。死を目の前にして、気が動転しているのだろう。
シャルロットだけでも逃げろ。そう叫ぶが彼女には聞こえていない。届かない。
そしてもう、助けるものはいない。
「うっ……あああああっ!」
「……シャロ様?」
彼女は剣を振り上げ、ルークへと向かっていった。
それは弱弱しく、最後の足掻きとでもいうような、そんな一撃だ。
シャルロットは震えていた。恐怖に全身を支配されている。
ルークはそれを避けなかった。いや、もともと彼女を殺すつもりすらなかっただろう。
だからこそ彼は避けない。斬られるとすら思っていなかったのだと思う。
「……シャロ様?」
「はぁ……はぁ……」
「何故です? 何故私を斬るのです? 何故……?」
「いや……やめて、こないで……」
「私は……私はシャロ様を……」
傷はすぐに元に戻った。
欲望のままに動いていた彼を、その本人であるシャルロットからの拒絶。
彼の精神は崩壊していた。
元より闇の魔装具は、使用者の最も強い欲望を糧として動く。
きっとルークは、シャルロットに認められたいという、そんな気持ちが支配されている。
「そんな……なんででででえ…わわわ、私は……シャロ……ささ、様ままままをををを……」
壊れた機械のように、カタカタと頭を揺らしながら、言葉になってない言葉を吐く。
ゆっくりと、がたがたと震える足を踏み、ルークはシャルロットに近づく。
シャルロットは怯え、その場に腰をついた。全身が震え、瞳孔は開ききっている。
彼は剣を振り上げた。
やめろ。近づくな。
叫びたくても声が出ない。ただ細い息が口から漏れるのみだった。
手を伸ばしても届かない。
「お願いルーク……やめて……やめてよ……」
「あ……ああ……」
剣は振り下ろされた。
その太刀筋は、彼女を斜めに斬り、そこから大量の血が漏れ出る。
「あ……なん……で……?」
その場に倒れるシャルロット。うつぶせに倒れ、だんだんと血だまりができる。
俺は声を出そうと必死だった。
途端に咳込み、血を吐き出す。ついには口を開くこともできないようだった。
彼女はこちらを見ている。
虚ろな、今にも消えそうな瞳でこちらを見つめていた。
シャルロットは俺に向かって手を伸ばした。
血に塗れた、赤い手を、こちらに向けている。
「ユウ……ト……」
俺の名前を呼んでいた。けれども俺には返事をすることができない。
彼女にむかって精一杯手を伸ばした。
けれども現実は残酷だった。
「うっ……あああ……」
鈍い音が響く。シャルロットの背中に、ルークの剣が刺さっていた。
どさっという音とともに、彼女の伸ばされた手が落ちる。
目からは光が消えた。
シャルロットは殺された。
「…………っ!?」
名前を呼ぶも、声が出ない。
体も動かない。
目の前には狂った化け物が一人。
絶望的な状況だった。
夢であってほしい。けれど痛みはしっかりと伝わっている。
死だ。俺は今からこいつに殺される。
雪乃のしっかりとした情報は掴めず。
元の世界に戻る方法も分からず。
そしてシャルロットを弟子として育てることもできず。
何もできないまま死ぬのだ。
けれどひとつひっかかっている。心残りとでも言うべきものだろうか。
ただそれだけは解決しておきたかった。そんなもの。
目の前に迫るルーク。
彼の目はどこをみているかわからないほど、定まっていない。
けどまあ、この状況であれば俺にだけ目が行っているだろう。
俺の番だ。殺される。
振り上げられた剣。それはまっすぐに俺を見下ろしている。
不思議なことに、それはスローモーションで見えた。
視界の奥に、シャルロットだったものが見える。
ああ、そうか。分かった。
俺はシャルロットが好きだったのだ。
異世界に来ていきなり何を言っているのか、という思いは自分にもある。
けれど知った。一目惚れに近いものかもしれない。
純一無垢で、いつも楽しそうで、いつも全力で、いつも笑顔なシャルロットが、俺は好きだったんだ。
けれどもう伝える手段は無い。彼女は死に、俺も死ぬ。
せめてもっと早くに気づけていれば。まあこんなことを考えるのはよそう。
今度は二人一緒に転生したらいいのに。
そしたら今度こそ、思いを伝えよう。
目の前を、剣が通り過ぎた。
俺は目を閉じた。
「…………っ!?」
「ああああああああっ! 熱いっ! 熱いいいいいいいっ!」
突如として響く叫び声。俺はすぐに目を開いた。
目を開けるとそこには全身から火を噴いているルークの姿があった。
燃えている。全身に火をまとい、もだえ苦しんでいる。
何が起こったか分からない。
そして視界のおくに、彼女の姿があった。
シャルロットだ。死んだはずのシャルロットがそこに立ち、手を向けている。
咄嗟の事で分からなかったが、あの火は彼女が放ったものと思われる。
こちらに近づき、火だるまと化したルークを蹴り飛ばす。
数メートル先に転げた彼は、今だ悶えている。
彼女は俺に近づき、手をかざした。
「…………え? あれ?」
その瞬間、傷は癒え、体調も元に戻っていた。
これがヒールなのだと感じたが、そもそも病気までもとにもどるのか?
