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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第二章
24/84

突然の来訪者(2)

 何故こんな事になっているのだろうか。

 恨むべきは李永か楊炎か楊基か。全くもって不本意な状況に、稜花は死んだ魚のような目をしつつ淡々と前を見ていた。


 小柄な梓白とは異なる乗り心地ではあるが、遠征から帰ってきたそのままの格好で騎乗する。一見戦地と何も変わらないような状況だが、決定的に違う。

 後ろから、大きな腕が。無骨な手が。稜花の腰をぐるりと巻き付けている。


 あれだけ一人で騎乗すると言い張ったのに、楊基はそれを良しとしなかった。半ば無理矢理稜花を誘導しては、気がつけば一緒に馬に跨がっているという謎。



 ――自分の向こう見ずな性格を憎いと思ったのは、初めてかも。


 最近は随分落ちついて物事を考えられるようになってきたとはいえ、それはどうも戦場限定らしい。男女のやりとりになるととたんにぼろが出る。

 かみついたまま彼に連れて行かれては、あれよあれよという間に馬に乗せられていた。彼が稜明で如何程の期間過ごしているかは分かりかねたが、随分と慣れた様子だった。


 ――今日という日が早く終われば良いのに。


 楊基に関してはほぼ苦手意識しかない。以前会ったのは一年以上も前のことだ。しかしまったく変わらぬ様子で、いともあっさりと稜花を絡め取る。

 別に力で押さえつけられているわけでもない。なのに、彼は気がつけば稜花の退路を断ち、逃げる気すら起こさなくする強い引力のようなものを持っている。

 自分の意思に反してふらふらと引き寄せられることが不本意で、逃げ出したくてたまらない。しかし、敵前逃亡をするのもなんだか癪なわけで。結果として翻弄されているわけだ。



 こうやって誰かと一緒に騎乗することなど、いつぶりだろうか。

 いつかの戦闘時に、楊炎に抱きかかえられた記憶が蘇ってくるようで、とても、不愉快だ。楊基と楊炎では、全然違う。記憶が汚されるような感覚が、実に不愉快だ。


 はあ、とため息を吐く。

 楊基は颯爽と馬を走らせ、城を抜けて、草原の方へ駆けてゆく。

 軍事演習にも使用する開けた地は、稜花が遠乗りに来る時の定番の場所でもある。柔らかな緑が広がり、開放感のある地は、のんびりするにも体を動かすにもいい。

 もう少し進んだところに稜河に合流する細い川もあって、幼い頃から澄んだ水に足を浸してはよく遊んだものだった。


 その自分のお気に入りの場所に一緒に来るのが何故楊基なのだろうか。

 民の姿が見えない場所に連れて来られたのは正直助かった。しかし、幼い頃から入り浸っていた場所にずかずかと入り込んでこられたようで気にくわない。

 その思いが表情に出ていたらしい。楊基は大きな手で稜花の頭を軽く撫でた。



「そうつまらなさそうな顔をするな」

「そのようなことはございませんわ」

「とってつけたような礼儀も止めて頂こうか。稜花姫らしくないだろう」

「……相変わらずね」


 取り繕わなくて良いなら話が早い。ここには楊基以外に誰もいない。ぺいっと上っ面を破り捨てて、稜花は不機嫌を露わにした。


「随分と強引なのも、変わらないのね」

「一応領主だからな。これぐらい厚顔無恥なほうがやりやすい。其方の父もそうだろう?」

「強引なところは……無いと言えないけれど」


 砕けた稜花の態度に、楊基は満足そうに笑う。そしてもう一度手綱を引いた。

 もしかしたら、このあたりで遠乗りや狩りなどしたのかもしれない。楊基は迷いなく馬を走らせ、やがて小川の近くまでやって来た。





「このあたりならゆっくり話も出来よう」

「話だったら屋敷でも良かったじゃない」

「邪魔が入ろうが」


 ふん、と息を吐き、楊基は馬から下りた。そして何を思ったのか、稜花に向かって手を差し出す。


「さあ、稜花姫」

「……いらないわ」


 つんとした態度で、稜花は自分の力で馬から下りた。毎日戦場を駆けているのだ。そもそもひとりで騎乗だって出来るのに、まるでお姫様扱いをされてしまうとどうして良いのか分からない。

