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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第四章
66/84

あたらしい日常(1)

「でああああああっ!」

「フンッ!」



 ばっきばきとした自由に動かない体における最高速度。まずは自分の体がどれだけ動くのかを確認したくて、稜花はいきなり全力で相手を斬りつけた。

 半ば、やけくそ、という言葉が正しいのかもしれない。


 何故こんなことになっているのか、稜花ですら疑問だが、体を動かす機会があるのはありがたい。

 まだ空が白み始めて間もなくの頃。稜花に与えられた部屋のすぐ近く。こんな中庭では本来ならば見かけるはずのない光景が広がっていた。

 ぴん、と張り詰めた朝の冷たい空気の中、落ち葉が舞う。一歩前へ踏み出すと、さくり、と葉を踏む音が聞こえ、耳に楽しい。

 本来ならば、ゆっくりと散策でも楽しもうと思っていたのに――。



「貴方と手合わせするのは初めてねっ」

「もっと調子の良いときの貴女とはやってみたいと思っていました」

「……っこのっ!」


 侮られて、黙っていられるはずがない。稜花は目の前の男――昭国軍で年若いながら将軍位を賜り、楊基と常に行動を共にしていた彼――陸由と刃を交えては、ジリジリとお互いの力を推し量っていた。





 そもそもの発端は、稜花の一言だった。祝言までの準備に追われ、日中拘束されることは仕方が無いとして、それでもどうしても体が動かしたかった。

 早朝ならば良いだろうと、城の散策を名目に楊炎を呼び出そうとしたが、いい顔をされなかったのだ。いくら護衛と言えども、夫でない男に執着するのは外聞が良くないらしい。

 だから、稜花もこう言うしかなかった。


 「私に勝るほど強い護衛なんて、彼しかいないでしょう?」と。


 結果――。





「ほんっ……と、重たいわね! 貴方の一撃はっ」

「病み上がりの女人に遅れをとるつもりはありません」


 “稜花より強い”と用意された男は、確かに稜花が認めるほどの力を持っているが、いやいやそうではないのだと心の中で抗議しまくっていた。


「お体は、大事ないのですか?」

「全くもって動かないわねっ! しばらくは、相手してもらわなきゃっ」

「……」


 面倒な、と心の声が聞こえた気がする。

 この国の将軍にして楊基の右腕、陸由。何故か彼が、目の前で稜花と手合わせしている。もちろん周囲は護衛が見守り、監視するように数名の女官も遠目でこちらを見ているようだった。


