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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第二章
23/84

突然の来訪者(1)

 入江の緩やかな流れが、風と共に数多くの船を運んでゆく。

 春も半ばへ差し掛かる頃の爽やかな陽気。眩しい太陽は水面を照らし、てらてらと眩しい輝きを反射していた。


「いい風ねえ」


 長い青銀色の髪が風にすくわれた。

 稜花(りょうか)は流れる髪を手で梳き、眩しそうに目を細めた。それからうららかな陽気に満足して、うーんと背伸びする。

 稜花を乗せた軍の船は、比較的緩やかな速度で稜河(りょうが)を下っていた。甲板で空を仰ぎ見ながらゆっくりとした時間を過ごす。稜明(りょうめい)へ向かう帰路だからこそ、こんなにも緩やかな気持ちになれる。

 そうやって風を感じながら寛いでいたところ、横から呼びかける低い声が一つ。



「姫、風が強いので甲板は危険です。あまり身を乗り出さないように」


 稜花が全身で浴びる太陽の光。

 それがまったくもって似合わない全身黒づくめの男は、相も変わらずの無表情で自身の主を見ていた。


「わかってるわよ。楊炎(ようえん)は心配性なんだから」


 口を尖らせて、稜花はもう一度空を仰ぐ。

 昨年の戦に明け暮れた日々が嘘のように、穏やかな空気が稜明には流れていた。もちろん、稜花はこれが束の間の休息であることを知っている。

 条干(じょうかん)を守りきった後は、しばらく稜明に戻ってはいたが、秋が来る前には再び彼の地に赴くことになった。干州(かんしゅう)西部“唐林(とうりん)”へと身を寄せ、周囲の治安を護るために高越たち残党狩りに尽力し、半年あまり。気がつけば年が明け、春が訪れてしばらく。この度ようやく稜花の元へ帰還命令が届いた。

 新年には一度稜明へ戻りはしたが、李永(りえい)だけでなく李公季(りこうき)も不在で、なんとなくもの寂しい年明けとなったことも覚えている。干州についての交渉もあり、新年の慶賀の際にかなり尽力したとか。




 干州が平定されてからしばらく、稜明の皆は干州の内政に食い込もうと朝廷に対して積極的に働きかけている。しかし外交合戦の場では、稜花の力が及ぶところではなかった。

 表向きの政治の世界は、戦場以上に女が参加するには厳しい世界だし、かといって裏の政治――官吏の妻たちが繰り広げる策謀術の場など、稜花はとてもではないが参戦できる様子はない。

 自分に出来るのは、戦に出ることだけだと、まこと女性らしからぬ結論に至り、昨年秋以降、すっかり軍部の仕事に身を落ちつかせていた。


 とはいえ、久しぶりの稜明。嬉しくないはずがない。稜明の都“尚稜(しょうりょう)”が見えてくると心が浮き立つ。

 稜花は甲板の先頭に立ったまま、河の周囲の景色を見た。広大な大地には豊かな緑と田園が広がっている。


 稜明は今、蓄えるべき時だ。昨年までの戦で消耗した食料・兵・武器、何もかもが不足している。生産に力を入れる日々。人びとの生活もけして豊かとは言えないものの、皆生気に満ちた表情をして、あくせく働いている様子が目に入った。

 その活気溢れる様子に、帰ってきたなと実感して、顔が綻ぶ。やはり稜明は良い土地だと実感し、稜花は自分の一族が治めていることに誇りを持った。


 ――私も、役に立てているのかしら。


 少しは、役に立っていれば良い。

 稜明に戻ったら何をしようか。久方ぶりに、農村の方へ足を運ぶのは決定事項としても。李進の軍の者とも会いたいし、手合わせだってしたい。

 相変わらずの李公季は呆れるだろうか。奥方の香祥嬉(こうしょうき)だって、苦笑いを浮かべるかもしれない。



「稜花、着岸の準備に入るがいいよな?」


 そうして期待に胸を膨らませていると、甲板後方から声をかけられてはっとした。

 干州の平定から約一年。共に戦ってきたのは楊炎だけではない。

 振り返ると以前と比べて随分と成長した青年がひとり。泊雷(はくらい)はずいぶんとまた身長が伸びたのではないだろうか。日に焼けた逞しい体つきや、精悍な顔立ちは、すっかり少年らしさがなりを潜めていた。


