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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第四章
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真夜中の訪問者(2)

「やだっ! やめて楊基っ!」


 稜花は恐怖で強ばる体をなんとか奮い立たせた。

 必死で脚を動かすが、寝台の床を叩くだけ。ばんばん、とその低い音が部屋中に響き渡る。


 その音によって、部屋の中の異変が、外にまで明確に伝わったようだ。

 王が未来の妻の部屋にいる。その事実が扉から必要最低限以外の者を遠ざけていたはず。だが、この尋常ではない様子に、戸惑うような動きをしているのがわかった。



「嫌だ、誰かっ! 誰か来て!」


 外へ向かって、稜花は必死で呼びかけた。しかし、王命なくば彼らには何も出来ない。それでも、彼の腕の中から逃れたくて、無我夢中で叫ぶ。

 稜花の声が届いたらしく、更に外がざわついた気がした。少しでもこの状況を何とかしたくて、声を上げ続ける。

 が、当然ながら楊基はそれを許してくれるわけでもない。ますますその力を込め、稜花の頬に、首筋に、彼は唇を落とす。



「黙れ。其方は私の妻だろう?」

「まだ……私はっ」

「仮初めの祝言なんて待つだけ無駄だったか」



 帯に手をかけられ、するりと解かれる。唇を塞がれ、息もまともに出来なくて、頭がおかしくなりそうだ。肌が外気に晒され、ひんやりとした感覚を覚え、ぞくりとした。


 ――嫌だ――助けて。


 涙目になりながら、稜花は懇願した。

 するりと背中に彼の腕が回り込む。直接肌に触れられ、初めての感覚に目を見開いた。

 怖くなって、震えがとまらない。かたかたと自分の意思とは無関係に震える体を抱きしめられる。


「大人しくしていろ」

「……っ!」


 ぶるぶる、と、ようやく自由になった首を横に振る。が、すぐさま強く吸われ、やだ、と強く声に出た。



 こんな時。

 側に、いてくれたら。

 彼が側に――。


「やだっ、助けて!」

「稜花」

「嫌だっ! 楊基、やめてっ!」





 ――バンバンバンっ!



「……っ」


 その時、突然入り口の扉が強く叩かれる音がする。稜花をかき抱く二本の腕がぴたりと静止する。はっとして稜花も扉の方へ目を向けた。


「殿っ」


 扉の向こうから、くぐもったような声が届く。まともに頭が働かないけれども、それは稜花も聞き覚えのある声だった。

 短く、浅い呼吸しか出来ない。動かない楊基の腕から離れようとするが、彼は稜花を押さえ込んだまま、入り口の方を睨み付けていた。


「殿っ!」

「……聞こえているっ。邪魔をするな!」

「おやめください、殿!」


 扉を挟んで、部屋の中と外。怒鳴りつけるように荒々しい言葉を吐く楊基を見るのも初めてで、稜花の体もびくりと反応する。だが同時に、稜花も声を出していた。


「助けてっ! ――んっ!」


 その言葉が楊基の気を益々逆撫でしたらしい。

 黙れ、とでも言うように大きな手で口を押さえつけられ、必死で抵抗する。しかし、華奢な体の上にどっしりとのしかかられてしまっては、まるで身動きがとれない。



「……っ!」


 部屋の外では何名かの動揺するような声が聞こえてきた。一体何が起こっているのだろうか。

 止めろ、と誰かが互いに制止し合うような声が聞こえてくる。が、今の稜花にはそれを冷静に受け止めるだけの余裕がない。


「チッ……」


 忌々しげに扉の方向を睨み付け、楊基は少し力を緩めた。そうして彼は、稜花を逃がさないように彼女の上にのしかかったまま、上半身だけを起こす。

 状況が状況だけに、ここから先を続けられないと判断したのだろうか。



「なんだ!」


 責め立てるように外へ向かって叫ぶと、失礼を、という声とともに扉が開く。月明かりが同時に差し込んできて、部屋の中に幾つかの影が落ちた。

 助けを求めるかのごとく、稜花も視線をそちらに向けて――そして、あ、と声が漏れた。





 目があって、息をすることも忘れるかのような思いにとらわれる。

 その闇色の片眸。

 それが稜花を射貫くかのごとく、真っ直ぐとこちらを見つめている。

 解かれた帯と、着崩された夜着。何が起こっていたのかは、十二分に伝わったのだろう。彼が動揺し、表情を強ばらせた。と同時に、その冷たい闇色の瞳にふつふつと怒りがこみ上げていく様子が見て取れた。


