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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
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李家のお転婆姫(1)

 冷たい風が、少女のそばをすり抜ける。

 少し青みがかった銀色の髪に赤い瞳。もう十五という年頃の女に似つかわしからぬ膝上丈の衣に、腰には双剣と弓をぶら下げて。この乱世で大陸の北東部を制する李家の末娘のことをじゃじゃ馬やらお転婆やら、人は好き好きに呼ぶ。

 氏を()、名を稜花(りょうか)という李家の姫君は、屋敷の窓からずっと遠くの空を見つめていた。


 そろそろだと、稜花は感じ取っていた。

 先日、ようやく北方の騎馬民族の一部を押さえ込んだと報告が入ってきていた。父の武勇が優れているのは、娘である自分が一番知っている。まさか、破れるべくもない事も知っている。

 父だけでない。このたびの移民族の流入には、隣領の軍勢も協力し、連合軍という形で当たっているという。普段は敵同士として牽制し合っている相手と共に戦う、それが如何に貴重な機会かと言うことを稜花は知っていた。


 かなりの大軍勢だと聞いている。しかし、隣領との連合軍が負けるはずがないと稜花は確信していた。

 そして、父が無事であるとかそれ以前に、稜花は楽しみにしている事があった。彼女は、戦の話が好きだった。父は今回はどれだけ活躍しただろう? どんな風に動いて、どんな風に指揮をし、どんな風に戦ったろう?

 いつも父は帰ってきてから、家族内だけの小さな宴会をする。その時に、どんな話が聞かせてもらえるのか、楽しみで仕方がなかった。


「それにしても父上ったら、遅いんだから」


 誰にでもなく、稜花は呟いた。撤収に時間がかかると言うことくらいはわかってはいる。が、楽しみな分だけ時間が遅く過ぎるというものである。

 最近では唯一の趣味である戦闘訓練だって、身が入らない。こんな風に自分の部屋で遠くの空を——正しくは、父が帰ってくるはずの凱旋路を眺める時間がめっきり増えた。

 それがまた女官達による小言の元だ。普段は「もっとお淑やかになさいませ」とか何とか小言ばっかりだというのに、最近では「今日は訓練はなさいませんの?」だなんてからかってくる。

 まったく、自分が何をしても、はやし立てるのである。そう思い起こすと、ため息が止まらない。大きな息をつき、そして再び遠くの空を見た。



 すると。遠くで土煙が立つのが見えた。ゆっくりと、数多の騎馬、人の波が、動いている。


「父上……!」


 心が浮き足だった。考える前に足が動き出す。稜花は気持ちに任せて、部屋を飛び出した。


「姫様?」


 部屋で片づけをしていた女官達。廊下を行き来する女官達。人々の間をすり抜けて、稜花は走った。

 館を飛び出して納屋へと向かう。使用人達が馬の世話を行っているところを過ぎ去って、一頭の白馬の元へと駆けてゆく。それは納屋に並んだどの馬よりも小柄で、どの馬よりも美しかった。


梓白(しはく)、父上が帰ってきたわよ。迎えに行きましょ」


 梓白。そう呼ばれた白馬は、稜花の言葉を理解しているらしい。優しく首元を撫でられて、嬉しそうに嘶いた。


「姫様、また遠駆けでございますか?」

「父上達が帰ってきたのよ! 迎えに行ってくるわ」

「それはそれは。行ってらっしゃいませ」


 うん。と、使用人の言葉に元気良く頷いて、稜花は梓白にまたがった。そして、納屋を飛び出す。昨日まで退屈で進まなかった足取りも、ひどく軽く感じるような。そんな軽快な走りだった。





「父上! 父上! お帰りなさい!」

「おお、稜花」


 大勢の兵達の先頭に立って、胸を張って凱旋してきた男。稜花の父である李永は、稜花の顔を見るなり親しげに笑った。


「わざわざ迎えに来なくても、すぐに屋敷ではないか」

「そうだけど。待ちきれなかったの」


 少しはにかみ笑いを浮かべて、稜花は李永の隣に並んだ。

 大小二頭の白馬は、並んで歩く。その様子を微笑ましげに、誇らしげに、民は迎える。その民に答えるようにして、稜花は手を振った。


「まったく、そうしていると、まるでお前が戦をしてきたようだな」

「私だって、行けるものなら行きたかったわ。でも父上ったら、連れてってくれないんだから」

「ははは、お前には無理だ」

「またそんな事言って。女だから、とか言うんでしょ? でも残念! 私ってば、そこら辺の男の兵士よりか断然強いのよ」

「だから、お転婆と言われるんだ」

「いいじゃない。進兄上はいつも褒めてくれるわよ、さすが俺の妹だって」


 だからさ。と、稜花は父親の顔をのぞき込んだ。おねだりをする時は、いつもこうする。とびっきりの笑顔に父が弱いことくらい、よく知っている。


「だから、今度は連れて行ってよ。ね? ね?」

「ははははは。まぁ、考えておいてやるさ」

「本当? 聞いたわよ、忘れないわよ、私」

「それは困ったなあ」


 二人顔を合わせて、再び笑った。それから、民の歓迎を受けつつ、ゆっくり、時間をかけて屋敷へと向かう。


「親父殿、よくお戻りになられた!」

(しん)、今帰った」


 厩に馬を繋いだところで、李永の次男が顔を出した。

 二十手前。かっちりとした筋肉がたくましい、明るい青の髪と朱色の瞳を持った男だ。李進(りしん)という。稜花と同じくして武に長け、強い行動力を持る。人を強く惹きつける魅力を持った男だ。


