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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
16/84

干州平定戦(3)

 そこからの毎日は、前線を維持することに努めた。悠舜(ゆうしゅん)を補佐に、大部隊を動かし方の教授を受ける。

 戦線がゆったりとしていることも、彼女が指揮をとるに丁度良いとでも思われたのだろうか。稜花や泊雷(はくらい)など若い将が西の玖周(くしゅう)に配置されたのも、現在の戦況が比較的穏やかなのと、宇文斉(うぶんせい)の控える唐林(とうりん)が近いからかもしれない。


 日中は実戦でカンを磨き、夜間は幕舎にて悠舜に教授を受ける。また毎日の見回りしていると、必ずと言っていいほど、泊雷の強襲を受ける。その流れで他の兵たちとも剣を交えていた。

 その毎日が繰り返されるさなか、稜花はやはり干州(かんしゅう)と稜明の温度差を肌で感じていた。


 稜明の兵達は皆士気が高い。父である李永(りえい)を慕っているし、稜花に対しても好意的だ。停滞している戦線だというのに、腐らずに戦についてきてくれているし、とにかくよく動く。父や兄が、普段から彼らにどれだけ心を砕いてきたのか。少し接しただけでもよく分かった。

 だからこそ、自分も同じように彼らに接したいと強く思った。今、干州の民達を目の前にして、仕える主も、意味すらも分からず頭を下げ、自分たちへの不利益を受け入れる。この干州の民のような目には決してあわせてはいけないと思った。




 そうして決意新たに毎日を過ごす中で、十日ほど経過した後。宇文斉よりひとつの連絡が入った。


「我が策、成れり」


 火でも、水でも、伏兵でもない。わかりやすい状況の変化は一切無い策。

 ただ、総攻撃を仕掛けるという言葉に違和感を覚えながらも、稜花は覚悟する。


 ついに、敵兵を一掃する日がやってこようとしていたのだから。





***





「お待たせしました。はい、僕が来ましたよー」


 夜。伝令が来たまさにその日。玖周の本陣に宇文斉が少数の兵を率いて現れた。


「姫様、お疲れ様です。被害も少ないし、よく我慢してくれましたねー。さて、ちゃっちゃと制圧しちゃいますよ」

「待って待って、宇文斉。状況の変化について行けないんだけど」


 軍議を開き、主要な隊長達が一堂に会する中、稜花は声をあげた。悠舜や泊雷たち他の将も、宇文斉の策の内容がまったく分からないのだろう。全員が全員、説明を求め、責めるようにして宇文斉を見ていた。


「あー。みんながっつきすぎはよくないですよー。落ちついて。うん、ちゃんとはじめから説明しますから」


 そう告げて、宇文斉は卓の上に干州の地図を広げる。そして、先日と同じように東西南北四カ所に、(きょう)を含めた敵軍の駒を置いた。北・西・東を反乱軍が、南を匡が押さえることによって、干州を囲んでいる所から、説明をはじめる。



「反乱軍は稜明の将がそれぞれ対応しているのよね。南の匡はどうなったの?」

「それなんですけどねー。動こうにも、動けなくしました」

「?」


 端的な回答をされたが、どういうことなのかさっぱり分からない。稜花だけでなく、誰もが怪訝な顔つきをしたのを、 宇文斉は実に楽しそうに眺めている。



「そもそもの話をしましょうか。匡の条干入りは、ある条件が必要不可欠だったんです」


 宇文斉はさも嬉しそうに、干州の州都条干をトン、と指さす。


「今の状況で匡がそのまま条干入りすることは出来ないんですねー。言い換えると、僕たちも条干を取り囲んでいる状況な訳ですから」


 匡を含めた反乱軍たちが干州を取り囲んでいるのと同じで、稜明軍も三方向に散っている。条干を取り囲めるのは両軍が同じ状況ではある。もちろん、各地の争いを制することが前提となるわけだが。


「武でもって条干に攻め入ったら、匡は朝廷に対して謀反を起こしたのと同義になりますよねー。その時点で、僕たち稜明は匡から条干を奪い返す大義名分が出来ちゃうわけです。戦の前にすでに取り囲まれてるんじゃあ、勝負は見えてるでしょう? だから、向こうは指くわえて見てるしかないわけですよ」


 干州は朝廷の直轄地だ。だからこそ、稜明も慎重になっている。

 単純に武力で侵攻するのは悪手なのは確かだが、だとすれば、稜明もどのような手を打つつもりなのだろうか。そう思い、稜花は小首をかしげた。


「稜明も最終的には条干を狙っているのでしょう? 取り囲まれている状況は、お互い様じゃないの?」

「それは、条干への入城の仕方によりますねー。武力を持って条干に入るのは問題ありですが、向こうから歓迎されるなら話は別なんですよ」

「匡がすでに歓迎されてるって事はないの?」


 稜花の質問を待っていたのだろう。宇文斉は実に満足そうに口の端を上げた。


「うん。ないですねー。それ、出来なくしました」

「?」

「我が策、成れり。つまり、そういうことですよー。条干には、匡との内通者がいた。条干を内側からあけ、匡に引き渡すための内通者がね。邪魔なので、消えてもらうことにしました。今頃条干では大騒ぎだと思いますよー。上佐の地位に就いていた男が突然消されたわけですから」



