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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第四章
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秋の花嫁(2)

 親族の挨拶を終えた後、向かう先は楊家の廟だ。生ける血族と、先祖に挨拶を終えた後、改めて来賓や臣下、そして臣民へのお目見えを行う。

 ずらずらと列と連なり、北の廟へと向かうが、護衛たちが付き従うことが出来るのは途中までだ。



「殿、では、我々はこれにて」

「ああ、後ほどまた、戻ろう」


 楊基と陸由がお互いの視線を交わし合ってしばし、たちまち陸由は深々と礼をし、立ち止まる。それに習うようにして、他の兵たちもずらりと並んだ。

 祝いの席には不似合いな数の兵。少なからずこの儀式が警戒されていることは分かる。その物々しいとも言える兵たちの間を、楊家に連なる者がぞろぞろと歩いて行った。



 男性ばかり、人数はおよそ二十に届くほど。そう多くない数に、稜花はほっと胸をなで下ろす。

 前をゆく楊基の顔は分からない。同時に、稜花の真後ろに位置する楊炎の表情も。


 ――そうか、楊家直系の者は、楊基と楊炎しか、いないんだ。


 この並び順に納得する。突如現れた例外的な親族であったが、楊炎の事を知っている者は何名かいたらしい。咎めることなく、彼の存在を認めている様子も見受けられたため、彼はすんなりと親族の列へと入り込んでいた。


 ――本当に、楊基の弟なんだ……。


 じわ、と心がざわめく。

 まるで考えたことも無かった二人の関係性を受け止めきれない。けれど、楊炎は、楊炎だ。それだけは、揺るぎない。



「稜花、来い」


 廟に足を踏み入れる前に、楊基は振り返った。


「足元が悪い。気をつけろ」


 稜花の手を取り、支えるようにと背に手を添える。いちいち拒むわけにもいかず、稜花は頷いた。そして、楊基の隣に並び立つ。



 ちりちりと背中に熱を感じる。強い視線を感じるけれど、それは怖いものではない。楊炎が後ろに立ってくれている。それだけで、こんなにも心強いなんて。


 稜花が今から何をしようとしているのか、彼は、分かってくれているだろうか。

 先ほど目を合わせた際、もしかしたら、と、稜花も思った。彼もまた、同じ事を考えてくれているのでは、と。だが、言葉にして確認したわけでもない。あくまでも、稜花の希望的観測でしか、ない。


 でも、なぜだろうか。

 大丈夫だと思ってしまう。

 彼は、いつも稜花の事を見つめてくれていた。何をしようとしても、苦言を呈しながらも、付き合ってくれた。

 咄嗟の出来事にも、それでも稜花を護る方策を、指し示してくれた。

 先日だって、必死な形相で駆けつけてくれたではないか。


 きっと、今回だって。

 




 ***





 石が積み上げられ、地下への階段が連なるその廟は、稜明のものとは構造からして違う様だった。緩やかな階段は相当に長く、外の世界と隔離されてゆく。

 苔むした匂いが漂い始め、事前に灯されていたらしい蝋燭の明かりだけを頼りに、奥へ、奥へと進んでいく。

 階段の途中には、いくつか小さな横穴が連なり、そこには古びた壺が置いてある。「これは」と小さく問うと、楊基は「供だ」とだけ返した。

 


「さあ、稜花。もう少しだ」


 やがて目的地が見えてきたらしく、楊基が振り返る。稜花の背を支えるように手を回し、奥のまるで空洞のような場所へと誘った。


 そこには、稜花達の身長よりも遥かに大きな碑が立てられていた。

 深い地下空間の中に、ぽっかりと暗い天井が広がっている。見上げるが上が見えないほどの高い天井。




「ここに、楊家の先祖が祀ってある」


 改めて楊基にそう告げられ、稜花も頷いた。

 石碑には、数々の名前が綴られている。きっと楊基の父母の名前も刻まれているのだろう。そして彼の父は、楊炎の親でもある。


 ああ、と稜花は、思った。

 そうか、楊基の親だけではない。楊炎の両親にも、挨拶をすることになるのか、と。


 くしゃり、と表情を歪めて、稜花は首を垂れる。気がつけば、その碑の前に傅いて、胸の前に手を当てていた。


 ――義父上、申しわけありません。私は、李稜花は、今から貴方と、貴方の息子たちの名を穢します。楊炎と、ともに。


 ――お許し下さいとは、申し上げません。ですが。私は、私の信念を持って……!



