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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第三章
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龐岸制圧戦(2)

 目の前の光景に、心が冷えていくのを感じた。そう大きくない部屋。卓を挟んで数多くの人間がここで話し合っていたのだろう。文官が議事録を取るため広げられた紙と筆。それらは既に、赤く染まっている。


 日はまさに落ちようとしていて、城を赤く染める時刻。外の回廊もぼんやりとした赤に照らされていたが、それとは違う。もっと生々しい、赤。


 普段戦い慣れていない者も武器を振ったのだろう。傷口が綺麗ではない遺体が多い。随分と凄惨な殺し合いが繰り広げられたはずだ。

 特に入り口付近に亡骸が多く、後から部屋に入るために横に除けざるを得なかったであろう者もいる。入り口の外から、誰かが逃がすまいと道を塞いだのだろうか。

 逆に部屋の外には亡骸が少ない。部屋への入り口を境にして、一方的に中の者を殺めた様子が見てとれる。中に居た者が十分な武器を持っていなかったのか、それとも、外に居た者がよほど強かったのか。


 首の幾つかは切り離されている。ーーこんな状況で首級を挙げようなど、馬鹿なことをと稜花は思う。憤りで頭がどうにかなりそうだ。

 血が沸騰しそうになりながらも、なるべく冷静に事の次第を確認する。


 ちらと目を向けると、稜花には誰が稜明の者で、誰が杜の者なのかは恐らくだが判断できた。北と南では、衣装の刺繍が異なっているため、判断は容易だ。

 中には、相当綺麗に急所を刺されたような傷を負った者もいるようだ。稜花は確信する。やはり手練れがいたのだろう。不恰好な傷跡が多い中、その鮮やかさに対する違和感が稜花に刻まれた。




