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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第三章
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花嫁道中(7)

 街道に出てからの旅は順調に進んだ。

 どの街の空気も安穏としていて、きっと昭国のあるべき姿を見ているのだろうと稜花は思う。

 二人の歩みは決して速くはなかったが、昭殷へ確実に近づいていく。街道沿いには幾つかの宿場町が続いており、日がな必要な物資を手に入れるにも、難しいことは無かった。


 船で行くと昭殷までは残り四日程度の航程だった。陸路だと峠越えがあるからままならないが、馬を一頭手に入れたため、幾ばくか楽にはなるだろう。

 一方で、襲撃の類いは一切ない。それが不気味でならないが、身ひとつの稜花にとってはありがたくもある。緊張で眠れぬ夜が続くことなど、望んでなどいない。この放置された状態も何かの罠かとも思うわけだが、気を張ったところでどうしようもなかった。


 もくもくと二人で西へ進む。

 一歩進む毎に、稜花にとっては楊炎と距離が広がるような気がして、落ち着かない。

 昭殷に着いてしまったら、彼とは決定的な繋がりを失ってしまう気がする。ずっと隣に居るはずなのに、もっと根本的な部分での決別。それでも、前に進まねばならぬのだ。





 峠に差し掛かる前には、穏やかな田園風景が広がっていた。昭国は稜明と同じで、秋が短く冬が長い。

 農村は収穫の時期へと差しかかりはじめ、稲穂も身を重くし、揺れている。黄金となるにはまだ時間が必要だろうが、それでも民の営み、季節の移ろいを感じてほっとする。穏やかな気候が心地良く、稜花の旅路を後押しする。

 通りかかる人は活気づき、今年は豊作になると喜びを表情に顕わにしている。この時期は皆総出で畑に出向き、汗を流す。その光景は、稜明も昭国もなんら変わることが無かった。


 そうして農村の風景に頬を緩めながら、稜花達は進んでいた。

 すると小さな家が密集しているところが見える。ああ、あそこにも村が、と思ったが、どうやら他の村とは様子が違うらしい。


 風に乗って、何やら賑やかな音が聞こえてきた。

 まるで戦場を彷彿とさせる打楽器の音も混じっているが、もっと華やかで優しい。打楽器だけで無く、旋律を奏でる笛の音色。そして追いかけるように歌声が響き渡り、稜花は首を傾げる。



「……何かあるのかしら?」


 瞬きしつつ、稜花達はその村の中へと足を進める。すると村の広場を中心に、大勢の人が集まっているのが目に入った。



「おや、旅人さんかね」

「おお、ねえちゃん。良いところに。さあさあ、貴方たちもおいで」


 見ず知らずの稜花達を見つけた瞬間、村人たちの表情は一気に綻ぶ。広場を中心に数多くの料理を持ち寄っており、彩り豊かな野菜はおそらく今の季節に収穫したものなのだろう。

 村中皆が笑顔で、なごやいだ雰囲気。手作りの不格好な楽器をかき鳴らしては、拍手し、声を上げる。


「ああ、そっか」


 そして稜花は納得した。頃合いは秋。この季節には祭を行う集落も多いが、この様子は単なる祭とも思えない。ある家の前に人だかりが出来ていることから、結婚の祝いであることを悟った。

 たしかにこの季節、輿入れする者は少なくないだろう。旅の最中見かけることは何も不思議なことではない。


 ここはあくまでも小さな集落。稜花の知る形式とはかなり違うのだろうとは思う。現に、皆が外に料理を持ち寄るのも不思議な感覚がしたし、歌とは違う、別の大盛り上がりが稜花の気を引いてならない。



「……あれは?」


 人が群がった家の入り口。そこには男の若い衆が群がっており、口々に声を上げている。にやにやと表情を緩めながら「行け!」「男を見せろ」とヤジを飛ばしているようだ。


「ああ、花嫁の家さ。婿が今迎えに行ってるんだろうが——ああ、また無茶を言っているな」


 むくむくと興味が湧いてきて、稜花はその家の方へと近づいた。

 年若い女が近づくだけで、群がっていた男衆は進んで場所をあけてくれる。稜花達が旅人だとわかると、君たちからも何か言ってやってくれ! と実に楽しげに言葉を付け加えた。

