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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
19/84

稜花の決意(1)

「くっ! 叩いても、叩いても、減りやしないな!」


 李進は吐き捨てるように言って、手に持った大刀を振るった。

 干州(かんしゅう)の州都条干(じょうかん)。外壁の南側にずらりと兵を並べ、彼は全面戦争を強いられていた。



 もともと李進軍は干州の東の地を制圧。

 その後、(きょう)軍が駐留する南の方角へ兵を進めていたのだが、宇文斉(うぶんせい)より伝令が届いた。直ぐに条干へ入るようにと。

 もともと懐の探り合いで長らく戦線が停滞していた。ようやく戦況が動きはじめたと思ったら、いきなり、直ぐに条干へ行けと。随分無茶を言うものだと李進は思っていた。


 しかし、その無茶を言わせるだけの理由があったのだと、すぐに理解することとなったわけだが。




 条干入りはすんなりとできた。というより、条干自体が機能していないと感じた。

 李進が条干へ着く数日前に、匡との同盟を掲げていた上佐(じょうさ)の位についていた男が亡くなった。

 それをきっかけに、条干内の勢力は一気に稜明側へ偏った。結果、李家の次男である李進は快く迎えられたわけだが、都合の良い駒のように考えられていたようだ。

 匡の北進——すなわち、匡の条干入りを妨げと、州官達は宣ったのだ。


 干州としては、味方にするなら稜明と匡のどちらでも良かったのだろう。強い方につく。実に単純な回答だ。片方を取り入れ、もう片方を排除させる。

 もちろん李進たち稜明軍も、干州の味方をすることは最初から決めていたことだ。匡と戦うことになることも覚悟はしていた。


 しかし、条干の州官たちの態度はどうにも好きになれない。人を田舎侍だのなんだのと馬鹿にして、守られて当然だと思っている。

 干州の荒れた土地や、まずしい民の姿を見てきているからこそ、彼ら上層部の神経が理解できない。李進はふつふつと湧き出る苛立ちを、目の前の匡軍にぶつけていた。




 それにしても、匡軍は思った以上に好戦的だ。というより、条干に正面から攻め込んでくるなど何を考えているのか理解しがたい。明らかに朝廷に喧嘩を売る行為なわけだが——宇文斉が文にしたためてきた言葉が本当だとしたら、特に驚くことでもない。


「ほんとうに、厄介な」


 この戦い方。覚えがある。

 退くことを許さない。兵を使い捨てにする戦法。

 狂気とも言える叫び声を上げる兵たち。上がりきらない士気。しかし、恐怖に駆り立てられ一斉に突進する。


 ——最悪だ。



「こりゃ、王威(おうい)様のお出ましってか」


 冗談でも、ごめんだ。


 今、李進達の兵が約二万五千。

 匡軍よりも僅かに少ない。泊愉や稜花達が合流しないことには、王威がいる敵軍には苦戦が強いられるだろう。

 干州兵も動く気配を見せないのが厄介だ。その事実が自軍の兵たちに不満を募らせている。さらに相手の異様な士気に気圧されなければ良いが、と、一抹の不安がよぎる。




 かれこれ日が昇ってから、天の頂きに登るくらいまで武具を振り続けていた。

 自分の護衛兵達も、疲れている様子が隠せない。これではただの消耗戦だ。

 一端、城へ退くべきか。いや、しかし——。

 李進は首を横に振った。

 王威を何とかしないかぎり李家の天下は手に入らない。いくら苦しかろうと、ここが踏ん張りどころであることがわかっていた。



「若君! これ以上前に進むのは、無理です!」

「言うなっ! 耐えるんだ。必ず勝機は見えるっ!」


 兵が口々に諦めの言葉を口にしだしている。士気が、ずいぶん落ちている。やはり、このまま進むのは無理か——。

 そう思って、李進が号令をかけようとした時だった。


 敵兵の様子が、おかしかった。

 おかしいと思うと一気に崩れ、そして陣形が乱れた。




 ——ダッダッダッダッ!


