表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
最終章
81/84

冬の花嫁(4)

「何をしたって、私が、貴方のものになることはない。稜国にも、立ち入らせない」


 そして稜花は、宣言した。

 彼の胴にのし掛かったまま、稜花はもう片方の剣を彼の首元へ突きつけて。


「稜花」

「今すぐ、軍を退きなさい。ここで敗れるくらいなら、退くことが出来る。貴方はそういう人だったでしょう?」

「……」

「私一人のために大勢を見失ってどうするの。冷静になれと教えてくれたのは、貴方だったのに」


 じいと、彼の瞳を見下ろした。

 鮮やかな朱色が震える。

 強張った表情の彼は、眉を寄せてしばし――大きく、息を吐いた。



「本当に、其方はとんでもない女だ」

「褒め言葉ね。ありがとう」


 剣を突きつけたまま、稜花は笑う。

 土をつけられたままだというのに、目の前の昭国王もまた、その頬を緩める。その時だった。




「稜花!」


 楊炎の大きな声が耳に届くのと同時に、斜め後ろ方向からざわり、とした気配を感じる。咄嗟に振り向こうとしたが、反応が遅れた。

 まずい、そう思った瞬間、先に楊炎がその気配をたたき落とす。



 カン、と高い音を立て、地面に落とされる一本の鏢。それが放たれた方向を見ると、黒い衣を纏った男が、ひとり、ふたり――合計、七人。



「暗部!」

「なんだと?」


 楊基を取り押さえている稜花は対応が遅れる。下から、離せ、と楊基が動くが、そうはさせない。


「大人しくして、楊基っ!」


 楊炎が動くと同時に、封を切ったように稜花に付き従ってきた稜国兵たちも防戦の構えを取る。この場所で、乱戦になるのは避けなければいけない。

 圧倒的な人数差で、やがて稜花達が取り押さえられることは想像に容易い。だからこそ、真っ直ぐに楊基をだけに勝負を持ちかけたというのに――。



「お前たち、やめろ!」


 王の怒声に、一般兵は躊躇する。

 陸由も間に入って、戦を止めるよう命を出すが、どうしても止まらない者たちがいる。



「くっ!!」


 楊炎の刃が孤を描く。

 黒の衣を纏った敵――暗部を二人同時に足止めしている彼の実力を信じないわけではない。しかし、彼が背後に気を取られていることも、稜花にはよくわかった。

 その理由は、実に明快――稜花自身が身動きをとれないからだ。


 気を緩めると、楊基はこの腕の中から逃げるだろう。だからこそ、稜花自身は暗部の攻撃に無防備になっている。よりにもよって、敵に囲まれたこんな状況で、もどかしい。 

 稜花つきの兵たちも、一気に押し込まれ、苦戦している。僅か七、とは言え、彼らの動きは特殊だ。普通の訓練だけしている者には手にあまる。



「ちっ――陸由! 加勢しろ!!」

「っ……楊基っ!」


 ただでさえ稜国側が苦戦しているというのに、陸由まで加わるのはまずい。

 とっさに陸由の方に視線を送ったが、稜花の心配とは裏腹に、彼が刃を向けたのは――。




「いいのか?」

「元同僚のよしみだ」


 楊炎に背を預けて、大振りの刀をひと薙ぎ。

 彼が斬って捨てたのは、稜花たちを襲ってきた暗部の方だった。



「稜花、私を離せ!」

「でも……っ!」

「いいから! 奴らはお前を狙っている!」

「どうして!?」

「お前が居なくなったら、昭国と稜国の間に、戦が起こる理由になるからだ!」

「……っ」


 びくりと、双剣が僅かに彼の首から外れる。瞬間、楊基は稜花の腕を押しのけた。

 あっけにとられている内に、楊基はすぐさま立ち上がり、再び剣を構える。



「その者たちを取り逃がすな!」


 この王の命に従うようにして、ようやく一般兵が動き始める。しかし、暗部の腕は確かで、兵卒がよってたかったところで、どうにもならない。


「道をあけて!」


 稜花もまた双剣を持って、奴らのうちのひとりと対峙した。

 相手の小刀を払いのけたところで、楊炎から声が飛んでくる。


「稜花! 無理だけは……!」

「背中は護ってくれるのでしょう? 炎!!」



 じり、と楊炎と身を寄せ合い、周囲を睨みつける。

 昭国兵と稜国兵の人垣の中で、暗部と対峙する。自由に動けるならこちらのものだ。先程まで楊基と刃を交えた。準備運動はもう終わっている。


 呼吸を弾ませながら相手の攻撃を弾き、今度は楊基の動きをも目で追った。

 彼を放してしまった。まだ、完全に決着がついたわけではなかったのに。




「稜花、暗部は任せた」


 その混乱の中、楊基は真っ直ぐに自陣へ歩んでいく。何事、と思いながら、目の前の暗部を一人を斬ったところで、別の者に顔を向けていた。


 王者の剣を真っ直ぐ振り落し、その首を搔っ切らんばかりの気迫で彼が睨みつけたのは、桃色の髪の男。

 一見柔和な表情のまま、恐ろしいことをことも無げに告げられる男――高濫。



