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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
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埜比包囲網(1)

 視界は果てしなく悪かった。明朝と言う事もありようやく空が白んできた頃合いだ。それだけでない。吹雪が全軍を取り囲み、冷気はとどまることをしらない。凍える指に息を吹きかけ、稜花は体を震わせた。



「んもう、本当に寒いわね」

「俺たちの住んでるとこよりもずいぶん内陸まで来たからな」

「ほんとに、こんな中で戦をしようだなんて、どうかしてるわ」

「はっはっは! 自分勝手な物言いだな」


 稜花の言葉に、李進は豪快に笑った。

 李家が治めている稜明の地より更に西。稜河をずっとのぼったところに広がるのは(しょう)の地。先日の北方騎馬民族平定の際、父と共に戦った楊基(ようき)が治める領地が広がっている。

 今回は昭への援軍として参戦することになっていた。南の小領地、埜下(やか)での内乱の平定となるわけだが、季節柄厳しい。

 冬の寒さが最も身に染みるおり。この中を愛馬梓白(しはく)に乗って駆け回るとなると、その寒さによる痛みは如何ほどか。


「まあ、そう言うな、稜花。今回ばかりは放っておくわけにもいかないのだ」

「わかってるわよ。あの王威(おうい)のお出ましだもの。昭と手を組めるうちに何とかしておきたいのも当然でしょ」



 いつも快活な李進の目が、今日は随分と余裕が無いようだと稜花は思った。

 今回の援軍には、稜明(りょうめい)の勇猛な将達を複数連れてきており、稜花自身も李進の隊に入ることになっている。目の前にあるのはほんの小領地でしかないのだが、その中心埜比(やひ)の城の目前まで来て足踏みしている状況が何とも歯がゆい。


「真夏の暑い中するよりはずいぶんましだと思え。夏は厳しいぞ。暑くても鎧は脱げないし、水分が常に不足する」

「そりゃ、そうかもしれないけど」

「まあ、今回も早いとこ勝負を決めたいのは、確かだがな」

「そうよね」




 はあ、とため息をついた。

 王威。礼王朝(れいおうちょう)末期において、朝廷の機能を完全に停止させた男とも言われる豪傑。国家が瓦解した後、彼は各地を転々とし、暴利をむさぼった。彼を迎え入れた領地はたちまち没落するか、他領に侵略しては共倒など、碌な結末を歩んでいない。しかし、各領地を取りつぶしたとしても王威はどこ吹く風。次の寄生地を探しては、移動する。

 そうやって各地をかき乱してきた男が今、昭の目の前埜下にいる。絶対的な武を持った男が、この先、昭……そして稜明へとたどり着く可能性を考えると、この地で足止めしておきたい気持ちは山々だ。


 お互いの不安を確認するかのように、稜花と李進は頷き合った。そこに、見覚えのある男が駆け寄ってくる。鈍色の鎧と血色のマントを纏った男、楊炎(ようえん)である。


「準備、整いました」

「そうか。父上は?」

「はい、まもなく出陣予定です」

「わかった」


 李進は頷いて、それから自分の馬に跨る。それを見て、稜花も同じように梓白に跨った。


「じゃあ、行くか」


 決心するように告げて、李進は護衛兵から大刀を受け取った。李進はがっちりと恵まれた体格を生かして、そのまま人を殴り倒せるのではと言うくらいの大きな刀を振るうのだ。その腕のほどは、言うまでもない。

 兄妹、並んで手綱を引いた。ゆっくりと、二頭の馬が歩く。


「稜花」

「何、兄上?」

「寒いとこ残念だが、この戦、長引くぞ」

「うん。わかってる」



 覚悟はしていた。

 相手は籠城を決め込むことを視野に入れているはずだ。周囲はこの寒さ。遠征軍がいつまでもこんな場所で包囲網を続けるのには、かなりの兵糧(ひょうろう)を必要とする。大陸の北部に位置する昭や稜明ではかなりの負担になることは明白だ。

 しかし、相手も援軍を期待できない冬という季節だからこそ、ここで王威を叩いてしまいたいという気持ちが先立った。それほどまでに、あの男はやっかいらしい。


「稜花はまだ戦経験が浅い。しかも、相手は兵力は少ないといえ、あの王威だ。いつ、どんな非道な手を使ってくるかわからん。ずっと俺についていろ。いいな」

「わかってる」

「籠城戦か、面倒な」


 はあ、と、呟いたところで、前方から兵のかけ声が聞こえてきた。


「——始まったか」


 李進が呟いたところで、一度退いていた楊炎が駆け寄ってきた。今度は、騎乗している。


「お供いたします」

「ああ、お前がいてくれれば、心強い」


 浅く礼をしてから、楊炎は李進の隣に並んだ。三人並んで、視界のかすむ、遙か向こうを見やる。




「それじゃあ、行くぞ!」


 李進の合図に、頷きあって手綱を引いた。

 吹雪を裂いて、真っ直ぐ、突っ走る。真白い世界の中で、兵達の掲げた松明の炎がぼんやりと浮かび上がっていた。叫び声が溢れる交戦中の場所へ駆け寄る。すると、明らかに身分が違って見える李進を見つけた敵兵が、群れるように迫ってきた。

