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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第四章
71/84

秋の花嫁(1)

 ――ゴォーン、ゴォーン……


 ――ゴォーン、ゴォーン……



 低く、重たい鐘の音。


 十二ツ。この音が鈍く響くは慶事の知らせ。日は中天に差し掛かる少し手前。まもなく儀式が始まることを皆に知らせる。


 ぎゅ、と、稜花は両手を握りしめる。

 薄暗い、閉鎖された空間の扉が、今まさに開かれた。

 久方ぶりに浴びる太陽の光。部屋の外にはぎっしりと護衛兵が待ち構えているのが目に入るが、今、彼らのことを考えている余裕はない。



「さあ、稜花様」


 女官の一人に支えられ、稜花は椅子から立ち上がる。指先まですっぽりと隠した長い袖。幾重にも重ねられた深みの異なる朱が、稜花の全身を包みこむ。

 昭国で織られた花嫁の衣装は、稜明のものとはかなり趣向が違う。鳳や牡丹の姿はなく、縁に連なる幾何学模様。そして小柄の花に似た模様が散りばめられ、まるで西国のもののような趣があった。


 青銀色の髪もきっちりと結われ、繊細な細工の簪が数多く添えられる。

 朱と紅。そして随所に碧色の珠をあてがわれる。まるで楊基の所有物のように、彼から送られた簪もまた、稜花の髪で存在感を放っていた。



 ――私は、昭国の花嫁。


 そして、囚われ。


 肩にずっしりとのし掛かる重たい花嫁衣装は、思ったよりも自由がきかない。

 それでも、と、稜花は、小さく前に歩み始める。部屋の周囲に集まった護衛や女官の視線を一身に浴びながら。



 部屋の外に出ると、秋晴れの空が眩しく感じた。久々の外界。こんな時にならなければ、外に出ることも許されないなんて。


 目を細めて大空を懐かしみ、そして前を向く。

 稜花の住まう宮の回廊には、ぎっしりと見送りの者たちが並んでいる。稜花が前へと進んでいくと、その後ろに列を成し、彼ら彼女らは付き従っていく。


 そうして、稜花とその供を先頭にした列は、やがて本殿の北――慶事・祭典時にしか使用されない王のための小宮へとたどり着いた。

 普段は完全に閉ざされているらしいその宮は、数多の従者たちが周囲を取り囲んでいることから、すでに“彼”がいることが予測できた。





「――来たか」


 細い窓がいくつも並んでいるひと部屋だけの作りの宮。その中央には長い背もたれの椅子が一つだけ置いてあり、この城の主のみが座ることを許されている。

 そこにどっしりと腰掛けたこの国の王は、稜花の姿を見るなり、目を細め、口の端を上げた。


 彼の射竦めるような瞳が、稜花の体の自由を奪う。

 先日の感覚が背に、腕に蘇り、躊躇するように脚を止めた。



 見つめ合ってしばし。

 なかなか彼に近寄れないままでいる稜花に対して、楊基はゆっくりと腕を差し出した。周囲にもまるで責められるように見つめられ、誰もが、王のもとへ、と言っているような気さえする。