 突然稜花が傅き、殊勝な態度に出たことを疑問に思ったのだろう。楊基は瞬きをしながら、どうした、と呟く。


「いいえ、稜明の廟とは随分と雰囲気がちがうから。貴方のご先祖にお会いして、いても立ってもいられなくなっただけ」


 ふ、と表情を緩めて、稜花は楊基にそう告げた。そうか、と楊基は戸惑うようにしているうちに、親族一同がこの空間の中に収まったらしい。

 殿、と声をかけられたところで、楊基は、はっと我に返る。



「――始めるか」


 楊基は、用意された蝋燭の灯りを手にし、先祖の碑へと近づく。その周囲をぐるりと取り巻く蝋燭に、一つ一つ火を灯しながら、一周回った。

 薄暗かった空間が、ひときわ明るくなる。ぼんやりと、温かな橙の灯りが闇を照らし、ぽっかりと浮かび上がった碑を見上げた。



 そうして楊基は蝋燭を正面の台座へと掲げた。その手から放し、彼もまた、一歩後ろへ下がる。

 稜花と二人並び立つようにして、背筋を伸ばす。稜花も、長い袖口同士をぶつけ、胸の前へと手を掲げた。



 周囲は分厚い石の壁に阻まれ、僅かな絹がずれる音が響くのみ。静寂な空間の中で、己の心音がやけに煩く聞こえる。

 じわり、と手に汗を握る。長い袖にすっぽりと隠れてしまっているのが邪魔で仕方が無い。

 武の腕が確かな彼に対し、通用するだろうか。と、不安に胸がもたげる。しかしどんなに悩もうと、その時は刻一刻と近づいてきている。


 ごくり、と唾を飲み込み、稜花は楊基に対して、首を一度、縦に振った。

 稜花の準備が整った様子を受け、楊基はその視線を真っ直ぐに碑へと掲げる。そして、朗々と辞を述べ始めた。



「父上、母上。代々楊の血を見守り続けた者たちよ。我は昭国が昭王楊基。先昭領領主が第一子。楊巧・鳴尹の子なり――」


 己の名を述べ、存在を明らかにするところから儀式ははじまる。

 ここでするべき事は、祖先への挨拶。形式に則ったものではあるが、彼の選ぶ言葉は明瞭で、飾り気がない。



 どきどきしながら、彼の言葉を聞き続けた。

 彼は今、稜花に背中を向けている。それでも、ぴり、とした緊張感が漂ってきて、稜花は出るに出られない。

 つかえることなく彼は己の生について語り、今の昭国についての言葉を連ねる。この碑から動けぬ祖先の代わりに、この国の有様について語っているようだった。

 治世について、戦について述べた後、彼はちらりと稜花の方へと視線を向けた。このような自分と新たに並び立つ者について、先祖に許可を希おうとしている。


 まずい、と稜花は思う。機を窺っていて、きっかけがなかなか掴めない。しかし、このままでは本格的に手遅れになってしまう。

 


「此度は我が楊家が血筋に新たに名を捧げる者を連れて参った」


 行かなければ。と、稜花は思う。

 するり、と空気が触れるぎりぎりまで袖口から手を滑り出した。


 心臓が、煩い。ここで、無茶をしても、逃げられるとは限らない。


 でも、今しか――。


「礼が稜明領元領主第三子、李永・甘明が子、李稜花。先祖代々の紀律に従い、その名をここに連ねる許しを請いに参った」


 心臓の音がうるさくて、彼の声がまともに聞こえない。

 しかし。


 さあ、稜花。と、楊基が稜花の肩に手をかけ、碑の方へと視線を逸らしたのが、合図になる。




 血が沸き立つ心地がする。彼が触れた腕を、片手で内側から払いのけた。と同時に、右手で自身を飾り付けた簪に手をつけた。

 その一瞬の出来事に、楊基自身も咄嗟に反応をしてくる。たちまち稜花の動きを目で追い、体勢を整えようとしていた。


 ――ごめん、楊基っ!