 それに向かって、李進、稜花、楊炎、他の護衛兵達。それぞれが声を上げながら武具を振るった。叫び声と同時に、士気を高める者、悲鳴を上げる者、様々な者達が入り交じっている。無数の敵兵に全員で斬りかかり、僅かながら前線を進めていく。


「ちっ、籠城にこの士気か……!」

「兄上、後ろ!」

「おう!」


 稜花のかけ声と共に、李進は身体を反転し、後方から斬りかかった兵をたたき落とす。そして稜花は顔を上げた。

 ――矢だ。すんでの所で、たたき落とす。


「弓兵が潜んでるわね。視界が悪いから、厄介だわ」

「お任せ下さい」


 言葉にしたとたん、楊炎が稜花の隣をすり抜けた。相変わらず血色のマントが、白い世界に映えた。黒い馬で駆けたかと思うと、すぐに吹雪に消えてわからなくなった。



「あいつも、たいした男だ」


 李進の言葉に稜花は頷く。再び敵を斬っていると、矢が飛んできた方向から複数の悲鳴が聞こえてきた。

 姿ははっきりととらえられずとも、楊炎が攻めた一帯だと言うことはわかる。今の悲鳴も、彼の所業によるものだろう。


「……本当に彼はすごいわ」

「珍しいな」

「?」

「お前が人のこと褒めるなんて」


 李進のからかうような言葉を、稜花は否定しなかった。基本的に稜花は人に対して遠慮が無い。誰に対しても分け隔て無く快活に接するところがあるし、人当たりもいい。

 だからといって、相手を持ち上げるようなことはなかなかしない。ことさら武に関しては、非常に優れた兄が隣にいるものだから、どうしても他が見劣りしてしまう。自身もそれなりの腕を持っていると自負しているからこそ、他人を褒めることが極端に少ない。


「楊炎は、他の人とは違うもの」

「……そうか」


 稜花の答えに、李進はにっと笑って大刀を一降りした。一帯の敵兵はだいたい片づいたようだ。すぐに前進して、次の敵部隊とぶつかる。さっきからずっと、この調子だ。門に近づこうとしても、なかなか近づけない。

 そもそも、籠城戦にも関わらず、門の外にこんなにまで兵が降りてくるのは何故だろうか。こちらが仕掛けるのはわかるが、向こうから仕掛けてくる理由が全くわからなくて歯がゆい。



「とりあえず、今のうちに敵の数を減らしとかないとな。北門が開いたら、大変な事になる」

「そうね」


 稜花は頷いた。

 報告では、北門は衝車(しょうしゃ)でうち破るとのこと。なんとか北門までの道を切り開き、門を開かないことにはどうにもならない。

 しかし門の向こうには、今以上に数多くの兵が待機している事もわかる。門が開いたとたん、兵がなだれ込んでくる事くらい、目に見えていた。


 先ほどまでは寒さに震えていたというのに、今は随分と体が火照ってきている。戦場の独特の空気感に呑まれているのだろう。気がつけば少々息が上がってしまっており、稜花は落ちつくために大きく息を吐いた。




「若君」


 すると、猛々しい馬の蹄の音と共に、低い、男の声が聞こえる。白の世界から突如として現れた色は鈍色。ああ、この低い声。楊炎がもう戻ってきたと言うことか。


「前線の弓兵は、だいたい蹴散らしました」

「――早かったな」

「前線には数が多くなかったので。矢が邪魔なのは、この後でしょう」


 楊炎の言葉に、李進は十分だ、と、満足そうに頷く。

 やはり、優秀だと稜花は確信する。これだけの視界の悪さの中、飛んでくる矢の方向から敵弓兵集団のもとへと走り、殲滅して帰ってくる。漠然と目の前の敵を叩くことに集中している大部分の兵とは、まったくもって違う。

 そもそも、大仕事をこなしてきたというのに、楊炎は涼しい顔をして李進と話をしていた。


「もう少し先に行けば、北西から下ってきた楊基軍と合流する予定です」

「そうか。南の紫夏軍はどうだ?」

「斥候によると、南門前は順調に制圧準備にかかっていると」

「わかった」



 紫夏というのは、南の大領地“()”の領主の名だ。彼も王威に憂う一人で、今回の遠征軍に援軍を送ってきてくれている。北と南から挟み込む形で、王威を取り逃がすつもりは毛頭無いらしい。

