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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第二章
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−閑話− 祭の季節

 先の戦が嘘のように、この日の昭殷(しょういん)も賑やかだった。

 昭殷――此度の建国の際に名を改められた昭国の都。夏が過ぎて朝晩が冷えるようになり、日中は随分と過ごしやすくなった。いよいよ秋が迫ってきているこの街の活気は、生まれてこの方この地に住み続けていた陸由の目にも新鮮に映る。


 昭の秋は短い。大陸の北部に位置するこの街は、稜河の恵もあって豊かな土壌が広がっているが、気候ばかりはどうしようもない。過ごしやすくなったとほっとするのも束の間。穏やかな季節は短く、すぐに大地は雪に覆われる。

 建国して生まれ変わったばかりの昭国が向かえる最初の秋。収穫を迎えるこの時期は、市場に物があふれ、また祭の準備のためにどんどんと活気づいてくる。この短い秋を逃すまいと、駆け込むように皆騒ぎ立てるのだ。そして今年は、建国の喜びからも一層盛り上がるものと思われた。



 少し見てまわっているだけなのに、少し歩くたびに市場の者たちから声をかけられる。帯刀しているからかその鎧からか、陸由が武官であることが一目瞭然なのだろう。


 先の汰尾での戦を終えた後、武官達を迎える民の目は温かいものが多い。数多くの兵を失ったことは確かではあるが、杜や朝廷の北進を阻止し、この地を守り切ったことは少なからず有り難がられているらしい。

 最近の礼王朝側の混迷ぶりは独立した今でも噂として十分伝わってきている。その泥船から逃れたことも勿論大きいのだが、税の取り方を変えることも影響しているのだろう。もう礼王朝に属してはいない。余分な取り立ては、必要ないのだ。


 もちろん、建国した今、まだ新しくなった制度が各地に行き渡ってはいないし、本格的にその効果を実感するのは翌年以降になるだろう。国もまだ安定はしているはずも無く、数年は厳しい環境が続くはず。それでも、昭殷を中心として少しずつ、この国に希望が広がり始めている。

 陸由も確信している。楊基は、良い王になる資質を、持ち合わせている。




「お兄さんお兄さん! どうぞ、見ていって!」


 そうやって市場の様子を見回っていると、遠慮無く話しかけてくる女性がいる。このようにたまに足を止めては、街の様子や、この街の外についての話を聞くことも多い。民から情報を集めてはじめて、この国がどう変わったのかが実感できるのだ。


「ああ、良い布だ。西国からのものか?」

「そうなのよ。ほら、先年、楊基様が北方の異民族を討伐してくれただろう? それから、商人も仕入れに行きやすくなってねえ。今年は縁定めが多そうだから、いつもより多めに仕入れたのさ。ほら、兄さんも、いい人にどうかねえ、一枚」

「いや、俺は――」


 陸由自身は、渡す先に思い当たりは無い。少し顔が引きつりそうになるが、相手は何も知らないただの商人だ。何とか笑みを張り付かせて首を横に振る。


「今年は、縁定めが多いのか?」

「そりゃあそうさ。楊基様たちにあやかろうって若い子も多くてね。来年まで準備するはずの子たちも、駆け込みで祝言を挙げる家も多いのさ」

「こんな事はここ最近なかったからな。いや、みんな大喜びだよ」


 陸由の疑問に、布屋の女将だけでなく、周囲の店舗の者たちも答えを返してくる。このおめでたい話題に乗っかりたくて仕方ないのだろう。

 各家が縁を結ぶのは、秋が最も多い。それは収穫とともに祝うことにより、一生食べるに困らないという願掛けを行うため、というのが主な理由だ。同時に冬の花嫁を避けるためでもある。

 冬の花嫁は不吉を呼ぶと言われている。楊基が縁を結ぶこの年、急に決まったその祝いにあやかろうとすると、この秋を逃すわけにはいかなくなるのだ。


「おかげで間に合わない布をね、こうやって買ってくれるお客も多いのさ。楊基様さまさまだよ」

「本当に。馬の取引も増えただろう? 稜河の航路も拓けるって言うし、本当、稜明の姫様にも感謝しなきゃなあ」

「ああ、そうだ。随分綺麗なお姫様なんだってねえ。お兄さん、知っているのかい?」

「……いや」



 少し言葉を交わすと、民はすぐに楊基の婚姻の話になる。

 楊基は今まで一人も妃の居なかった独身の王だ。領主時代から妻を娶れという矢のような催促を全て踏み倒してきた彼に対して、民だって不安を持ち続けていたことを陸由は知っている。


