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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
最終章
80/84

冬の花嫁(3)

 周囲をすっかりと人垣で囲まれてしまった。皆が槍を突き出し、稜花達を取り逃がさんと構えている。

 ごくり、と稜花は息を呑んだ。覚悟をしてきたが、実際ここで楊基に手を引かせなければ、全ては終わる。あの幽閉された過去に逆戻りだ。


 でも、大丈夫、と稜花は自分に言い聞かせた。

 敵総大将が目の前に居る。誰もが稜花を、この位置まで通してくれた。こんな幸運、ありえない。

 ここまで来るだけで、本来ならばどれほどの犠牲が出ることか計りしれない。絶対にこの機を生かさなければ。そう思い、稜花はじり、と前に出た。




「私をどうにか出来ると思うな、稜花よ」

「やってみないと、分からないじゃない」


 語気を強めたのち、稜花は真っ直ぐ楊基に斬り込んだ。彼は稜花の双剣を、片手ずつ順番に薙いでゆく。

 弾かれる一撃一撃が重たい。彼は稜花の剣撃など余裕で弾いてしまって、こちらの出方を窺っているようだ。

 その余裕。彼が稜花を思うままに扱おうとしていた記憶が蘇り、酷く憤る。



「私は、貴方とは歩めない!」

「何を言う。戦姫であるならば、尚、私の妻には相応しかろう」

「貴方は一体何度、意味のない犠牲を生んだの!?」


 刃を交え、問いかける。

 ずっとずっと、言いたかった事があった。

 昭国を旅して、気がついた。彼は、民にあんなに愛されているのに、それを利用することしか考えない。稜花のことも、民のことも。みんなみんな、彼の駒でしかない。


汰尾(だび)の戦で何人の命を無駄に失った? 犠牲が当たり前だと言いながら、生き残る者を見て楽しんでいるだけなのでしょう?」

「どうしてそう言い切れる?」

「私だって、貴方に試された一人だからよ!」


 カン、と高い金属音が鳴る。相手の懐に潜り込むように稜花は前に出るが、楊基は見抜いて間合いを取る。

 まるで稜花が疲れるのを待つかのように、その足を動かしていた。


 誰もが固唾を呑んで、稜花と楊基の争いを見ている。稜花の言葉に耳を傾け、反抗する彼女を、そして彼女を追い込んでいく王の姿を目にしている。


 両手の剣を同時に受け止められ、じりじりと鍔を迫り合う。稜花が両の手に力を込めているのに、びくともしない楊基の腕は確かだ。

 いつかの夜、稜花を掴んではなさなかったあの強い腕。それを思い出して、身震いがした。



「貴方は、人を瀬戸際に追い込んで、どう這い上がるのか見たいだけなのよ!」

「……」


 稜花の言に、楊基の瞳が揺れた。

 瞬間、強い力で両の剣を弾かれる。体を支えきれなくなって、稜花は後ろにのけぞった。



「稜花!」


 楊炎から声がかけられるのと、稜花が体勢を整え直すのは同時だった。

 楊炎の声に、楊基は益々目を細める。稜花か、と冷たく呟き、剣を構え直した。


 楊基を取り巻く空気が冷たくなる。外気の冷たさだけでない。稜花をとらえる視線が本物になる。

 彼の表情から余裕が消えた。

 ぶるりと、体の芯から震えが起こる。大きな力の差を感じて、稜花は唾を飲み込んだ。

 でも、立ち向かわなければいけない。ここで彼を止めることが出来なければ、ますます犠牲が増えるだけとなる。



 背中が熱い。

 楊炎が真っ直ぐ、こちらを見守っているのが分かる。それでも彼は、手を出そうとしなかった。ここで彼が手を出してしまっては、なし崩しに戦が再開するだろう。

 誰も介入させてはいけない。王と、稜花の一騎打ちでなければいけない。


 どんなに歯がゆくても、耐えて、稜花自身を信じてくれている。それが嬉しい。

 後方の憂いは、ない。彼が睨みをきかせているのならば、稜花は、楊基に集中ができる。




「貴方は、私の船を沈めた」


 稜花は、淡々とそう告げた。

 流石に、この事実を知るものはいなかったらしい。皆の注目が一斉に稜花に集まるのを感じる。


楊陶(ようとう)の命もろともね。貴方はその目的の為に、自らの婚約者がたとえ死んでも構わないと。私の大切な者たちも、躊躇なく一緒に沈めたわ!」


 楊陶の名、そして稜花自身を殺そうとした事実を知り、周囲がざわめいた。しかし、楊基は周囲に対応する余裕なく、ただ声を荒げる。


「違う! 其方のことはっ」

「だったら、龐岸は何!? 貴方が噂を引き込んで、稜明と杜の間を引き裂いた。最も残酷なやり方でね!」


 稜花は右手を相手上段に突き上げる。楊基はひらりと避けたけれども、僅かに彼の頬をかすめたらしい。つう、と赤い線が走り、ほたりと水滴が頬を伝う。



「――やはり、知っていたのか」

「あの時、貴方が私を殺さなかったせいでね」


 再び距離をとって、お互い睨みつける。稜花の告白に、周囲の動揺が益々大きくなった。

 楊基の向こうには見知った顔。陸由は歯がゆそうに腰の剣に手をかざしたまま動けず、隣の高濫は実に忌々しげな様子でこちらを見ていた。



「私が毒を受けたときに、見殺しにしていれば良かったのよ! そうすれば、その場で公季兄上を手にかけることも出来たはず! その情を持ち合わせておきながら、どうして……あなたは!」

