干州平定戦(2)
玖周。大平原。
稜花は手にした双剣をただ一閃に凪ぐ。高越軍の兵たちはまさに烏合の衆。農民が無理矢理武器を持たされているような印象だが、立ち向かってくるのならば容赦はしない。奇声を上げながら駆けてくる歩兵たちを、騎馬隊で蹂躙する。
「姫様! こちらです! 敵右翼が下がります!」
「ここは追い詰めて良いわよね!? 追撃しましょう!」
騎馬兵たちに号令をかけ旋回する。今回の進軍ではけして数の多くない騎馬兵たちの仕事は、とにかく素早く動いて敵を攪乱すること。敵軍はほぼ歩兵から組織されているため、その役割は十分果たせていると言えよう。
「姫。敵の足並みが乱れてきました。歩兵部隊を前に出しましょう」
「わかった! 合図を!」
後ろを駆ける悠舜が、何名かの者に声をかける。旗が空高く掲げられ、進軍の合図が全軍に送られる。
稜花は真っ直ぐ敵軍を見つめた。恐れるような瞳でこちらを見てくる。彼らにとって、稜花達は恐ろしい侵略者に見えるのだろう。しかし、それはお互い様だ。成すべきことを成すためには、誰かが犠牲にならねばならぬ。そんな世の中だ。
ひるむことはない。自分に言い聞かせるようにして、稜花はただ、駆け続けた。
敵を混乱させたら、自分たちの役割は果たした。一旦後ろへ退き、後は歩兵達に任せれば良いだろう。
「歩兵部隊、前進! 前線を押し上げるわよ!」
***
「姫様、お疲れ様でした。ご無事で何よりです」
夜。
一日中戦場を駆けて、ようやく自身の天幕の前まで戻ってきた。そこに現れた悠舜が安堵したように声をかけてくる。
悠舜。赤みがかった茶色の髪に、同じく茶色の瞳。落ちついた風貌が、一見文官のように見えなくもない。
年若いながら将来有望な将官候補で、もともとこの地を任されていた部隊長だ。今は稜花の補佐として、共に三千ほどを束ねている。
彼が束ねているほかに、別働隊が大小あわせて約二千。合計五千の兵でこの平原に戦線を置いている。規模としてはさほど大きくないのだが、今は戦場があちこちに散ってしまっているため、これでも十分と言えよう。
「今日の戦もありがとう。悠舜の教えが明確で助かったわ」
「まだ部隊を率いた経験も浅いと伺っております。俺もそんなに、ですけれど。俺でよければいくらでも頼って下さい」
人好きのする笑顔で、悠舜はにっこりと笑った。自身の実力を謙遜する将は少ない。柔らかな物腰に良い印象をもって、稜花は笑った。
今は楊炎が側にいない。毎日の戦場の中で、ふと、不安が生まれることもある。両脇も背中も、なんだか四方の風通りが良いような、不思議な感覚。気を緩めると、すっと斬られるような気がしてしまう。もちろんただの消極的な想像でしかないのだが。
玖周の戦に参加しはじめて今日で五日。
この戦場に合流した後、楊炎とは別れた。いくら問おうと、彼がこれから何処へ向かうのかは教えてもらえなかった。ただ、いつもよりもずっと冷たい目をして。出会った頃のような温度のない表情で、どこか遠くをにらみ付けていた。
ひとりいないだけで、こうも違うものかと稜花は笑った。気がつかないうちに、随分と楊炎に頼っていたらしい。しかし、それも当然のことだろうと納得する。初陣からずっと、戦のたびに彼は隣にいた。いて当たり前の者がいなくなって、戸惑わないはずがない。
だからこそ、稜花は悠舜の言葉にきちんと耳を傾けるよう心がけるようになった。今、自分が飛び出していったところで、助けてくれる者はいないのだ。
幕舎が建ち並ぶ自陣内を、悠舜と歩く。明日に向けての準備をするため、各兵達が武具や騎馬の確認、補給などを各々行っている。
稜花の姿を見かけると、それぞれ兵達が立ち止まり一礼する。李進の軍ではないため、初めて顔を合わせる者ばかりだが、すでに手合わせした者も少なくはない。皆、稜花に対して敬意をもって接してくれている。信頼関係の構築について危惧していたが、問題はなさそうだ。
「補給の方は問題ないのかしら?」
「ええ、唐林から宇文斉殿が管理しておられますから。心配ないですよ」
「それは安心ね」
宇文斉が裏で操っているなら、何の問題もないのだろう。実際、稜花が来る随分と前からこの陣は動いているわけだが、長期間戦を続けているというのに兵達に疲れた様子がない。それだけで、十分な供給があることがわかる。
悠舜の報告に安心して、ほっと息を吐く。
頬の筋肉をゆるめた、その瞬間だった。
稜花は鋭い殺気を感じ、振り返ると同時に双剣を抜く。
