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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ラクシエンタ

第2話 少年たちのタスクフォース 前編

作者: 小町

 君はラクシエンタ旧市街を知っているか。封鎖されたドンウォン橋を渡る方法を知っているか。私?私は知らないよ。だから聞いているんだ。いや、なに。会いたい人間がいるんだ。ウィスパー・ドドニク。ご存知ないかね?一度会えば二度と忘れることはないさ。そうか。ああ、残念。いや良いんだ。外を当たるよ。


 偉大なる父よ 私が見えますか

 私を包摂する不滅の父よ

 我が帆は腐り落ちたのです


 この物語の舞台となるのはラクシンタ旧市街。欲望が渦巻き、暴力は舞い上げられ、そこから見えるはかなき夜空には、帳に吊り下げられた幾千の叶わぬ夢が浮かんでいる。それを下のごみ駄目から眺めるのが、ラクシエンタ旧市街に住み着いた彼らの常である。何たる無常か。ここは、そんな結露が浮くような湿った街である。

 詳しくは省略するが、そこへまんまと滑り落ちた人間がいる。名をトレバーという。これは、そんな失業者トレバーと、友達である陰惨極まりないトニー君との愛と友情の素晴らしい物語である。


 前置きはもういいだろう。じゃあ諸君。少しばかり長くなりそうだが、良く聞いて欲しい。哀れトレバーには一つの夢があることを知っているか。これを聞いている君達にだけ教えてあげようじゃないか。

 トレバーの夢、それは、愛してやまないトニー君に素晴らしい生活をさせてやることだ。

 大きなケージにふかふかの木屑を敷いてやり、いつもボトルタイプの給水機は水で一杯。回し車や玩具で適度に運動をし、キュートなガールフレンドを見つけた暁にはその子と一緒に住まわせてやるのだ。素敵だろう。


 トレバーがそんな夢を抱いたのは、ある者達との出会いが切っ掛けだった。そしてそれは同時に、トレバーに意識的改革を引き起こしたとも言える。今回はその時の話をしよう。題名をつけるなら、そう。少年たちのタスクフォース。これしかない。



 ここへ来たばかりのトレバーは、周囲と自分を完全に区別して考えていた。彼らと同じ地に立って、彼らと似通った行動をとりながらも、トレバーは無意識のうちに彼らを軽蔑していたのだ。それは全くもって愚かなことだ。

 彼らが考えることなんてまるで低俗であると決めつけていた。彼らの思考レベルなんて、明日出るであろう小便の色を予見するくらいしか使い道がないくらいに極めて低水準なものであって、どれだけ群れようが自分には決して追い付かないものであると思い込んでいた。

 それは、無理矢理何かに例えるならば、誰かに好きな作家を聞いて、その答えだけでその人物の殆どを知った気になって、人間性さえをも固定化してしまうようなものだ。

 

 トレバーだって、彼らと何一つ変わらないというのに。ここでの慢性的な物質的な困窮と、飢餓によって、トレバーから思考力は失われ、貧民窟の支えなき彼らと意識の奥底では同一化してしまっている。知識的または思考的な画一化は、いつも飢えや貧困によって起こるのだ。

 以前自分は最下級民ではなかった、といった薄皮一枚の優越を幻想したトレバーにはそれが分からなかった。


 表に居た頃のトレバーの関心事は、会社のノルマや妻の機嫌や週末のバーベキューといったものだったが、それらはもう関心事ではなかった。今彼の頭を、大きな顔をして占めているのは、昨日食べた皮麦の味を如何にして思い出すかや、どうやって他より早く配給に並ぶかといった事だ。

 トレバーは皆と同じように路地裏の片隅で排便をし、同じ背中を眺めながら配給に並んでいる。そんなトレバーと、薄汚い彼らとの相違点はどこにあると言いたいのか。


 そのような驕った考えを、完膚なきまでに打ち負かし、過ちであったと優しく気付かせてくれたのが、一枚の張り紙であった。それを見つけたのは、ここへ来てからかなり日が経った後の事だったとトレバーは記憶している。もちろんトレバーの記憶が正しいとは思えないが。

 運命のビラ。それはスラムの一角にて、死に晒せスポイル野郎という便所の落書きの横にひっそりと張られていたのだ。それは淀んだ街並みにおいて最も魅力的で、かつ光り輝いて見えた。

 ビラは手配書の裏面に書かれており、何とも陰湿そうな男の顔が背景のように透けて見えた。男の一重瞼の裏に隠されている邪悪な瞳に監視されながら、トレバーは文面を読んだ。


『同士よ来たれ。我々はルセアニア共同体。ある一つの思想の元に団結した思想的共同体である。繰り返すが、我々は同士を求めている。食料を欲する者、極めて高潔な精神を欲する者。改革を欲する者。来たれ。我々の同士となる条件は一つ。マンホールを潜る覚悟それだけだ。我々はルセアニア共同体。繰り返すが同士を、求めている。』