「其方を見殺しにすることなど、出来るはずがないだろう!?」

「それも……私に与えてくれるもののほんの少しでも、貴方は皆に分け与えることができるがずなのに! 己の望むがままに戦を生み出す――それは……それはまるで……っ」


 稜花の中にも残っている。

 あの恐怖と空虚感。

 雨の降りしきる、冷たい戦場。

 あるいは、雪に囲まれた小さな都市。抜けることのない包囲網。

 村人同士で殺し合いをさせられたことも、知っている。



「それはまるで、王威と同じじゃないの!」


 誰もが知る、絶対強者。己が楽しみで戦場に顔を出し、ひどい作戦で仲間が死ぬことすら気にもとめない。ただの恐悦。狂乱。

 己の利のために戦を仕掛けるのは、戦国の世故、仕方が無い。だとしても彼は単に、国のためを思って戦を起こしているわけではなかった。

 盤面の駒の動きを、楽しんでいるだけだ。そこに、国も、民も居ない。彼は彼の為に、世を乱す。





 気がつけば、世界を覆う白が深くなっていた。火照った肌をちりちりと溶かすような、雪の粒。

 霞む世界。まるで霧のように、彼と己しか見えなくなっていた。――が、やがて、その白を風が吹き飛ばす。


 彼が――楊基自身が、稜花を慈しんでくれたからこそ見えなかった。稜花にだけはと隠すようになって、惑わされた。

 稜明を狙っていたこと。稜花の怒りの逆鱗に触れるとわかっていたからこそ、彼は親身になってみせて、事実を覆い隠した。

 そんな白の霧になど、もう惑わせられない。



「貴方は、いつまでも自分の玩具で遊んでいるままの、大きな子どもよ!」

「馬鹿なことを言うな!」


 再び刃が重なった。じりじりと顔を寄せ合い、にらみ合う。

 朱色の瞳が憎しみに燃えている。だが、稜花とて一歩も引くわけにはいかない。彼の怒りを全て受け止めて、それでもなお、勝ってみせる――!


「だったらこの戦は何!? これから冬になるのよ! この軍を機能させるために、どれだけの物資が必要かわかっているのでしょう?」

「今ここで、其方がこちらにつけば、ことは終わる!」

「――そうしてまた、稜国を狙うのね?」


 稜花が欲しい。稜国が欲しい。稜国を狙っていることを稜花に知られたくない――。

 彼は。王者である彼は、子どものまま、願ってしまった。もっとやり方はあったはずなのに、手に入れることに固執した。


「貴方の国は今、難民問題を抱えている! いくら今年が豊作とは言え、この冬は厳しいものになるって民は言っていた! 知らない貴方じゃないでしょう!? そうまでして、どうして軍を動かしたの? 稜国が欲しかった? でも貴方はすでに機を逃していることくらい分かっているでしょう!?」

「っ!」


 欲しいものを手に入れられなかった子どもは激怒した。状況が読めなくなり、それでもなお我を通そうとした。

 もっと冷静になれるはずの男なのに。

 でも、そうさせた原因を、稜花はもう知っている。だからこそ、稜花が自らの手で引導を示さなければいけない。



「この進軍が稜国を手に入れる為? 昭国の未来の為? ――馬鹿言わないで。私たったひとりを手に入れるために、どれだけの犠牲を出したのかと聞いているのよ!!」

「黙れ!」

「だったら――機を逃していることに気がついていながら、何故! 今、無理して稜国を攻めても、多大な犠牲を出すだけで、さほどの利益は得られないことも気がついているはずでしょう!?」


 なんと馬鹿な事をしているのだろうと、稜花は思う。

 彼が理想の王だと思ったこともあった。遠くを見据え、時勢を見つめ、冷静に判断することの出来る男だと尊敬の念すら抱いた。

 なのに、彼は道を踏み外した。いや、とっくに踏み外していたのだろう。

 しかし、稜花を手に入れることに固執したからこそ、こうして明るみに出た。本来ならば、乱世でも生き抜くことの出来る良き王になるはずなのに。



「貴方にこの道を歩ませたのは、私。でも――!」


 両手の剣でもって、相手の一撃を弾く。動揺した楊基はその一瞬を捉えきれず、半歩後ろに下がった。

 その機を逃さず、稜花は益々攻撃を仕掛ける。息が弾んで、胸が苦しい。でも、彼にわかってもらわないといけない。


「私は、貴方のものにはならない!」

「稜花っ」

「貴方がどんなに手を伸ばしても、貴方の気持ちに応えることは、出来ないっ」


 楊基の瞳が揺れる。憤怒に塗れていた強い眼光が、くしゃりと歪んだ。

 その瞬間を逃さず、稜花は己の体をひねった。腰の軸から身を半回転。両の剣を重ね合わせ、相手の肩から振り落とす。

 流石の楊基はその二本を同時に受け止めるが、勢いに飲まれてともに地面へと倒れ込んだ。


 右肩から真っ直ぐ地面に落ち、強く打つ。しかし、彼から目など、放さない。

 楊基も同じように、稜花の動きを見据えたまま、受け身をとる。そのままもつれ合うように絡み合う。


 が、稜花が片方の剣を地面に突き立てたとき、彼も動きを止めた。

 朱との瞳と目が合う。彼の上にのしかかる形になった稜花は、そのまま、もう一方の剣を彼の首元へと突きつける。


「貴方とともには、生きられない」


 至近距離で彼を強く睨み付ける。

 彼は何を言うことも無かった。ただ、眉を寄せ、唇を強く噛んでいた。




「殿!」

「楊基様!!」


 瞬間、周囲の兵が慌てて武器を手にしたままのめり込もうと動き出す。が、すぐに足を止めることになった。



「――稜花に、近づくな……!」


 動く者すべてを斬らんとする眼光で、楊炎が皆を睨み付けていたからだ。

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