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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
最終章
76/84

散雪川防衛戦(1)

 大ぶりの旗を自らの腕で支える。白い空へ掲げられるその旗の色は、青。すっかりと森の木々も葉を落とし、少し早い冬がやって来た北の大地。

 高く、冷たい空へ掲げられたその旗に描かれている文字は“(りょう)”。以前から準備をしていた新しい“国旗”を、こんな形で使うことになるとは、よもや李進ですら思わなかった。


 散雪川に接する国境門の砦。西門の前には大きな橋が架けられており、その橋を越えた先に昭国が続いている。つまり、この橋と、散雪川の合流先である稜河さえ守り切れば、奴らが“(りょう)(こく)”へ攻め入ることなどできなくなる。

 絶対に防衛しなければならない砦。そこの門の上に立ち、李進は遠くの大地を見た。


 砂埃が舞っているらしく、遠くの空が霞んでいる。かなりの数の軍勢だとすぐにわかった。

 これから先、冬が本格化してくると言うのに、その軍勢の兵糧を確保するだけでもかなり大変だ。まったくもって、とんでもない戦を起こしてくれたと、李進は深くため息を落とした。




「敵さんも、随分と本気のようですねー」


 わあ、と、まるで楽しいものでも見たかのように、後ろから声があがる。一見何を考えているのか分からないにこにことした表情で、ひとりの男が李進の横に並んだ。

 宇文斉。かつて稜花とともに戦場を指揮した軍師が、今回の前線に上ってきた。


「李公季様には野心を隠せないとでも判断したのですかねー。随分と早い、開戦となりましたけど」

「こうも簡単に同盟を破ってくるとはな」

「まったくですよー」


 はあ、と大きくため息をついた後、宇文斉は敵の塊をひーふーみー、と数え始めた。


「陸軍の方はざっと見積もって、三万……いや、四万ってところでしょうか。良くやりますよね、こんな今から寒くなる季節に。そう思いません? 思いますよね若?」

「え? ああ」

「最悪ですよー、冬に戦なんて。だって、寒いじゃないですか。体を動かす兵士の皆さんはまだしも、僕なんてずーっとここで見てるわけでしょう? せめて屋内に入りたいのに、立場上戦局を見守ってないとどうしようもないですからねー。ああ、もう止めて欲しいですよほんと」


 ひとしきり戦への文句を言ったところで、困ったように肩をすくめる。



「今回の戦は、勝利条件は明確なのですよー。この砦。ここを落とせばいいのですが、川があるせいで取り囲むのも困難だ。こちらの補給を立つ手段もないですからねー、まず間違いなく、数で、短期決戦で来るでしょうねー」

「……まあ、そうだろうな」

「もちろん、我々も相手の補給手段を直接断つ方法はありませんけどね。今になって、龐岸で争っていたのが利に繋がりました」

「龐岸が、か? だがあの地は……」

「礼王朝も末期ですから。おかげでかなりの数の難民が、稜国でなくて昭国側に流れ込んだみたいですね。当時は稜明もかの国に属していたでしょう? 国を名乗るのを遅らせたのが、結果的に良かったようですね」


 昭国の東南一帯から、治安が荒れてきているという話はすでに聞き及んでいる。

 国境に比較的近く、募兵しやすい地域であるはずなのに、昭国はここに来て足並みが揃わなくなってきているらしい。

 李進にはどこからどこまでが李公季や宇文斉などの策なのか分かるべくもないが、稜国に良い風が吹いてきていることは確からしい。



「穴があるとすれば、稜河の方なんですよー。そっちを抜けられたら、あっという間に尚稜までたどり着かれちゃうでしょう? まあ、向こうはそのつもりで、水軍の先制仕掛けてきてましたけど。我々が早く防衛の構えをとれてますから、水軍さんも思うようにいかなかったようですねー。風向きからして、火計だけは注意が必要ですけど。単に正面からぶつかるだけなら、向こうさんもかなうまいと思ってるでしょうし。稜国の水軍は、確かですから」

