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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
最終章
82/84

冬の花嫁(5)

「昭国王よ、今の私の気持ちがお分かりになるか」

「実の兄君でも、血気盛んな戦姫に振り回されるのに慣れぬのか」

「慣れてたまりますか」



 楊基のごく近くに降り立った李公季は、眉間に皺を寄せながら、稜花を睨み付けた。


「援軍を説得して慌てて駆けつけたというのに、妹に先を越されて戦は収束していた――面目が立たないとかそれ以前の問題でしょう」


 褒められているのか貶されているのか、あるいは呆れられているのか。なんだか明らかに責められているような心地がして、稜花はうっと己の胸に手を当てた。しかし、彼も分かっていたはずだ。稜花が戦場に駆けつけていることなど。


「兄上も、やる気満々だったじゃないの」

「せめて、我らの到着を待つと思っていたのだ。お前もそうだが、進もまた――先に仕掛けおって。肝が冷えた」


 ふん、と荒く息を吐き、李公季は怒りを露わにした。しかし、その頬は確かに緩んでおり、あまり言葉に説得力が無い。





 昭国から逃げ、間もなくこの戦場へと合流する直前のこと。

 軍前ではあるが、稜花達は李公季達の軍勢を発見することが出来た。わざわざ散雪川を渡ってくる、物々しい軍勢を見つけて、ひどく驚いたものだった。

 当然何者であるかを確認せねばならないと注意深くその軍を観察したわけだが――結果、自身の兄を発見することが出来た。結果的に、戦場に合流する前に、ここに至った経緯を共有することができたわけだが。


 稜花としては彼らが先にたどり着いてしまうと、彼らに警戒して楊基が会ってくれない可能性があった。

 それはそれで、稜花の思惑から外れるため、慌てて行動したわけだが。もちろん、止められることを分かっていたため、李公季に告げるはずもない。



 ――後で怒られるくらい、構わないものね。


 目を細め、この地に無事たどり着いてくれた兄を見やる。

 稜花を余所に、二国を代表する男たちは話し合いを始めていた。収束しつつあるこの戦の終着点について。




「楊基殿、此度の一連の稜国への仕打ち、我々が忘れることはないだろう」

「――そうだろうな」

「其方は自らの手でこの同盟に終止符を打った。この同盟による取り決めは、一旦取り下げさせて頂こう。稜花の輿入れを含めて、だ」

「……」


 その時の、楊基の顔。

 いつもの余裕のある顔でも、怒りに満ちた恐ろしい顔でもなくて。


「――惜しいな――」


 諦めと、後悔。

 そんな感情が交じった、自分を責めるかのような表情が、妙に印象に残った。


 稜花自身、彼を哀れむような顔になっていたのだろう。ぽん、と肩に手を置かれて、そちらの方向をに視線を送る。すると、楊炎の片眸と目が合った。

 彼は何度か首を横に振り、同情の余地など無い事を稜花に伝えてくる。

 もちろん、稜花だって分かっている。でも、同時に、この同盟は瓦解したままで良いのだろうかとも、考える。




「戦に負けたつもりは更々無いが――我々が攻め込んだのは事実だ。これ以上進軍するつもりはないがな」

「――講和、か」


 で、どうする? と、楊基は宣った。

 今後のことを訊ねているのだろう。そうして挑戦的に李公季の顔を見る楊基は、以前の彼のようだった。まるで李公季の手腕を見定めるかのように、余裕のある涼しげな顔をしている。


「稜河東部の航行権、塩・香辛料に関する取引の件、その他援軍に関する取り決め、南方警戒に関する取り決め、すべて一旦破棄させて頂こう」

「理解はしていたことだが、相当に痛手だな」

「それは我々とて同じだ。だが、我々もまた国家になった。もとの枠組みの中では、手狭であったことは確かなこと。貴国との取引が無くなることは我が国にとっても痛手故、改めての取引を、申し入れよう」