 本来ならば楊炎に城を案内してもらい、あわよくば手合わせを――などと考えていた昨日を返して欲しい。

 ワクワクした分だけ、がっかりも大きい。

 が、来てくれたのが陸由だったのは、不幸中の幸いと思うことにする。



「私はね、楊炎を指名したのにっ。彼は私の従者なのに、貴方たちで勝手に使ってくれてるのはどう言うことかしらっ?」


 彼なら、楊炎の様子を見ているはず。そう思いながら、話を切り出す。


「祝言までは我慢して下さい。ただでさえよからぬ噂が多いのに」

「よからぬ噂?」


 調練用に刃は潰してあるけれど、その剣撃は重い。お互いの刃を交差させ、ジリジリと力を入れる。彼との距離がごく近くなり、その瞳を睨み付けた。


「貴女は楊炎とたった二人でここまでたどり着いた。その道中、花嫁が男と二人きり。これがどう言う意味かお分かりでしょう」

「そんなこと言っても、仕方ないでしょう? だったら何、彼を放り出して一人で来いとでも言うわけ?」

「まさか。ただ、事実はどうあれ、勘ぐられるのは詮無いことだと言っているのです」


 力でもって、相手を押し放す。楊炎の素早い太刀筋とはまた違い、彼の攻撃は一撃一撃の衝撃が重たい。

 一度受け止めるたびに体がぐらつき、自分の軸が歪む。力でもってこちらの芯をずらされてしまっては、まともな反撃が出来なくなる。


「せめて、彼がひどい目に遭ってないか、教えて」

「遭ってませんよ。今は俺と行動を共にしていますから。彼はもともと実力があるので、周囲の雑音も蝿がたかる程度にしか感じないでしょう?」

「……まあ、回りの気にするようなか細い神経は、持ち合わせていないでしょうね」


 昔から、たった一人で行動してきた男だ。今更周囲のことを気にするようなものでもない。

 それでも、元々稜花は命を狙われていた身。そんな中、他領へと赴き、信頼できる者の一人もつけてもらえないのは不満でしかない。

 皮肉の一つや二つ言ってやりたい気持ちになって、言葉を吐き出した。



「でも、それは楊基もでしょう? 今更、噂を気にする人でもないでしょうにっ」


 楊基は、己の目的のためなら細かなことは気にしない男だ。愛だの恋だのときれい事を言う輩でもない。

 だからこそ、稜花が誰と会おうが楊基は気にしないと思っていた。


「――貴女は、本当にそうお思いですか?」

「……」


 しかし、陸由にじろりと睨まれ、たじろいだ。

 大きく振りかぶった彼の一撃を受け止める。その衝撃に耐えかね、後ろへ体がぐらりと揺れた。が、どうにか体勢を立て直した。

 陸由はまるで、稜花に苛立っているようだ。


「仰る通り、いちいち小さな噂を気にする方ではないですが」

「ほら」

「それだけの理由でないことくらい、推し量って頂きたい」


 そして、あからさまに不機嫌な顔をされてしまい、気をとられる。その瞬間、第二撃が稜花をとらえた。

 今度は完全に受け止めきれず、弾かれる。

 気がつけば稜花は、地面に尻餅をついていた。



「――あの方は、本当にお変わりになった」


 目の前には陸由が真っ直ぐに剣先を稜花に突きつけており、ああ、一本とられたのかと実感する。

 その後になって、ようやく陸由の言葉が頭に入ってきて、戸惑った。


 楊基が、変わった。


 目を逸らすことの出来ない事実。今なら、その言葉の意味が実感できる気がする。

 そう、彼は変わった。輿入れの際、昭殷で再会してからの彼は、確かに稜花が知る彼とはどこかが違う。



「以前の彼は、どうだったの……?」

「貴女もよくご存じでしょう。ご自身で道を決められ、周囲を強く巻き込む力があった」


 苛烈、とも言えるほどに。と、陸由は言葉を付け足す。


 陸由の言わんとしていることは、わかる。稜花だって、巻き込まれた一人だ。

 結果、このような場所に、たった一人でいる。頼れる者は全て奪われ、身を包む装飾や衣すら、故郷のものではなくなっている。

 その糸に絡め取られ、腕に抱きしめられ、離れることを許されない。その一面は、何も変わっていないとも思われるが――。



「最近になって、迷われるようになった。王としては、もちろん許されない部分もあるのでしょうが――共に育ってきた俺にとっては、少し、嬉しく思います」


 陸由の厳つい表情が、僅かに緩む。それは、幼い頃からの友を想う顔で、優しい印象を残した。





 ***





 ふう、とひと心地ついて、陸由は彼女に与えられた宮を後にした。

 病み上がりだから本調子ではないというが、彼女の腕前は確かだった。一撃一撃はたいした重さがないものの、その速さとバネ、切り返しの速さが見事だ。たしか、もともと彼女は双剣使いだったはず。成る程、その器用さと体幹の良さから来る技術なのかもしれない。

 かなり長い間寝込んでいたようだが、あの様子だと、すぐに調子を取り戻すだろう。楊基もこれで少しは安心するはずだと思い、僅かに胸をなで下ろす。


 同時に、自らの主のことが少し心配した。

 最近、身に纏う雰囲気が穏やかになった。陸由はそれを、本当に悪いこととは思ってないし、今までの彼の生き方を考えると、歓迎すべき事とすら思った。

 不必要なものは容赦なく斬る彼のやり方は、合理的だが反発も多い。だからこそ、今のような対立の芽を生み出している。

 実力主義な彼らしい、同族を重んじることのない実力主義の方針が、楊家にとってはさぞかし目障りなのだろう。



 ――独立してからは、余計だな。


 同族による、邪魔が入るようになったのは。

 昭が国となり、楊基は名実ともに頂点となった今、その椅子を狙う者が確実に出てきている。彼を倒せばもれなく頂点。ここに至るまで引き上げてきたのが誰かも理解せずに、短絡的な考えに走る痴れ者が多くて困る。