 無数の、騎馬兵の蹄の音が聞こえた。そしてそれは敵軍の側面から現れ、背後へ回り込むようにして、攻撃を仕掛ける。

 敵兵が皆、ひるんだ。前からだけでなく、後ろからも攻撃が仕掛けられ、方向を失うようにして立ち止まる。奇襲部隊はそれを逃さない。騎兵が速さでもって翻弄した後、歩兵部隊で退路を塞ぐ。


 その陣形を見た瞬間、李進の心が、一気に沸き立った。そして声を震わせて叫んだ。



「今が勝機だ! 一気に進めっ!!」


 兵達の目の色が変わった。それぞれが声を上げ、真っ直ぐに斬り進んだ。面白いくらいにあっさりと戦況が傾く。李進軍は今までの倍以上の速さで前進し続けた。


 奇襲を仕掛けた騎馬兵達——その後ろに控える人物を見て、李進は目を見開いた。

 奇襲部隊全員に号令をかける少女。小柄な白馬に跨がり、高らかに声をあげる。そして周囲の兵たちは彼女に呼応し、前へ出た。


 この戦場に女は一人しかいないことを、当然、李進は知っている。

 知っているのにどうしてだろう。一瞬誰かと疑った。正直、彼女が誰なのかわからなかった。


 以前に埜下で見た彼女を思い出した。

 目の前の敵にいっぱいいっぱいになって、周囲が何も見えなくなっていた。あまりにも、危ういあの実の妹が。知らぬ間に、どうしてこんなに変わっているのか。



「……ちくしょう、美味しいところを持っていきやがって」


 李進の姿を見つけたのだろう。敵を挟んで向こう側、とちらりと目が合った気がした。

 しかしすぐさま号令をかけ、敵を追い詰めていく。その堂々とした様子を目の当たりにして、李進は破顔した。


「ずいぶんいい瞳をするようになったじゃねえか」




***




「姫に続けーっ!」

「李進様を援護せよっ!」


 稜花が戦場を駆けるのに続いて、騎馬隊が敵後方を撃破していく。勢いは渦となり、もう、彼女の意志から離れ、とどまる様子がない。

 歩兵が匡軍の退路を塞ぐように移動する。その先頭を駆け抜ける。


 稜花に続く騎兵の奇襲部隊は僅か五百。しかし、彼女たちの後ろには、干州東に散り散りになっていた稜明軍が集結している。条干まで来て、その数は一万二千ほどになっていた。


 敵を挟んで逆側に、李進の顔を確認して、稜花は笑った。兄と戦場に立っているだけで、こうも心強いものか、と。

 李進も稜花の姿を見つけたらしい。一斉に旗を掲げ、全軍に追撃の指示を出している。この機を逃す気はないらしい。

 兄らしい判断に、稜花は安心した。彼が乗ってきてくれなくては、この後の作戦も成功が見えない。




「姫、居ました」


 隣を駆ける楊炎が呟く。彼の視線の先。目的の男を見つけて、稜花は息を吐いた。


「ある意味、最悪の展開よね」


 敵陣中央。生半可な攻撃ではたどり着けない奥。おそらく匡の総大将と並んで、ずっしりとした鎧に身を包んだ男がいる。他のものよりひとまわり大きな馬に跨り、威風堂々といった風に戦場に君臨する。


「王威……!」


 姿を見るだけでびりびりと緊張感が走る。かつて刃を交えたあの剛の技。一撃抑えるだけで限界だった。それが、今の稜花と奴の腕の差。真っ向から迫ったところで、勝機など見えようがない。