そんなことを考えている暇はない。
俺はシャルロットに向き直った。
「なあ、シャルロット。大丈夫なのか!?」
「…………」
「シャルロット……? お前……」
彼女は寂しそうな笑みを浮かべた。
そしてシャルロットは無言で俺の近くに落ちていた太刀を手に取り、ルークの方を向いた。
俺はそのとき違和感を感じていた。
目だ。目が赤く染まっている。
そう、まるで闇堕ちのように真っ赤に。
「目が……何で……?」
「…………」
そう言い、彼女はルークめがけて一歩を踏み出した。
一撃だった。彼の首は天高く舞い、地面に落ちる。
そして一瞬にして肉体は腐り、闇の魔装具だけが残った。
俺はその場に駆け寄る。
「おい、シャルロット……お前一体……」
「…………」
彼女は何も答えなかった。その瞬間、糸の切れた人形のように、だらりと倒れた。
俺はそれを受け止める。
シャルロットは眠っているかのようだった。息もしている。
俺は彼女を背負い、村長の家まで連れていくことにした。
不思議なことに、彼女の服はルークの太刀筋通りに切れているにも関わらず、肉体には傷一つついていなかった。
シャルロットには何かしらの秘密がある。それを確信した。
多くの疑問を生んだ結果になったが、生き残れたことを喜ぶべきだと素直に思う。
それもこれも全てシャルロットのお蔭なのだが。
「一体何者なんだよ……お前は……」
短く息を吐く。
彼女の体は軽かった。
☆ ★ ☆
俺は頭を抱えていた。
目の前で眠る少女、シャルロットの寝顔を眺め、息を吐いた。
可愛いからではない。あ、いやもちろん可愛いのだけども。
先ほど闇堕ちしたルークと命がけで戦った。そのさいに彼女は確かに死んだはずだ。
というか死ななければおかしい。そんな攻撃をされている。
生き返り、そしてルークを殲滅した。
「……はぁ……」
文字に起こすとそんな大層なことに見えないかもだが、俺の頭は混乱している。
おかしい。何が彼女に起きているんだ。
そもそもシャルロットとは何者なんだ。
天涯孤独。天才。剣士。魔導士。
肩書きだけでもかなりの異彩を放っている。
そして気になるのは赤い目。彼女の目は真っ赤に染まっていた。
元の色は群青色。似ても似つかない色だ。
今は閉じているため、何色かは分からない。
先ほど隠した本。シャルロット・オヒューカス・ウラヌスの文字。
一体どんな意味がこめられているのか。
というかロウは何を隠してるんだ。あいつも何者なんだよ。
「はぁぁぁぁっ…………」
もう頭が痛い。
異世界に来た時点で謎まみれだが、これはおかしい。
俺に何をさせたいんだ。転移した理由とは何だ。誰か教えてくれ。
そして最も重要なこと。
「……んぅ……むにゃ……」
「…………」
俺がシャルロットに恋をしたということだ。
いや、建前とかいろいろ抜いて考えてみてもこの数日で落ちるとかおかしい。
けれど知ってしまった。
この気持ちに嘘はつけないのだ。
そう、少女漫画風に言えば「私……恋してる……」である。
「…………」
恥ずかしいわ!