「覚悟っ!」


 稜花の右腕が振り落とした簪が、彼の左手目がけて振り落ちる。

 だが、楊基は冷静にその手を大きく払った。あるべき肉を貫く感触がなく、稜花は両目を見開いた。

 息を呑んだ瞬間、今度は簪を持った手首を握りしめられ、強い力が込められる。


「んっ!」


 悲鳴に似た声が漏れ、稜花は簪を握っていられなくなった。稜花の瞳の色と同じ色の珠。間違いない、これは、彼が稜花に最初に贈ったものだった。



「……馬鹿な事をする」

「楊基っ」

「残念だ」


 憎しみで彼を睨み付けると、彼は眉間に皺を寄せていた。彼の視線が落ちた簪をかすめ、表情を歪める。

 益々手首に力を込められ、痛みで稜花の声が漏れる。そしてそのまま体を引かれ、手を回される。

 痛いくらいに体を締め付けられ、抵抗しようとしても上手くはいかない。しかし、彼の意識はもう別の場所にあるようだった。


 楊基が懐から何かを取り出す。それを目で追い、息が止まる。このような場では禁忌とも言える、小刀。鋼色の刃がぎらりと光り、稜花の目の前に掲げられる。



「兵を呼べ! 今すぐに、だ!」


 まずい、と体が強ばる。ここで捉えられてしまっては、もう二度と、逃げ出す機会など与えられないだろう。

 ちらつく鋼色に気をとられ、益々心臓が暴れ出す。



 ――嫌だ、嫌だ……っ!


 せめて、この腕の中から抜け出せれば、と稜花は思う。必死で抗うが、彼の力が稜花のそれを上回ることも、稜花は知っている。


 ――でも、今日を逃したら、もう二度と……!


 体を強ばらせて、稜花は咄嗟に叫んだ。



「楊炎!」

 