「だああああっ!!!」
「――甘い!」
自分にほど近い天幕の裏から現れた大きな殺気。
貫く槍撃をひらりとかわし、稜花は駆ける。突然の攻防にあっけにとられたような悠舜が視界の端に映って、稜花はくすりと笑った。
相手の槍は左方向になぎ払われるが、とっさに身を伏せてやり過ごす。そうして大きな隙が出来たとき、相手の背中方向に回った稜花の右手は、すでに相手の喉元へ迫っていた。
ぎり、と、間合いを詰め、相手の顔を覗き見る。上背のある筋肉質な男は、額に汗を浮かべつつ、ぎょろりと稜花を見下ろした。
「……まだやる?」
稜花がにい、と微笑みを浮かべる。スッと右手の剣をすべらせると、うっすらと相手の首元に赤い線が出来た。
「……いや」
相手は微動だにできずに、短く言葉を切る。さも忌々しげな表情で、稜花を睨み続けていた。
相手の言葉を確認し、稜花は大きく頷いて、喉元の剣を離した。すっと双剣を鞘に収め、改めて相手の顔を見る。
「本当に強くなったのね、泊雷。近づいてきたの、分からなかったわよ」
「お前に勝ってから言ってくれ、それは」
忌々しげに相手は言葉を吐き捨てた。
泊雷。泊愉の末息子で稜花よりも一つ年下の青年だ。
くすんだ鴇色――鴇鼠色のクセのある髪を一つに束ね、瞳の色は赤墨。父に似て十五には見えない大きな体躯を見事に操り、槍術に優れた才を持っている。
幼い頃から稜花を目の敵にして、会うたびに勝負を挑んできたわけだが、まさかこのような戦地で再会することになるとは思わなかった。
「女のくせに、こんな戦場に来るな。馬鹿」
「なによ。そういう文句は私に勝ってから言ってよね」
昔は可愛らしく後をつけてきたというのに、ずいぶんな言いようだ。身長が伸びるとともに彼は生意気になっているらしい。
いつの間にか稜花よりも遙かに大柄になってしまった彼は、何かにつけて絡んでくる。戦場で一緒になったことは初めてなわけだが、例外なく稜花の立場が気にくわないらしい。
「お前が三千だと? 俺がようやく五百だってのに、なんだそれは」
「初陣は同じ時期だったじゃない。実力の差でしょ」
「違うだろう。どう考えても李家の力だろうが」
「それは否定しないけど」
「それで俺に勝ったとは思うなよっ」
ぐぬぬぬぬ。
両者にらみ合ってしばし。再び武器を構えて、やがて交差させる。
「……仕方がない二人ですね……」
横で悠舜が苦笑いを浮かべているが、無視だ。
泊雷が愉快でないことは理解しつつも、稜花は稜花で、この突然始まる仕合いを楽しんでいた。
稜花が玖周の戦線に合流してから、泊雷との争いは絶えなかった。それはひとえに、泊雷が稜花の幼なじみであり、小さい頃からお互いの身分関係なしに切磋琢磨してきたからである。
しかし再会してから、泊雷は随分とぴりぴりしているように感じる。久しぶりに会ったというのに、稜花に喧嘩をふっかけては、こうして対峙する毎日だ。
周囲の者たちは、男の沽券に関わるとかなんとかいろいろ言うわけだが、泊雷が勝った事なんて過去を振り返っても一度も無い。
彼は攻撃が単調で読みやすい。本人にその自覚が生まれない限り、負ける気はしない。だから、沽券も何も今更だと思うのだが、そうはいかないようだ。
五百の兵を束ねる隊長である泊雷がこの調子である。自陣内では、やる気のある兵たちが稜花に勝負を仕掛けてくることがたびたびあった。それを返り討ちにしてしまうものだから、彼らはますますやる気になる。
戦の最中だというのに、稜花を中心として調練もみっちりと積み上げる。身一つで軍に合流したわけだが、彼らとの交流はなかなか上手くいっているのではと稜花は感じていた。
もちろん、戦場でありながら、このような余裕があるのは理由がある。
今、稜花達がするべき事は、ただただ時間を稼ぐための、凡戦だったからだ。
「……ふぅ、良い運動したわ」
「……なぜ息一つ乱してないんだお前は」
「そりゃあ、普段の努力の差でしょ」
自慢げに稜花は笑った。
言い切るだけの自信はある。稜花は調練が好きだったし、一つ一つ技術を身につけることに喜びを感じている。
自分を磨き上げて、より強い相手を倒す。そのためには小柄で力のないこの体だと難しい。だからこそ、鍛えるべきは速さと立ち回りと持久力。この三点には特に力を入れてきたのだ。
「姫様が来てから自陣の士気が随分上がっているんですよね。お噂は聞いてましたが、ここまで効力があるとは思いませんでした」
「ん?」