いやいやいや、どうすりゃええのよこれ。恥ずかしい。
が、しかしこのあとどうするかといえば、そりゃまあ告白だろう。
すぐ? 出会ってまだ数日だぞ俺。
だがモノは考えようである。この世界は気を抜けば死ぬ。そんな世界だ。
もっと早くに気持ちを伝えて置けばとか言うそんなフラグができてしまう。
正解が分からない。
一人でうんうん唸っていたときだ。
「ユウト! シャロ! 大丈夫だったか!?」
「……!? ロウ!?」
勢いよく開けられる扉。現れたのは破れた服を手で押さえながら息を切らしているロウ。
砂や血が付いているところをみると、戦闘していたと言うことが見受けられる。
というか死んだんじゃ無かったのか?
「えっと……大丈夫だったのか?」
「ああ、ヒールが間に合った。ぎりぎりのところだったな」
そう言うとロウはシャルロットに近づき、息を確かめるために顔を近づけていた。
右手は胸へ。きっと心臓を確かめているのだろう。だからってそんな揉みしだことないだろう。
あ、キスした。軽めのだが。何だろう、この黒い感情は。
「ふぅ、大丈夫なようだな。安心した」
何だこいつ。
いやいやいや、何を考えているんだ。落ちつけ俺。
何、ロウ相手に嫉妬してんだ。
「それでユウト。何か変わったことは無かったか?」
「……え?」
ロウはこちらを見る。その目はいつになく真剣で、俺は一瞬ビビッてしまった。
これは言うべきなのだろうか。先ほどシャルロットに起こった事。
だが何かよくわからない。このことは言ってはいけないような気がしてきた。
とにかく言うべきではないだろう。直感がそういっている。
「いや、何も。シャルロットが倒してくれたよ。で、魔力切れで眠ってる」
「……そうか」
ロウは納得してくれたようだ。
数度頷くと、立ち上がり出口の方へと向かっていった。
「私は村の人たちを集めてくる。それに魔装具も回収しておきたい」
「え、触って大丈夫なのか?」
「ああ、触るぶんにはな。まあその辺の細かい話はあとからしてやる。シャルロットを頼むぞ」
「お、おう……」
彼女はその場を後にした。
残された俺と眠るシャルロット。
ロウは何を考えて生きているのだろう。
何か考えながら行動しているとみられる。それがいいものか悪いものかは分からない。
ロウにもロウの事情があると思う。触れないのが吉か、それとも。
「……すぅ……すぅ……」
気持ちよさそうに眠っている。
何だろうこのもやっとした気分は。何か、何かを犯してしまいそうだ。
いやいやいや、俺は元の世界で強姦した場合どうなるかなどはちゃんと勉強したじゃないか。
嫌われる。で、すめばいいのだが。
「…………可愛いよな」
ぽつりと呟く。ルークが狂乱するのも頷ける。
事故とはいえ俺は同志に太刀を向けてしまった。何か申し訳ない。
だとすれば俺は彼の意思を継がなければならないと思う。
今は無きルークの気持ちが、俺には分かる。だとすれば。
「……コクる……のか?」
とりあえず告白が最上だというのは分かる。だが異世界で色恋沙汰に現をぬかしていていいのかということ。
雪乃のほうはどうなってるんだ? ルークが闇堕ちしたことで有耶無耶になっていないといいが。
今日実感したが、異世界は命がけだ。今日ほど命の尊さを感じた事は無い。
命大事。そっちのけでシャルロットに告白しようとして後ろから刺されたとかあったら怖い。
つか、ロウに刺される。
「……んぅ……んん……」
「…………」
寝返りをうつシャルロット。自然と顔がこちらに向く。
少し湿った桜色の唇が、呼吸にあわせて動いている。
何となくだ。邪な気持ちなど無い。
そっと手を伸ばし、親指で優しく触れた。
「……んっ……」
柔らかい。なんだこの気持ち。おいおいどうなってんだこれ。
そっと顔を近づけると、呼吸の音が聞こえる。それに何かいい匂いするし。
さっきまでバトってたのにこんな匂いするとかありえん。不思議だ。
つか何をしてんだ俺。これバレたらヤバイんじゃないか?