 くつくつと笑うその笑顔が恐ろしい。

 つまり、稜花達が高越を足止めしている間に、匡を動けなくするというのは、こう言うことか。たった一人の内通者を暗殺すること。これだけで、匡を足止め出来るなんて。


 なるほど、直接匡へなんらかの攻撃をしかけるよりも、条干で行動を起こすことは頷ける。今、情勢が乱れている条干には比較的侵入しやすいからだ。

 だからこそ、州官達は自分の身の周りに警戒していただろう。誰もがかなりの数の護衛を雇い入れていたのではと予想できる。

 そんな中で、いとも簡単に州官を——しかも上佐の地位にある男を暗殺できるものかと、稜花は思う。どうにもならないほど条干の内部が荒れているのか、もしくは暗殺者の腕が相当に良かったのだろうが。




 と、そこまで考えて、稜花ははた、と気付く。


 ——腕の良い、暗殺者?


 脳裏に一人の男の姿が思い浮かび、どきりとする。

 その髪は鋼色。鈍色の鎧に血色のマントを翻す。



「……宇文斉、もしかして」

「はい」


 にこりと微笑みを返す宇文斉。その笑顔だけで、もう彼が稜花の質問の答えを返している心地がしてくらりとした。


 なんてこと。と、稜花は思う。

 楊炎が重要な任務を任されていたことは知っていたが、まさか、たった一人で条干に行っていたなんて。しかも暗殺だなんて。万が一失敗でもしたら、それこそ打ち首ではないか。

 自分が落ち着いた戦場で凡戦を繰り広げている間に、彼はもう大きな戦を終わらせてしまった。誰の手も借りず。たった一人でだ。



「……そういうことだったのね」


 悔しくて、口を引き結ぶ。

 のうのうと戦場で時間を稼いでいた一方で、いつも隣にいた楊炎が危険を冒していた。戦の責任を押しつけたわけだ。


「随分不本意だったみたいですが。助かりました。ほんと、姫が連れてきてくれて良かったですよー。姫も無事だし、全て上手くいきましたねー。流石僕。そろそろこちらにも帰ってくると思いますよー。明日は一緒に出陣出来るでしょうねー」

「随分と危ない橋を渡らせたのね」

「あれ、怒っちゃ嫌ですよ? 何事も適材適所。上手く行ったんですから、お褒めに預かる場面ですよ」


 稜花は、じろりと宇文斉を睨んだ。

 直ぐに終わる、重要な仕事。彼が楊炎に任せたのは、暗殺だったのか。たしかに、匡が手を出せなくなるならば、この戦の終結は恐ろしいほど早くなるだろう。

 しかし今の彼はあくまでも護衛だ。なのに突然、この戦を左右する仕事を一人で背負わされるなんて。それを配慮させることも出来なかった自分の弱さに、稜花は口惜しく思った。



「……怒っているのは、自分によ。あと、安請け合いした楊炎にもね。後で文句言ってやるんだから」

「そこは褒めてあげてくださいよー」


 あはは、と、宇文斉は苦笑いを浮かべた。

 横から泊雷が「おい、楊炎って誰だ」と小声で訊ねてくるが、無視だ。今は、折角彼が策を成してくれたのだから、この機を逃さぬようにすることが先決である。胸の内で、楊炎に感謝と文句を投げつけつつ、稜花は再び地図をにらみ付ける。




「で? どうするの?」

「はい。話を戻しますねー。とりあえず、これで匡が身動きとれなくなったので、今から北・西・東を一斉攻撃かけます。東の李進様にはもうほとんど叩いてもらってますので、李進軍が匡を牽制しつつ条干方面へ駒を進めます。北の泊愉殿たちと、西の姫様も各個敵将を撃破次第、条干方面へ進軍。全体像としてはこんな感じで考えていて下さい」

「個別論としては?」

「うん、それですねー。じゃ、高越を叩くまでのお話をしますね。って言っても、今頃向こうは大混乱でしょうからねー。ある意味敵本陣を討ったのと同じ事をやってますから。これからどう動けば良いのか、指示も届かず、方針も分からず、攻めるに攻められない。そんな感じになってると思います。連絡を取るために時間を稼ごうとすると思いますので、ここで一気に兵糧庫をとりにいきましょう」

「あー、えげつないわね、それ」


 長期決戦をする際に、最も重要なもの。それは兵と兵糧の補給だ。

 食べ物がなければ人は生きてはいけない。その当たり前のものを確保・保管することは必要不可欠である。それを攻めるというのだから、相手にも短期決戦を余儀なくさせるつもりなのだろう。



「敵の連絡機関は今まともに動けないでしょうからねー。連携がとれなくなっている今だからこそ、狙いがいがあります。そうですねー。敵兵糧は、おそらく敵本陣の裏手。少人数で回り込んで火計に処すのが手っ取り早いでしょうね。あいにく、相手が陣を張っている場所は丘ですから。身を隠す場所はたくさんあります。僕だったらこういう役目も楊炎に——」