 まるで鉄のような匂いがこびり付いている部屋の中を歩き、それら亡骸に目を通す。

 険しい顔で楊基も部屋の中を見渡しているが、彼と目が合い、再度、ぐるりと部屋中に視線を向けて――。


 そして稜花は、肺の中に溜まりこんだすべての空気を吐き出した。



「――ここに、公季兄上は、いないわ」


 たった一人の安否を心配する、それはただの我が儘だが。それでも稜花は安堵した。

 では、とも思う。亡骸がないとすれば、どこかに逃げたということだろうか。まさか、兵を放り出して。

 場を収集させる事もできず、自らの身を隠さねばならないような状況。果たして無事なのかと、再び不安が押し寄せる。

 楊基も難しい顔をしたまま、深く息を吐き出していた。稜花がまだ部屋の状況を確認している横で、昭国兵に何やら指示を飛ばしている。



「誰か事情を知っている者はいないの?」


 稜明兵を含め、周囲の者に聞いてみるが返事は芳しくない。


「いえ、この辺りから諍いが起こったらしく……被害も大きくて。李公季様周辺に配置されていた兵は、姿が見えない者も」


 今、稜花がかき集めたのは、北門に配置されていた兵たちだ。事情が殆ど伝わっていないらしく、困惑の色が強い。


「稜花様! 東門の兵が、外に李公季様を逃したと……」

「外に?」


 城の内部から起きた戦だからか。

 本来ならばここは城。四方を取り囲まれ、同じように守備を固めた場合、外に出ることは容易ではない。当然、敵の包囲網を抜けることなんて――。


 ――杜軍も、四方を取り囲むことすら出来なかったのね。


 戦況があちこちに散らばってしまったため、数多くの穴が出来たのだろう。それは稜花にとっても、李公季にとっても救いだ。安堵し、強ばった顔の筋肉が僅かにゆるんだ。



「逃げたか。ーーさすが稜花の兄と言うべきか」


 戻ってきた楊基が驚くように声を上げた。この状況から逃げ果せるなど信じられん、と言葉を付け足す。ちらと顔を見ると、彼は変わらぬ表情で、何かを見定めている。

 稜花だけでなく、李公季という人間を測るかのような態度は、実に彼らしい。まるで李公季の無事が意外だったとでも言いだしそうな顔に、稜花は眉をひそめた。


「楊基」

「ふん、褒めているのだ。そう怒るな、稜花」


 まるで彼の手の定位置のように稜花の頭をぐりぐりしてから、楊基はさっさとこの血なまぐさい部屋を出ようと足を進める。

 しかし、事はそう上手くは行っていないようだ。報告を上げる兵は、実に言いにくそうに言葉を続ける。


「ですがーー李公季様は負傷されていた様で、抱えられた姿を見たという者も」

「……そう」


 稜花は目を閉じた。最悪の事態はまだ続いているらしい。

 ありがとう、とその兵に礼を告げ、深く息を吐く。そうして稜花は、改めて楊基に向き合った。




「楊基、お願い。私を東の森に派遣して。あの辺りにも戦局は広がっていたーー兄上がいるかもしれない」

「……」

「兄上は稜明に必要な人なのよ。何があっても、助けなければいけない」


 今の稜明は李公季中心に回っている。李永の後を継ぐのは間違いなく彼だし、きっと国になった後、新しい環境を整えていくのもそうだろう。

 皆の期待に十二分に応えられる、若き後継者。すでに彼の肩には数多くのものが乗っかっている。

 同じ兄妹でも、稜花にも李進にも出来ないことばかりだ。


「本当に其方は感情でものを言うな」

「でも、本当に……!」

「……」


 考え込む様に顎に手を当て、楊基は凄惨な部屋から出て行ってしまう。話を聞いて欲しくて声をかけるが、彼は手で制すだけ。

 そんな楊基が呼び出していたのは何名かの将だった。

 昭国から連れてきた彼らもまた、楊基の信頼している臣下らしい。彼らに幾つかの指示を出した後、中央に立った男に何やら耳打ちする。その将は軽く目を瞠った後、確かに拝命した、と言い残し去って行った。

 そうして、部下の姿を見送った後、楊基は稜花に向き直る。



「――間もなく日が落ちる。夜の森に稜花は出せない」

「でも……!」


 すぐにでも飛び出したくて、稜花は声を上げる。しかし、楊基の言っていることも理解できる。大人しく頷くべきなのは、百も承知だ。

 夜の森ほど危険なものはない。敵にとっても身を隠すのは容易だし、最悪、見誤られて稜明兵に襲われることもあるだろう。


「……」


 咎められ、自分に出来ることを模索する。この夜をただ無為に過ごすわけにはいかない。

 自分の足で向かえないなら、誰かを動かすしかない。そして、自らはこの城で何をするべきなのだろうか。


 冷静になって考えてみると、龐岸の城でも、するべきことは山ほどある。

 まずは散り散りになった稜明兵をまとめなければいけない。

 今のように昭国の者に任せていていいはずがない。後ほどここには昭国の本体もたどり着く。思いの外制圧に時間がかからなかったが、今の混乱状態では昭国兵を受け入れるのは難しい。

 杜兵の捕虜もまとめなければいけないし、李公季をはじめとした指揮官が居ない今、彼の代わりになる指揮官を立てなければいけない。稜花でなければいけないことばかりだ。


 窘められてようやく気がつく。楊基の言うとおり、感情が先走って成さねばならぬ事が後回しになってしまうところだった。

 楊炎なら稜花の思いを汲み取って、望み通りに動けるよう付き合ってくれるだろう。しかし、楊基は流石、一国の主。優先順位を間違えることなど、ない。



 また、取り返しのつかない判断をしてしまうところだった。

 ここのところの戦で、幾ばくか冷静にものを見ることに慣れてきた気がしていたのに、まだまだ遠い。先の船での事故から、今回の李公季の件。身近な者の安否が分からなくなることが、こんなにも心を揺るがすとは思わなかった。