 おずおずと彼に近づくと、彼もやがて立ち上がり、稜花を見下ろした。


 こうやって、お互い立ったまま向き合うことなどいつぶりだろう。

 相変わらずしっかりした体。そしてこの長身。

 鎧姿でなければ麗しの若き君主だと感じる者も多いようだが、稜花の中では偉丈夫である印象は今でも変わっていない。

 どこで時間をとっているのか分からないが、彼自身も定期的に体を動かしているのだろう。でなければ、稜花に勝る技術や力の説明がつかない。



「美しいな。我が国の衣装が、よく似合っている」

「……」

「先日のことは――許せ、とは言わん。其方が私のものになる。その事実を変えるつもりはない」

「……」


 王の言葉に、上手く返答が出来ない。視線を落とすと、そうはさせまいと、首に手を回される。


「少しは愛想良くしろ。折角の美貌が、勿体ないぞ」

「……」

「頑なだな」


 一言も言葉を発しない稜花に対して、楊基は苦々しげに表情を歪めた。


「私は、威勢の良い其方が好きなのだがな」

「――でも、こうさせているのは貴方じゃない」


 ようやく言葉が出てきて、楊基は目を丸くした。

 どんな言葉であれ、稜花の声が届いたのが嬉しかったらしい。くしゃりと目を細め、ああ、そうだな、と哀しそうに笑った。






 本格的な儀式が始まる前に、先ずはこの小宮で親族との対面がある。楊基は中央の椅子に座り、その隣に添うようにして並べられた椅子に、稜花も腰を下ろした。


 楊家の者は数は少ないとは言っても、やはりもともと大領地を統べる一族。血の濃い者から順番に頭を下げては、小宮を出て行く。

 楊基の近くには、陸由をはじめとした武官が並んでおり、厳戒態勢を敷かれた中、滞りなく挨拶は進んでいく。



 そうしてしばらく挨拶を受けていると、外からざわざわとした声が聞こえてきた。

 あらかじめ決められた手順をこなすだけの儀式であるはずなのに、一体何が起きたのだろうか。不思議に思い楊基の方に視線を送ると、彼もまた、難しい顔をして外の様子を探っているようだった。


 様子を見るため少し前に出た陸由が、明らかに表情を変える。

 一体何が起こったのだろうと心がざらつく。

 順番に挨拶に入殿してきた楊家の者たち。その者たちが後ろに引くのがわかる。それなりに身分の高い者たちがこぞって何者かに配慮する。一体何者が、と思ったとき、彼らの間から姿を現した者を見て、驚愕した。



「え?」


 驚きで、小さく、声が漏れる。



 ――楊……炎?


 見間違えるはずがない。

 左眼を眼帯覆い、隠しきれない無数の傷をもった男。その闇色の片眸がこちらを見据えている。

 その深い黒に吸い込まれるように、稜花もまた、彼に視線を奪われた。


 ――どうして……?


 ここは楊家の者が挨拶に訪れる場。そんな中、周囲は困惑の色を示しながらも、彼のために道を開いた。

 普段護衛をするときの装束ではない。今の彼が纏っているのは明らかに礼服の類い。細やかな金の装飾が美しく、髪もきっちりと結い上げられている。




 言葉を失った稜花を彼は一瞥し、真っ直ぐ、楊基の正面へと進んだ。

 誰もが固唾を呑んで彼の行動を見守る中、彼は、やがてその膝を折る。



「謹んでお祝い申し上げます、兄上。それから、李稜花様」


 胸の前に手を掲げ、首を垂れたまま宣ったその一言。

 耳には届くが、その意味が遅れて脳に響く。


「――え?」


 細く、声が漏れた。


 なんと言った。

 今、彼は、一体何と言ったのだろうか。



 ――兄上、ですって……?


