表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
14/84

干州平定戦(1)

 干州(かんしゅう)西部の城“唐林(とうりん)”。北には稜明、南には(きょう)、西には埜下(やか)(しょう)、そして南西には朝廷の直轄地である備州(びしゅう)や、紫夏(しか)の治める()が広がる。各方面へと足を伸ばすことが可能なこの地は、街ではなく完全なる軍事拠点として出来上がっていた。

 もともとは礼王朝(れいおうちょう)の先代の帝が、直轄地の防衛のために築いた城であるが、今や稜明が干州より譲り受けているような形になりつつある。つまり、干州の中央部攻略が着々と進んでいるということなのだろう。


 埜比の城と違って、城壁が幾重にも重ねられているだけでなく、稜河から水をひき、更に攻略を難しくしている。

 攻め込むとなると、最深部へ行き着くのに少なくとも一つの堀と三つの城壁をくぐり抜けなければいけない難攻不落の城である。




 その最深部に軍の本拠地を構え、青年宇文斉(うぶんせい)は各地からの伝令書簡に目を通していた。


「あっ、来た来た。姫様! 待ってましたよー」


 聞いていた年齢の割に、顔つきは随分と幼いらしい。鳶色(とびいろ)の髪に若草色の瞳。華奢な印象すらする稜明軍の軍師は、稜花の顔を見るなりヘラヘラと手を振ってきた。


「貴方が宇文斉よね?」

「はい。お話しするのは初めてでしたよねー。宇文斉と申します。今回の遠征軍では、一応軍師って事で。あ、普段は恭俊(きょうしゅん)の弟子として出仕してるんですけどねー。今は恭俊は別方面に忙しいですから」


 放っておくと、いつまでもしゃべり続けていそうだ。

 初対面にも関わらずなかなかの押しの強さで、稜花は一歩後ずさる。


「……ああ、すみません。僕ったらつい。でも、姫様に来てもらえてとっても助かりますー。しかも李公季様の秘蔵っ子の楊炎つきとか、おまけが凄すぎて笑っちゃいます。姫様、いっぱい武功稼ぎたいんですってねー。うん、お仕事たくさんありますから。頑張って下さいねー」

「ええ。あらためて。私は李稜花。よろしく」

「戦姫と名高い姫と一緒にお仕事。光栄ですよー。昨年の埜比の戦いは有名ですからねー。今回の戦出てこられないのかってちょっと寂しかったんですけど。まあ、ご自宅で大人しくしてるような方でもなかったって事ですよね。出てきたからには馬車馬のようにこき使いますからそのつもりで。領主一族に前に立って頂けるなんて、助かりますー。女の子補正で兵の士気も大幅に上昇が見込めますしね。うんうん、計画は上方修正。女の子に甘そうな単純な連中を用意してますよ使って下さい」


 会話の調子が自分と合わないらしい。稜花はなかなか相づちをつくことも出来ずに、彼が話すのをただ見守るしか出来なかった。しかし、きちんと仕事の話をする気があるらしい。さっさと話題を移しては、卓に地図を広げる。

 そしてまずは、干州の西端に駒を置いて説明を始めた。



「さてさて、ここ見てもらえます? この西の端っこ。これが今いる唐林。まあ、重要拠点ですよねー。これはもう随分前から我が軍が押さえてるんです。いろいろ言われてるんですけど、このまま朝廷からももぎ取っちゃおうと思ってますので、そのつもりで。返せって言われても返しちゃ駄目ですよ?」


 で。次に。と、彼は新たな駒を置く。幾つか主要な場所を示しているらしい。街でも交通の要所でもないところにいくつかの駒が並べられた。


「ここなんですけど、これ。小さな諍いが起こっている場所なんですね。規模で言うと、特に大きいのはここかな」


 宇文斉が指さしたのは、唐林から南東に位置する川沿いの平原だった。



「どれもたいした規模じゃあないので、中隊くらいの規模で押さえ込んでるんですよ。でも、ここはちょっと荷が重いみたい。礼王朝に仕えてた高越(こうえつ)っていう男が、周辺の民を集めて、礼王朝のために立ち上がるとか何とか妄言を吐いているみたいなんですよねー」

