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稜戦姫の恋  作者: 三茶 久
第一章
13/84

成すべきこと(2)

「なんだ、やけに楽しそうだな」


 香祥嬉(こうしょうき)と談笑していたところ、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「公季兄上、お仕事はもうよいのですか?」


 珍しく、屋敷へ戻ってくる時間が早い。稜花が驚いたようにして振り返ると、瞳に飛び込んできた人物に更に目を丸くする。



「――楊炎?」


 李公季の隣に、長身の男が立っている。鋼の髪。左目は眼帯で覆われていて、隠しきれない頬までの傷。

 よくよく見知った人物であるにも関わらず、こんなにも戸惑ってしまうのは、ひとえの彼の服装が原因なのかもしれない。渋い緑色の(ほう)をかっちりと着込み、髪も結わえている。

 どこから見ても文官にしか見えない様相に、稜花は目を疑った。

 対する楊炎も、何やら訝しげな目をしているようだ。稜花をじっと目でとらえた後、視線を逸らしてしまう。



「? ……ああ、そうか。楊炎は私の執務を手伝ってくれているのだ。最近は表立って執務に当たるようになってな。このように、文官まがいの格好をしてもらっている」

「文官仕事も出来るの?」

「なかなかに優秀だぞ」

「……」


 稜花はしばし言葉に悩んだ。てっきり武術一辺倒の仲間だと認知していたが、そうではないらしい。確かに、いつも冷静に物事を見ている節があるので、頭を使うことも得意なのだろうが。


 どことなく置いて行かれた気がして、稜花は楊炎をじいと睨んだ。

 「ずるい」と宣うと、楊炎は目を閉じて一蹴する。「では、姫も学問に励まれればよろしかろう」と。まったくもってその通りすぎて、言い返せなかった。



 そうして肩を落としたところで、稜花はこのやりとりが妙にしっくりくることに気がつく。

 何だろうか。彼が目の前に居ると、すとんと、心が落ちついた気がする。


 ――あ。


 そして稜花は、ようやく理解した。最近感じていた空虚感。


 ――そっか。楊炎が、いなかったんだ。


 思うと、どこかで納得が出来た。そしてじっと、目の前に立つ長身の男を見上げた。

 相変わらず何を考えているのか全く読めない無表情だし、衣装と眼帯と傷が何とも不釣り合いだ。だが、彼のきりりとした知的な表情補正だろうか、妙に馴染んでくる気がして自分の感覚が分からなくなる。


「公季様にお席を」


 そうやって楊炎を観察していると、横で香祥嬉が座席の用意を進めさせている。珍しく李公季も交える形で食事をすることになったらしい。




「ふむ、たまには風を感じながらの食事もいいものだ」

「我が君、お酒はほどほどになさいませ」


 嬉しげに酒に手をつけた李公季に、香祥嬉は真っ先に釘を刺す。いくら李公季といえども、妻の言うことには逆らいがたいのだろう。ばつの悪そうな顔をして、うむ、と頷く。

 食事の間、楊炎は李公季の後ろに控えるつもりらしい。なるほど、こうして文官の仕事をしながらも李公季の護衛の役割も果たしているのか。


「それにしても、稜花。なかなか見違えたぞ」

「え? 何が?」

「自覚がないのか? その衣だ。祥嬉が(あつら)えたのか?」

「はい、我が君。稜花様は、着飾りさえすれば、それはそれは麗しい姫君になるのですよ」

「成る程。流石我が妻よ。よくやった」


 満足げに頷きながら、李公季は稜花の服装を上からするりと目を通す。実の兄に改まって見つめられるとなんだか気恥ずかしい。ぱちりぱちりと瞬きしては、目を逸らしてしまった。


「稜花、普段からその格好でいたら、お転婆だじゃじゃ馬だのいう厄介な呼び名もたちまち消えようぞ」

「むしろ、そっちの呼び名の方がいいんだけど」

「……まったく、そなたは」


 呆れたように李公季はため息を漏らす。しかし、そのようなことを気にする稜花ではない。

 今はそれよりも、先ほど香祥嬉と話した内容の方が頭を占拠している。自分のやるべき事が明確になった以上、すぐにでも行動に移りたい。丁度目の前に李公季が現れて、好都合というものだ。




