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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
最終章
77/84

散雪川防衛戦(2)

 いつもそうだ。

 後から戦場へ駆けつけるとき。遠くの空の土埃と、空気が震えるような振動に肌がピリピリして。やがて、蹄の音や銅鑼の音が聞こえはじめる。

 かなり遠くからざわざわした空気を感じていて。馬を走らせる心もはやる。

 緊張で呼吸が浅くなり、その身を戦に投じる時間まで、心臓が、どきどきし続ける。


 まだ目視は出来なくても、感じる。知っている、この感覚――。

 これで何度目だろう。

 こうやって、戦場に駆けつけるのは。


 稜花はいつも、遅れてやって来て、戦場をかき回すだけかき回してきた。

 いつものこと。

 ただ、今回刃を交えているのが、稜国と、昭国であるだけで。


 胸の奥が、熱い。滾る心地がするのは、いつものことだ。

 ざっと。森の切れ目にまでたどり着き、遠くに見える両陣営を確認する。




「――はじまっているわね」

「はい、しかし、なかなか厚い陣形のようですが」

「馬よけをこんなにねえ――明らかに、戦車対策よね。ふふ、公季兄上ったら、用意周到ね」


 別に李公季がこの砦を護っているわけではないことを、稜花はすでに知っている(・・・・・・・・)

 偶然知り得た情報ではあるが、彼が今、別の場所で(・・・・・)奔走している(・・・・・・)ことだって。


 ちらと、稜花は己が走ってきた森と、散雪川の方を見やる。戦場の方とは打って変わって、森の中は静かなものだ。すっかり寒くなったこの季節、民の気配も野山からは消えていた。

 



 稜花はこの地で陣を組んだことがないため、地形には詳しくはない。

 しかしこの散雪川。砦の前には橋が架けられているが、泳いで渡ることも不可能ではない程度の深さ・川幅だ。

 稜花たちが回り込んできた北側からは、敵の姿は確認できなかった。今のところは、回り込んで砦を囲まれる心配はなさそうだ。

 中央に必死で、回り込む余裕もないのだろうか。それとも、中央突破できる自信があったのだろうか。


 甘い、と、稜花は思う。この砦にここまで対抗準備をさせたのは、李公季だ。

 同盟を組んだはずの昭国に向かって警戒心を剥き出しにしている。それは、同盟を揺るがしかねない不信感の表れでもあるが、今更だ。とっくに同盟は、瓦解している。




「昭国も、本気ですね」

「あれだけの攻城兵器を持ち出してくれたおかげで、進軍が遅れたと考えると、運が良かったのでしょうね」


 雲梯や衝車ばかりでなく、かなりの数の投石機も準備してきたようだ。物々しい雰囲気が、敵陣からも伝わってくる。

 準備だけでもかなりの日数を要したはず。遠回りをしてきたが、おかげでまだ開戦間もない頃のようだ。


「しかし、稜国軍も負けていない」

「ほんとみんな、よく働くんだから」

「貴女を含めて、ですね」


 楊炎が隣でくつりと笑った。釣られるようにして、稜花も目を細める。

 目の前で戦が起きているのに、こんなにも穏やかに笑っていられるのは、彼がここにいて、稜国の皆が近くにいるからに違いない。


 今から彼らに姿をさらす。

 稜花が引き金となって起こしてしまった戦。このままお互いが消耗していくのを呆然と見ていることなんて出来ない。

 もう、ひとりではない。逃げる必要も、ない。

 稜花は改めて、あの男と向き合わなければいけない。それが、稜花に出来る精一杯の償いだ。




「行きましょう、炎」

「稜花、本当にそのままで行くのですか?」


 楊炎の問いに、大きく頷き、稜花は手綱を引く。


「ええ、この方が――」


 ばさばさっ、と朱の衣が風にはためいた。ある程度動きがとられるのは分かっている。それでも、稜花がこの衣を手放さなかったのは、一つの目的があるからだ。



「この方が、目立つでしょう――!?」






 ***






「ちっ……! この数の戦車って……つくづく本気だな」


 忌々しげに槍を構えながら、泊雷は吐き出した。前線一列に、敵を取りこぼさぬつもりは更々ないと言わんばかりの戦車。これほどの数を用意してくるなど、冗談でも勘弁して欲しい。


