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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
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初陣(2)

 戦闘はすぐに始まった。敵兵が、稜花達を迎える。数は多くない。このまま突っ走っても、大丈夫だ。


「小隊長、二手に分かれて敵中隊を取り囲め! 手の空いた者はすぐに門の方へ! 砦の門を攻めよ!」


 叫ぶように命令してつつ、稜花は武具を振った。

 鈍い感触が、全身を包む。覚悟はしていた。思っていたよりも、人を殺す事はずっと簡単なものだった。軽く武具を振るだけで、面白いくらいに人が倒れていく。戸惑いなど、してはいけない。

 いつしか、稜花を襲う震えは消えていた。恐れをかき消すようにして沸き立つのは、闘志。


「はっ!」


 居合いの声が聞こえて、稜花はそちらを垣間見た。血色のマントが翻る。


「……よそ見をなさいますな」


 そう言って、大降りの刀を振るうのは、楊炎だった。一般兵や、武将達が使っている剣とは、少々異なっている武具だった。確かに剣のたぐいではあるが、楊炎の持っているそれは、少しえん曲し、その外側のみ刃がある。


「楊炎、ここは敵兵の質が良くない。正面突破で、敵を討ちましょう」

「……」

「敵援軍が来るまで、時間がなさそう。泊愉は確かに強いけど、騎馬隊に加わられては、少々厄介だもの」

「無茶をなさる」

「最善の策よ」


 横目で、楊炎が稜花を見た。しかしそれは僅かの間で。すぐに視線をそらしては、楊炎は目標をとらえた。もはや、稜花の言葉に返事を返さない。

 わずか十五の少女に翻弄され、敵兵はたじろいた。稜花は真っ直ぐ進む。その居合いで、敵兵は足をすくめる。足をすくめた兵を、楊炎が切り裂いた。


 稜花の護衛兵達が走った。稜花の軍全体が、蠢く。砦を護る将は正面から突っ切ってくる女の気迫に押された。



 ——どうして。戦場に女がいる? 彼らがそう思った時にはもう遅い。自分を取り巻く護衛兵が、斬られていた。


 血色のマントが翻った。いや、それはもしかしたら、本当の血かもしれなかった。まるではやぶさのように。稜花隊は敵を殲滅していく。右からも、左からも攻められて、敵将は完全に退路を失った。


「今よ、討ちなさい!」


 稜花の号令で、兵達は一斉に声を上げた。


「娘よ、何故、我々の邪魔をするっ」

「邪魔をしているのは、貴方たちじゃないっ」


 稜花は、走った。真っ直ぐ、敵将と対峙する。

 目があった一瞬。敵将は剣を払い、李稜花は双剣を振るう。稜花が振るう刃は、美しい弧を描いて、敵を襲った。斬る感触。それが腕から全身に伝わって、斬りながら駆ける。梓白は稜花の意識を感じ取るようにして、敵将を過ぎ去り、門の方へと駆けてゆく。