「ねえ、兄上。やっぱり、私、戦に出たい」

「? 突然なんだというのだ」

「だって。今、干州(かんしゅう)の方、武将の手が足りてないのでしょう?」


 稜花の言葉に、李公季は眉間に皺を寄せる。

 干州での反乱は、小規模ながら範囲が非常に広かった。干州のあちこちで民が武装しており、それを(きょう)と稜明でそれぞれ食いつぶすように鎮圧している。完全に二領の陣地取りのようになっていた。

 稜明からの武将も勿論各地に別れて派遣されているわけで、先頭に立つ者の数が圧倒的に足りていないのが現状だ。


「其方なぜそれを」

「私だって李家の人間だもの」

「戦の話なら耳ざといのか……」


 なんだか随分と失礼な呆れ方をされた気がする。しかし、今はそれを気にしている場合でもないだろう。

 この場で稜花がしなければいけないこと。それは、稜花自身が戦に出られるようにすること。あと、可能ならば楊炎も借りておきたい。



「私はまだ未熟だけれど、李家の人間よ。指をくわえて現状を見ているわけにもいかないわ。干州が匡と取り合いになっているのは知ってる。だから、一人でも多くの武将が必要なのでしょう? 私では無理? 先頭に立てない?」


 じっと、正面から李公季を見つめる。

 稜花の真剣なまなざしに、しばし考えるように彼は目を閉じた。顎に手を当て、なにやらぶつぶつと(のたま)う。

 ひとしきり思考したのだろう。大きくため息をついて、李公季は稜花を見た。


「進の報告だと、まだ稜花が一人で隊を動かすのは不安だ。だが、其方の存在によっての士気向上は見込めるか……」


 思わぬ評価に、稜花は目を丸くする。実力は及ばないながら、見所はあると判断してもらえているのだろうか。李公季は非常に公正な人物だ。身内だからといって甘く言ったりはしない。だからこそ、彼の正当評価が少し嬉しかった。


「其方にはここに残って教育もしてやりたいが、正直手が増えるのはありがたい……ううむ……」



 しかし、事はそう上手くはいかないらしい。再び李公季は悩みはじめ、稜花はやきもきするに至った。どうにかして説得せねばなるまい。

 ただし、この意気込みについて語りたいものの、“婚約回避のため”と伝えるわけにもいくまい。


「私、ここにいるうちに、稜明の役に立ちたいのよ」


 他領へ嫁ぐという前提を掲げるのは非常に不本意ではあるが、これも稜花の本心だ。今までの戦いでもそうだった。

 戦に出たいというのは、稜花にとっては李家の役に立ちたいと言うこと。ひいては稜明の役に立ちたいと言うことだ。この心に嘘偽りはない。


 それに、万一婚姻で稜明を去る未来があるのだとすれば。

 稜花に残された時間は、本当に短い。今のうちに出来ることをやっておきたいという気持ちも、事実あった。




 李公季が稜花の言葉をどうとらえたのか分からない。ただ、何とも意外そうな顔をしている。楊炎も思うところがあるのか、ぴくりと眉を動かしていた。


「我が君、条件をお出しになったらどうです?」

「条件だと?」

「そうです。稜花様ご本人が仰るとおり、稜花様の稜明での時間は短いかもしれません。戦地で無為に過ごしていただいては困るのです。ですので、例えば……期間を設定しましょう。その間に一定以上の成果を上げられなければ戻ってくるなどどうです? 具体的な基準に関しては我が君にお任せいたしますが」



 どうやら香祥嬉は、後押ししてくれるつもりらしい。

 期間を設けたのも、少しでも効率よく武功を稼ぐ場を用意してもらうためのもの。一見稜花に不利なように聞こえるが、稜花の望む未来を手に入れるための最適な方法だ。なるほど、これが李家の良心の妻。流石すぎて、心の中で賛辞を送る。