 楊炎の言葉を聞き終わると、李進は全兵に向かって叫んだ。


「もう少し先へ行けば楊基軍と合流出来る! それまで耐えるんだ!」


 おおおおおお! 返事は波となって、辺り一面に響いた。そしてますます、戦う声が盛んになる。

 李進達は頷きあって、前進した。そして西と東からの道が合流しているところで赤の衣を纏った兵達の姿が見えだした。



 ――あれが楊基(ようき)軍。


 稜花は目を瞠った。自分たちの軍のゆうに3倍はいるであろう圧倒的な兵力。一帯の兵を押さえ込み、余裕の表情で南門前を制圧しようとしている。


「合流なされたか」


 一人の男がそばに寄ってくるのが見えて、稜花達はそちらを向いた。

 歳は楊炎より少し年上だろうか。鋼色の髪に、燃えるような朱の瞳。細身でありながらも、無駄のない筋肉に端整な顔立ち。精悍な雰囲気の、武将という名がふさわしい男。


「楊基殿」


 李進が目を見開いて呟いた。そのつぶやきが聞こえて、稜花は目を丸くする。


「楊基……あなたが?」


 敬称もつけず思わず声がもれて、まじまじと目の前の男を見つめた。目の前の男こそ、今回の軍の総大将楊基ということになるらしい。


 想像していた人物と、全く違っていた。自分の父には相当の豪傑だと聞いていた。もっと年上で、筋肉隆々の猛々しい武将だと思っていたのに。ずいぶんと年若く、すらりとした体型、落ち着いた風貌がまるで想像と違う。



「李進殿、援軍、感謝する」

「楊基殿、このまま押し切ってしまいましょう」

「うむ。しかし、油断はならないな。向こうにはまだまだ王威という切り札が残っている。あの男を何とかしない限りは、我らに勝ち目はないだろう」

「王威——」


 その力は鬼神の如く、崖をも駆け上がると言われる黒き馬、夜徒(やと)に跨り、戦場を駆け抜ける武人。その男に匹敵する者は他にはおらず、戟一振りで数十名の命が狩られる。


「あの男こそ、真の業将だ。しかし、あれは殺すための武。私たちとは根本から異なっておる。負けるわけにはいくまい」

「ああ——」


 李進は、楊基の言葉に大きく頷いた。


「しかし、俺たちもちょっとやそっとじゃあ負けやしません」

「だろうな」


 はっはっは。楊基は、声を立てて笑った。まだまだ若いけれども、彼の笑みには王者の気風があり、自信に溢れた様子は見ていて嫌味が無い。なるほど、李永が高く評価したはずだ。



「李進殿は、噂通り、心易い方と見える。しかし、戦場に姫君を同行なさるとは感心出来ませんな」

「私は、そんなんじゃあ——」

「李永殿の娘子とお見受けするが?」

「そうだけど」


 からかわれているようで、釈然としない。

 確かに、よく考えてみれば自分は姫君と呼ばれる立場だ。しかし、自分の事を何も知らずに戦場に来るなと言われているようで、稜花は眉をしかめた。納得いかない。


 そんな稜花の思いも見抜いているのだろう。しかし、彼は稜花の咎めるような視線を、さらりと微笑で流してしまう。つまり、彼にとっては稜花など取るに足らない人物でしかないのだろう。


「まぁまぁ、楊基殿。このお転婆は言っても聞かなくて。腕のほどは信頼は出来るんで、黙認してやってください」

「そう言うつもりで申し上げたのではないのだが——これは失礼した」


 そう言って楊基は、軽く会釈した。それから、手綱を取る。



「では、李進殿、王威に一泡噴かせてやりましょうぞ」

「そうですな」


 頷きあってから、楊基は自分の布陣の方へ戻っていった。侮られたのは釈然としないが、彼の背中を見るだけで、大人物というのがありありとわかる。

 自分たちから離れただけで、直ぐに周囲を護衛に取り囲まれ、戦況についての報告を受けているようだ。楊基の視線はすでに、目の前の城をどう攻略するかなのだろう。その背中を見つめて、稜花が呟く。




「……ずいぶん、想像と違うな」

「そうか?」

「もっと、厳つい人だと思ってた」

「はっはっは! それは残念だったな!」

「そーゆーのじゃないけど。でも、失礼しちゃうわ」


 ふんだ。わざとらしく拗ねて見せて、稜花は愚痴をこぼす。


「見てなさいよ。女だって十分に戦えること、証明してやるんだから」


 小娘だと侮られたままでいられるわけがない。

 腰に下げた双剣の感触を確認し、稜花は真っ直ぐと城を見上げた。

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