「……ん? でも、礼王朝の為っていう大義名分があったら、稜明が関与すべき事ではないんじゃないの?」

「あー、だから妄言なんですよ。干州州牧(しゅうぼく)にも問い合わせてみたんですけどね。実際高越がやってるのは、ただの山賊まがいの行為みたいですね。礼王朝の名を盾に、周囲の町や村から物資を集めてるとか」


 困ったものです、と言葉を続けつつ、宇文斉は新たな駒を用意した。



「今回の平定戦は単純なんですけどとにかく面倒なんですよー。干州全体を見て下さい。戦線が全体に薄く広がっちゃってますからね。西側は、高越の押さえている玖周(くしゅう)の地。あとは高越と同じ立場の袁柳(えんりゅう)という輩が東の山唎(さんり)。さらに鳴堅(めいけん)ってのが北の安盟(あんめい)を押さえている。三者がうまく相互援助しているから、押さえ込んでも押さえ込んでも、民がなかなか言うことを聞かない。結局各村々に警戒態勢をとらなきゃいけないもので、そっちに兵を割かないといけないんです」

(きょう)はどうしてるの?」

「うん、それが妙なんですよ。この三者のどれも押さえようとしていない。あいてた南の地をかなり強引な方法で平定して、そこに居座っているままなんですねー。わかります? この位置関係」


 宇文斉はそう言って、新たな駒を地図に置く。南に駒が一つ増えて、東西南北と四方向に駒が散らばる形となる。すっぽりと干州を覆われているようで、稜花は軽く目を瞠った。


「高越たち反乱軍――あ、もう、反乱軍でいいですよね? うん、反乱軍と、匡軍。四つが一緒になったらこの干州押さえられちゃうんですよねー。ほら、干州の州都“条干(じょうかん)”が完全に取り囲まれちゃうんですよ。不思議ですよねー」

「それって、まさか」

「まあ、まず間違いなく、裏で糸ひいてますね。匡が」

「……」



 思った以上に、面倒な構造になっていた。

 稜花は単に、各地の小規模の反乱を平定していくつもり出来ているのだが、糸を引いているのが匡だとすれば、かなり厄介だ。最終的に中領地を相手にしないといけないことになる。しかも、この朝廷の直轄地干州で。

 朝廷との折り合いにも心を砕かないといけないし、相手の規模も大きい。戦の果てに干州を得ることが出来なければ、稜花達はただ働きをする形になってしまう。



「で、私は何をすれば良いの?」

「話が早くて助かります。じゃ、ここ見てください」


 そう言って宇文斉がまず指を指したのは、東の山唎。ここは李進が対応しているのだという。


「李進様は流石としか言いようがないです。順調に鎮圧をしてくれてて、そのまま南の方向へ駒を進めてもらう予定です。このあたりの城を押さえて……匡が北への進軍するのを牽制をしてもらおうかと」

「なるほど。残るは西と北ってわけね。私がこの西の玖周(くしゅう)?」

「そです。北の安盟は一番規模が大きいし、領境でもありますからねー。こっちは泊愉(はくゆ)たち複数名の将に取りかかってもらってます」

「全ての場所を同時に攻略するってこと?」

「そうですね。多分向こうは稜明を分散させて、南側から真っ直ぐ条干を狙いに行くと思うんですよねー。だから、一見、敵の策に乗っかったように見せます。ついでに匡から各方面への連絡を絶ちます。それで連携をとりにくくなるでしょうから」


 いともあっさりと言うものだと、稜花は思う。

 幼い顔つきでありながら、涼しげな瞳で駒を動かしていく様がちょっと異様だ。戦に対して何も緊張することなく、兵の命を自由に動かしていく。これがある種、軍師の才なのだろうかと稜花は思う。



「西の玖周は今は悠舜(ゆうしゅん)が牽制しています。悠舜の部隊も使って良いですから、当面は現状維持でお願いします。最初は戦がのんびりしてると感じるでしょうけど、最初だけですからねー。焦らないで下さいよ。後でばしばし動いて貰いますから覚悟しておいて下さいねー」