 ぎゅっと拳に力を込める。波打つ感情を収めるのに精一杯。それでも、楊基はそんな稜花を見つめたまま、じっと答えを待っていた。


「――わかった。私が向かうのは、日が昇ってからにする。でも楊基、どうか、調査のために兵を割いて。私の代わりに」

「わかっている。先ほど命じた。――本当に、いつ飛び出すかわかったものではないからな」


 呼び出した将達に命令していた。あれは、東の森への手配だったのか。

 冷静な判断と、素早い指示に胸をなで下ろす。楊基は稜花とは違う。本当の指揮官は、かくあるべきだと、素直に彼を尊敬した。


「……ごめんなさい」

「? 随分素直にあやまるのだな」

「そりゃ、私だって。悪いと思ったら、謝るわよ」


 意外そうな顔をされてしまい、どう反応して良いか困る。稜花はふいと視線を逸らしたが、その腕を捕らえられてしまった。ぐいと引き寄せられ、肩を抱かれる。

 完全に戦と李公季のことしか頭が回っていなかった稜花にとって、それは十分に不意打ちとなった。驚いて見上げると、少し困ったような笑顔を浮かべながら、目を細める彼が居た。


 ――また、この男は……!


 接吻でもしてくるのか。と身構えたが、そんなことはなかった。クシャクシャと稜花の髪を撫で、己の贈った髪飾りに触れた。

 まるで幼子を褒めるかのような態度に反論したくなるが、言葉にはならなかった。

 彼なりに心配してくれていることが分かってしまったからこそ、怒る気力もわかない。そもそも、稜花が悪かったわけだし、何も言いようがなかった。



「さて、まずはこの城をまとめねばならんな」

「……貴方には捕虜をお願いしたいの、楊基。私は一時的に稜明兵をまとめて、兄上に返還する準備をしなくちゃ」


 稜花の判断に、楊基はしばし目を瞠った後、考え込むように黙り込んだ。彼の表情は今まで見たことのないもので、おや、と思う。この後、どう軍を動かすのか考えているのだろうが、悩む姿を見せるのは、やはり珍しい。