 何のことやらと家の中を覗いてみると、やいのやいのと言い争うのはずらりと並んだ女性陣——そして対峙する花婿一人。


「そんな言葉じゃねえ、全然伝わらないのよ」

「そうそう、誠意ってものが足りないわ」


 花嫁の友人だろうか。皆年の頃は稜花と同じ程度。意地悪そうな顔つきで、だが、楽しくて仕方ないと言った様子で花婿を罵る。彼女たちに囲まれた壁際には、全身すっぽりと朱の衣を纏った女の子が居て、成る程彼女がこの場の主役であろうと伺える。


 おそらくすべて己で刺繍をしたのだろう。細やかな装飾は手作りの温もりに溢れている。

 厚みのある生地だから、縫いきるのはきっと大変だったはずだ。それでも、この晴れの舞台のためにせっせと準備したのだろう。

 何故なら彼女は、友人たちに罵られていようとも、未来の夫に向かってとても優しい瞳で笑っているのだから——。



「今ね、女衆が花嫁を護ってるんだ」

「いやー、あいつ無事、花嫁を連れ出せるかなあ……」


 花婿が罵られているというのに、周囲の男衆も止める気配すらない。声を出して笑いあい、不甲斐ない花婿を見守っている。どうやら茶番ともとれるこれらもまた、儀式の一環のようなものらしい。


「僕は、君を一生大事にすると誓うから!」


 だから、と花婿が懇願するが、まだまだ足りないと罵られる。どうやら周囲の女衆が満足するまで、この愛の告白は続けられるらしい。

 可愛げがあって微笑ましいもの。普段の稜花ならきっとそう感じるだろう。


 しかし、どうしても——ちくり、と胸が痛んだ。


 稜花とは立場も身分も違うとは言え、これが本来花嫁のあるべき姿だ。

 秋の穏やかな気候の中、皆に祝われ、花婿に愛され、ハレの日を迎える——その当たり前のことが、ひどく羨ましく感じる。


 無意識のうちに、己の衣を握りしめていたようだ。

 自分の中の渦巻く綺麗ではない感情に戸惑い、唇を噛む。

 するとぽんと肩に手を置かれ、稜花は瞬いた。見上げると、深い闇色と目が合う。彼は軽く首を横に振って教えてくれる。どうやら稜花の表情は随分と強ばっていたらしい。


 大きく息を吐き、無理矢理に表情を緩めた。

 今更こんなことに心を動かされる自分が情けない。

 くしゃくしゃと目を細めて、笑みを浮かべる。一体何に嫉妬しているというのだろう。おめでたいことではないかと自分に言い聞かせた。



「花嫁さん、綺麗ね」


 稜花がそう呟くと、周囲の男衆も盛り上がる。


「そうだろう? この村一番の美人さ」

「ほんとだよ。あいつが持っていくなんてなあ……今日は長引くぞ。皆納得してないからな」


 どうやら花婿の方は自己主張の強い方ではないらしい。男衆のヤジに頬を染め、あー、とかうー、とか声にならない声を上げる。

 その柔らかな雰囲気が花嫁の心を惹いているのだろうとは思うが、このような場では通用しない。むしろ、普段奥手な彼の口から、たっぷり愛の言葉を引き出そうと、周囲が躍起になっているようにも思えた。


「あいつはここぞって時に前に出られないよなあ」

「美人の嫁さん捕まえたんだから、堂々としてりゃあいいのにな」

「姉ちゃんも綺麗だな? 花嫁衣装はさぞかし綺麗だったんだろうなあ……」


 花婿と女衆のやりとりもそこそこに、男衆は稜花に目を向ける。隣に並ぶ楊炎の顔を見て、一瞬びくっとしているが、それでもやはり夫婦に見られたのだろう。


「頼りになりそうな旦那だもんなァ……兵隊さんか?」


 かっしりとした洗練された筋肉、そして夥しい数の古傷は、やはり常人ではない雰囲気を出しているらしい。研ぎ澄まされた刃のような雰囲気に気圧され、男衆は楊炎を見つめている。