「敵将、この李稜花が討ち取ったわ!」

「稜花様!」


 わああああああ! 叫びとも似た歓声が、起こって。稜花は目を向ける。そして、全兵に向かって命令を下した。


「この砦は落としたわ。逃亡兵は逃がして良い! すぐにこの砦の南門を閉じなさい! それからすぐに北へ進軍、北方騎馬民族、敵の総大将を討つ!」


 わああああああ! 返事にも似た歓声。それを聞いて、稜花は自信に満ちた表情を浮かべた。そして自分に言い聞かせる。


「この戦、勝つわよ」

「油断は、禁物です」

「わかってる」


 さっと。刀身にしたたる鮮血を払い、楊炎は刀を鞘へとしまい込んだ。そして、刀を持つ代わりに手綱を取る。

 一方、稜花隊の兵達は総力を挙げて南門を閉じていた。丸太でこしらえられた簡素な——それにしても結構大きな門だ。これを動かそうには、相当の人力が必要である。

 ずずずずず。と、重い音をたてて門は閉じられた。そして、それを確認した後、稜花は軍の陣形を整える。


「別働隊は泊愉が抑えてくれる。私たちは、父上達と合流。敵の総大将を討つわ。全員、私についてきなさい」


 振り返らない。すぐに稜花は梓白の手綱を取り、駆けた。兵達も、それに付き従って進軍する。

 李永は稜花が砦を攻め落としている間に真っ直ぐ北へ向かって進軍していた。どうやら交戦中らしい。戦闘が繰り広げられている後方で、兵士に囲まれた李永がいた。


「父上——!」

「おお、稜花」


 娘を見つめて、李永は安堵の表情を見せた。稜花の実力も、日頃の調練の成果もあり、兵達にも慕われている事を、李永は良く知っていた。それでも、実の子——しかも、娘の初陣となると、さすがの李永も不安は感じていたのだろう。

 そんな和らいだ表情を見せる父親の隣に、並ぶ。そして、稜花は言った。


「砦は、落としたわ。門も閉じた。あとは、泊愉に任せて大丈夫なのよね」

「そうか、大儀だったな」


 父の言葉に、稜花も落ち着いた。高ぶっていた気持ちが、少し和らぐ。


「それで、父上の方は?」

「ああ、この先にある山道がなかなかに厄介でな——」

「私が行くわ」

「待て、稜花」


 李永が目を見開いた。驚く李永と反対に、稜花の両眼は勇ましい。初戦の砦を奪取し、この空気に慣れのようなものを感じ始めていた。


「私は父上の武将だわ。今は士気だってあがってる。このまま行かせて、父上」

「しかし」

「大丈夫よ」


 負けるなどとは、思っていなかった。不思議な気持ちだった。あまりにも、自分に覇気が満ちていて——自分が活路を開かなければいけないような気持ちが溢れてくる。


「行くわ。父上は、見てていいからね」


 戸惑う父を置き去りに、稜花は真っ直ぐ、兵の間を突っ切った。彼女について兵達もますます勢いをつける。相変わらず、楊炎が横から無言でついてきていた。


「無茶だと、思う?」

「正直、申し上げますと」

「でしょうね」


 出過ぎている、とも、稜花は思った。

 けれど、この胸のうずきは何だろう。初めて人を斬った時、初めて敵将を討った時、そしてとんでもない速さで砦を落とした時。稜花は今まで感じた事もない感情に覆われた。熱く、激しい気持ちが身体に浸透し、渦巻き、闘志をつくる。

 熱を出すような闘志に酔いしれた稜花は、このまま敵兵へ一人でも突っ込んでいけそうな、そんな気さえした。

 自分の力が通用する。実戦してみて、それが肌でわかった。楊炎は、手綱から手を放し、鞘の方へと回す。前戦が、見えてきた。敵軍と李永軍が、刃を交えているのが見える。


「無理をするべきではありません」

「それは、わかってる」


 わかってるけど、今のところ、大丈夫だし。そんな事を頭の中で呟いて、稜花も両手に双剣を握りしめた。


「行くわよ、みんな!」


 おおおおお! 勢いは歓声となって、うなりを上げる。

 李永麾下軍の中に混じっても、稜花隊は明らかに士気が勝っていた。そしてそれにつられるようにして、李永隊も声を上げる。


「道は細いわ! 前後交代を繰り返しつつ、進軍する!」


 稜花は、両手を振り上げた。前方から五人組の小隊が自分に迫り来ているのが見えた。


「甘いわ」


 梓白からたたき落とそうとしてきた小隊長を斬った。その横の四人の部下を、楊炎が一薙ぎする。


「やるわね」

「……」


 稜花の褒め言葉に、楊炎は応えなかった。かわりに、ずっと続いている丘の坂を見た。

 異変が起きたと感じたのは、しばらくしてからだった。兵達の叫び声があまりにも大きくて、音に気がつかなかったのだ。坂の上で、砂煙が巻き起こり、兵たちが麓の方へ流れ込んでくる。


「何——?」


 稜花が呟いた先、信じられないものを目にした。

 問答無用だった。敵味方関係なく、それは、稜花達を襲ってきた。下手をすれば自分たちと同じくらい——いや、それ以上の大きさの岩。数多くの岩が、坂で勢いをつけて、転がってきている。


