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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第三章
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花嫁道中(8)

 西へと向かう旅は変わらぬ足取りで進む。

 基本的に野宿だが、たまに街に立ち寄る。宿をとることもあって、その時は楊炎も稜花と並んで眠った。

 最初こそ戸惑いを見せていた彼だが、やがて何も言わなくなった。稜花が袖を掴む必要もなくなったが、それでも目覚めると、何故か彼の衣を掴んでいる。

 起き起きに苦笑する日々が続き、それが当たり前になることが寂しくも感じた。

 この旅路の間だけ許される行為。本来ならば咎められるべきものなのに、ずるずると彼の側から離れがたくなってゆく。目が覚めて、彼の顔が目に入ると、やがて彼と離れる未来を想い、少し淋しくて、笑う。



 昭国を真っ直ぐ西へ。再び稜河と合流するに至り、稜花は目を細めた。

 幼い頃から稜花のすぐ側に在った稜河。稜花の名も、稜明の名も、どちらもこの河に由来する。

 それほど親しんできた河だというのに、改めて目にすると、心が痛む。数多くの仲間を、この河で失った。稜花の手からこぼれ落ちたもの、河が稜花から奪ったものはあまりに多い。


 しかし稜河が見えたと言うことは、昭殷もかなり近づいてきたのだろう。昭殷も稜河に面しているため、真っ直ぐ上ればぶつかるはず。


「ねえ、楊炎。昭殷はそろそろかしら?」


 一頭の馬に跨がった状態で、稜花はそれを引く楊炎を見下ろす。彼は稜河を見渡し、更に西の方向へ目を向けた。


「――そうですね。間もなくかと。ただ、この足では閉門時間には間に合いません。少し早いですが、手前の街で宿を取りましょう」


 嬉しい提案に、稜花は頬を緩める。

 昭殷にたどり着いたら、きっと怒濤の日々が始まるだろう。その前に、少しでもゆっくり出来るのはありがたい。夕暮れまでにも時間がある。早めに宿で旅の疲れを癒やしたい。

 そしてきっと、心穏やかな日はこれで最後なのだとも理解する。

 ふと微笑んで、頷いた。胸の奥がきゅっとつぶれる心地がして、彼との本当の別れを覚悟した。




 ***




 適当な宿に部屋を取り、早めの夕食をとる。まだ空は明るいが、すっかり出来上がった輩は少なくない。ざっくばらんに会話を楽しんでおり、噂に花を咲かせている。

 南からの難民問題はやはり大きな課題らしく、この街でも憂う声がたくさん聞こえた。そんな中、稜花達は聞き捨てならない言葉を耳にした。



「――今、なんて?」


 たかが民衆の話題だ。それでも素通りできない単語に、稜花はつい席を立った。

 突然話題に入ってきた女の存在に目を白黒させながらも、男たちは口々に先ほどの噂を繰り返す。


「ああ、嬢ちゃん気になるかい?」

「旅かい。今から南に行くのは止めといた方がいいだろうなあ……」


 どうやら稜花の旅が、問題の場所へ向かっていると勘違いしたのだろう。まるで助言するかのように、みな言葉を重ねる。


「ようやく汰尾での戦が終わったというのに、また戦か……」

「今回は確実に援軍を送るだろ。我らが殿様が黙っているはずがないぞ」

「そうだろうなあ」


 きな臭い戦の匂いに、男たちは顔をしかめる。しかし、稜花にとって気になるのはそこではない。ふるふると唇をふるわせて、再度、彼らに訊ねた。


「……どこで、戦が起きてるって?」


 稜花の言葉に、男たちは噂の概要を頭から教えてくれる。


龐岸(ほうがん)だよ。わかるかい? 稜明と杜との境だな。だが、実際戦にはなっていないだろう、まだ」

「いや、今日南から来た商人が、もうまもなくとか言ってたから」