「あはは、身構えないでも大丈夫よ。そう、もともと軍人だったんだけど……」


 ちらと楊炎を見上げる。彼は口を開く気は無いらしい。涼しい顔——最近これが、考えることを放棄している顔だと理解してきた——で、どこか遠くを見つめている。


「少し怪我をしてね。昭殷へ仕事を探しに」

「そうかぁ……ねえちゃんもたいへんだなあ……」

「こんな美人を捕まえられるなんざ、よっぽど強いんだろう」

「怪我が治ると良いけどなあ」


 と、口々に、稜花をねぎらうように声をかけてくれる。

 当然稜花達は、実際夫婦とはほど遠い関係ではある。それが益々稜花の心を刺し、かさついた気持ちを笑顔で覆い隠した。

 彼らが言うような関係だったら、どんなに良いかと思ってしまう。実際、楊炎が怪我をして戦場に立てなくなったとしても、稜花は彼の側に居続けるだろう。例え、どこに移動することになっても。

 しかしどんなに羨んでも、彼との関係は姫とその護衛。それだけだ。



「——だから、僕と! 僕と一緒になってくれっ!」


 丁度その時、顔を真っ赤にした花婿が、女衆を押しのけ花嫁の手前へと手を差し伸べていた。

 ああ、なんだ、あいつ男見せられるじゃないか。と、その僅かの勇気を賞賛する声が生まれ、皆が再び笑い合う。

 花嫁もまた、こそばゆそうな瞳を細めて、花婿に優しく微笑みかけていた。




 ***




「花嫁さん、綺麗だったわね」


 食事までして行けと足を止められたが、軽く邪魔したところでその村からは出てしまった。のんびり留まっている余裕は稜花達にはない。偶然食事にありつけたのは非常にありがたかったが、丁重に礼を述べた上で退散した。


 夜。ひっそりとした森の中、木の幹にもたれかかる形で稜花は膝を抱え込む。まさかお目出度い場に遭遇できるとは思わず、嬉しく思う自分が居ることも確かだ。

 大勢の祝福を受けること事が、夫婦の未来を明るく照らすという。

 稜花達もたっぷりの祝福を送ってきたし、初々しい夫婦の幸せそうな顔を見るのは、純粋に喜ばしかった。

 質素で素朴ながら、音楽や料理、そして衣装は心がこもっていた。だからこそ、稜花の心にも温かいものが宿っている。


 民の暮らしを見るのは、もともと好きだった。彼らはいつも、無条件で稜花を慕ってくれていたから。稜花だって、その好意に応えなければならないと思ってきた。

 李家の娘として平穏に生きるよりも、その地に住まう者と共に切り拓く未来の方が魅力的に思えた。そして、昭国でもそうありたいと、稜花は思う。


 花嫁として出立した際、稜花はぴりぴりしてしまっていた。しかしそれは、稜花自身がまるで国と嫁ぐような気持ちでいたからに他ならなかった。

 楊基をはじめとした、国を動かす者たち。その僅かな人間しか、見えていなかった。

 本来目を向けるべきは、その国に住まう者たちだったのに。


 民は、どこへ行っても変わらない。日々、穏やかでありたいと望み、幸せになりたいと縁を結び、そして命を紡いでいく。

 村の皆で新たな門出を祝い、土地を大事に作物を育て、大地と共に生きる。ただ、日々の生活を繋げ、生きることに一生懸命になっているだけだ。そこには国も何も関係はない。そのことに、ようやく稜花は気がついた。