「でも、ぐずぐずしてたら条干がとれれたりしないの?」

「うん、しませんね。ていうか、させませんよー。そのあたりは、もうちょっと作戦が進んだら説明します。なので、楊炎は別件で借りますからね」

「え?」



 なのでも何も、まったく繋がりが見えない。最後の最後で意外な言葉を聞くことになって、稜花は目を瞬いた。楊炎も少し訝しげな面持ちで宇文斉を見ているようだ。


「もちろん、今、楊炎は姫様の護衛だって事は僕も知ってるんですよー。でも、こんな優秀な人を使わないなんて馬鹿なことをする僕じゃあありません」

「でも……」


 楊炎をつけたのは、ある意味李公季の指示になる。稜花から引き離すと言うことは、李公季の命に反することにはならないのだろうか。

 少し心細いような心地がして、稜花は楊炎を見上げた。ちら、と目があったけれども、彼は直ぐに宇文斉の方を見やる。


「姫をお守りするのは李公季様の命によるものだが」

「あー、もう、頭が固いなあ。もちろん知っています。大丈夫大丈夫、ひと仕事終えたら、すぐに姫様のところに戻ってもらいますって」

「少しでも側を離れるわけには行かぬ」

「まったく、李公季様に似て生真面目だよねー、君。しょうがないな、ちょっと来て」



 とたんにぶすっとした表情をして、宇文斉は楊炎を手招いた。二人して奥の小部屋に入っていってしまう。

 まさか一人で取り残されることになり、稜花は呆然とした。


 しかし、宇文斉の言っていることは分かる。

 楊炎は、稜花には過ぎた護衛だ。いや、そもそも護衛などに納まっている器でもないのだろう。稜花としては隣に楊炎がいると非常に安心だ。けれども稜明のためには、彼にはもっと活躍してもらうべきなのかもしれない。

 そもそも、なぜ李公季は楊炎を護衛の位置につけたのだろうか。基本的に李公季の采配は非常に合理的だ。そんな彼が、楊炎などという優秀な人物をこの位置に置く意味が分からない。稜花の護衛がつとまる人物なら、他にもいるはずだ。

 文官仕事だってこなす彼だ。普段はきっと、多様な仕事をこなしているのだろう。稜花とともに戦場に送るにしても、せめて彼にも一軍を与え、将として参加させることも出来ただろうに。




 いろいろ考え込んでいると、話がまとまったのか二人が奥の小部屋から出てきた。楊炎はいつもの無表情を少々不機嫌そうに歪めて、稜花の後ろにつく。

 対する宇文斉は実にご満悦な様子で、にこにこしながら卓についた。


「うんうん、楊炎がわかってくれて嬉しいよー。ってことで、申し訳ないけど、姫様。楊炎はしばらく借りますねー」

「え? 楊炎、了承したの?」

「そうなんですよー。ちょっと困ってた案件を片付けてくれそうで、本当に良かった。お陰で作戦を大幅に。うん、大幅に上方修正できます。いやー、姫様。ほんと、優秀な者を連れてきてくれて助かっちゃいますよー。姫様はしばらく、悠舜と頑張って下さいねー」

「うん、それはかまわないけど。何をお願いしたの?」

「それは、秘密ですよ」


 にまりと笑う宇文斉の顔は、悪知恵をつけた子供のような顔。その表情にぞくりとして、稜花は息を呑んだ。



「……ご心配なさるな。直ぐに片付けて、姫の元へと向かいます」

「うん。楊炎も、無理しちゃ駄目よ」

「それを貴女がおっしゃるか」


 心底不本意なのだろう。眉間に皺を寄せたまま、はあ、と、大きなため息をつく。と思うと、次の瞬間、彼は目の前で傅いていた。


「李公季様の命は心得ております。しかし、これも姫の御身をお守りするため。しばし、御前を離れることをお許し下さい」

「楊炎。何もそこまで」

「必ず。直ぐに戻って参ります故、姫こそ無茶をなされるな」


 真っ直ぐと見つめてくる楊炎の片眸。それに吸い込まれるようにして、稜花はもう何も言えなくなって。

 ただ、こくりと、首を縦に振るだけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