隣で小さく拍手をしながら、悠舜が言い放った。何が褒められているのか分からず、稜花はきょとんとする。
「李進様の軍は、姫様が加わると練度と士気が上がるともっぱらの評判だったんですよ。俺もこの目で見るまで半信半疑だったんですけど、お噂は本当でした」
「えーと、泊雷と暴れているだけなんだけど?」
「大いに効果あるようですね。強さは魅力ですし、気安い雰囲気が兵達に伝わっているのでしょう。もちろん、泊雷はそんなつもりで仕掛けているわけではないでしょうけど」
ちらと泊雷に視線を投げかけつつ、悠舜は吹き出すようにして笑った。当然ながら泊雷は不本意らしい。不機嫌そうな面持ちで、吐き捨てるように反論する。
「違うだろう。単に稜花が女ってんだから、皆浮き足立ってるだけだ」
「もちろん、女性であることは大きいと思いますよ。姫君でありながら前線に立たれている方なんて、他にはいませんからね。だからこそ、皆、姫様を誇らしく思っているのでしょう」
「それはこいつの力じゃねえだろうが。女がいれば男はやる気になる。それだけの話だろう?」
稜花としては、女であれば誰でも良いという主張が腑に落ちない。彼に文句を言わせぬよう、稜花自身の実力を見て貰えるように努力せねばなるまい。
ぎろりと泊雷をにらみ付け、燻る気持ちを抱えていると、見透かしたように悠舜は笑った。
「姫様、大丈夫ですよ。姫様の良いところは、兵のひとりひとりに心を砕くこと。そして、指揮をするときに自分の意思を曲げないところです。方針をわかりやすく指し示してくれる。だから兵達は安心してついていけます。ぶれない心を持つというのは、本来は難しいことですから」
「それは、父上にも、兄上にも、皆にそうしろって。小さいときから言われてきたもの」
「李家ならではの教えなのですね。上に立つ者としては当然なのかもしれませんが、これが存外難しい。姫はまだ経験も浅いですが、その感覚は大事になさいませ。戦の動かし方などは、これから覚えていかれれば良いのです」
私もついていますから、と、悠舜は言葉を続けた。横で泊雷はぶすっとしたままだが、無視しておくことにする。
確かに、実力がどうこう言う以前に、まだ稜花自身の戦経験は少ない。きっちりと悠舜の言うことを聞いて、とにかく吸収する。今は稜花の尻ぬぐいをする者なんていないのだ。
納得するように、稜花は悠舜の顔を見つめて、ゆっくりと頷いた。
「俺は認めないからな。強くなって、再戦だ」
「望むところよ」
「ふん、せいぜいそうやってでかい面しておくことだ」
完全に悪役のような台詞を残しつつ、泊雷は立ち去っていく。
再び仕合いに負けたことが気まずいのだろうか。周囲の兵達の視線を避けるように幕舎の裏側に消えていくのが可笑しい。彼の背中を見つめて、悠舜と二人でくすりと笑いを漏らした。
まだざわざわと陣内が賑やかだ。稜花が通りかかると、数多くの兵達が一瞬表情を緩ませる。
悠舜の話を聞くまで彼らの表情の変化に自覚がなかったが、なるほど、これが士気が上がると言うこと……なのだろうか。少しは役に立てそうかなと思うと、兵たちの期待が嬉しく感じてくる。
こうやって顔をあわせることで彼らの士気が上がるなら、いくらでも彼らと交流を持とう。もっともっと、一般の兵達と接していくべきなのだろう。
稜花達は自陣を見回りながら、今後のことについて話し合っていった。
この玖周の地に軍を構えてから五日ほど。なるほど、宇文斉が面倒がっている意味が分かった。
小規模の敵援軍が随分と多い。どれもこれも数は大きくないものの、こちらに小さな攻撃を仕掛けてきてはすぐに逃走してしまう。
平原を抜けた森の方へ入るとその行為は顕著だ。だからこそ、不意打ちが仕掛けにくい平原での戦いを選択していた。
「地の利を最大限に生かしてきていますね。周囲の村々の協力のあるのかもしれません。斥候を放って様子を見ましょう」
「ええ。向こうも時間稼ぎをしているようにしか思えないのよね。敵本隊ものらりくらりと逃げてるでしょ?」
「一旦前線は停滞させますか。先に敵の身動きをとれなくした方が良いでしょう」
「宇文斉から指示は?」
「今は敵の作戦に乗っておいて問題ないと。一気に叩く機会を設けると書簡にはありました」
「なるほど。では、敵に怪しまれない程度に、交戦しておけばいいのね。了解。それと平行して、斥候を」
お互いに牽制し合っている状態なのだろう。戦の手応えがなくて、稜花は少々不安な心地でいる。しかし宇文斉が現状維持で問題ないというのなら、今は無理をして戦線を押し進める必要も無いのだろう。