「お願いするわ」


 頷き返すと、泊雷は心得たと周囲の兵たちに指示を出し始める。

 この一年。稜花が改まって軍部に参加したことにより、稜花軍なるものが形になりつつあった。稜花を大将、楊炎と悠舜(ゆうしゅん)を副将として、干州での仲間を中心に構成されている。

 泊雷もその一人で、相変わらず勝負を挑んでくるものの、最近は稜花より楊炎が相手することの方が増えていた。



 街が近づいてくると、人々がぽつりぽつりと稜花たちの船に視線を送ってくるのがわかる。軍部の船に乗る少女など、一人しかいないことは周知の事実だ。噂の李家の姫君が手を振ると、遠くでわっと歓声があがるのがわかった。

 お帰りなさいと、温かく迎えられている心地がして、稜花の顔もほころんだ。


「久しぶりね、本当に」


 くすりと、稜花は微笑んだ。そして、悪戯を思いついたような様子で、楊炎を見る。


「今回は兄上の仕事がたまっていないと良いわね、楊炎」

「……姫にも原因の一端があることを、御自覚なさいませ」





***





 無事に港に着岸し、兵たちはそれぞれ荷下ろしをはじめる。稜明は、稜河の恩恵を受けてきた地域だ。昔から船の扱いに慣れている。作業自体は彼らに任せてしまって問題ないだろうと、稜花は真っ直ぐ城の方へ向かうこととした。

 まずは李永のところへ向かうのが良いだろう。今回の遠征についてや、帰着の報告をする義務がある。到着を知らせる先触れも出しているから、突然ということにもなるまい。


 この時間だと数多くの兵たちは調練に勤しんでいることだろう。兵舎の方には後で顔を出すとしても、今日は兵が随分と多い気がする。前回戻ってきた時よりもかなり多くの警備兵が配置されており、稜花は瞬いた。

 それぞれ、警備に勤しんでいる数多くの兵たちは稜花の顔を見て頬を緩ませる。口々に帰還を喜ぶ言葉を告げられ、稜花もくすぐったい気持ちを味わうことになった。




 宮の中に入ると警備の差がなおも顕著で、稜花は目を丸くした。

 物々しい、といったものとはちょっと違っていて、形式張っているといった印象。背筋を真っ直ぐと伸ばし、規律正しいと行った様子の兵が其処此処に立っている。

 この様子は、賓客か何かだろうか。適当に兵を捕まえて聞いてみようとした、その時だった。



「稜花。帰ったか!」


 思いがけず、李永の方から迎えにあがろうとしてくれたらしい。遠くから声をかけられ、はっとする。

 そして、何ぞ、と思い視線を送ると、すぐに稜花はその歓迎の意図を悟ることとなった。



 鋼色の髪に、燃えるような朱の瞳。細身でありながらも、無駄のない筋肉に端整な顔立ち。精悍な雰囲気の、武将という名がふさわしい男ーー昭の領主楊基(ようき)が、かっちりと髪を結い上げ、袍を纏って、李永の隣に控えている。

 あまりに突然の再会に、稜花は言葉を失い、目を丸めた。隣で楊炎がぴりっとした空気を纏うのがわかる。明らかに警戒心を持った様子で、さりげなく一歩前に出たのがわかった。


「相変わらずだなーーいや、稜花姫は随分とお綺麗になられたな。久しくお目にかかる、姫」


 こちらに歩み寄って来たかと思うと、恭しく一礼されてしまう。隣領の領主がわざわざ挨拶をしてくれるわけだ。稜花としても対応せざるを得ない。

 稜花も、彼と初めて出会った時とは立場も心構えも変わった。稜明の姫君としての役割を担わねばとも当然考えるようになっている。

 本心をすっぽりと覆い隠す笑顔を貼り付け、頭を垂れた。


「ご無沙汰しておりました、楊基殿。お会いできて嬉しく思います」



 なるほど。と、稜花は思う。今回の突然の帰還命令は、彼の訪問によるところが大きいのかもしれない。

 しかし、あまり関わり合いになりたくないという気持ちがどうしても出てきてしまう。前回会ったのは一年以上前とはいえ、彼に良い印象は抱いていない。これは早い内にとんずらした方が身のためだと早々に判断した。