「しかし、短時間で成果を上げよというと、稜花は無茶しないか不安だ」

「でしたら、信頼できる者を補佐につければよろしいでしょう? いつものように」

「……」


 香祥嬉は稜花のことをよく分かっているらしい。楊炎の方に視線を向けてにまりと笑っている。

 一方で、まだ検討段階にあるらしい李公季は、彼の背後の楊炎に話をふった。



「どう思う、楊炎」

「……賛成いたしかねます。姫は戦場に出ない方がよろしいかと」

「? その理由は?」

「御身、あまりに危険です」

「……どうした楊炎。らしくないな」


 普通に稜花を心配している言葉に聞こえるが、李公季にとっては違和感があるようだ。さすがに直属の部下だけあって、楊炎のことがよく分かっているらしい。一方で稜花には李公季の持つ違和感がなんなのか見えず、きょとんとした。


「合理的な其方のことだ。てっきり賛成するかと思ったぞ」

「……いえ、何も姫君が戦場に立つことはないと申し上げたまで。本来ならば、我々軍部が何とかすべき問題でしょう」



 ——もしかして。


 一つの可能性が稜花の頭に浮かび上がる。

 先日の、埜比での夜の会話を思い出す。彼は、稜花が命を落とすのを怖がっていた。

 この稜明に戻ってきてもなお、稜花に戦場に立たせたくないと考えているのだろうか。気持ちはありがたいが、今の稜花にとっては迷惑きわまりない。


「楊炎、私の性格を忘れたのかしら?」

「……聞いては頂けませんか」

「これと決めたら頑固だと思うの」

「そうでしょうね」


 稜花はじいと、楊炎の瞳を見続けた。

 目が合ってしばらく。楊炎から、はあ、と非常にわかりやすいため息が漏れる。


「もし、どうしてもと仰るなら、私をお連れ下さい」

「もともとそのつもりだったりして。……ってなわけで、兄上。こっちは話がまとまったわよ?」


 楊炎が諦めたところで、稜花はにまりと笑った。思いの外折れるのが早かった。

 先の戦で、稜花が言っても聞かないところを学んでしまったのだろうか。埜比でまとわり続けた甲斐があったというものだ。



「何だ。楊炎、随分と甘いではないか」

「……この状態の姫に対して、私に何が出来るとおっしゃるのです。お一人で飛び出されるよりは遙かに良いでしょう」

「……。まあ、其方の言う通りか」


 二人して眉間に皺を寄せる。

 稜花がひとり干州へ赴く様を思い描いているのだろうか。揃って遠い目をしている。



「しかし、今回は範囲も広いし、指揮官が必要だな。ふむ……干州の東“唐林(とうりん)”に宇文斉(うぶんせい)が陣を張っておる。彼奴に早馬を出しておくから、まずはそこに向かうと良いだろう」

「いいの、兄上?」

「良いも何も……まあ、飛び出されるよりはな。安心できる者に託した方がよいだろう?」

「宇文斉……若手の軍師よね。ということは、兄上、結構期待してる人物だったりする?」

「まあ、そうだな」


 宇文斉という人物に、直接の面識はない。ちらりと軍議で発言しているのを聞いたことはあるが、随分と年若い男だった。

 聞くところによると、干州の平定の総指揮は彼を軍師として、李進が中心になって推し進めているらしい。なるほど、まずは作戦の中央部へ赴き、今後の方針を話し合うのだろう。



「稜花、くれぐれも言っておくが、決して無茶はするな。戦場の規模がどこも大きくないのは分かっているが、民間の者が随分と戦に加わっているという。戦い慣れていない分だけ、どのような行動にうつるかわからん」

「……そうね。わかった。そのあたりは、宇文斉にも話をきけばいいのよね」

「そうだ。其方にしてはよく分かっているではないか」

「まあ、私もこれで三戦目だし」


 稜花は、頷いた。兄の許可は得た。楊炎の力も借りることが出来る。自分にとって最も良い環境を整えて、戦場へと乗り出すことが出来る。


 目標は明確だ。干州を平定する。きっちりと自分の役割を果たして、武功を得る。そして、自分の地位を確立する。

 父でも、兄でもない第三者。甘えることの出来ない人物の元につくことが、妙に緊張する。しかし、悪い気はしない。とにかく、今は学んで、少しでも役に立てるように精進すること。それが、自身の未来へと繋がることを、もう稜花は知っていた。


「……行ってくるわ、兄上」

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