 昭国とにらみ合ってはや五日。戦車対策は当然のようにしてきた。砦から昭国側へ渡らせた橋。そこを更に護るように、幾重にも馬よけの柵を設けて。

 平地に強い戦車を防ぐためには、障害物を増やすしかない。わざと地形を複雑にし、馬よけからは弓兵・弩兵が攻撃を。その前には攪乱部隊として騎馬兵が置かれる。


 単に兵力の差では稜国は昭国に劣る。

 だが、単純な平地戦で、じりじりと相手の攻撃をかわすだけなら、まだ余力はある。ただ、相手の戦車、そして機動力のある騎馬兵は相当に厄介な相手ではあったが。



「短期決戦のつもりだったって話は、本当のようですね。これだけ準備してきて、本当に良かった」

「そりゃあな! 稜花の弔い合戦って言うんだから、準備する側も必死になるだろ」

「弔いって……言い過ぎですよ、泊雷」

「姿を消したあいつが悪い! どれだけ心配かけさせやがるんだ!」


 そう言う泊雷の言葉は荒い。が、その苛立ちも無理ないものだった。



 初めて昭国と稜国が向かい合ったあの日。稜花の婚約者にあたる昭国王楊基の言葉に動揺した稜国兵は少なくなかった。


 開戦前。戦場の先頭に立つ楊基は、高らかに要求したのだ。――花嫁の、返却を。



 一体何のことを言っているのか、誰も分からなかった。しかし、彼が続けた言葉の先に、信じられない単語が飛び出した。



 ――彼女の護衛が、彼女を攫って祝言の場から姿を消した、だと。


 それを聞いたとき、誰もが同じ人物の顔を思い浮かべただろう。彼女の側に寄りそう、黒の影。彼が、稜花を攫ったなど、嘘だろう。


 ちくしょう、と、心で吐き出す。何をやってるんだ、と咎めると同時に、何があったと問いかける。

 稜花は、いくらお転婆とはいえ、強すぎる責任感を持った娘だ。昭国へ嫁ぐことも、強い決意を抱いて自ら進んで行ったことくらい知っている。その婚儀を途中で投げ出し、逃げ出すなど、尋常なことではない。

 彼女が、隣に立つ黒の影を見ていたことも当然気がついてはいた。だが、単にそれだけが理由で逃げ出したとは思えないのだ。


 楊基の言は、おそらくこの戦の大義名分を作ったにすぎないのだろう。花嫁が消えた責を稜国の者へ押しつけ、不信を露わにする。どのみち、昭国はここに攻め入ってくるつもりだったはずだ。



 稜国の者は、昭国が稜花を殺めようとした事実をすでに知っている。だからこそ、ここまでの士気を高めることが出来た。

 そして、彼女が消えたと言うこと。それはすなわち、彼女が昭国に身を置けない理由が何かあったと言うことだ。

 泊雷は楊炎の人柄だって知っている。あの任務に忠実な男が、稜花を攫った? ――違う。きっと彼は、稜花を救ったのだろう。




「おい、悠舜!」

「はいはい、何ですか、泊雷」

「あいつは――稜花は、戦場に来ると思うか!?」


 全力で馬を走らせながら、泊雷は問う。戦車の正面から逃げるようにして、戦場の側面へと雪崩れ込んだ。

 弩の数も多くて、厄介だ。本来ならば真っ先に潰したいところだが、そのためには戦車を捌かなければいけない。防衛に力を入れる今は、少しずつ敵の戦力を削っていくことしか出来ない。