「一体、どういうつもりだ?」

「殿?」

「何故、暗部を動かした」

「……」


 楊基の言葉にはっとして、稜花は高濫を見る。同じように衝撃を受けたのは、稜花だけではなかったらしい。

 じり、と追い詰められているにも関わらず、高濫はゆっくりと口の端を上げる。



 ――笑った。


 自らが仕える王に剣を向けられているにも関わらず。不敵な様子で。

 何故、と思考に耽りたいが、そうも言ってられないらしい。


「稜花!」

「わかってる!!」


 彼に気を取られている場合ではない。楊炎の発した声に反応し、稜花は己の体を反転させた。

 稜花の不意をついたつもりだったのだろうが、相手の方が隙だらけだ。体勢を落とし足払いを。相手が気を取られたところに、下段から突き上げる。


 肉を切り裂く感触。両目を吊り上げたまま、稜花はその命が果てるのを見守った。

 やがて目の前の男は動きを止め、彼の体を地面に横たえる。

 ふう、と息をつくと、周囲の混乱はおさまっていた。

 楊炎の前にも、陸由の前にも亡骸が転がっており、暗部をなんとか退けたことを悟る。


 深く呼吸し、肺の中の空気を入れ替え、しばし。ようやく息が整ってきて、稜花は皆の様子を確認した。




 ずらりと並んだ昭国兵。そして稜国の者も、皆、ひとりの男の顔を見つめている。

 昭国王自らが剣を突きつけている相手。楊基の片腕としてこの場に参戦した、昭国の軍師。

 王の厚い信頼を持っているはずの彼が何故と、誰もが息を呑んでいた。


「どうして私を止めるのですか、殿」

「……」

「数で押せば、彼女たちはけして取り押さえられない相手ではない」


 自らの主君を責めながら、高濫は一切の抵抗を見せなかった。背筋をぴんと張ったまま、握りこんだ扇子をぱしぱしと手で撃ち鳴らす。

 剣を突きつけられているというのに、普段と一切変わらぬ涼しい様子で、彼は王を見据えていた。


「貴方の望みではないですか。ここで彼女を取り押さえられれば話は早かった。稜国も、彼女も、すべてのみ込んでしまえば良い」

「……」

「それとも何ですか。貴方ともあろう方が、彼女に絆されたとでも? ――それで納得すると思いますか? 戦にかり出された民が」

「黙れ」

「私は軍師ですから。最善を提案しているだけです。杜とも不安定、稜国の地盤が固まっていない今こそ、攻めどきではないですか。もうかの国の保護はない。我らという後ろ盾を失った稜国など――」

「本当に、そう思うか。高濫」


 彼の言葉を遮るようにして、楊基は告げた。その朱色の瞳は厳しく彼を――いや、彼の後ろを見据えている。


「北を見てみろ」

「――北?」



 北といえば、稜花たちが現れた方向。昭国の領土がただただ広がる、散雪川の上流方向。深い森が広がるかの地に、あってはならない色が見える。


「……あれは」


 驚きで声をあげたのは、高濫だけではなかった。陸由も、他の兵たちも皆、口を開けてただただそれを見ている。



 なびく旗の色、青。そしてもう一色――紫。


「杜を、動かしたのか」


 南の大領地、杜の旗。

 どうして南に領土を持つ彼らが、北側の森から現れるのか。

 それは稜国側を抜けてきたことに他ならない。

 そして二色の旗がなびく意味は、杜と稜国の仲が、あの事件を通しても裂かれなかったこと。むしろ手を組むほどになっていると。



「けれど、まさか――あの状況から……」


 信じられないという高濫の表情に、先程までの余裕はない。


「杜と稜国が手を組むなら、ここは無理に攻められん」


 吐き捨てるように楊基は告げ、くい、と顎で指示を出す。彼が剣を降ろすのと入れ替わるように、周囲の兵たちが高濫を取り押さえた。





 遠くから、駆け寄ってくる援軍を見つめる。青と紫。二つの旗が並んでこちらに近寄ってくる。

 楊基の指示で、昭国軍は動きを止め、彼らのために道を開いた。


 先頭を駆ける男の顔。

 かっちりとした甲冑に身を包んだ稜国後継者の姿を見つけて、稜花は笑う。

 少しばかり気が緩み、稜花は楊炎の側に歩み寄り、そっとその肩を寄せた。


「兄上ったら、本当に甲冑が似合わないわよね」

「稜花」


 小馬鹿にするようにくすくす笑うと、上から咎めるような声が落ちてくる。ちらと彼を見上げると、彼はどことなく穏やかな表情をして、遠くの青を見つめていた。



「やっぱり私の兄上は最高でしょう?」

「そうですね。ですが――」


 ふう、と息をつき、彼もまた同意する。

 が、彼は稜花の頭をつかんだかと思うと、その手に圧をかけた。問答無用にぐりっと力を入れられて、稜花は目を白黒させる。


「私が嫉妬をしないとでもお思いか」



 ぶすりと眉間に皺を寄せる顔が愛しくて、稜花はますます笑みをこぼした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