「何よ、これ」


 坂上の方を見る。敵が人海戦術で、大きな岩を落とそうと準備しているのが目に映る。同時に、雨のような矢が降ってきた。一瞬思考が停止し、額に汗が流れているのがわかった。

 前戦が、後ろへ退いてきた。稜花も、自ずと後退する。このままでは、前に進めない。岩の数は多くないにせよ、坂を登り切るには、まだかなりの距離がある。この人混みだ、犠牲少なくしての進軍に自信はない。


「どうすれば」

「進む」

「え——?」


 無意識に溢れた言葉に返ってきた答え。あっさりとした物言いに、稜花は戸惑った。動揺した様子もなく、楊炎は真っ直ぐ、退いてくる李永軍、押してくる敵軍、両方の間を抜けた。


「ちょっ……楊炎!?」


 稜花は息を呑んだ。楊炎は全く恐れてなどいない。

 負けたくない。


「ったく、無茶してるのは、どっちよ!」


 手綱をとった。そして、勢いをつけて駆け上がる。

 岩。咄嗟に右手に退いた。見事に岩を避けて見せた楊炎と稜花を見て、兵はいきり立った。


「姫様に続け——っ!」


 兵の内一人が声を上げた。それに同調し、兵は洪水のように、一気に進軍した。勢いよく岩は転がり続ける。しかし、もうそんなに距離はない。迫り来る岩。次は左に避ける。梓白は更に速度を上げた。


「楊炎!」


 前方を見る。楊炎の目前に、岩が見えた。


「楊炎、危ないわ!」


 咄嗟に叫んだ。しかし、楊炎は動揺した素振りを全く見せなかった。抜刀した。抜刀した勢いで、前方の岩を切り裂く。

 ずぅん、と音をたてて、岩は真っ二つに分かれた。切り捨てられた岩は、左右に転がり、形を崩す。



「!」


 稜花は目を疑った。剣先の残像のみが残ったかのように、強く目に焼き付く。当たり前かのように切り伏せる様は熱がなく、瞳の色は冷たい。

 あまりの美しさに、息を呑む。

 傷だらけの彼らしい、全身が刃のような鋭さ。近づけば自身が割かれてしまうかのような幻想に捕らわれ、稜花は目を瞠った。

 ——凄い、と、思わず呟きが漏れた。楊炎はチラリと稜花を見たが、すぐにふいと視線を逸らす。そして次の標的を見据えていた。


「容易い」


 楊炎は呟いて、そのまま前に突っ切った。要領を得たらしい。まるで鬼神の如く、刀を振るった。楊炎が正面の岩を切り捨てる形で、李永軍は前進した。


 稜花は素直に賞賛する。楊炎はけして力があるような大きな体つきではない。長身だが細身で、目の前の大岩を割れるような力があるようには見えない。

 しかし、全身の柔軟性と速さでもって切り裂いているだけのようだ。そこに無駄な力があるように見えない。流れるような動きで、気がつけば岩が破壊されている。そんな彼は、鋭くも、美しい。



 ——こんな人、初めて見た。


 稜花は元々武術に優れた姫だ。自領では兄の部下たちを容赦なく蹴散らし、彼女の相手を出来るのは数えるほど。だからこそ、自信の武に自信もあったし、誇りも持っていた。

 しかし、目の前の楊炎は一体何だ。“強さ”という概念を根本的に切り伏せる圧倒的な速さと技術。彼の刀が描く弧をずっと見守っていたくなるような美しさ。


「姫様、行きます」

「あっ、うん!」


 すっかり目を奪われてしまっていたらしい。声をかけられ、正気に戻る。戦の最中に完全に気が緩んでいた。自身に活を入れ、頬を叩く。


「行くわよ!」


 兵達は湧いた。そして、ますます勢いをつけて坂を上り詰める。その先には、数名の敵兵がいる。


「馬鹿なっ!?」


 数名の兵に守られている形になっている男に向かって、楊炎は突っ込んだ。おそらく、ここ一帯を指揮している敵の隊長であろう。

 楊炎は敵将に敗走する隙を与えなかった。真っ直ぐ突っ込んで、見据える。

 気迫。その眼光に恐れたのか、敵兵の一部が散った。楊炎は無言で、刀を払った。首が飛んだ。飛んだ先に、次の標的がいる。自分の身体にあたった、固くて重いもの。それが自分たちを束ねていた隊長の頭である事に気がついたのか、悲鳴を上げた。そして、力無くその場にへたり込む。その周囲の兵たちは一目散に逃げまどった。山の頂に向かって駆け出す。