 同時に、それらを楊基は、再び一掃しようとしている。

 そう、“一掃”だ。


「……」


 陸由はその瞳を伏せた。かつて、彼が先代の敵対相手を一掃した過去を思い出す。

 余計なものを切り落とすやり方で、この国は回ってきたのも承知している。しかし、ここに来て――楊基に迷いが生じてきている。



 ――以前は、彼女が死することをも、構わぬと仰せだったのに。


 本当に、変わったものだと、陸由は思う。

 汰尾の戦でも、そして彼女の花嫁道中でも、万が一、彼女が命を落としたとて、それで事が上手く運ぶなら構わないと言葉にした。しかし、かの王の変化が分からぬ陸由ではない。


 ――実際、彼女が行方不明になった時、動揺していらっしゃったからな。


 すぐに捜索隊を出そうとして、躊躇した。彼女が見つかっては困ると言うことくらい、彼が一番良く分かっていたはずだ。それでも彼は悩んでみせた。とてもではないが“死んでも構わない”と言っていた人間の顔ではなかった。


 同行こそしていないが、龐岸の時だって、きっと、同じだったのだろう。

 だからこそ、李公季が助かり、稜花が毒を受けたという予想外の状況に陥った。同時にそれは、楊基の甘さがひとつの要因になったのではと思ってしまった。



 同時に、その報告が入ったときの高濫の気持ちもよく分かる。

 昨日、楊基からことの顛末を聞いたとき、高濫は理解しがたいという顔を隠していた。一方の陸由はというと、どこか納得してしまって、毒気が抜けてしまったわけだが。


 極端な話、李公季が逃げたならば、龐岸にいる時点で稜花を殺してしまえば済む話だったのだ。

 もともと死んでも構わないと豪語していたのだ。そんな彼が、稜花をどこで殺すべきかなど、最も効果的な場所に決まっているではないか。


 だがそれをしなかったと言うことは――“そういうこと”なのだろう。

 間違いない、と陸由は思う。

 楊基は、稜花に対しては以前のような容赦なさを発揮できないらしい。




 ――稜花姫は、気がついているのだろうか。


 ――まあ、殿が御身と稜明にしたことを知ったとして、彼女が許すとは、到底思えないのだが。


 それでも、変わりゆく王を、陸由は悪いこととは思えない。

 事を急ぎすぎる楊基のやり方に、稜花のような考え方が加わることは歓迎すべきことだ。彼女の温もりが、更に変えていくものもあるのだろう。だが――。


 ――稜明に、隠し通せるとは、思わないな……。


 李公季が生き延びた。その誤算はあまりに大きい。

 これから稜明とは、少なからず軋轢が生まれるだろう。その中で、稜花に事実を隠し続けられるのだろうか。

 楊基の変化を陸由が好ましく思っていようがいまいが、事は、明らかに悪い方向へと動き始めている。



 大きく、ため息をついた。

 この環境で、益々楊基の判断が鈍る可能性が強い。

 楊基は今まで、人にどう思われようと気にしてこなかった男だ。

 そんな彼が、稜花に対してだけは、事実を全て覆い隠し、相手を傷つけず、嫌われぬように振る舞い続けた。それがどれほど特別なことか、稜花は気がついていないだろう。

 当たり前だ、彼女だけには気付かれぬようにと、楊基は、全てを後回しにして振る舞っているのだ。



 ――好ましいと思っていた稜花姫が、逆に、殿の弱点になっているのか……。


 高濫が、良く思わないはずだ。

 彼は合理主義であり容赦ない方針である楊基だからこそ彼に傾倒していた。

 確かな身分を持たない彼自身の才能を見つけ、引き上げてくれたのも楊基だからこそ、その見る目を信頼している部分も大きい。


 ――高濫も、動くかもしれない。稜花姫が邪魔だと判断したならば。だとしたら自分はどうする?