 楊家の者はこの国に極端に少ない。

 楊基の父である先代の妻は二人。しかし子は、それぞれに一人ずつしか生まれなかった。

 先代も若くして無くなったし、その妻たちもそうだ。権力を二分していた先代の弟もかなり若くして亡くなっているのを陸由は知っている。更に、楊基の弟にあたる第二夫人の子は、幼い頃に行方不明になってしまった――。


 そのような事情が重なり、この昭国は万年後継者不足に悩んでいる。

 国となった今なら尚更。王である楊基も、ずっと独身というわけにはいかないのだ。



「ほら、楊基様はずっと独身だっただろう? 弟君もねぇ……随分と幼い頃に居なくなったっきりで……早いところお世継ぎがお生まれになれば良いんだけどねえ」

「いやいや、戦場にも出る逞しい姫君なんだろう? 子の一人や二人、ぽんぽんとお産みになるだろう」

「だねえ。大人しそうな方よりも、お似合いじゃないか。流石、頑なな楊基様のお心を射止めるだけあるねえ」


 稜花の話題になるとたちまち民の表情は笑顔に溢れた。

 待ちに待った姫君。頑なだった楊基の心を溶かした素晴らしい女性だと、巷ではすっかりと噂になっている。

 その脚色された設定については、陸由はいささか返答に迷う。噂では、戦場で彼女に見惚れた楊基が口説いたという話が主流らしい。

 あながち間違ってはいないのかもしれないが、楊基の稜花に対する感情がそんなに甘いものではないことくらい、陸由は承知している。もちろん、それを公にするわけにもいかず、黙って頷くだけだが。


「楊基様はお若くして領主になられただろう? 大きな後ろ盾もなかったのに、朝廷からの圧力も跳ね返して、この地をお守りになった。ほんと、出来たお人だ」

「これで綺麗な姫君をお迎えになったらなあ……いやいや、若い娘たちも浮き足立つよ」

「今年は本当に、お二人の縁組みにあやかる者が多いからなあ」


 こうして話は振り出しにもどる。

 楊基はこの国の民に信頼されており、彼が妻を迎えることに対して民は最大の喜びを示している。

 稜花の人となりを知っている陸由からすると、そんなにも単純な話でもないのだが。




 ――本当に、殿は仕方の無い人だ。


 今まで、ただ実直に楊基に仕えてきた。長い刻を共にして、それでもやはり、彼のことは掴めない。一つ明らかなのは、彼の中で、味方と呼べる人間がおおよそ三つの分類に分けられていることだ。


 一の者は、忠臣。彼に忠実に仕えると認識されている駒。

 二の者は、数となる者。特に思い入れも持たぬ、そばに居るだけの者たち。

 そして三の者。

 不確定要素を孕む、挑戦者だ。まるで賭け事を好むかのように、彼は殊更三の者を求めている。


 敵、味方、他領関係なく、挑戦者の資質を持つ者を楊基は信頼する。自分に捧げられる忠誠などとはまた別次元の信頼。人として認める、という言葉が正しいのだろうか。ただ彼は、自分と並び立つ者、対等な関係性を欲しているのかもしれない。

 陸由を含め、高濫など比較的楊基と近しい臣も、その関係性までは築けなかった。いくら信頼されようと、自分たちはいち臣下に過ぎない。ある程度の能力を買われているのはもちろん承知しているが、その三の者が、少し羨ましくも、恐ろしく感じる。



 ――稜明の稜花姫は、三の者なのだろう。


 汰尾での出来事が忘れられない。自分は裏で別の任についていたとはいえ、たかが小娘にあそこまで大仰な策を任せるだなんて。

 高濫は面白がって推し進めていたが、正気の沙汰ではない。高濫は知らないのだ。かつて、三の者として認められたかの少年に、楊基がどれ程の圧をかけ続けただなんて。


 その昔、楊基がずっと目をかけていた三の者を思い出す。

 初めて出会った時、楊家の者でありながら、全身傷だらけの少年の姿は異様だった。とても領主一族の子どもには見えない痩せこけた体。楊基は左眼を失った弟を連れ帰ったと思いきや、その弟に治療を受けさせた。そして、楊基は文字通り彼を飼った。家族とか、弟とか。そのような言葉で表現できるような接し方では無かった。