「姫」

「大丈夫。わかってる」


 かつて、奴と対峙した時のことを思い出したのだろうか。何やら諌めるような口ぶりで名を呼ばれるものだから、稜花は苦笑した。

 心配せずとも、稜花だって少しは変わったはずだ。いつかのように単身飛び出すようなことはしない。


「手筈通りにいくわよ」

「御意」


 楊炎に視線を向けたのち、さらに後方。敵左翼を包囲している悠舜たち別部隊に目を向けた。

 彼も心得ているのだろう。目的の敵将に向かって真っ直ぐ突き進む。彼の後ろには泊雷が。大丈夫。心強い味方が、たくさんいる。




 意を決して、稜花は王威を見据えた。そして腹の底から声を響かせる。


「王威!!」


 稜花の高い声が戦場に響き渡る。男しかいない戦場において、何故、女の声がすると誰もが瞬く。敵兵の視線を一手に浴びて、稜花はにいと笑みを浮かべた。


「私は稜明の李稜花! 貴方に一矢浴びせたこと、忘れたとは言わせないわ!」


 稜花の宣言に、周囲はざわりとする。

 まだ年若い、小柄な少女。それが、かの王威に一矢浴びせるとはどういう事だ、と。

 稜明軍に取り囲まれた混乱と、稜花の言による困惑。二つが波紋のように戦場に広がる。

 稜花はにいと笑ったまま、戦場を駆けた。



「来た……!」


 やがて、一つの視線と交差する。巨大な馬から見下ろすように目を向ける。稜花の姿を確認し、腹の底から愉快そうに顔を歪めた。


「女、やはり来たか……!」


 恐悦にまみれた様子で、王威は戟を構えた。匡軍をかき分け、こちらに真っ直ぐ接近してくる。

 まだ、奴との距離は遠い。しかし、その威圧だけで尻込みしてしまいそうなほどの圧倒的な存在感。体の奥底から震えのようなものが湧き出して、稜花はびくりとした。


「姫」

「っ! ……大丈夫、行くわ!」


 楊炎に声をかけられ気持ちを立て直す。大丈夫。今稜花がすべき事は、彼を誘導し、時間を稼ぐこと。直接対峙するわけではない。


「王威! 来なさい!」


 王威の目を一身に受けるため、稜花は奴に呼びかける。そして奴の方向へ向かうと見せかけて、わずかに進行方向をずらした。

 王威の愛馬夜徒は他に類を見ない駿馬だ。単純に追いかけられれば、あっという間に捕まるだろう。

 だからこそ、稜花が少しでも有利になるように、周囲の力添えが必要だ。悠舜や李進が、王威と他の部隊を切り離し、敵総大将をむき出しにする。そこまで逃げ切らなければいけないのだ。




 王威は稜花隊の兵たちだけでなく、匡の兵すらちぎり、彼の道を開いていた。

 やはり、強い。不利な状況をものともしない絶対的な武。一度は対峙したにもかかわらず、奴の力を再度見るだけで、恐怖に心が奪われる。

 たちまち王威と横一線に並ぶように走り、手綱を握る手にも力が込められる。



「弓兵隊!」


 距離が詰められることも最初から分かっていた。だからこそ、稜花は彼女の騎馬兵の一部に弓を持たせていた。

 稜花の号令とともに、騎馬状態から皆一斉に弓を引く。雨あられのように、王威周辺に矢が射掛けられる。しかし、奴はそれを戟ではね退け、不敵に笑った。



「女、それで俺を追い詰めたつもりか!?」

「……!」


 しかし王威は、矢に怯むどころか、益々勢いを増して稜花に迫った。想像していたよりも随分早く追い詰められて、僅かに狼狽する。

 王威は適当な兵の槍を奪い取り、それを構えるのが視界の端にうつる。大きく振りかぶり、その槍をどうするのか想像出来てしまい、稜花の脳が鈍った。


 ーー来るっ!!


 この距離で槍を投げられて、避け切れるだろうか。もし梓白が狙われたらどうすれば良い?

 いろんな可能性が脳裏に浮かび、反応が遅れる。

 王威の放った槍は一直線に、稜花めがけて飛んできた。




 ーーダメだっ、当たるっ!!


 恐怖が全身を麻痺させる。

 体が強張り、しかし頭は随分と冴え渡っており、奴の放った槍が妙にゆっくりに感じる。

 体が動かないまま、槍の軌道を目で追う。

 そしてそれが、稜花をとらえるほんの手前——そこに閃光が走り、槍が真っ二つに裂かれた。



「姫、走りなさい!」


 声を荒げる楊炎にはっと我に返り、稜花は目を丸くした。長い刀を引き抜いて、楊炎が馬を旋回させていた。

 何のつもりだと思った時には、楊炎はすでに王威と刃を交えていた。


「楊炎っ」


 全力で駆ける梓白を、いきなり方向転換などできようもない。遠ざかっていく楊炎を確認して、稜花は体温が急激に下がっていくのを感じた。



 どうして楊炎が隣にいないのか。

 どうして彼は一人で残ったのか。

 どうしてあの巨大な敵にたった一人で立ち向かって行ったのか。



 目を見開く。頭が真っ白になって、どうすればよいのかわからない。そうこうしているうちに、彼らとの距離がどんどん離れていってしまうのに。


「楊炎っ!!」


 稜花は叫んだ。振り返ると、王威と互角に刀を振るっている楊炎が見える。

 すぐさま合図を送った。

 すると、楊炎たちの周囲を騎馬部隊が取り囲むよう移動する。しかし誰もが横入りできなくて、楊炎たちの周りにぐるりと見守る形になった。



 胸の奥を喪失感が駆け抜ける。

 楊炎。何故、一人で判断して、残ることを決めた?