 拙いが何度も書き直した痕跡の残るその文字にトレバーは惹きつけられた。

 もしかしたら、食料を欲する者、という一文に魅せられただけかもしれない。

 しかしトレバーは、張り紙を剥がし、記載されていた地図を見ながら既に歩き始めていた。これを書いたルセアニア共同体が、自分を深海の底から呼んでいる気がしたのだ。コールを脳が受信する。それは鳴りやまない。


 トレバーは後になって、張り紙を剥がしてはもう誰の目にも留まらないことに気付いたが、時既に遅く、目的地に到着してしまった。

 そこは欠陥しか見当たらないといった具合に形骸化したモーテルだった。壁に打ち付けられた看板にはモーテルの名前があり、それをエナメルカラーのスプレーで手荒く消して、その上からルセアニア共同体と無茶苦茶に書かれていた。


 プレス機によってスクラップにされたようなモーテルの玄関を、トレバーは抜けた。すれば、一人の人間が受付カウンターに置いたナップザックに何やら詰め込んでいた。少女だった。トレバーに気付いた少女は、更に握られた紙屑に気付いて、わっと声を上げた。

「待っていてね。あなた、待っていて」

 たった今消毒したようなアルコールの匂いのする少女は、奥の扉を開けて駆け込むと、一人の少年を連れて再び戻ってきた。その少年は、黒ずんだ顔を苦々しく歪めながらトレバーの前に立った。


 その少年の体格は細く、力なんて在りそうにも見えないというのに、自然とトレバーは気後れし、心の内奥に僅かな恐れを感じ取った。どうしてか彼の前に立つと、自己卑下以外の感情は湧いてこない。

 自分は彼よりも遥かに知的に優越しているが、それ以外の全て(挙げればきりが無いが、乗馬、腕力、美貌、情事の堪能さ、仕事、思想、意志力、持論)に於いて敗北してしまったかのように、トレバーは打ちのめされた気分だった。


「ようこそ、初めまして。私はレイシンウェンです。募集を呼んでここまで?」

 レイシンウェンは声変わりを迎えたばかりの不安定な声色を使った。トレバーはこの世に生まれ落ちるずっと以前から、レイシンウェンが危険だと先験的なものとして知っている気がした。

 トレバーはここへ来た事情を話す。つまるとこ自分は飢えていて、このビラに縋り付いたのだと。年嵩のトレバーからそのような惨めな告白を受けても、レイシンウェンの顔に失望や軽蔑の色は浮かばなかった。そして彼は、詳細をお話ししますので奥へどうぞといった。

 歩きすがら、レイシンウェンは自らを『少佐』と名乗った。彼は16歳にしてこのルセアニア共同体を纏める存在で、孤児で、趣味は風景画だった。誰よりも壮絶な幼児期を過ごした彼は、野性的な身に似合わず途方もない求心力を秘めていた。

 

「ウィスパーをご存知ですか、同士よ。それならば話が早いのですが」

 残念なことに、その人物をトレバーは知らなかった。

「そうですか。ならば一からお話ししなければ」

 お入りください。通されたのは、恐らく職員用のロッカールームだったと思われる場所だった。倒壊したロッカーの山に囲まれて、数個の椅子が円になって並べられていた。地面には物が散乱していた。プラスチック製の手錠やメガホンや凹んだマガジン。


 トレバーと少女と『少佐』は、それぞれ中央の空無を囲むように椅子に座った。彼は一つ咳ばらいをして、予め考えておいた原稿を読むように語りだした。

「同士、きっと貴方はルセアニア共同体の存在すら知られずに過ごされてきたことでしょう。だから我々の全てを話します。まずは我々を理解してください」

 トレバーは続きを促した。

「ルセアニア共同体と申しましても、実を言うと同士の数は十にも満たないのです。貴方は我々を10人、20人の集まり。もっと言えば30人ほどの規模の集団だと勘違いされたかもしれません。ですが人員は常に枯渇しています。我々は特殊な戦闘訓練を受けていますが、やはり一人の能力には限りがある」

 そこでこの募集です。『少佐』はトレバーが握り潰した紙屑を指した。

「我々は思想を同じくする同士を求めています」

 思想、共同体。ここで暮らす方には馴染のない言葉かもしれませんね。

 そう言って『少佐』は自らの理念を敷衍し始めた。


「簡潔に言えば、我々は共産主義社会を達成するという比類なき目的の元に集った、思想で結び付いた共同体なのです。先ほど述べたウィスパーとは、思想的同盟関係にあります」