「稜花の船は沈められたけどな」


 ち、と吐き捨てるようにして、李進は呟いた。

 詳しい話はわからない。だが、彼女を見送って数日、祝言の日程に合わせて大使を送る寸前。尚稜にたどり着いたのは、龐岸からの早馬だった。

 しかもその内容は、稜花の無事の確認。一体何のことかと昭に問い合わせてみたものの、送った使者が帰ってくる前に、送り出したはずの稜花の供が帰ってきた。


 僅か三名。命からがら、それでも事件のことを伝えねばとなんとか尚稜にたどり着いた彼らが告げたのは、船が沈められたことと、逃げた稜花のその後が分からない、という事実だった。



「暗部がいたのでしょう? 厄介なのはそれですねー。頭をとられたら、こっちだって終わりだ。気をつけて下さいね、若。まあ、李公季様も、稜花姫も、自ら暗部を退けられたらしいですから、ご兄弟で一番武芸達者な若のことなど、今更心配などしてないですけどねー」

「お前っ……!」


 どういうわけか、龐岸の方からも再度早馬がやって来ていた。詳しい事情がすべて飲み込めたわけではないが、昭軍を動かして龐岸にたどり着いた稜花の話。彼女の無事に安堵したが、同時に李公季は事件の全貌を予測していた。

 おそらく、狙われているのは国境。楊基が力尽くで龐岸をとりには来なかったし、尻尾を隠してはいるが、まず間違いなく、国境付近がきな臭くなるとそう記されていた。



 使者を失った杜との会談は一旦は中断したものの、その関係で、李公季は南方面との交渉に走り回っていたようだ。例の事件の裏について説明がつけられたのか、そこが肝になったようだが――。

 ちら、と、手に持った旗を見上げる。時期尚早、とも取られかねないが、杜と話をつけられたならば、逆に今しかない。かの国と対等に渡り合うためにも。




「李公季様の読みが当たっていたのですから、我々は先手を打ててますよー。準備は上々。時間を稼げば良いのです。敵さんもある意味捨て身なのですからそこが読めないですが――」