 稜花には、けして彼と対峙するなと口を酸っぱくして告げていた。

 だから、逃げて時間を稼ぐ方法をとった。そして逃げる稜花の隣には、楊炎がいるはずだった。

 それが当たり前で、疑いようもない状況だったはずなのに。



 ーー許さない!


 心で叫んで、稜花も梓白を旋回させた。ぐるりと弧を描き、王威と対峙する楊炎の元へ駆け戻る。


 楊炎の冷たい片眸。それが益々暗く影となり、王威を見据えているのがわかった。

 何をしているのだと問い詰めたくなる。今は王威と直接対決する必要など無いのに、何故彼は止まったのか。


「楊炎の馬鹿っ!!」


 確かに足止めという役割に不足はないだろう。

 しかし、稜花は楊炎ただ一人にそんな危険な真似を押し付ける気などない。彼の義務感だけで、危険な場に身を投じて欲しくないのだ。



「王威っ、待ちなさいっ」


 楊炎と対峙する王威に向かって、稜花は声を張り上げる。

 全くの互角に武具を振るう二人の間には誰も入りようがない。だからこそ、駆け寄る稜花に、楊炎も王威も目を見開いた。


「邪魔するな、女!」

「来るな!」


 二人の荒々しい声が聞こえたと思うと、ぶん、と、王威は戟を横一線に薙いだ。稜花の突進を退けるように放たれたそれを、楊炎が刀でもって軌道を変える。


「チッ、貴様、やるな」

「姫には指一本触れさせん……!」


 心底楽しげに戟を振るう王威と、憎々しげに奴を見返す楊炎。対照的な態度の二人は、再度向かい合い武具を振るう。


 ごく近くまで来たというのに、二人のやりとりを目にして、稜花は動けなくなってしまっていた。

 楊炎が、いつもと違う。

 憎々しげ。負の感情をむき出しにして、声を荒げる。普段の低い声、落ち着いた物言いから程遠い彼の姿に、稜花は息をのんだ。




「兵を割いて。王威は逃げれなくすればそれでいい。他の匡兵に割り込ませないで」


 二人から目を離すことなく、稜花は傍の兵に指示を出す。心得たように周囲の兵が動き出し、しかし稜花は一歩も動けずにいた。

 その様子を横目に確認していたのだろう。王威は口の端を上げた。



「女、この男を殺したら次は貴様だ! 逃げようなどと思うな!」

「させん!」


 王威の振るう剛の腕を、楊炎は柔の技でもって受け流す。王威は心底楽しそうに、腹の底から笑った。


「ふはははは! 俺と互角にやりあえる男など、初めてだぞ」

「互角? 笑わせるな」


 楊炎は不愉快そうに言葉を吐き捨て、王威の脇腹を狙う。


「ーー俺の方が、上だろう!」


 叫び、楊炎の放った素早い一閃を王威は戟でもって制し、弾き飛ばした。




 二人が対峙している横で、戦は進む。時間稼ぎは十二分に効果を発揮し、稜明軍が敵を追い詰めていくのが目の端にうつった。


 微動だにできぬまま、稜花は両手を握りしめる。

 あと少し。あと少しだから、お願い。


 ーー楊炎を。楊炎を私に返して……っ!


 無事を願ってやまない。

 誰も入って行けない不可触の戦場。楊炎が今立っているのは、彼ら二人の生き死にの場。

 かつてのように、弓を射ることすら許されぬような気迫の塊に、稜花はぴくりとも動けない。


 震える感情をどうにか保って。目を背けたくなるような命のやり取りに、心が悲鳴をあげている。

 二人はお互いを制するので精一杯のようだ。周囲には目もくれず、目にも留まらぬような応酬を繰り広げている。



 ーーあと、少し……!


 はやる気持ちを押さえつけて、稜花はできるだけ冷静に、前線に目を向けた。悠舜の部隊が西の戦場を制し、李進の軍が敵本隊とぶつかり合う。稜花の部隊が南側を制し、膜となって戦場を囲みこむ。

 じりじりと焦る気持ちで、稜花は更に視線を動かした。必要な駒はあと一つ。宇文斉、急いでと心の奥で毒づきながら、稜花は東の空を見た。

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