だが今の状態を維持するなら、向こう側に大きな策を用意させないようにだけ注意を払わねばならない。余裕が出来るのは自軍も相手も同じだ。斥候の数はかなり増やした方が良いだろう。
ただ軍の細かな動かし方については、稜花一人ではどうにも判断できない。隣に楊炎が居ないのが悔やまれる。自分の決断に自信が持てない日が来るなど思わず、稜花は苦笑いを浮かべた。
本当に、いつの間にやら楊炎に頼ってばかりだったらしい。昔はなんでも一人で出来る気がしていたのに、随分と臆病者になったものだと笑う。
「稜花様?」
「ああ、ごめん。ちょっとね」
一人で苦笑してたのを、流石に不気味に思われたのだろうか。悠舜が不思議そうな顔で、のぞき込んでくる。
いつの間にやら頭の中が戦とは関係ないことに及んでいて、稜花は、一度思考を振り払う。
「敵軍への調査ももちろんなんだけど。もし、斥候が周囲の村へと赴くなら、くれぐれも村人を刺激しないように伝えておいて。随分と高越たちにやられちゃってるみたいだったから」
「そうですね……姫様はああいった様子の民を見られるのは初めてでしょう。驚かれたのではないでしょうか」
「うん。稜明とあまりに違って。少し」
吃驚しちゃった……と、ぽつりと本音が溢れる。
この平地の周囲には大小あわせて十以上の村がある。こちらへ赴く際も幾つかの村を抜けたが、人々の生気は無く、稜明と随分違って見えた。
稜花は民の様子を見るのが好きだった。稜明の民はみな快活で、稜花が一人で駆けていたら声をかけてくれる。自慢の作物を味見させてくれたり、農業の手伝いすらさせてくれる。
良い意味で気安く、笑顔の多い領民が、とても好きだ。だから、それが当たり前だと思っていた。
しかし、干州は――。
稜明の南隣であるにも関わらず、随分と様子が違った。
稜花の思う民の概念を根本から覆す者たち。稜明より南に位置し、稜河の恩恵も受け水も豊富。気候的には稜明よりも遙かに恵まれているというのに、土地が豊かな様子がない。
彼らは虚ろな目をして、通り過ぎる稜花達を怯えて見つめていた。目の前にある運命に逆らおうともせず、毎日を生きる。彼らのことが全く分からなくて、稜花は戸惑ったのだ。
「稜明の外に出るまで、乱世の意味がよく分かってなかったわ」
「姫様?」
彼らのことを思い返すだけで胸が苦しくなる。
脳裏に思い浮かぶのは、この玖周に来るまでに通り抜けた、ある一つの村のことだった。
この玖周にほど近い、百名程度が住む小さな村だった。村の周囲は十分に手入れがされていない田畑が広がっており、田植えの季節を逃してしまうのではと稜花がハラハラしてしまった。稜花達が村に入ると、慌てて村の者たちが平伏する。稜明では滅多に見ない光景に、ああ、直轄地に来たのだと実感することとなった。
たちまち大騒ぎになって村中の人間が稜花の元へと集まってきた。朝廷の使いとでも勘違いされているのだろうか。彼らが何に怯えているのか稜花にはとんとわからない。
なだめすかして聞いたところ、彼らはしきりに稜花に向かって謝る。どうやら、朝廷関係の姫君だと思われたらしい。
彼らの主張としては、干州軍と高越軍、どちらが真に礼王朝に仕える者かわからぬ。だが、高越の威圧に押し巻け、男達を戦場へ送ることにした。支配者が真に誰なのか、村人は情報を持たぬ故判断が出来ない。ただ、朝廷に逆らわず、日々を生きる、それだけの毎日だと彼らは言っていた。
頭を地面にこすりつけ、権力者の言うがままを生きる。生きるためには家族を差し出し、生きる糧を差し出し、体力が途切れればそこで生を終える。なんとも虚しい生き方の気がして、稜花は、なんと言葉にしていいものか分からなくなってしまった。
まるで想像が出来なかった。あんな生き方があるだなんて。
「あの村から連れ去られた男達とも、戦っているのよね」
「姫様、あまり入れ込みすぎるのは」
「わかってる。でも、彼らに戦う意思はないわ。願うならば、家に帰してあげたいけど……」
「姫様」
「大丈夫。ちゃんと理解してるから」
埜比の事を思い出す。
戦う意思のない者たちが、戦に巻き込まれ、数多く命を落とした。残された者たちの、責めるような瞳に晒された。
あの時は直接制圧戦まで参加したわけではない。しかし、彼らを追い詰める原因は十分に作った。
そして今回こそ、直接手を下そうとしている。
「……覚悟しなきゃ」