 戦は稜国が優勢の形で幕を閉じたが、李公季の方がよほど慎重になっていた。

 なぜなら彼もまた、楊基に試された――いや、確実にその命を狙われた男だからだろう。

 昭国の後ろ盾を失うのは稜国にとっても避けたいところ。相手の出方を探り探りにはなるが、落とし所を探すつもりでいるらしい。


「ふむ、それはありがたい。して、新たな取り決めとは?」

「ここでは何だ。場所を移そう。分かっているとは思うが、兵の数は制限させてもらう」

「かまわん。稜花の兄君が私をどうこうするとも考えられんしな」



 李公季は目を細め、今後のことについて提案する。

 砦に昭国兵を引き入れるわけにも行かないだろうし、別の天幕でも用意するのだろう。

 ここまで来たら、後は李公季の仕事だ。政治の場に、稜花の出る幕などない。だから、その前に、一つはっきりさせておきたいことがある。



「待って、兄上、楊基!」


 すぐさま行動に移ろうとする二人を、稜花は呼び止めた。

 国を代表する二人の男。彼らに何ぞと声をかけられて、それでも稜花は、一切目を逸らさなかった。

 しっかりと背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向く。



「それはつまり、二国が新たな関係を築くということ?」

「――血による同盟はなし得なかった。当たり前だろう」


 李公季の顔は厳しいままだ。

 相手の懐に入って牙を剥く。楊基が今までのやり方を変えなければ、毒を受け入れるのと同じ。

 婚姻によって結びつけることが叶わなかった。いくら同盟を継続するとは言え、不安定な関係性をどうにか繋ぐにすぎないことを、彼も分かっているのだろう。


 楊基と目があった。惜しいと告げた、彼の顔。稜花の事をとらえて放さないその表情は、真剣そのもの。

 しかし、稜花はもう決めている。彼の手を取ることなど、できない。

 だって、もう心に決めた人がいるのだから。


 ここで言わないと、と気がはやる。楊基が稜花の前から姿を消す前に。

 しかし、強ばった表情のまま、言葉が出てこない。本当に、こんなことを言って良いのか。そんなことが許されるのかと自問自答する。

 すると、稜花の背中にそっと手が添えられた。

 ずっと稜花の道を支えてくれていた、大きな手。これまで何度助けられてきたのか、数え切れない。ふっと楊炎の方を見上げると、彼はゆっくり首を縦に振った。


 震える唇を噛みしめて、稜花は再び前を見据える。誰もが注目する中、凜とした声で、想いを口にした。




「昭国王よ。あなたの弟君、楊焔(ようえん)は、私がもらい受けます」


 ざわりと、周囲に動揺が走る。しかし、そんなことで怯むわけにはいかない。

 楊基だけは、すでに何を告げるのか分かっていたのだろう。稜花の言に、ふと目を細めて、惜しむように息を吐いた。

 一方で、狼狽えるように身を引いた李公季に向き直って、稜花は続けた。


「公季兄上。今、昭国の抱える問題を知っている? 跡取りのいない国王と、力を失った分家の確執。――彼は、必ず切り札になるわ」

「だが、しかしだな……ん、弟?」

「え?」


 李公季の疑問の声に、稜花は目を丸める。どうやら彼は、楊炎の身分までは知らなかったらしい。


「話してなかったの? 炎」

「――流石にそこまでは。私の生い立ちを深く気にするような方ではなかったからこそ、私は信を置いた」


 実に兄妹らしい、とまで付け足されて、どうにも腑に落ちない。が、今はそんなことで落ち込んでもいられない。



「昭国国王楊基殿、私が楊焔を頂きます。彼が昭国で築き上げた絆ごと」


 もちろん、これは牽制にしかならないだろう。それくらい、稜花にだって分かっている。

 それでも、稜花ははっきりさせなければいけない。楊炎の身分と、これからの未来。昭国を見張り続ける意思。そして、稜花が楊基のものになることはないということ。


 気がつけば、ぎゅっと拳を握りしめていた。痛む程に力が入っていたらしく、その指を解かれて気がつく。

 ふと隣を見ると、楊炎が真っ直ぐに実の兄を見ている。

 その手を、稜花の指に絡めたまま。



「……婚約者に、別の男を強請るのか。本当に、自分の想いに真っ直ぐだな、其方は」

「私には――この生き方しかないもの!」

「それでこそ、稜国の戦姫。――本当に、惜しい」


 くつくつと。

 その身に恥を受けているのに、楊基は実に清々しい顔で笑った。

 誰もが見守る交渉の場で、ひとしきり笑い声をあげた男は、額に手を当て、参った、と告げる。



「不出来な弟だが、好きにしろ。それで構わんな、李公季殿!」

「は?」


 未だ楊炎の正体を含めて話について行けてない李公季は、明らかに困惑を露わにしている。そんな李公季に、稜花は向き直る。隣に立つ、楊炎の手を握りしめたまま。


「兄上、昭国国王が弟君、楊焔を、私の婿にしとうございます。どうかお許しくださいませ」


 改まった口調でにっこり告げてみると、李公季はますます困惑した顔を見せた。


「――昭国王よ、今の私の気持ちがお分かりになるか」

「ふっ――散々恥をかかされた身だ。私の気持ちも推し量って頂きたいところだが」

「そうだったな……」


 父上に何と伝えれば良いのだ……そう告げる彼のため息が、冷たい空に溶ける。

 しかしその表情はけして厳しいものではなかった。


 誰もが固唾を呑んで、話の行方を見守る。

 大勢が取り囲んでいるにも関わらず、妙に静かな空間だった。どきどきと、心臓の音だけが耳に響く心地がした。

 大丈夫。きっと、李公季なら許してくれると自分に言い聞かせ、彼の答えを待った。

 