がしかし俺の動きは止まらない。
顔はどんどんシャルロットの顔へと近づき、終いには触れる寸前へとなってしまう。
唇が目の前にある。キスまであと一歩の状態だ。
「…………」
これは何だ。どうすればいい。しちゃってもいいのか?
あと一歩、そうあと一歩なんだ。
もう寸前、もう……あと、ちょっと……。
「……うぅ……むぅん……」
「…………」
「あ、ユウト。おはよ…………」
「……ああ、おはよう」
俺とシャルロットの距離は現在一メートル。うん、全力で飛び退いたよ、うん。
シャルロットは無事目覚めた。が、何だろうこの何とも言えない気持ちは。
とにかく無事でよかった。けど何だろう。
「あ、そうだ。体の方は何ともないか?」
「え? うん、まあ……けど……」
「けど?」
シャルロットは困ったような顔を浮かべ、頭を掻いた。
「……何があったのかさ、覚えてないんだよね……」
彼女は視線を下げた。
それは分かってたような、以前にもあったかのような、そんな目だった。
その目は群青色。先ほどまでの赤色ではない。
「……ルークは……その、やっぱりいないんだよね」
「……ああ」
彼女は布団をもう一度被った。
「……そっかぁ……」
彼女はそれっきり黙った。
背を向け、俺の反対側を向いている。すすり泣く声が聞こえてきた。
俺は黙って横に座った。
彼女には、自覚している何かがあるのだと思う。
それを知らずに告白だのなんだの一人で盛り上がるのは、きっと失礼だろう。
俺はそれについて聞かない。いつかきっと話してくれると信じている。
「…………ぐすっ……」
「…………」
彼女の頭を撫でた。
白い髪が揺れた。
☆ ★ ☆
村長の家の前。
私はそこの壁に体重を預け、一人佇んでいた。
「…………気に入らないかい?」
「……のぞき見か。いい趣味とはいえないな」
「そうだね、あはは」
私の目の前に伸びる影が一瞬揺れ、そこから人の形が形成される。
それは私の前に立ち、不敵な笑みを浮かべた。
「ねえ、ロウ」
「……アルツ。いい加減その嘘くさい話し方やめたほうがいいぞ」
「そう? 結構気に入ってるんだけどなぁ……」
彼は大げさな仕草で手を振ると、私の隣に同じように立った。
「まさか本当に“あの子”が出てくるなんてね。それもこれもユウトくんのお蔭かな?」
「それもこれも師匠の言う通りだ。これから物語が始まるということだろう」
「そうだね。ホント信じらんないよ」
彼はポケットから一枚の紙を取り出す。
この世界で使われているようなものではない。薄い水色の線が入った紙。
師匠曰く、「再生紙」と呼ぶものらしい。
アルツはそこに書かれている文字を読み上げた。
「……闇落ちしたルークをヒロインが倒す。その後冒険へと出発」
「シャロには私が魔術を教えたせいで闘気を纏うのが苦手だったからな。それもユウトが解決した」
「多少のイレギュラーあれど、ストーリーは変わらないってことか」
アルツは紙をポケットにしまった。
どうやらストーリー展開のきっかけは、シャロ自身によるルークの討伐だったらしい。
私は短く息を吐いた。
「ま、とりあえずちょっと日常回挟んだら王都に来なよ。ちゃんと伏線張っておくから」
「頼む。私はもう少し様子を見る」
「うん、じゃ、またね」
「ああ、最後にひとついいか」
「うん?」
私はアルツに向き直った。
この男の嘘くさい顔を見据える。
「さっきの質問の答えだ。私は気に入らない」
「……そっか」
彼は闇に一歩を踏み出した。ゆっくりと体が沈み、だんだんと小さくなっていく。
「……僕もだ」
アルツは闇に消えた。残った静けさに、私はまた息を吐いた。
ポケットに入っていたメモを取り出す。再生紙だ。
これには世界のすべてが書かれているのでは。そう何度も思った。今も思う。
師匠が何を知り、何を思ってこのメモを書いたのかは分からない。けれどこれが運命すべてを握っているのも確かだ。
そのメモの、一番上に書かれている文字を読んだ。
「異世界転移系ラブコメ プロット」