 龐岸。

 その言葉で、稜花の脳内地図が描かれる。稜明と杜の境。昭国との国境から、真っ直ぐ南へ下った先。

 ――花嫁道中。稜河に浮かぶ船の上で、想いを馳せた場所でもある。


「今回ばかりは稜明も黙ってないだろうなあ。……ウチの殿様も消沈してなきゃいいが」

「愛しの姫君が暗殺されたんじゃなあ。先の戦で恨みでもかったのかな」

「だなあ……だが、折角見初めた女性がなあ……」


 殿様、可哀想に。と、皆、口々に吐き出している。

 信じられない状況に、稜花は口を押さえた。自分の噂をされているというのに、あまり頭に入ってこない。


 ――龐岸、ですって……?


 よりにもよって、龐岸とは。いや、龐岸だからこそ、かもしれない。

 今あの地には、杜と稜明の重臣が揃っている。しかも、その中には――


 ――公季……兄上がいる。




 がたり、と、席を立った。

 嬢ちゃん? と呼び止める声が聞こえるが、それどころではない。

 慌てて楊炎がついてくるのがわかるが、気にもとめない。そして稜花は真っ直ぐに宿の部屋へ行き、荷をかき集めた。


「……姫っ!」


 楊炎が慌てて、稜花を呼び止める。しかし、心が騒いでそれどころではない。

 汰尾――あの戦で失ったものはあまりに多かった。冬を目前にしたこの季節、稜明も杜も、極力戦は避けたいはず。そして、そのための会談だったはずだ。

 しかし、聞き捨てならない言葉を聞いた。暗殺された、という単語。稜明が杜と向かい合い、しかも昭国も黙っていないという。



 ――杜の者、だったの……?


 稜花に暗殺者を仕向けたのは。

 しかし、何故だ。おかしい。あまりに違和感がありすぎる。


「はやく昭殷へ向かわないと」

「姫」

「間に合わなくなる! 今の稜明に戦をする余裕はないわ。それに……龐岸には」


 心がはやる。焦って言葉が荒くなる。


「兄上がいるのよっ」


 李公季の顔を思い出す。李家の長兄として、稜明の行く末をまとめるなくてはならない人物だ。もともと武門であり血気盛んな李家の者の中で、冷静に時勢を見ることが出来る男。彼なくして、稜明の安寧は望めない。

 そんな兄が戦渦に巻き込まれんとしている。


「私が原因で、戦を起こすわけにはいかないわ!」


 稜花が消えたこと――正確には、稜花が杜の者に殺されたという誤報が今回の睨み合いに繋がっている。

 もともと会談の予定。それぞれ抱える軍の数は多くはないだろう。しかしこのまま稜花が見つからなければ、戦がはじまるのも、時間の問題ではないだろうか。


 隠れて移動し続けたことが裏目に出てしまった。

 一刻も早く、稜花は主張しなければいけない。自分は無事だと。そして、戦を起こしてはならないと。



 呼吸が苦しく、心臓が痛い。つぶれる心地で、何度も脳内で謝る。


 ――兄上、兄上ごめんなさい。私がぼんやりしているうちに、とんでもないことになってしまった……!


 今すぐにでも、李公季の元へ駆けつけたい。己の身をさらけ出し、無駄なにらみ合いはよせと言葉をかけたい。

 ようやく実現した杜との会談。それを、稜花自身のせいで無駄にしてしまいたくはない。

 何のために輿入れしようと思ったのか。全ては、稜明の為ではなかったのか。なのに、自身の存在が、稜明の枷になるなど許せない。




「……っ」


 稜花は慌てて部屋を出ようとした。

 しかし、咄嗟に腕を引かれ、前へ進めなくなる。


「楊炎、放してっ」

「なりません」


 稜花を静かに見据えるのは、ずっと共に旅をしてきた楊炎だった。

 李公季の危機に面しているのに、何故そうも落ちついていられるのかと怒りが沸き起こる。楊炎だって少しは心配していいはずだ。李公季は、楊炎が心を許す数少ない人物。共にこの戦を止めるよう動いてくれても良いのではと、責めるように彼を見た。