 ただ楽しんでいたのだ。母親である先代の第二夫人――(さん)夫人に襲われ、捕らわれた彼。皮肉にも、その瞳が楊家の闇色であったが故に、出自を疑われた彼の生き様を。

 そして恐ろしいほどに虚無でありながら、たまに見せる彼の渇望を。だからこそ彼――焔が自らの前から逃げた時、楊基は喜んだ。自らに抗う者となった彼の存在を。

 いつか必ず、あの者はこの地に戻ってくる、と。約束したわけでも、行方を捜したわけでもない。ただ、ある種の確信を持って、楊基は告げていた。



「先代も楊然(ようぜん)様も相次いで亡くなられただろう? 皆、心配なんだよ、この地の跡取りについてなあ」

「どちらも突然だったからなあ。滅多に口にすることじゃないが、楊基様も……と思うと不安になるのさ」

「なるほど」


 陸由は頷いた。

 先代も、先代の弟である楊然も、楊基がまだ若かった頃に亡くなっている。そのため、成人して間もなく楊基は領主の座に着いた。

 民にとっては楊家の者だと一括りにしているが、先代と楊然の間には確かな確執があった。幼い頃から楊基に仕えてきた陸由は当然その事について知っているが、誰に話すつもりもない。

 ただ、ひどく懐かしくもおぞましい気持ちになるのも確かだった。

 この地の権力の半分を握っていた楊然。そして先代の朱とは異なる、楊家の闇色を瞳に宿した少年。少年が生まれたと同時に、離宮に引き籠もるようになった燦夫人――。



「楊基様以外に跡継ぎが居ないと言うことは、余計な諍いが起こることもないということだ。悲観することより、これから先の昭国を支えてくれ」


 諸事情を詳らかにするわけにもいかないので、陸由は適当な言葉を探した。もちろん、楊家の者がまったくいないわけではない。しかし、楊基に対抗できるような器を持つ者など、とてもではないが見当たらない。


「ああ、もちろんさ。稜明との取引も盛んになってきただろう? これから益々、この国は大きくなるさ」

「まずはこの秋のお祭りをね。盛大にしないといけないしねえ」

「だなあ。今年は豊作になるだろうから、丁度良いが」


 周囲の者たちもにこにこと微笑みながら相づちを打つ。

 この調子で、街全体が活気に満ちている。礼王朝からの独立と、稜明からの姫君を向かえることを皆が心から喜ばしく思っていることがよくわかった。





 手を振って、陸由はその場から立ち去った。

 今、この国は新しい未来への希望に満ちている。乱世が続く激動の時代をどうにか乗り越えようと、一歩前進したと言えよう。

 しかし、本当に順調にいくのだろうか。民の笑顔が眩しいだけに、陸由には見えている影が、一層深く、暗く感じた。

 稜明の姫君。彼女を迎えることで、本当にこの地に波乱が起きないのか。



 ――そもそも、楊基様が、少し迷われているご様子。


 いつも側に居る主だからこそ分かる。

 そういった不安や悩みなど一切表に出さない彼が、僅かに見せるその様子が気になる。彼が自ら決めたこれからの動き。それについての不安を如実に見せることなど今まで無かった。


 ――短期決戦か。いつになく強引だな。何を急いていらっしゃるのか……。


 近くに三の者が現れたからだろうか。それも、同時に二人も。

 彼らの運命を秤にかけ、それでも這い上がってくる様が見たいのかもしれない。かつての、焔のように。


 ――もしかしたら、彼らのような生き様を羨ましく思っていらっしゃるのかもしれないな。


 しかし、どれほど挑戦者に挑むことを望もうとも、楊基はすでに頂点なのだ。

 登るべき山が見つからない。だから彼は、全ての山を手に入れる道を選んだ。

 幼い頃から、周囲に同等の者が居なかった。競争相手もただの大人で、追い落とすのに苦労はしなかった。

 渇望しているのは、楊基自身なのかもしれない。



 ――だからこそ、並び立つ者が欲しいのだろうが……。


 稜明の姫君よ、と陸由は思う。

 どうか無事に、昭にたどり着くように、と。

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