「……私は、異論はない」

「兄上!」


 ようやく得られた了承に、稜花は心臓が跳ねる心地がする。繋いだ手。楊炎の力が強くこもり、彼もまた、その喜びを露わにしている。


「楊基殿。というわけだ。弟君はもともと稜国で過ごしてきた身だが――貴国との関係は切れそうにもない」

「願ってもない。――しかし、この場で、私から婿をもぎ取るか。とんでもない姫君だ。貴国との関係は喜んで受け入れるが――姫の器を受け入れる場所など、我が国には無さそうだからな」


 楊基がしみじみと呟いた。その声はどこか寂しそうで、でも、晴れ晴れとしていた。


「今後の話をするなら、都合がいい。杜の使者もいるようだしな。――冬は長い。雪解けまでには、形にしたいところだが」



 ちら、と楊基が視線を稜花に向ける。

 冬の花嫁にはならなかった様だな、と言葉を漏らし、苦笑する。

 すっかりお見通しな彼に赤面しつつ、稜花もまた、楊炎と繋いだ手に力を込めた。


 白き雪が大地を染める。

 これから先、また、この白に埋め尽くされる日々が始まる。でも、繋いだ手は温かく。稜花の胸も、ぽかぽかと温まる。





「では、場所を移そうか。楊基殿」


 李公季がいくつか配下に指示を飛ばし、砦の方へ走らせる。

 終わった、と稜花は思った。

 稜国と昭国の戦は止めた。これで、自分の役目も終わりだ。この後の采配は李公季がとることになるだろう。


「ありがとう、兄上。後はまかせ……」

「任せられてたまるか、馬鹿妹」

「えっ?」


 が、頭ごなしに怒鳴られて、稜花は目を白黒させる。隣の楊炎も、流石に我慢できぬとの盛大なため息をついていた。

 何かまずいことでも言ったのだろうかときょろきょろするが、誰ひとり同情の目を向けてくれない。



「そもそも! こんな事になったのは其方の甘さのせいもあるだろう! 苦手だと言って政治から逃げるな! 叩き込んでやるから覚悟しろ!」

「えええ……あの、あの。わかってはいるんだけど。兄上がいるなら私なんか出る幕がないと言うかその……」

「馬鹿者! 昭国と対等に話をするなら、手順もやり方も色々あるのだ。其方が言った理由で楊炎を取り込むなら、これから矢面に立つ気でいるのだろう? 稜国のためにも、其方のためにも、勉強せずにいてどうする!」


 盛大な雷が落ちてきて、稜花はひいいと声をあげる。楊炎に泣き付こうとするが、彼もまた、うんうんと実感する様に頷き、さらに周囲に目を向けると、楊基どころか陸由まで首を縦に振っている。

 すっかり孤立させられてしまい、恐る恐る李公季に視線を戻したところ、彼は宥めるように言葉を続けた。



「女だてらに政治に介入する場を与えられているのだ。其方の国に対する想いを、想いで終わらせぬ為には必要な力だろう? 甘んじて、受け入れなさい」

「兄上――」


 稜花の国に対する想いを形にする。ただ、血気盛んに、戦に出ていたあの頃とは、違う。

 稜花だって痛感した。己の力の足りなさを。李公季ならば、もっと有効な手立てを考えられるのにと歯がゆい思いも何度となく味わった。


「稜花。私もついております。今度は、隣に」

「炎――」


 その手を握ったまま、彼は横に並んでくれている。

 ああ、そうかと稜花は思った。これまでは、後ろに控えるようにと全て稜花に譲ってくれていたけれど、これから先は、横で、同じ立場で稜花を支えてくれる。

 稜花は、顔を上げた。目の前の李公季と楊基。二人の、試すような視線に答えるように、稜花は彼らを見据える。



「女の私が、政治の場に出ていいの?」

「……さんざん戦場を駆け回って、それなのか?」

「其方、自分の影響力を知らぬのか?」


 二者二様に好き勝手言われて、うっと言葉に詰まる。

 でも、逃げない。前に進む。

 己の思い描く未来を、手に入れるためなら――。




「――公季兄上、基義兄上(あにうえ)。よろしくお願いします」


 稜花の宣言に、李公季は清々しい笑顔で頷き、楊基は少し複雑な表情を残した。

 そうか、私も稜花の兄になるのか――と、楊基は当たり前のことをひとりごち、なんとも言えない目で隣の李公季を見ている。


「稜花の兄は大変だぞ」

「想像に容易い……」


 うんざりするような楊基の一言に、李公季は声をあげて笑った。二国の未来が笑いあう。それは、稜花の想像しうる最良の未来だと、確信した。

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