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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
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祝宴

 殲滅戦から数日。無事に李家に戻ってきた後、例のごとく内々の宴が開かれている。

 いつもは楽しげな稜花の声が館中に響き渡るはずだが、この日は少々様子が違っていた。



「あいたたたたた……やっぱ、無理するもんじゃないわね」


 突然肩に痛みが走って、稜花は表情をしかめた。

 先日の戦の折、無事に稜明軍(りょうめいぐん)は勝つことが出来たが、稜花は気がつかないうちに幾つかの傷を見に作っていたらしい。元々傷を作ることに対してはあまり耐性が無かった。後になってズキズキと痛み出し、今に至る。戦の後には随分と熱にも悩まされた。


「稜花。大丈夫か?」

「へーきへーき、これは私が悪いの。自業自得を今、体感しているわ」


 隣に座る長兄李公季(りこうき)が心配そうに顔を除いてくる。なんだか気恥ずかしくなって、稜花は苦笑いを浮かべた。

 先日の殲滅戦から数日。随分良くなったとはいえ、まだ完治はしていない。予定外に傷の回復に長引いて、李家に帰ってきた今もこのざまだ。情けないことこの上ない。


「無茶したんだろう、稜花」

「それは私の武勇談を聞いてから言ってよ」

「ははは、それは楽しみだ」


 弱気な稜花が珍しいのか、からかうようにして李進は笑った。それを見て、稜花も笑いを禁じ得ない。



「まぁ、確かに。今回は骨が折れた。泊愉(はくゆ)がいてくれなかったら、私も危なかったな」

「いいえ、李永様。お役に立てて、光栄ですぞ」


 納得するかのように首を振って、李永は酒を口にした。李永の身体にも無数の傷がある。その横では、今回の功労者である泊愉が控えている。満足そうに頷いて、手に持った酒を飲み干した。なかなかいい、飲みっぷりだ。




 あの後、砦を制し、目の前の丘に攻め込んだまでは良かった。しかし、予想以上の伏兵による横からの逆落としを受け、一時隊が混乱することになった。最終的に、泊愉との合流により事なきを得たわけだが。

 稜花も先頭に立っていたにもかかわらず、周囲の混乱ぶりに翻弄されるに至り、一定の武勲を得たにもかかわらず何となく釈然としない気持ちで今を過ごしている。



「そう言えば、功労者のもう一人がまだ来てないな」

「そうよね。でも父上、呼んだんでしょ?」

「ああ、確かに声をかけたはずだが」


 楊炎(ようえん)。今回の最も功績を上げた者の一人だ。

 数多くの兵が翻弄された中、冷静に状況を判断し、稜花を守り続けた男。絶対的な功労者に、今回ばかりは、家族の宴会に声をかけた。それだけ、家族の感謝の意が厚いと言うことなのだろうが。



「控えております」


 遠慮がちに、低い声が聞こえた。行軍の中、毎日のように聞いていた声だ。その声だけで、楊炎の姿が、彼の刀の描く弧が、美しい武が、全てが鮮明に蘇ってくる。

 どきりとしつつ、稜花は目を輝かせて振り返ると、入り口から現れた彼の姿が目に入った。



「——ええ?」


 別人のように感じた。楊炎はもはや、あの重苦しい鈍色(にびいろ)の鎧も、血色のマントもつけてはいなかった。

 鋼色の長髪はすとんと下ろしているし、皆と同じように、身軽な衣を羽織っただけの楽な格好をしている。それでも、衣の色はこだわっているのか、黒を基調としたものだった。彼らしいと言えば、彼らしいが。

 鎧を纏っていない彼は、まるで抜き身の刀のようだ。飾り気無く、刀身だけが鈍く輝いているようで、静かな凄みに息を呑んだ。



 ——何か、違うわ。


 稜花は思った。初めからこの姿で出会っていれば馴染めただろうが、長い間鎧姿しか見なかった。行軍中の夜でも、彼はあの鎧をつけ、稜花を護衛し続けていたのだ。そのせいか、稜花は結局彼がいつ寝ているのかすらわからなかった。


「楊炎、来てくれたか」

「はい、お呼び頂きましたので」


 楊炎はそう言って、前に進んだ。そして李永の前に膝をつく。手を胸の前で付き合わせ、うやうやしく一礼した。


「かたぐるしい事はしなくていい、楊炎、今夜は楽しんでくれ」

「いえ——」


 楊炎は深く礼をして、それから李永を見上げた。


「私には、そのような資格はございません」


 そう告げた楊炎は、次は稜花、そして李公季の方を向き直って、再び深くこうべを垂れる。

 信じられない、と周囲が色めき立った。曲がりなりにも李永の呼び出しだ。その酒宴の席を辞するなど、不敬にも程がある。しかし、楊炎の主である李公季は、涼しげな顔をして楊炎を見ているようだ。