 荒々しい暴力性を漂わせる『少佐』は、椅子に深く腰掛けて言った。途方もない夢だとお笑いになるかもしれません。ですが、我々はウィスパー・ドドニクを指導者とすることによって、そして我々が彼のタスクフォースになることによってのみ、この偉業は必ずや達成できると感じております。彼は不滅かつ万能の存在です。私は神を信じてはいませんが、彼を信じているのです。

 彼は我々を同士と呼び、そしてまた我々も彼を同士と呼んでいます。

 その今にも吠え出しそうで獰猛などす黒い顔を見て、トレバーは、彼を思想的肉体的に打ち倒す事は象の息の根を止めるのと殆ど同じくらい困難に感じた。


「ここまでは良いでしょうか?なら次へ行きましょう。我々の思想は理解され受け入れられた事と思いますが、我々の目指す社会の達成にはまず、表の直接的あるいは間接的な支配から脱却する必要があるのです。我々の漸進的活動の第一段階。我々はその一歩を、配給の廃止だと考えています」

 彼はしかつめらしい顔付で述べた。

「表が我々に配給を行うことは、最早我々を除き誰も疑問を感じなくなっております。つまるところ、彼らは表に依存しているのです。」

 相互に依存しあう関係ではありません。それは、此方からのただただ一方的な依存なのです。我々はまずこの膿み切った環境や関係から抜け出す必要があると『少佐』は続けた。


「しかし、同士よ。あなたは配給で配られる水がどうしてあんなにもクソ不味いのかご存知ですか?」

 トレバーは分からなかったし、不味いとも思っていなかった。だが改めて、ふと考えてみると、ここへ来たばかりの頃は配られた水なんて飲めたものではなくて吐いていた記憶がある。いつから簡単に嚥下してしまうようになっただろう。

「いいですか同士。配給のあの水は、雨水なのです。多くの者が、それと知らずに物事の表面だけを見て、無邪気に感謝している」

 我々はそれが我慢ならないのです。あの水は、貯留槽に入りきらない雨水を処理するために、配られているのです。痛んだパンも、僅かなチョコレートも。元が何であるか分からない程に埃を被ったパイも。

「我々は、廃棄物を食わされているのです」

 彼の滲ませる雰囲気は、濃密な獣臭さを含んでいた。


「比類なき目的の第一段階。表から齎されるもの全てを棄却し、我々ルセアニア共同体が表に成り代わり、このスラムの偉大なる政府となって、国民に食料を配給するのです。望まれれば、望むだけ」

 安全で、確かなものを。彼は存分に語り終えるとそう締めくくった。

「我々は独自に食料の調達を行おうと計画しています。旧市街で生産するのが望ましいですが、それは実質的に不可能です。そこで略奪を行うのです」


 表へと赴き、我々の手で、我々をゴミ箱と勘違いしてしまった愚か者どもを何度も打擲することで、分からせてやるのです。我々にはそうするだけの力があって、その権利も有している筈であると。

 トレバーはあまりの飛躍の仕方に話の行方が見えなくなった。だが、ここまでの話を聞いてトレバーが感じたことは、彼は同士という言葉を使わずにはいられないらしいという事だけだった。


「我々は、この旧市街の近くにオアシスを発見しました。エンディナル農場を御存知ですか。豚と羊のユートピア。素晴らしい」

 オアシスまでのルートは我々が何か月もかけて開拓しました。実は、この旧市街のマンホールは農場へと繋がっているのです。しかしそこは地獄でした。地下にあんな世界が広がっていると我々は今まで知りませんでした。

 地下に蔓延っていたのは病原菌持ちの虻や蛭や鼠だけではありません。マンホールの下は『地底人』共の巣穴となっていたのです。下水道は奴らの勝手知ったる我が家と化していました。奴らは光のない下水道で自己完結的な生命の営みを続けているのです。


「マンホールの下には、危険が一杯詰まっているのよ。とびきりのね」

 退屈そうにしていた少女が、口をはさんだ。煤に汚れた彼女の頬には、やっと自分の介入できる話題が到来した、とも言える笑みが表れていた。

「前回の出征で、我々は一度失敗しています。その際に同士が一名命を落としました。彼らに文字通り食われたのです。恐ろしい光景でした。あれを前に、我々は彼の腕一本持ち帰ることも出来ませんでした。ですが、その障害さえ取り除ければ、丸々太った豚は目の前です。死んでいった同士の為にも、我々はもう一度マンホール下へと出征するつもりです」

 我々が同士の屍を前に躊躇し立ち止まることは、絶対に許されません。躊躇いなく、ブーツで踏みつけて先へ進まねばばなりません。そして、ミルクのシャワーを浴びながら、豚を抱えて堂々と凱旋するのです。

 トレバーの口腔内を涎が満たした。今の彼に正しい判断能力などなかった。

「どうです、同士。我々の共同体へと加わってくれませんか。貴方の目の前にはすでに、青々とした農場が広がっているのですよ」




読んで頂き有難うございます

後編は書き次第投稿します

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