「そんな憶測、役に立ちますか?」

「立つだろう! 癪だが、あいつが来る、それだけで奮起する兵がいくらいると思うんだ!」

「泊雷がその代表ですからね」

「このやろう!」


 はははっ、と、戦場に似つかわしくない笑い声が起こる。いつも見せている柔和な笑みを浮かべ、悠舜は高らかに宣言した。


「――来ますよ! そりゃあ!」


 そう告げ、悠舜は騎馬部隊の先頭に立ち、号令をかける。

 右翼の端まで駆け抜けた遊撃部隊に、一斉に声をかけ、方向転換をした。

 敵の一撃が来る。それまでに、その足並みを乱さなければいけない。なかなか骨の折れる作業だが、こう言った錯乱は、彼女も得意としてきたこと。


 元稜花軍としての誇りを、皆、持っている。彼女の無事を信じ、彼女の帰りを待つ。

 戦場で待っていれば女が現れるなんて、まるで何かの冗談のようだが、彼女なら十分にあり得る。

 哀しいかなその彼女は、別の男を見ているけれど――。




「うあああああ!!」


 力任せに、横から戦車部隊に突っ込む。深追いはしなくて良い。ある程度のところで旋回して第二撃に備える。 

 遠目に前線中央に目を向けると、そちらは正面から戦車部隊にやられているのがちらりと見えた。が、すぐに視界が砂埃に呑まれてしまう。

 この一撃でかなりの被害を被ったことと、そこまで錯乱しきれなかった事実に舌打ちするが、仕方が無い。ある程度の犠牲は承知の上。今、自分たちに出来ることをする。それしか、ないのだから。



 敵戦車部隊も、一旦旋回し、体勢を立て直している。そこを削れるだけ削るが、今度は敵騎馬兵に防がれる。

 体が熱い。

 敵は流石の精鋭揃いで、特に騎馬兵の練度は尋常ではない。



 しかし、いつか。反撃の号令が掛かることを泊雷は知っている。

 相手の短期決戦の構えに、稜国もただただ消耗しているつもりもなかった。

 開戦して五日。そろそろ、反撃の号令がかかる頃合いなのでは、と言われていた。

 援軍がたどり着いたとき、攻勢に転ずる、と聞き及んでいる。だからまず、それまで耐えれば良い。


 じり、とその時を待ち続ける。

 空気が冷たいにも関わらず、汗が止まらない。はあ、はあ、と息が荒くなり、一旦下がることも視野に入れ始めた。




 冬の、ひりひりとした冷気が肌を刺す。

 鎧を着込んだ体は熱いのに、冷気に刺された頬だけが痛い。一旦手で頬を擦りあわせる。馬上の速度で、すっかりと感覚をなくした肌には、鈍い感触だけが残るようだった。

 息を吸い込むと、喉まで、痛む。この寒さ、冷たさ。砦を持つ稜国に、きっと有利に働くはず。



 そう、息をついたときだった。



 ほたり、と、ほとんど感覚の無かった頬に、額に。冷気の粒が落ちてくる。

 肌にあたった瞬間、その冷気の粒は形を崩し、ゆるりと温まって溶けてゆく。

 空を見上げると、真白い雲に紛れて、ちらちらと輝く白の粒が舞い降りてくるのが目に入った。



 北国の冬は、早い。

 秋が終わったかと思えば、まるで勇み足のように押し寄せて――。



 ――この季節を、待っていたのだろう?


 補給が難しい昭国にとって、当然想定していたからこその短期決戦。こうもはやく、冬の訪れを知らせてくれるなんて。


「見ろ! 天まで、俺たちに味方してくれてるみたいだ!」


 にい、と笑って、槍を再び強く握りしめた。


「大義名分は、俺たちにある!」


 そう泊雷が告げると、オウ、と後ろに続く騎馬兵たちも口々に声を上げる。

 士気は上々。このまま、今日という日も乗り切ることが出来れば――。


 そう思ったとき、泊雷の視界の端に、鮮やかな朱が揺れた。




 舞い落ちる雪。

 白の世界に鮮明に映りこむ、朱。青毛の馬を颯爽と走らせて、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。


「おい……」

「あれは……」


 誰かがぽつりと声を上げた。

 隣を走る悠舜ですら、言葉を失い、その朱に釘付けになる。



 風に揺れる、朱色の衣。青銀色に輝く髪は、雪の光とともに、まばゆく、幻想的に靡いている。

 強い意思を秘めた赤い瞳。その凜とした佇まい、そして大人っぽい横顔は、泊雷の知っている彼女とは大きく異なっている。

 ほんの少し離れていた間に、彼女は――。



「稜花……」



 ――綺麗に、なった。

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