 そもそも、楊基の好意ともとれる態度に素直に頷く気にはなれなくて、そっぽ向いた。


「ははは、随分と嫌われたものだ」

「別に嫌っているわけじゃないわ。全力で警戒しているだけよ」

「相変わらず気が強くていらっしゃる。……しかし、随分と変わられたようなのも事実だ」


 邪険にされているにも関わらず、楊基はくつくつと満足げに笑った。手綱を引いて、馬を小川の方へと向かわせる。馬も楊基に連れられ、やがて澄んだ川の水を口にしていた。


 馬の背を撫でながら、楊基は稜花の方を振り返った。

 じい、と上から下まで検分するように見つめられ、稜花は後ずさる。



「随分と名を上げられたな」

「え?」

「稜明の戦姫。可憐な姫君が戦場で駆けているともっぱらの噂だが」

「うそ? 本当に」

「偽りはない。昨年か……王威と二度目相まみえたようだな」


 稜花の警戒を感じたのだろう。彼女の興味をひく話題をぽんと提供するだけしておいて、楊基はさっさと自身の馬に視線を向けた。

 愛馬を労るように何度も撫で、後に彼は手綱をひいた。適当な木に繋いでおくらしい。

 無防備な背中をぼんやりと見つめつつ、稜花は先の戦のことを考えた。噂になっていると言うが、それはけして稜花の力ではない。


「彼を食い止めたのは楊炎よ」

「らしいな」

「私の力じゃないわ」


 稜花は視線を逸らして、小川の方へ歩いた。

 澄んだ水面は浅く、細い川。太陽を反射してきらきらと輝く水面が、稜花の姿を映した。

 まだまだ少女の面影が完全に抜けきっていない、ちっぽけな女。華奢な体躯に細い肩。自分の腕は信じようとも、この体格でできることに限界があることだって知っている。

 自分ひとりの力では、何も出来ないのだ。



「楊炎を動かしたのは姫なのだろう? そして、戦況を大きく変えたのも、姫の部隊だった」


 後ろから声をかけられる。力強い声が自分を肯定してくれるのが、何となく不思議な感覚だ。


「武将の才とは何も先頭に立って戦うのみではない。むしろ、そんな考えなど捨ててしまえ。人を動かし、戦局を変え、勝利に導く。優秀な駒を持つのも、その駒を動かすのも、武将の力だ」


 彼が口にしたのは身内の贔屓でも何でも無い、客観的な印象。稜花がどうしても知りたかったことだ。

 自分が稜明の力になれているのか。取り繕ったわけでもない、純粋な意見。それを初めて教えてくれるのが、まさか楊基になるとは思わなかった。

 だからこそ益々困惑する。この男は、確実に稜花を取り込もうとしている。その本音を隠そうともしていない。


「私が稜明に来て五日ほどになるが、その間、誰もが誇らしげに姫の噂話をしていた。……単に私の機嫌取りなのかもしれないがな」


 実際、稜明に稜花を慕う兵は多いし、稜花だってその自覚はあった。

 単に女性の武将が珍しいからかもしれないし、常に共に調練をするように心がけているからかもしれない。領主の娘にあるまじき程、稜花は民と相見える機会をとるし、それを心がけている。



埜比(やひ)の時は正直頼りないと思ったものだが……もうその様子もないな。本当に随分とお変わりになった」


 本当だろうか。

 客観的に見て、少しは成長できたのだろうか。

 稜花の心に燻ってきた不安のようなものを掬われて、心苦しい気持ちの中に、じわじわと温かいものがこみ上げてくる。

 民の誇りであり、成長した事実。どの言葉もきっと世辞ではない。本心なのだろう。だからこそ、嬉しく思わないはずがない。

 どうしても好きにはなれない類いの男なのに、いとも簡単に自分の感情を操られて、益々困惑する。この男に近づいてはならぬ。心を許してはならぬと心が警鐘を鳴らす。

 ぎゅっと手を握りしめ、肩を強ばらせる。楊基に絡め取られぬよう、かたく身を守った。




「……朝廷が()についたのを知っているか?」


 しかし、その稜花の警戒心を楊基はいともあっさりと切り崩した。

 思いがけぬ話題の提供に、稜花ははっとして楊基を見た。楊基はふと笑み、稜花の側まで歩み寄ってくる。


「だからこそ私がここに来た。南は今、大きく変わりつつある。すべて水面下だがな」

唐林(とうりん)には何も伝わってこなかった……」

「そうだろうな。まだ表には出て来ていない。しかし、公主であらせられる稟姫(りんき)様が紫夏(しか)に嫁ぐことはほぼ確定らしい」


 稟姫といえば、まだ齢六ほどの娘ではないか。そんな幼子をやりとりせねばならぬほど、朝廷は切羽詰まっているのだろうか。

 そうして紫夏のことを思い出す。埜比にて僅かに会ったのみだが、見知った顔ではある。父と同じくらいの年齢の男だった。

 犀利な感覚を持っており、安定した地盤を確実に広げている堅実な男。落ちついて物事を見る目は確かで、埜比の包囲の際も、実にそつが無く淡々と作戦を遂行していたのを覚えている。


 直轄地の多い大陸の南で、領土を確実に守り、豊富な生産量を有効活用し、豊かな地平を作り上げようとしている。温厚で柔和な民を多く持つ一方で、紫夏自身は確実にその手を広げようとしている。