 呼吸することも忘れ、楊炎を見下ろす。迷いのない彼の様子は、冗談であるとも到底思えず。だが、信じられない様な言葉に、どう解釈して良いのか全くもって分からない。



「此度の良縁、昭国および稜明との同盟。心よりお慶び申し上げます。昭国が主――楊基様」


 稜花は息を呑んだ。同じようにして、楊基も明らかに動揺の色を濃くしているようだった。陸由も目を細め、護衛たちもどう対応して良いのか分からない様子。


 突然、この国の王を“兄”と呼んだ男は、皆がよく知る稜明からの使者の一人だった。

 誰もがお互いを牽制し合い、どう切り出していいものかと様子見をしている様だった。稜花とて、この戸惑いをどう行動に移せば良いのかわからない。



「其方、何を考えている……?」

「何も。ただ、我が敬愛する兄上と、私がお仕えしていた主のご縁をお祝い申し上げているだけのこと」

「このような場で――」

「このような場、なればこそ」


 周囲の視線をもろともせず、楊炎はその頭を益々深く下げた。咎めるような視線と、驚きの視線、数多の感情が入り交じりって居る中には、納得の色を示している者もいる。

 一体、どう言うことなのだろうか。何が起こっているのか益々分からなくなって、稜花は何度も瞬いた。



「それとも、私を咎めなさるか、兄上」

「……」


 楊基の表情が明らかに歪んだ。

 彼の迷いが分かる。正面切って否定しないのは、何故だ。

 あの楊炎が、楊基を兄と呼んでいる。参列する楊家の者の中に交じっていること自体、明らかにおかしい。――であるはずなのに、何故、楊基は彼を咎めない。



「――焔よ」

「え……ん……?」


 楊基が、苦々しく、ようやく口にした名前。それが脳内で何度も反芻し、稜花は呟く。

 焔。聞き慣れた響きのはずなのに、どうしてだろうか。その名に含まれる意が、本来の意味とは異なって聞こえるのは。


「……いや、良く戻った。焔。其方を歓迎しよう」

「ありがとう存じます、兄上。この場をお騒がせしたこと、お許し頂きたく」

「いや、兄を祝うためだろう。どうして謝る必要がある。後に、また其方の話を聞こう」

「感謝致します」



 深く頭を下げた後、楊炎は稜花に向き直る。

 改めて一礼し、まるで初めて挨拶するかのように、彼は高らかに名乗り出た。


「李稜花様。私は、昭王楊基の弟にあたります楊焔(ようえん)と申します。長らく、己の出自について名乗らなかったことをお許し頂きたく。本日は、大変おめでたく存じます」

「楊焔……?」


 自分に言い聞かせるようにして、稜花は呟いた。

 ざわざわと、胸の中の記憶が蘇る。



 その髪、鋼色。楊基と並ぶと同じほどの長身。

 楊基のことを、稜明に来る前から知っていた。彼の存在を警戒し、稜花に注意をし続けた。それは何故か。

 この城の地下に存在する通路。それを知り、彼がたどり着いた先は――、


 ――第二夫人の……部屋?



 数々の疑問が、合致していく。

 楊基が、楊炎にこだわり続けた理由も。彼がどうして昭殷に一人残ったのかも。


 ――地下の通路を知るものにしか出来ないことをするためだと、楊基は言っていた。


 それはすなわち、彼の弟にしか出来ないこと、という意味なのでは無いだろうか。



 驚きに言葉を失い、稜花は息を呑んだ。

 目の前に膝を折る楊炎は、再び顔を上げ、稜花と目を合わせる。

 その色は落ち着き払っており、きゅっと引き結ばれた唇が、彼の決意を示していた。


「はい。焔と。諸事情故本国を離れておりましたが、これからは兄上、李稜花様お二人に、誠心誠意お支えすることを約束致しましょう」


 稜花の気持ちをよそに、闇色の瞳は落ち着いていた。

 彼の口から、楊基との婚姻を祝う言葉が紡がれている。それに心が痛んでもおかしくないのに――高揚して、心臓がどきどきと音をたてている。

 きゅ、と、胸の前で手を握りしめる。彼の闇色の瞳を真っ直ぐ見下ろすと、熱の籠もらない彼の黒が、優しく揺れた気がした。


 それだけで、十分だった。

 どんな事情があるにせよ、彼は立場上の無理を重ね、稜花の前に姿を現してくれた。それはきっと、稜花のためであることが伝わって。



 この日、この参賀に参列できるように、してくれた。

 ちり、と心の中で、もしかしてという気持ちが溢れてくる。



 ふと、稜花は目を細めた。

 顔の筋肉が緊張で引きつっていたらしく、少し、痛いくらいだ。


「そうでしたか……焔。貴方の立場は変われども、貴方との関係は、変わらないのですね」


 改まった言葉遣いをしながら、稜花は微笑んだ。

 “関係が、変わらない”そう言葉にする。まるで、改めて、彼との間柄を確認するかのように。

 ふと表情を緩め、頷く彼の顔を見て、十分だ、と稜花は思った。


 冷たかった指先に、熱が、ともりはじめる。

 凍える気持ちで震えていた心が、いつの間にか、溶けていて。



 息を呑む。


 たった一度きり。その機会を、無駄にしてなるものか、と。 


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