 稜花が名を呼ぶのが早かったか、それとも彼の行動が早かったか。誰も武器を持たぬ場で、楊基はその小刀を振るう。その理由は明白だ。楊基は確かに“誰かに応戦した”。


 もしかして、と稜花は思う。丁度死角で見えないが、誰と応戦しているのかくらい、稜花には分かる。

 こんな場で、楊基に攻撃を仕掛けるだなんて、たったひとりしか考えられないではないか。



 楊基が相手の攻撃を受け止めた瞬間、稜花をかき抱く腕が緩んだ。その瞬間を逃すはずがない。咄嗟にもう一本の簪を手にして、躊躇なくそれを振り落とす。

 稜花の手に、鈍い重みが走る。狙いを定めたそれは、楊基が小刀を握りしめる右腕をかすめた。



「……ぐっ!!」


 悲鳴を堪え、楊基がひるむ。彼の胸を両手で突き、腕の中からすり抜けた。

 呼吸が止まりそうな心地がする。咄嗟に彼との距離をとろうと、後ずさった。


「姫!」


 そして今度は大きな手に掴まれ、体を引かれる。

 目に飛び込んできたのは、楊基と同じ、鋼色。鋭い眼光は真っ直ぐに楊基を睨み付けていて――


「楊炎!」


 楊基の一撃を、彼も隠し持っていた短刀で払いのけた。

 周囲の者たちが、驚きでざっと後ろに下がるのが目に入る。武器を持たぬ彼らがこの場で出来ることなど、ほとんどない。




「貴様らっ……謀ったか!」

「偶然よっ。彼は与り知らぬことっ……! でも!」


 稜花は元来た道へと体を反転させた。その後ろを護るようにして、楊炎が続く。ここで、彼と押し問答するつもりなど、もう無いのだ。

 今、稜花に残された選択肢は、逃げることだけ。自分の身の安全を確保し、稜明へとたどり着く。それがいくら難しいこととは言え、成さねばなるまい。


 このまま、彼の檻に囚われるつもりなど、ないのだ。



「貴方が私を――稜明を呑み込むつもりなら、黙ってこんな所にはいられない……!」


 元来た道を駆け戻る。衣装が長くて、邪魔だ。両手で足元をたくし上げ、稜花は必死で走った。

 楊家の者たちが呆然としていた中で、楊基だけが後ろを追ってきた。楊炎が隠し持っていた鏢で応戦する。そのため、楊基も進むに進めないようだった。


 外。護衛たちが待っている場所にたどり着くにはかなりの距離がある。先ほど誰かが増援を呼びに走ったが、今ならまだ間に合う。

 廟を出たところで、どこか道を逸れ、この城から逃げ出す方法を模索しなければならない。が――そう思っていたところで、楊炎が稜花の隣に並んだ。



「こちらです!」 

「えっ」


 立ち並ぶ小さな穴。壺が並べられたうち一つを構い無く彼は壊す。その奥の壁を蹴り倒すようにして、彼は石壁を強く押した。

 蝋燭で照らし出されていた壁が、闇に吸い込まれるようにして開く。それを見た瞬間、稜花ははっとした。



「早く!」

「ええ!」


 すぐ後ろには楊基。彼にこのまま追ってこられては困る。稜花はもう一本簪を手にし、彼に向かって投げつけた。

 咄嗟にそれも避けようとして、彼は体勢を崩す。その僅かな隙に、稜花はその壁の向こうへ滑り込んだ。

 後ろに、回廊の灯りを拝借した楊炎が続く。そして開かれた扉を固く閉ざし、廟との繋がりを遮断した。



 かなり厚みのある岩の扉だ。向こうはこじ開けようとしているのは分かるが、しっかりと塞いでしまえば音もあまり聞こえない。

 向こう側は人一人がようやく入れるような穴の先。こちらから二人がかりで防がれてしまっては、どうしようもない。

 しばらくは強く叩くような振動が続いたが、やがてなくなり、稜花は息を吐いた。




「……っ」


 額を押さえると、まるで熱に浮かされているような感覚が残っている。まだ心臓がバクバクと煩くて、とんでもないことをしてしまった事実だけが、のし掛かる。

 暗がりの中に楊炎と二人。とたんに、今までの恐怖が押し寄せてきて、稜花は己の身を強く抱いた。


「楊炎、私……っ」


 稜明の為に、何も出来なかった。それだけ溢して、頭を下げる。どの面を下げて国へ帰れば良いのだろう。いや、そもそも帰れるのだろうか。

 すっかりと楊炎も巻き込んでしまい、今更ながら、後悔の念に駆られる。


 しかし、彼は穏やかな視線を落とすだけだった。



「大丈夫です、姫」

「でも」

「帰りましょう――稜明へ」



 肩に手を置かれたかと思うと、そのまま彼に抱き寄せられた。

 背中を擦るように撫でられ、ああ、彼だ、と実感する。広い胸板。この穏やかな闇に、どれだけ救われてきたことだろう。



「ありがとう、楊炎。こんな事になっちゃったけど、私に、ついてきてくれる?」

「もちろんです、姫」

「うん……っ」


 喜びで、心が軽くなる。最近涙腺も脆くなってきたらしくて、目頭が熱くなるが、今は泣いている場合ではない。

 廟の側から押す力が無くなったことを確認して、楊炎は稜花から離れる。そして、先の通路へと視線を向けた後、稜花にその手を差し出した。



「再会を喜びたいのは私も同じですが、姫。今は……」

「うん、分かってる。大丈夫」


 強く頷いて、稜花は長い袖をまくり上げた。迷うことなく彼の手を握りかえす。

 そして稜花は、もう一方の手を彼の肩に伸ばした。見開かれた闇色の片眸にくすりと笑いかけて、稜花は背伸びする。


 ちう、と、彼の薄い唇に己のそれを寄せる。

 姫、と。硬直したまま呟く彼に向かって笑いかけ、稜花は繋がれた左手を引いた。



「はやく、逃げましょう?」

「……はい」


 前を進む稜花が振り返ると、蝋燭に照らされた彼の口の端が、僅かに上がるのが目に入った。

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