「駄目」

「——でしょうね。でしょうからーえっとー、悠舜、適任いますー?」


 楊炎を速攻却下されて、宇文斉は言葉につまった。流石に二度目は許されないことを彼も理解しているのだろう。あっさりと悠舜に話をふる。

 悠舜はしばし考えた後、他の将達をぐるりと見回した。


「そうですね。では……」

「俺を! 俺を任命して下さいっ!」



 しかし、誰と告げる前に、一人の青年が挙手をする。彼の剣幕に、皆が一瞬目を瞠った。


「……泊雷。君には任せられないよ」

「何故ですか!?」

「まったくもって向いてないからだよ」

「……」


 ばっさりと正面から切られて、泊雷は言葉を失った。

 しかし、思い当たる節は山ほどあるのだろう。周囲の将達も稜花も納得したように頷き、彼が外れたことに安堵する。


 この作戦で行うのは、いわゆる隠密行動だ。少人数の部隊を気取られないように移動させておいて、一気に襲いかかる。もちろん、その退却もかなり難しい。

 かなりの経験と、現場での判断力、冷静さ、すべてが必要になってくる。熱しやすくて猪突猛進の気がある泊雷に頼もうだなんて、誰も思わないだろう。


 しばし考えた後、悠舜は自分の部下から一部隊を選出した。この場に居ない者ではあったが、信頼できるのであろう。自信を持って、彼を推すと言葉を付け足していた。

 泊雷はまだ何かを言いたげだったが、彼の主張は黙殺された。そして作戦について話が再開する。



「姫にはこの玖周の平原一杯に陣を広げて、おおいに目立ってもらいますよー。目立って目立って敵を引きつける。これが貴女のお役目です。適任でしょう?」


 にやりと宇文斉が笑った。周囲の者たちも納得するように苦笑する。


「今まで手を緩めてきたと思いますが、もうその必要もありません。正面から一気に当たって、これまでと違うことに相手が戸惑っているうちに叩きつぶします。悠舜と楊炎で脇を固めるから、問題ないでしょう。貴女のお望み通り、貴女のお名前もある程度は戦場に残ると思いますよー。まあ、小さな功績にしかならないでしょうけど」

「……宇文斉、まさかお見通し?」

「香祥嬉様から書簡を頂いたんですよー。諸々僕は反対しますけど、貴女がやる気になっているのでしたら、がしがし働いてもらうことに異論はありませんよー」


 香祥嬉は相変わらず裏で動き回ってくれているらしい。持つべき者は信頼できる義姉であると、稜花は心の中で感謝した。相変わらず横で泊雷が疑惑の瞳で見つめてくるが、当然無視だ。



「話を戻しますけど、そうやって姫様が中心に相手の目を惹きつける。一方で兵糧庫に火計をしかける。ここまでしてしまえば、高越は間違いなく撤退するでしょう。とはいっても、逃げる場所なんてありませんからねー。軍はおそらくちりぢりになると思います。高越部隊も東に逃げると思いますから、これを追います。彼を討つ必要はありませんが……そうですね、彼からもし、匡宛ての書簡なり早馬なりを出した気配がありそうなら、これを取り押さえます」


 ここまで言って、宇文斉は実に楽しそうに、地図の匡軍の部分をこんこん、と、叩く。


「これで、匡も一緒に叩きつぶす理由が出来ます」


 そこまで聞いて、稜花は、絶対この男を敵に回してはならぬと誓った。





***





 その後も長時間、軍の細かい動きまで宇文斉は詰めていった。

 ありとあらゆる場面を想定し、お互いの配置や動きについて説明する。

 先の戦では稜花は軍議に参加させては貰えなかった。故に、今回初めての本格的な軍議に浮ついてもいたが、なんてことはない。今まで父や兄たちとも夜が更けるまで話し込んでいた内容となんら変わらない。知らぬ間に、自分は随分と戦に対する知識を植えつけられていたのだなあと思うと、少し可笑しい。




 ひとしきり話し合った後、明日は早いので少しでも長く休んだ方が良いだろう、と、真っ直ぐ自身の天幕へ向かったときだった。



「——あ」


 ちょっと会わなかっただけなのに、随分久しく感じる顔を発見して、稜花は立ち止まった。


 天幕の前。細身で長身の男は、稜花の方に視線を向ける。そして真っ直ぐに歩いてきて、やがて傅いた。



「長らく御前を離れていたことをお許し下さい。ただいま戻りました」

「……無事で良かった」


 どうやって文句を言ってやろうかと、そればかり考えていたのに。口について出たのはそんな言葉。

 いざ鋼色の髪をした彼を目の前にすると、稜花は彼への文句なんてどうでも良くなってしまった。頬が緩むと同時に、自身を縛っていた重責までもが取り除かれるような心地がして、稜花は笑う。


「楊炎、お帰りなさい」

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