 しかし、それも僅かの合間。やがていつも通りの人をからかうような表情に戻ったかと思うと、ぽんぽんと稜花の頭を叩く。


「なるほど、あくまでも、兄の無事を信じるか」

「――当然でしょう?」


 飛んでいきたいのを我慢しているのに、無神経な事を言われてしまい、稜花はその目をつり上げた。

 先ほどまで感心していたというのに、楊基は時に、自ら反感を買っているような節がある。稜花をわざと怒らせては楽しんでいるようで、あまりの遊ばれようにため息をついた。


「あくまでも昭国軍は援軍よ。この城は、貴方でなく稜明がまとめなきゃ。――それができるのは、私しかいないもの」

「ほう?」


 稜花の言葉が興味深いらしい。楊基は感心するように声を漏らした。

 本当に、カッとなって飛び出さなくて良かった。指揮官が全く居ないこの状況下で、昭国軍を簡単に受け入れるわけにはいかないだろう。

 ここは杜との領境で、稜明にとっても重要拠点だ。いくら稜花の要請とはいえ、他国の者に占拠されている状態を見過ごすわけにはいかない。


 本来ならば、李公季がここに居る前提で、杜に圧力をかけるつもりでやってきていた。当初の予定とは全く異なる現場の状況。誰かが李公季の代わりにならねばならない。



「この部屋に居なかった稜明の将を探すわ。あと、昭国軍用に幾つかの場所は開放するけれど、少し待ってもらっていいかしら? 状況を把握したい」

「――ふん、妥当だな。しかし、もはや其方も昭国の将だろう?」

「……宙ぶらりんな立場が役に立ったわね」


 ふっと稜花は笑って見せた。正式には、稜花はまだ昭国の者ではない。稜明を束ねることだって、出来なくはないし、彼らも十分稜花を受け入れてくれている。


「心配しなくても、貴方の国に戻ったら私は正真正銘、昭国の女よ。逃げるつもりは、ないもの」

「――それはわかっているが……つくづく、自分に都合が良いな」

「ええ、貴方と同じ」


 そう告げて、稜花は笑って見せた。使えるものは何でも使う。正式に彼と婚姻を結んでいない現状が、役に立つ。

 稜花は稜明の将として、一時的に楊基と向き合わなければいけない。今、この城に、彼に並び立てる者など、他にいないのだから。




 ――この状況、楊基がその気になれば、龐岸は昭国のものになっていた。


 かつて、稜明が唐林を奪い取ったときと同じ状況だ。援軍として参戦し、結局は相手領を取り込み、いつまでも返却しない。

 当時稜花はまだ軍に所属していなかったが、稜明にとっての重要拠点である唐林は、そのようにして手に入れた。

 今回の昭国軍は稜花の要請で連れてきたため、あり得ないことだが、可能性として考えておかなければいけなかった。


 胸がきゅっと締め付けられる。自分の力のなさが不甲斐ない。


 ――稜明の将は……だれか、残っているかしら。


 城中を昭国の者が自由に闊歩する現状は何とかしなければいけない。まだ先行部隊だけで数が多くないのが救いだ。本体が到着する前に、ある程度元の守備体制に戻しておきたい。

 そして、出来ることなら、城に残った稜明兵を、東の森の方にも派遣したい。

 楊基に頼り切って、彼の言葉を鵜呑みにしてしまっているけれど、それだけでは駄目だ。今は、自分が先頭に立たなければ。彼はあくまでも、昭国の人間なのだから。


 ――もちろん、私も、昭国の人間になるんだけれど。


 それでも、今の状態なら。と何度も言い聞かせる。手近な稜明兵に、皆の安全確保と将・隊長等の指揮官を探すよう命じる。そして稜花自身も、城の奥の方へと歩いて行こうとした。


 しかし、楊基はまだ稜花の手を離そうとしなかった。

 くい、と力をこめられ、稜花は振り返る。そこには、じいと稜花を見つめる朱の瞳があって、首を傾げた。



「楊基、私、すぐにでも稜明兵を――」

「今夜はどうするのだ?」

「? だから、この城の状態を把握して、守備体制を元に……楊基?」


 きょとんとしていると、掴まれた手にますます力が込められる。別段、彼の表情に変化はない。ただ、じいと見つめるその瞳がやけに真剣な気がする。


「楊基。私、もう行かないと」


 間もなく夜にはなるが、明日、李公季を探しにいけるだけの環境を作らねばならない。新しい将や隊長など、各部隊の編成をし直すことは必須で、それを考えると時間がいくらあっても足りない。ここで油を売っている暇はないのだ。


「――そうだな」


 その一言が出るまで、随分と時間がかかった。

 一体どうしたというのだろう。何だか今日の楊基は、普段の彼とは異なっている気がして、稜花は戸惑った。迷うような、慈しむような様子に、どう反応して良いのか分からない。

 稜花の困った表情に、彼はひとつ笑みを溢した。



「では私は、外の杜兵をまとめおこう。稜花も、形が整ったら連絡をよこせ」

「……ええ、お願いね。楊基」

「何、可愛い妻の頼みだ」


 ふと笑みを溢して、彼はまた、稜花の髪に口づけを落とした。そして、ぎゅっと彼女の頭を抱え込んだ後、名残惜しそうに開放する。

 稜花が顔を上げたときには、もう彼は背を向けていた。そのまま真っ直ぐ、北門の方へと向かっていく。遠ざかっていく背を見つめて、稜花は大きな声を出した。


「楊基!」


 その呼びかけに、彼は振り返らない。しかし、ぴくりと肩を動かして、足をとめた。どうやら、稜花の言葉を待っているらしい。


「ありがとう!」


 自然と、感謝の言葉が溢れた。その稜花の気持ちを汲み取ってくれたのか、彼は軽く手を振った。どんな顔をしているのかは分からない。けれども彼なりに、稜花に応えるつもりがあるのだろう。

 いつもなら余裕に満ちた笑みのひとつやふたつ向けてくるはずなのに。それが妙に気になってしまった。

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