「……みんな、いい人たちだった」


 見も知らぬ稜花達を受け入れ、歓迎してくれた。これから先の道程を心配し、宿泊する準備もできると声をかけてくれた。

 急ぐ旅故、村を離れたが、稜花は少しほっとしてもいる。ちくり、と、本当に僅かではあるが、胸を突き刺す針の感触。それが積み重なるのが怖かった。


 ——嫉妬したって、どうしようもないのに。


 ——本当は、お祝いしなきゃいけないのに。


 どうしてしまったのだろうと、自分でも思う。自由に生きられない自分の生き方を決めたのは、稜花本人の決意によるものだ。自分で決めて、自分で来たのだ。昭国まで。なのに、ままならない自分の心が、とても苦しい。

 しかしひどく羨むのと同時に、彼らの生活を護りたいと思う心もまた、稜花の本心。それにはきっと、嘘偽りなど、ない。



「姫は、もう少し、我が侭を口にしても良いかと」

「ん?」


 何を口にしたわけでもない。しかし、楊炎には稜花の落ち込みが分かったとでも言うのだろうか。

 とたんに恥ずかしくなって、彼の表情を確認する。しかし、側に立っている彼は遠くの闇を見据えたままだ。相変わらずその表情に色はない。


「……結構、我が侭な自覚はあるんだけど?」

「後先考えず飛び出すのは御免被りたいですが」


 ……そこは否定してくれないらしい。しかし、と彼は言葉を続けた。


「多くのものを一人で抱え込みすぎです。もう少し——周囲を頼られるのが宜しかろう」

「……貴方に言われるのは心外だけれど」


 冷静に言い返したところ、楊炎は眉をピクリと動かしたが、それだけだ。どうやら彼にも自覚はあるらしい。

 しかし楊炎は折れること無く、視線を稜花に向けて呟いた。


「もう少し、姫君らしい生き方もあったでしょうに」

「……」


 以前にも、言われたことのある言葉だ。どうして、奥に引っ込んでいないのかと。

 彼の思いは変わらないらしい。これから先、稜花が戦場に飛び出すこと——いや、楊基の隣に立つことまでも、心配してくれているのだろう。


「そうね。でも、奥に引っ込んでやきもきしているくらいなら、きっと前に出たくなるんだと思う」


 だから、稜花の生き方はこれで間違っていないはずだ。それが、稜花自身が選び取ってきた道なのだから。


「それに、戦場に出ていたからこうやって楊炎とも話せるようになったのよ。悪くないわ」


 きっと、城の奥で暮らす姫君であったなら、護衛と旅することもなかったのだろう。不慮の事故からの旅路だが、改めて彼と向き合うことが出来た気がして、正直、嬉しい気持ちはある。

 一歩一歩前へ進むとともに、決別が待っているのだとしても、後悔はしない。彼と明らかな心の隔たりが出来てしまったとしても、側に寄り添い続けてくれることは、変わらないだろう。

 そんな彼との絆は、戦場を駆けてきたからこそ結ばれたものだ。どうして後悔するだろうか。



「——そうですね」


 悪くない、と、彼は肯定した。

 楊炎が、繋がりを大切にしてくれたら良いと思う。

 ずっと二人でいるから、どうも気が緩んでしまう。稜花はまるで甘えるように、側に立つ彼の衣を引っ張った。

 秋の夜は冷える。野宿だと尚更。火を焚くのも憚られるため、稜花は必然的に彼の体を引っ張ることになる。


 少しの沈黙の後、彼は目を閉じ、無言で稜花の隣に座り込んだ。とたん、安心して、稜花はふああと欠伸をこぼす。


 ——おやすみなさい、楊炎。


 二人の旅路の中で、何度告げたか分からない言葉を投げかけ、稜花はそっと目を閉じた。そんな彼女を包みこむように、楊炎は腕を回す。その手つきは義務的なものでしかない。

 それでも、彼は温かくて心地良い。楊炎の手はまだ遠慮がちに動いているが、悪くない。安心してとっぷりと夢の中に落ちるのに、そう時間はかからなかった。

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