晏州(あんしゅう)柳州(りゅうしゅう)曽州(そしゅう)季州(きしゅう)、計四つだ」

「え?」

「おそらくだが。紫夏の元に、落ちるぞ」


 その途方もない数字にくらりとした。

 脳裏の地図。大陸のほぼ四割にあたる土地が紫夏の勢力に塗りつぶされる。稜明が干州(かんしゅう)ひとつに手こずっている隙に、紫夏は戦さえ起こさずに四州を手に入れようとしていたのか。

 たしかに、稟姫を手に入れるのは最も簡単な方法だろう。しかし、まだ本当に、年端もいかぬ幼子。信じがたい事実に、稜花は口元を押さえた。



「四州と……そんな幼子を売って……朝廷は何を手に入れようとしているの……?」

「売るわけではないさ。表向きはすべて朝廷のものだ。ただ、紫夏が内部深くに入り込むだけで。それに、幼子ひとつで食い込めるほど、朝廷も易くはないだろう」

「……他に何か、あるってこと?」

「稟姫はあくまでも目くらましに過ぎんかもな。これは私の予測に過ぎないが、紫夏は領を返上するつもりではないかと思う」

「どういうこと?」

「自治を認められた領を、朝廷の直轄地にしてしまう。そもそも紫夏は領主である必要がなくなる。朝廷を動かせるようになるからな」


 稜花達の考えとは真逆だった。

 沈没寸前の泥船に巻き込まれまいと、領地独自の政治基盤を作って、独立させようとした稜明や昭。

 逆に、その泥船ごと取り込んでしまおうという杜の紫夏。泥船故、中枢は腐敗しきっているだろう。それを我が物に取り込み、何とかできる勝算があるとでも言うのだろうか。


「朝廷は杜の基盤を、その権威を損ねることなく手に入れられる。そして、紫夏への見返りが朝廷での権力だ。反発も多そうだがな」


 もしも、紫夏が朝廷を牛耳ったら、と考える。

 今、どうにか朝廷からもぎ取ろうとしている干州。あの地は一体どうなるだろう。唐林の方からも杜へは繋がっている。肥沃なあの地を、彼らは放っておくだろうか。



「士気は……? 数では、とても勝てない……わよね。唐林があるにしても、圧倒的な数で囲まれたら……」


 埜比のことを思い出す。取り囲まれた埜比の街はどうだった。

 ひっきりなしに上がる黒い煙。饑餓に苦しむ住人に、狂ったように飛び出してくる兵たち。時間が経つごとに自分の背後に死を感じつつ戦に身を投じる防衛軍の恐怖。想像するだけで、ぞっとしてしまう。


 稜花は模索した。唐林を囲まれる前に、敵軍をどうにか減らさねばなるまい。

 だとしたら、数の差が最も影響を与えない土地は何処だ。


「山に囲まれた細い谷? 隘路(あいろ)の活用……ううん、そんなことじゃどうにも」


 途方に暮れる。四州と杜がともに攻め込んできて、勝ちうる方法などあるのだろうか。いくら疲弊した朝廷の軍だからと言って、民の数だけはどうにもならない。

 負けた土地がどうなるかなど、稜花もとうに分かっている。だからこそ、なんとしても、彼らの侵略を許してはならない。

 もちろん、彼らが侵略すると決まったわけではない。しかし、明らかに何らかの圧力はかけてくるだろう。そんなに生やさしい時代でないことも、稜花は分かっていた。



 必死で頭を回転させる稜花を、楊基は面白いものを見るような目で見ていた。ごく真剣な様子の稜花に近づいてきたと思えば、彼はふと、稜花の片手を取る。

 これからのことを考えて頭がいっぱいになっていた稜花は、突然触れられたことに目を白黒させた。


「稜花姫。私と、李永殿が考えていることは同じだ」


 彼が浮かべるは、王者の笑み。

 見る者を捉えて放さぬ引力を持った瞳。


「紫夏が力をつける前に、我々は独立する」


 確信を帯びた言葉だ。

 父である李永の口からも、やがては、と夢物語のように語られたのを覚えている。


 独立。それによる建国。天下太平と同じく途方もない夢だと思っていたのに、この男はいとも簡単に口にするのか。

 言いようによってはただの朝廷に対する謀叛(むほん)だ。その難しさと、具体的な手順について思考を張り巡らせ、稜花は顎に手を当てる。

 しかし楊基はそのもう一方の手すらも絡め取ってしまう。軽く引き寄せられたものだから、頭がどうにもついていかず、放心してしまう。

 そのうえで、不意打ちのような言葉を、彼は口にした。



「我が妻となれ、稜花姫」


 弾かれたようにして、楊基を見る。

 何の言葉が告げられたのか分からなくてぽかんとする稜花に、楊基は言葉を重ねた。


「昭国初代国王の妃となるのだ」

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