「楊炎、私、行かないとっ!」

「落ちつきなさい」


 稜花の焦りに、楊炎も少し表情を強ばらせる。

 射竦めるようなその視線。どうして心の内が分かってくれないのかと、稜花は嘆き、首を横に振った。


「私のせいで……戦が起こったら……! 私のせいでっ」


 口にすると、一気に不安が現実になるかのように感じる。言葉が次へと繋がらず、ただただ行かなければと焦るだけ。楊炎の手を振り解こうと必死に藻掻くが、彼は放してくれなかった。

 両の手首を押さえられ、身動きがとれない。何故行かせてくれないのか、と必死に問うが、彼は何も答えない。じっと稜花の手を掴んだまま、闇色の瞳で見下ろすばかり。

 しかし次の瞬間、掴んだ両腕を一気に引かれた。


「……っ!」


 一気に体勢が崩れて、楊炎の懐に飛び込む。勢い余って楊炎の胸元に顔を埋める形になり、稜花は目を丸めた。


「楊炎っ」

「……落ちつきなさい」


 がっしりとした二本の腕。それにとらえられる形になり、稜花は言葉を失う。

 いつかのようにしっかりと抱きしめられて、頭が真っ白になる。楊炎の顔を見ようとしても、胸に顔を押しつけられ、身動きがとれない。



「おかしいでしょ! だって……」


 悲鳴をあげるように、稜花は声を発する。


「どうして昭国を飛び越えて、杜と稜明に先に情報が出回るのよ!」


 この噂は南から来ている。稜花が襲われたことをいつまでも昭国の者が知らなかったことを考えれば、噂の発生地点が明らかにおかしい。

 それに、もう一つ気になることがある。

 ここは昭殷のほんの手前。南からの噂にしては、伝達速度が速すぎる。



 ――本当に、杜の仕業なのかしら……?


 噂の伝達速度。稜花達を襲った刺客――彼らが事故の後、真っ直ぐ龐岸へ向かったならば、考えられない速さではない。おそらく、考え得る限りの速さで龐岸に報告に走ったはずだ。