「お前は本当に余裕だな」

「そうですか? でも一つ、嫌な予感がするのですよー」

「何だ?」


 李進が首を傾げると、宇文斉はその目をきっとつり上げて、ごく冷静な顔になる。眉間に皺を寄せ、忌々しそうに吐き出した。


「敵さん、姫を人質にしてきませんかね?」

「……」



 背筋が冷える心地がする。

 李公季がこの睨み合いを示唆したとき、うっすら頭によぎったのだ。稜花が無事なのかどうか。

 そして、実際戦になった場合、昭国が稜花をどのように扱うのか。


 花嫁を自ら襲うと言うことは、稜花の命などどうでも良いに違いないのだろうと思われる。しかし、李公季からの手紙には気になる言葉も書かれていた。

 昭国王楊基が、やけに稜花に執着していると。



 ――側に置いて、情が移ったか。


 当然だと、李進は思う。稜国が誇る戦姫。凜とした瞳で戦場を見据える彼女は、それでも、明るく、笑顔は可愛らしい。

 兄の欲目かもしれないのは重々承知している。だが、客観的に見ても、あのお転婆だった彼女は、少女の殻を脱ぎ始め、美しい女性へと変化していることくらいわかっていた。

 だからこそ、楊基が彼女自身に心惹かれることにさほど驚きはない。



 ――執着しているのだとすれば、稜花を殺すことは、ないのかもしれない。だが、しかし……。


 どのような扱いにするのかは全く見えない。だが、稜花の存在を盾に揺さぶりをかけてくる可能性は十分あると考えておかないといけない。



「そうなったときに、李進様、どうします? いつも通り戦えます? いえ、貴方だけではない――おそらく、稜国の兵たち皆」

「それは」

「僕は軍師ですから。踏みとどまらずに攻撃することを提案しますよ。ですが、平気でいられるわけがないでしょう?」

「まず間違いなく、士気に関わるだろうな」

「そうですね。だからこそ、今のうちに覚悟をきめていないといけません。一番の心配は、貴方ですよ。――あの方がいらっしゃらなかったから、ですけれども」

「ああ……」


 李進も、宇文斉も。同時に同じ顔を思い浮かべては、ため息をつく。

 今回、前線に上がってくると言って聞かなかった男がいた。尚稜で暴れ回る彼を宥めるのに、どれだけ苦労したかは計りしれない。

 でも、建国直後の今だからこそ、彼には――稜国王の地位についた父、李永には、尚稜でどっしり構えていてもらわないと困る。万一稜河の防衛を突破された場合、尚稜での指示を出すことこそ彼の役目だ。


「稜花の無事を確保しないと、父上にどやされるのは、俺なんだがな……」

「しかし、いざという時は」

「もちろん、覚悟を決めるさ。だがな、宇文斉」

「何でしょうか?」

「あいつ、人質になるような、タマか?」

「……」


 遠くの空。霞む砂埃を見据えて、宇文斉は目を細める。うーん、と考え込むように目を細め、いや、と短く否定した。


「想像できないですねー」

「だろう? ……俺もなんだ。なぜだろうなあ。だが、あいつが、稜明に――稜国に負担になるようなことするのなんざ、あいつ自身が許さないだろう?」

「はい」

「とっくに逃げてたりしてな。楊炎もいるし。そしたら、もらいモンだ。遠慮無く仕掛けられる」

「仕掛けるのではなく、受け流すだけですよー」

「はっはっは、わかってるわかってる!」


 闊達な表情を見せ、李進は手を振った。これ以上心配するなという意思表示。実際、根拠のない自信がこみ上げてくるのは、確かなことだった。




 行方不明だと、死んだという噂すらあるのに、彼女は生きていた。

 それだけでなく、何故か昭国の軍を率いて龐岸の戦場に現れたとか。

 汰尾の戦まで遡ると、稜明に残っていたはずなのに、突然戦場に他州兵を率いてやって来たこともあったか。

 まったくもって神出鬼没という言葉が似合う彼女。

 今回の戦でも、ひょっこり顔を出して参戦してくるのではとすら思えてくる。


 いや、それもこれも、全て、兄の欲目かもしれないが。



「ご兄弟の中で殿に一番似ているのは、若なのかもしれませんねー」

「ん?」

「気がはやりすぎて、貴方が命を落とさないで下さいねー。婚約者殿、悲しみますよ?」

「……おい!」


 まるでからかうように目を細められ、カッとなる。軽く宇文斉の頭を小突いておいて、李進は彼に背を向けた。



「さて。敵さんもまもなく到着か。俺もそろそろ、位置に付くか」

「どうか挑発に乗らないで下さいよー、若」

「乗るか!」




 笑って吐き捨てた後、李進は階段に足をかけ、階下に降りていく。

 砦の中央に集まった兵たちは皆、表情を引き締め、李進の号令を待っているようだった。

 むしろ、早く昭国とあたりたい。そう願ってさえいるような、憤怒と強い意思のこもった瞳が揃っており、李進は大きく頷いた。


「さて、お前たち。俺の兄である李公季、そして我らが戦姫の李稜花、この両名を亡き者にしようとした昭国への報復を始めようじゃないか」


 ぐるりと、皆の顔を見下ろし、胸の前に大刀を掲げた。


「昭国は我々稜国を狙っている。しかし、我らが兄弟すら手にかけられなかった腑抜けに、この国を取り込めるはずがなかろう。いいか! まずはこの砦を、死守せよ! 最初は防衛するだけでいい。そうすれば、やがて反撃の機会を与えよう。お前たち!」


 大刀を、天へと掲げる。そして李進は、堂々と宣言した。



「稜国を、護りきれ! 我らが故郷を、侵略者に渡してなるものか!!」

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