 くしゃり、と顔を歪めた。こんな時、自らの考えで決断できない自分が嫌になる。

 幼いときから楊基の側にいて、彼の希望を第一に思い、仕えてきた。だからこそ、今するべきなのは――。



 ――殿に、確認するしかないのか。


 何を考えているのか。これからどう動くつもりなのか。

 なにより、稜明と対立する日が来たとして、稜花をどう扱うつもりなのか。





 しかし、どうやらこの胸のもやもやは、簡単に解消などされないらしい。

 丁度、稜花の住まう宮を出て、兵舎へ向かう。その際、稜花の宮からごく近い場所で、黒の鎧を着込んだ男が佇んでいるのを発見した。

 一度見たら忘れられない傷だらけの肌。この国の王と同じ鋼色の髪が皮肉にすら感じる。


「楊炎か」

「待っていた」


 彼は短くそう告げ、踵を返した。ついてこいとでも言うのだろう。

 やれやれ、今日は長い一日になりそうだと独りごちる。



 彼はこの短期間でこの城のことなどすっかり把握してしまったらしい。適当に、人のいなさそうな部屋を見繕い、足を止めた。扉を封鎖する錠をも、いとも簡単に外してしまい、その中にするりと入り込む。

 おいおい、錠を自由に外せる者ほど怖いものはないぞと、陸由は心の中で引きながら、彼の後に続く。

 随分と危ない橋を渡るのになれている男だ。本当に楊家の者とは思えぬ技術を持ち合わせてしまったのは、彼の生い立ちがそうさせたとしか考えようがない。


 業の深いことだ、と陸由は思う。

 かつてこの城から抜け出した、虐げられ続けた小さな少年が、人殺しの技と、身を隠す術――まるで暗部の技術――を身につけて帰ってきた。

 それどころか、実務をさせてみて驚いた。

 彼はかの領地で、少なからず内政にまで関わっていたらしい。国のあるべき環境作りが頭に入っているらしく、言葉少ないながらも、昭国の内情もかなりの早さで把握しているようだった。



 ――李公季に付いていたと聞いたが、成る程な。


 彼は――楊炎は、李公季にどこまで自分の生い立ちについて話しているのだろうか。そこまでは陸由にはわからない。

 だが、まるで李公季が己の後継者を育てたかのような教育に舌を巻く。楊炎が身につけている知識は、明らかに内政者の知識だ。本人は酒宴も得意ではないし、人の上に立つことを好まないと豪語しているのを聞いたことがあるが、なかなかどうして、埋もらせておくには惜しい才能と知識だ。