「いくぞ」


 冷たい声で、楊炎が言った。

 うわあああああ。李永軍は更に沸き立った。勢いがある。いける。稜花はそう感じて、楊炎を見据えた。




「楊炎。あなた、凄い」

「……」


 会釈をするだけの楊炎の行動は、社交辞令でしかない。当たり前、と受け取られたわけでもなかった様だけれども。相変わらずの、温度のない態度だった。

 つれない態度に少しだけ、胸がうずく。しかし、ぼんやりしている暇も無かった。


「このまま突っ切っちゃいましょうか」

「はい」


 頷きあって、そして、駆ける。兵達も、駆ける。敵兵が逃げていった丘の上。敵の総大将に、逃げ道はない。


「李稜花様!」

「なに?」


 後方から声をかけられて、稜花は立ち止まった。同じようにして、楊炎も止まる。兵達はそれぞれに声を上げつつ、坂を駆け上がってゆく。それを横目で見てから、声をかけた人物を見た。


「李永様から伝令です」

「父上から? 何て?」

「泊愉隊が別働隊の将を討ち取ったと!」

「本当?」

「はい! 稜花隊はこのまま前進、敵の総大将を狙えとのことです」


 伝令の男は喜色を浮かべた。稜花も、頷いて、それから勢い勝り駆けてゆく兵達を眺める。


「わかったわ。伝令ご苦労様」

「はっ!」


 伝令の男は敬礼をして、二、三歩下がった。

 すぐさま稜花は、方向を転換して、再び坂上を見やる。


「別働隊は落ちたわ! もう恐れるものは何もない。後は敵の総大将を討つだけよ!」



 うわああああ。歓声は波となり、兵は波となった。

 誰もが、坂を前進してゆく。すでに、数では圧倒的に勝っている。そして前進が止まった。前方で、敵軍と再度ぶつかったのだろう。


「……」


 胸が、震えている。興奮が、冷めない。稜花は、上がった息を宥め、頬を火照らせて呟いた。


「これが、戦なのね」

「いいえ」


 意外な答えを投げかけられて、稜花は戸惑った。


「……勘違いをなさいますな」

「どういう意味?」

「今の姫では、おわかりになりますまい」


 相変わらず熱のこもっていない声で言い放って、楊炎は前方を見据えた。その瞳は、ひどく、暗い。


「……たしかに、そうなのかもしれないけど」


 上手くいきすぎている。それは、稜花もわかっている。

 そもそも、始めから李永は、これだけ余裕がある戦だと思っていたからこそ、稜花を連れてきたのだろう。改めて考えてみると、ずいぶんと自分が甘かったように感じた。感じたけど、それだけだった。


「ちょっと、頑張りすぎた?」

「無茶な行動が、多くございました」

「それは楊炎。あなたも」

「俺と——いいえ、私と姫とは違います。あなたは、自身を顧みるべきです」

「でも」

「先ほど。私が先頭に立たなければ、あなたが突っ込んでいた」

「それは」


 ——そうかもしれない。

 少しばかり反省して、俯いた。でも、それはほんの少しの間だ。ようやく立てた戦場だ。自分だって李家の役に立ちたい。李家の一員として、ずっと胸を張りたかった。その気持ちが大きく膨らむ。

 目を閉じ、首を横に振り、楊炎に反論した。


「でも。もちろん、今も行くわ。私は大将じゃない。ただの一隊長よ。先頭に立って、率いなければいけないわ」

「……」

「いくわよ」


 もう頂きは見えているもの。

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