「何だ、稜花。えらく気が早いな」


 稜花が李永を迎えに行っていたことを今知ったのか、李進は苦笑した。


「いいじゃない、遠駆けのついでってことで」

「ははは、娘にかかっては、私もついでになってしまうか」


 稜花の一言に李永はくつりと声を上げ、同じように李進も笑った。


「あ……、ええっと、そういう意味じゃなくって」

「ははは、かまわんさ。進よ、すこし妹の相手をしてやってくれ。この調子では、夜の宴会まで私のそばから離れてくれないようだ。それはそれで、嬉しいのだが」

「えーっ、駄目なの?」

「父はまだするべき事があるのでな。遠征を終えて、兵も疲れている。彼らが疲れ切ってするべき事を投げ出してもらっては困るのでな。少々顔を出して、活を入れてこなければ」

「なら、しょうがないわね」


 稜花は肩をすくめた。さすがに、父の仕事の邪魔は出来ない。となると、稜花の暇つぶしの相手などあと一人しかいない。


「じゃ、兄上。兵の調練、私も行ってもいい?」

「親父殿が駄目になったとたん、すぐに俺に矛を向けてくるのか」

「午後の調練、もうすぐじゃないの?」

「それはそうだが」


 はぁ。李進が、大きくため息をついた。そして、この場に顔を出した事を少しばかり後悔するかのような表情を見せる。


「では、進よ。妹を任せたぞ」

「親父殿、やっかいごとを回すのもほどほどにして下さい」


 李進はぼやいて、父の背中を見つめた。李永は、楽しそうに笑いながら、厩を去っていく。



「やっかいごとって何よ。ちょっとくらい、見に行ってもいいでしょ」

「確かに、お前が来たら兵の士気は上がる。断然あがる」

「じゃあ、いいじゃない」

「それよりも。お前の場合、見るだけで収まらないから問題だ」


 稜花、彼女がお転婆やらじゃじゃ馬だと呼ばれる所以はここにある。

 たしかに、彼女の服装は非常に奇抜である。普通の女は、丈の長い衣装で脚を隠し、慎ましやかに生活する。だが、彼女は違った。稜花でなければ痴女と言われても反論できない程の、脚を出した短い衣装を好んで纏っている。

 それだけではない。彼女は武芸を好み、毎日の調練も欠かさない。並大抵の男ではもはや彼女の相手にはならなかった。だから、たちが悪い。断然悪い。

 己の力を過信しすぎること。これが戦場においてどれほど危険か。それは李進が過去に経験し、良く知っていた。女でありながら、稜花は昔の自分と重なって見える、そんな部分がある。


 調練とて、侮っては怪我もする。命を落とすことすらある。彼女に限ってそんな事はないと思うが、万が一、ということがあった。

 たしかに、目の前の妹は武芸に長けている。だから、彼女の能力を生かすために、戦場へ連れて行きたいとも、李進は考えた事があった。それは、一武将としての、ささやかな興味と望みだ。

 しかしいざ、この李家の娘を戦場へ連れて行くとなると——躊躇せざるをえない。戦場は、年若い女を歓迎してくれるほど、生やさしいものではないのだ。


「まぁ、親父殿の頼みだから仕方あるまいが」


 なんて、柄にもなく難しい事を考えてみたけれど、この妹を止める事は出来ない。それは兄であるがゆえ良く知っている。最後には笑って、稜花を歓迎してしまうのだから、つくづく妹思いだなぁと、李進は自分で自分を感心した。


「やったあ。ありがと、兄上」


 稜花は両手を振り上げて喜んだ。かちゃん、と、腰に下げた双剣が音を立てる。そんな嬉しげな妹を見つめて、李進は微笑ましく笑った。



 実際に、稜花が来ると、調練はいつにも増して効果が上がる。それは、稜花に負けじと兵達が競うだけでない。たしかに奇妙な服装はしているが、稜花は抜群に整った顔立ちをしていた。年相応の振る舞いさえ身につけていたら、希代の美姫と言われても可笑しくないだろう。

 そんな彼女だからこそ、調練場も華やぐというものである。皆が皆、稜花にいいところを見せたくて仕方ないのだ。それを、李進は良く知っている。


「まぁ、一家に一人お転婆って言うし……」

「ちょっと、何よ、それ」

「褒め言葉だ」

「全然良い気持ちしないんだけど」


 稜花は顔をしかめて反論した。そして、大きく深呼吸して、言う。


「まあ、いいわ。そうと決まれば、兄上、早く行きましょ。ほら」

「——だな」


 李進も大きく頷いて、そして、二人はそれぞれの愛馬を連れ、厩を飛び出していった。


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