 少し首を傾げ、口元に手を当ててきょとんとした顔を見せる。短い期間で香祥嬉にたたき込まれた、とぼける際に使う表情らしい。


「父上。楊基殿がいらっしゃってたのですね。でしたら、私はお邪魔でしょう。ご報告は後ほど致しますね」


 そうしてきびすを返そうとしたところ逃がさんとばかりに楊基に肩を掴まれた。こういう、強引なところが本当にどうしたらよいのか対処法が見つからず、狼狽することになるのだ。勘弁して欲しい。


「……申し訳ありません、楊基殿。私、遠征より帰還したばかりですので。お客様をお迎えできる状態ではありません」

「ふむ、随分と変わられたな、稜花姫。だが、心配は無用。もとより分かっていたことだ」


 完全に獣を狩るような目で見られ、後ずさりたい気持ちでいっぱいになる。少し視線を逸らし、李永に助けを求めてみたものの、にこにこと嬉しそうに見ていることから相変わらず役に立ってくれなさそうなことを悟る。

 となると……と、楊炎の方を見た。いつもの無表情かと思いきや、眉間に皺を寄せ、厳しい面持ちで彼は立っている。稜花と目が合うと、助けを求めていることが分かったのだろう。一歩前に出て、楊基を制するように手を出した。



「お戯れはおよし下さい、楊基殿」

「……楊炎か。其方は相変わらずだな」


 にや、と自信に満ちた笑みを浮かべ、楊基も楊炎を見る。

 しかし、楊炎が何を言おうがまったく気にならない様子で、楊基は稜花の手を引いた。



「姫の帰還を何日待ったと思っている。許せ」


 突然引っ張られる形になり、稜花は目を白黒させる。ちょっと、と、抵抗しようにも、がっちりと肩を抱かれてしまい、どうにもならない。元来た方向へ反転させられるが、抗うことが出来なかった。


「楊炎。其方、我らの逢瀬についてこようなど野暮なことはせぬようにな」


 逢瀬という言葉に、稜花も楊炎もぴくりと肩を動かす。そして、呆れるようにして、楊炎は眉を寄せた。


「そういうわけにも参りますまい」

「……本当に相変わらずだな」


 ふっと余裕に満ちた笑みを浮かべ、楊基は李永に視線を送った。稜花のいない数日間で、相変わらず意気投合しているように見える。

 ……ということは、と、稜花は考えを巡らせ、嫌な予感に冷や汗を流した。



「ふむ、楊炎。控えておきなさい。なに、楊基殿も稜花も武芸者だ。滅多なこともあるまい」


 いえいえ、滅多なことがありそうだから、楊炎に助けを求めているのですよ、と稜花は心の奥底で抗議する。

 しかし、領主に異を唱えようなどと、出来ようはずがない。

 勝ち誇った様子の楊基をよそに、楊炎は視線を背け、稜花は頭を垂れた。

 なまじ、腕に覚えがあるものだから、親族も稜花の警備に無頓着な節がある。今回ばかりは、もう少し心配してくれても良いのに、と、心で抗議しておいた。



「それよりも楊炎。其方には少し話があるのだ」


 しかし、同行を止めるどころか、李永自ら足止めをするなどどういった了見だろうか。

 少し真剣な様子で楊炎を引き留めるものだから、稜花はこれ以上抗議のしようがなかった。

 ふつふつと沸き起こる釈然としない気持ちを抑えつつ、楊基を見た。相も変わらずの王者の笑みで、稜花の腕を引いてくる。

 変わらぬ強引さに嫌気を感じながら、稜花はその怒りを笑みで隠した。


 ――まったくもって、父上、許すまじ。

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