 求め続けていた助けの手に触れたくて、稜花は無意識に腕を伸ばしていた。しかし、手首をしっかりと押さえ込まれてしまい、どうにもならない。


 彼の――楊炎の隣には陸由も立っていて、外から声をかけてきたのは陸由だと言うことがようやく理解できる。彼は、こうやって、王に意見できる数少ない人間なのだろう。




「わかっているのか。邪魔をするなと言ったろう」

「殿。今――これ以上お続けになるなら、俺の隣に立っている者が大人しくしていないかと」

「“それ”を斬り捨てれば済む話だ。帰れ」

「少しは冷静におなり下さい。部屋の中が尋常ではない様子と聞き、慌てました」


 実際、慌てて駆けつけてきたのだろう。陸由も、隣に立つ楊炎も完全に息があがっている。


「お前ら――」

「無礼を承知で、失礼致しました。ですが処罰を考える前に、状況を冷静に見つめ直して下さい、殿」

「……」

「俺の隣の輩が、処罰も厭わぬ覚悟で乗り込んでいきそうな勢いだったので。……ですので、私もともに。理由はお分かりでしょう?」

「ちっ」


 吐き捨てるように呟いてから、楊基は稜花を押さえ込む腕を解いた。そのまま体を起き上がらせ、寝台から降りる。



 自由になった稜花はすぐさま体を起こした。着崩された夜着をたぐり寄せ、肌を隠す。楊基が自分から離れてようやく、まともに呼吸ができるようになり、冷たくなった唇を噛む。


 怯えたまま入り口の方を見つめると、真っ直ぐ楊炎と目が合う。が、とたんに、彼の顔がぐにゃりと歪んだ。

 いっぱいの涙で視界が揺れる。

 逢いたくて逢いたくてどうしようもなかった彼が、この場にいるのが嬉しくも、哀しい。こんな姿、見られたくなかった。それでも、許されることならば今すぐその腕に飛び込みたくて。でも、出来なくて。



 すんすん、と鼻を鳴らしながら、稜花は瞬きをした。

 眦にたまっていた涙がぽろぽろと溢れ、安心しているのか、まだ恐怖しているのか、よく分からない感情にただただ流される。


 彼もまた、稜花の様子に戸惑っているようだった。

 前髪から覗く片眸を細め、歯がゆそうに唇を噛みしめている。こんな時でも、一言も話すことは許されず、ただ、お互い、見つめ合うことしか出来ない。




「稜花、覚えておけ。――何度も言ったように、私は、其方を手放すつもりはない」


 楊基はまるで突き放すようにその言葉を残し、楊炎達の間をすり抜けて行った。

 彼の代わりに女官たちが慌てて部屋の中に入ってきて、内側から扉を閉めようとする。


 外の世界が遮断されていく。

 扉の前に立った楊炎と、お互い見つめ合い。ばたん、と冷たい扉の音が聞こえるまで、稜花は彼から目を離せないでいた。



 閉ざされた世界で、稜花をこの部屋から出すなという、厳しい楊基の命が耳に届く。彼の激しい口調に、稜花とともに残った女官たちも、不安に肩を震わせた。

 身動き一つ執ることが出来ず、稜花はその場に座り込んでいた。


 そうしてようやく、ここは楊基の作り上げた檻だと理解する。

 稜花の手足を縛り付け、彼の世界に閉じ込める。





「稜花様、一体何があったのです?」


 慌てて女官たちが側に寄ってくるが、かたかたと震えたままの稜花には、うまく言葉にする事が出来なかった。

 楊基に強く掴まれた手首は、真っ赤になっている。

 もともと傷の多い体ではあったが、稜花の白い肌に残った赤が、相当痛々しく見えたらしい。女官たちは言葉を失い、おろおろとし始めた。


「稜花様、今すぐ侍医をーー」

「大丈夫よ、何ともない」


 が、稜花は首を横に振った。自らの体を丸めて、女官の一人の手を握る。


「ごめんなさい……誰か。誰か、お願いだから。今夜はーー」


 ぽろぽろと溢れ落ちる涙は、未だに止まりそうにない。

 闇に一人取り残される事がこうも恐ろしいものとは思わなかった。

 縋るように見上げると、彼女たちはお互いの顔を見合っていた。やがて意見が一致したようで、ひとりの年配の女官がしゃがみ込み、稜花と視線を合わせて、ゆっくりと頷く。



「大丈夫です、稜花様。寝ずの番が、必ずお側に控えておりますから。お話は明日に致しましょう。どうか、ごゆるりとーー」


 あえてにっこりと微笑みを残し、彼女は優しく稜花の肩をさすった。その手で少しだけ気持ちが落ち着き、稜花も顔を伏せる。


「さあ、どうかお眠り下さいませ。明日もまた、お早いのでしょう?」


 その言葉に、更にこくりと首を振った。

 稜花の朝は早い。明日もまた、体を動かしてーーでも。女官の言が、ただの慰めにしかならないことくらい、稜花にも分かっている。

 楊基が本気ならば、稜花はもう、この檻から出られない。



 ーー駄目だ、今日は。


 頭が混乱して、働かない。

 早く夢に落ちてしまおう、と、稜花は再び、寝台に横になる。心はざわざわしたままだけれど、大丈夫。一晩眠ったら、きっと。


 明日には、また、元気な自分に戻っている。そう、思っていたのだが。



 その日以降、調練どころか、稜花は部屋を出ることすら許されず。

 文字通り、彼に飼われるだけの存在となった。


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