 だがそうまでして、杜が、稜花達を襲う理由が全く見当たらない。

 稜花を暗殺したとなれば、単に稜明の怒りを買うだけではないか。戦への呼び水がそんなに必要だとは思えないし、正当性もない。杜にとっての利点など、皆無ではないか。

 ……明らかに罠の匂いがする。だからこそ、放って置くわけにはいかない。



「すぐに行かなきゃ……」

「今焦っては、いけません」

「でもっ」

「相手の思惑が分からぬ以上、ここは冷静であるべきだ」

「それでも、兄上が……!」


 言葉を紡ごうとすると、益々楊炎の腕に力が入った。

 その腕が、指が。稜花の肌にくい込んで、痛みすら感じるほどに。


「姫!」


 懇願するように見つめてくる彼と目が合う。眉を寄せ、顔をしかめた彼の表情は、苦しげで。でも、行ってはならぬと稜花に訴えてくる。


 そして稜花は気がついた。

 楊炎が、李公季のことを気にしないはずがない。彼も、彼なりに心を痛めていることに。



「……っ」


 苦しくなって、稜花も楊炎の背に腕を回した。ぎゅうと力を込めると、彼の体がぴくりと動く。

 宥めるように頭を撫でられた。稜花を抱きしめる力が僅かに緩められる。見下ろす彼と目が合う。開かれた片眸。揺れる闇色に吸い込まれそうになった。

 そうして楊炎は眉を寄せ、目を細めた。初めて見る彼の表情に、稜花も益々苦しくなる。


 一刻も早く、李公季の元へと走りたい。その気持ちは、お互い同じらしい。

 確かめ合うように見つめ合って、でも、堪らなくて、稜花は再び彼の胸に顔を埋めた。


「……私、怖いよ。楊炎」

「……はい」


 あくまでも、噂は噂だ。

 しかも所詮街に流れ込んでくるもの。その正確さに信用はおけない。それでも、あまりの内容に心が揺れるのは仕方ないことだろう。


 稜花の気持ちを汲んでくれるように、楊炎が背中をさすってくれる。

 こんなにも分かりやすい甘やかしをくれることなど、稜明にいたときはあり得なかった。しかし、この旅の中で、彼は確実に稜花と向き合うようになってくれた。

 いつも一定の距離感を保ち続けていたのに、まるで隣にいるのが当たり前で。更にそれが彼自身の意思であるかのように振る舞ってくれる。


 そう。今だって――。



「私は、姫が危険に晒されることが、怖いのです」


 胸の内を、きちんと稜花へ教えてくれた。

 どうか分かって下さい、と念を押すように呟かれ、稜花は胸が熱くなった。

 彼が心の中を言葉にしてくれることなど、珍しい。焦る心を宥めるように、落ちついた低い声が耳に心地良く響く。


「焦って、敵の罠に飛び込むようなことだけは、避けたいのです」


 稜花を抱きしめる腕は優しく、温かい。

 今まで、何度も何度も稜花を繋ぎ止めてくれた手だ。

 王威と向かい合った時も、汰尾で楊基に啖呵を切った時も、船上で襲われ、失意に溺れた時も。そして、焦って飛び出そうとした今も。

 いつだって稜花を支え、護ってくれていた腕。

 しかし何故だろう。彼の腕から、彼の気持ちまで伝わるような気がしてくるのは。



 ――私、もしかして、楊炎に大切にされてる……?


 彼が欲しいと、稜花は言った。

 いつまで経っても、李公季の命で側にいてくれるものだと思っていた。いや、少なからず心配して、心を砕いてくれているのは知っている。その胸の内を僅かに伝えてくれたこともあった。

 しかしそれも、あくまでも李公季との契約の上にあるものだと――そうとしか考えられなかったのに。


 しかし。もしかしてと稜花は思う。

 その契約を抜きにしても、彼は真っ直ぐ、稜花を見つめてくれているのではないかと。




 もう一度顔を上げる。

 信じられない気持ちで、確かめるように彼の表情を見た。

 苦しげな表情。彼は自分の心を隠そうとすらしていない。物言いたげな瞳で、真っ直ぐ稜花のことを見つめてくれている。


「楊炎……」


 震える手で、彼の頬に触れた。彼は驚くように息を呑むが、それも僅かな間だ。じっとして、稜花の好きにさせてくれる。

 顔にも無数の古傷がある。稜花はそれをひとつひとつ、慈しむように撫でた。左瞼から頬まで、ざっくりと斬り割かれた後は痛々しく、それでも惹かれてやまない。


 触れあう肌から、痛いほど彼の気持ちが伝わってくる。いつも見えなかった心の奥底をのぞいたような気持ちになり、戸惑った。

 苦しくなって、息を吐く。

 溢れる気持ち。隠さなければと押さえ込んできたけれども、こんなにも彼と触れ合って、秘めておくことなど出来ようはずがない。



 ――ごめんね、楊炎。


 先に、心の中で謝っておく。

 きっと彼は困るだろう。戸惑い、頭を悩ませるだろう。


 それでも、どうしても、伝えずにはいられなかった。

 だって、すべてはこれで、最後なのだから。

 一刻も早く、稜花は楊基に合わねばなるまい。そしたら彼とはーー。

 気持ちが焦って言葉がこぼれ落ちる。まっすぐ彼を見つめて、稜花は口を開いた。



「私、貴方のことが、好き……」


 瞬間、腕を通して、彼の動揺が伝わった。

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