 本当に、楊家の者として楊基を支えてくれるならば喜ぶべき才覚だとも思うわけだが。



 ――ことは簡単にはいかないからな。


 今の彼の目を見ていればわかる。今もまさに、もの申したいことでもあるのだろう。

 うすうす予測はついてはいるが、扉を閉め、陸由は一息ついた。



「で?」


 内密に話したいこととは、何なのだ、と、相手を睨み付ける。

 今更楊炎に遠回しな挨拶をした所で意味がない。そういう意味では、彼は非常に、楊基の弟らしいとも言える。


「姫は?」

「……」


 が、次の瞬間、呆れてものも言えなくなった。いや、勿論、毒を受けたという彼女が心配なのはよく分かる。

 だが、昨日も彼女の顔を見ただろうに。楊基に抱えられてはいたが、顔色は良かったはずだ。



「楊炎……何故、今朝、俺がわざわざ赴いたのか、知っているだろう」


 もともとは稜花がこの城を案内して欲しいと言う話だった。どうやら、歩き回るだけの体力は持ち合わせているとのこと。


「城の散策と聞いていたが――調練までしていたろう」


 見ていたのか、と、呆れた。その身を隠す能力はもっと別の場所で使われるべきだと思うが、大人しく口をつぐむことにする。


 稜花の様子が気になって仕方が無いらしいこの従者は、普段の無口さが嘘のようになりを潜めている。

 ここ数日でよく分かったが、彼は想像以上に、熱くなる男らしい。彼の立場と自分の立場がよく似ているため、共感できることも多かった。

 きっと楊炎も同じなのだろう。だからこそ、今のように情報交換を求めてくる程度には交流がある。


「楊炎、お前、見ていたのか」

「いや、刀が交わる音が聞こえたくらいだ。どういう事だ?」


 目視できずとも、やはり近くにいたらしい。本当にこの男は、と思いつつ、肩をすくめた。


「稜花姫がご所望だったんだ。……一体なんなんだ、お前の所の姫君は。病み上がりだろう?」

「今更だ。――お体の具合は」

「そんじょそこらの兵じゃ相手にならん程度には、元気でいらっしゃる」

「そうか」


 そこで楊炎は、ようやく安心したらしい。纏う空気が柔らかいものへと変化する。

 よほど心配だったのだろうが、陸由とて多忙な身。この新しい同僚の心配事にいちいち付き合っている義理もない。

 いくら楊家の直系とは言え、まだ公に認められているわけでもない。立場から言ったら陸由の方が上だし、呼び止められる言われもない。



「用が済んだのなら、俺は行くぞ」

「待て」


 だが、楊炎は食い下がってきた。短く言葉を切り、冷たい視線を陸由に投げかけてくる。

 普段は前髪で隠されている顔の傷も、窓から差し込む朝日に晒され、はっきりと映り込む。


 彼が、この地で受けた数々の虐待は、未だ彼の身に傷を残し続けているらしい。

 そんな彼が、再びこの地に足を踏み入れることにしたきっかけ。彼女をどれだけ大切に思っているのか、隠すつもりでも伝わってきてしまう。


「先ほど兄上の元に行ってきた。俺を姫の護衛から外すというのはどういうことだ?」

「?」


 しかし、陸由とて知らぬ話を持ち出され、ピクリと眉を動かした。何の事だ、と、思わず声が漏れる。が、同時に納得する自分もいた。

 楊炎も、まさか陸由が知らないとは思わなかったのだろう。片眸を細め、考え込むように顎に手を当てる。


 楊炎がこれから手にするであろう立場の事を考えると、稜花の護衛で収まっていられるはずが無い。

 いずれ、彼が何と言おうと引き離される日は来ると思っていたが。


「事が動き始めてはいるがーーそれにしても、早い」


 いっそ、きりがいいのかもしれないが。と、心で付け足す。


 だが、反楊基派を釣り上げる役目が十分に果たせるのかと危惧する。王自身が楊炎を取りなしたと思わせたら、本末顛倒だ。王が不在の間に、楊炎が少しずつ築き始めた関係性を踏み躙ることになる。



「殿は、他に何と?」

「特に。それだけだ」

「それだけだって?」


 思わず、顔が険しくなる。

 代わりに何を命じるわけではない。ただ、役職から外す。

 いや、すでに己の立場を確立しつつある楊炎に、今更新たな命など必要ないのだろうが。引っかかることは、いくつもある。


「俺も確認したい事はある……行ってこよう」

「ーーすまない」

「いや」


 楊炎は歯がゆそうに口を引き結んだ。

 ああ、この者も変わったのかもしれないと、陸由は思う。かつては、ほとんど感情を見せず、ただ稜花の隣にいた印象しか残らなかったが。



 過去、戦場で彼の姿を見たことは幾度かあった。

 正直、あれが楊基の弟だと言われても、そうかとしか思わなかった。確かに尋常ではない腕前に驚きはしたが、何故楊基が彼にも興味を示すのか全く理解できなかった。


 しかし、彼は今、確実に楊基を捉えている。彼と同じ位置に立つために。理由はどうあれ、昭国のあらゆる謀議から稜花を護るために、彼は地位と力を手に入れようとしている。

 そしてその事を、楊基は喜んで受け入れるつもりだったのだろう。楊炎の気持ちを知った上で、だ。むしろ、楽しんでさえいたはず。少なくとも、稜花が、昭殷に来るまでは。



 ――殿は、変わられた。


 確かめなければいけない。

 じっと、外を見つめ、陸由は部屋の扉を開く。その際、後ろから最後の質問を投げられた。


「明日も調練をするのか」

「俺の都合がつく限りは付き合って欲しいと言われた」

「――そうか」


 本当に、一人の人間が絡むだけで、人は変わるものなのかと。嫌でも、実感することとなった。

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