 李永の次に李公季に視線を移すと、楊炎は再び頭を垂れた。


「李公季様、申し訳ありません」

「どうした」

「貴君とのお約束、お果たし出来ませんでした」


 問題ない、と李公季が声をかけるまで、微動だにせず、ただただ許しを請うていた。明らかに祝宴の雰囲気とはかけ離れた、しんとした空気がその場に流れた。

 しばしの間の後、楊炎は立ち上がった。ちらりと、眼帯のない片眸に見つめられた気がして、稜花ははっとする。だからこそ、稜花は隣の兄に向かって、訊ねた。


「約束って?」

「……いや」


 李公季は口ごもった。目の前にいる楊炎の事を気にしてか、口を閉ざしてしまっている。


「私はこのような席は似つかわしくありません、李永様、申し訳ありませんが、退室させていただきます」


 周囲の様子など一切気にすること無く、楊炎は再び深く礼をし、踵を返した。黙りこくる一同の中を歩き、去ってしまう。何者も寄せ付けないような冷たい空気に、宴の場がしんと静まりかえったままだ。

 流石にこの空気を何とか為ねばならないだろうと、戸惑いつつも、稜花は立ち上がった。そしてそのまま楊炎の後を追う。


「私、ちょっと行ってくる。みんなは、続けててね」


 短く告げて、退出する。ちらりと兄たちに視線を向けると、了解したと言わんばかりに首を縦に振っている。この場は任せても大丈夫そうだ。

 口の端をあげて頷き返し、稜花はすぐに楊炎を追った。





「楊炎」


 後ろから声をかけると、楊炎はゆっくりと振り返った。何を思ったのか知らない。ただ、目の前に立つ稜花を見て、少し眉を動かした。


「姫」

「どうしたの、あんなこと言って」


 夜風がつんと肌にささる。まだまだ冬は深くなっていくばかり。部屋から出て外気に晒されると、随分と冷たい。それでも、開けた回廊の柵に両手をついて、稜花は空を見上げた。

 まばらに星が輝いている。空気が澄んでいるからこその、美しい夜だった。


「私に、酒宴の席は似つかわしくありません」

「でしょうね」

「……」

「苦手なんでしょ、ああいう席は」


 稜花にずばりと言われて、楊炎は大きくため息をついた。あまりに想像通りなのが、可笑しい。くすりと稜花が笑うと、楊炎は観念したかのように視線を夜空に向ける。


「お酒は? 飲めないの?」

「いえ」

「なら大丈夫ね」


 稜花は頷いて、部屋を出るついでに持ち出してきた酒瓶を掲げた。酒宴の場は抜けたとは言え、今夜は宴。酒がなければ、はじまらない。


「とってきたの。呑みましょ?」


 楊炎の細い片眸を見つめて、稜花は微笑む。そんな彼女を楊炎も見つめ返し、押し黙った。


「結構です」

「そんな、意地張らなくても」


 困惑する稜花を見て、楊炎は目を背ける。鋼色の長い髪が、風になびいた。

 相変わらず表情はかたくて読み取れない。だが、明らかに拒否されている事実だけはわかる。そうまで直接的に拒否されると、なおさら彼に酒を呑ませてみたくなる。稜花は、目の前の壁が大きければ大きいほど、乗り越えたくて仕方なくなるのだ。稜花の前で拒否だなんて、逆に彼女燃え上がらせる要因にしかならない。



「私は、姫と酒を飲み交わせるような身分ではございません」

「身分?」


 しかし、意外な答えに稜花は顔をしかめた。今まで、身分など考えた事など無かった。

 そう言えば、楊炎は一体何者なのだろうと、稜花は思う。李公季に直接仕えていると言うことは、信頼できる筋の者であることは確かだが。


「硬いこと言って。私は全然、そんなの気にしてないわよ」

「いえ。姫君は李家の愛し子。私ごときがともに酒を酌み交わせるような方ではない」

「一緒に戦った仲間に、一杯くらいお酌したい私の気持ちを無碍にするの?」

「……私を脅しなさるか」


 片眸が非難するかのように、ますます細くなる。

 憮然としながらも、こちらを見据えてくるその様子に、もう一押しすれば彼ともっと話せるだろうか、と稜花は思った。基本的に、稜花は押すことしか知らないのだ。



 戦の場では聞けなかったことがたくさんある。あまりに必死で、目の前の戦いのことしか見えなかった。落ちついたら、彼の武のことをもっと聞きたいと思っていた。

 できることなら、手合わせだってしたい。調練だって一緒に。

 抜き身の刀のような、何者も寄せ付けない雰囲気を持った彼だからこそ、話せる機会を大切にしたい。仲良くなって、彼のことをもっと知りたい。

 絶対的な武力を持つ楊炎の事を、稜花は純粋に興味を持っていた。



「戦場ではなかなかお話出来なかったでしょう? 折角の機会なんだから、一緒に呑みましょう」

「……姫の酌にふさわしい者は、他にもおりましょう」


 しかし、楊炎は短く言葉を切ってしまう。


「失礼します」


 そう言って、立ち去る楊炎を、稜花をぽかんと見つめた。静かに歩く背中が、ついてくるなと語っているようで、ただただ見つめることしか出来なかった。

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