前哨戦で一騎打ち
「出会って早々、疲れてんなー。大丈夫か?」
ジオリスは肩を落とすエリザベータに心配そうに声をかけるが、刀から手を離すことは無いし、何処か楽しげな雰囲気も隠そうとしていない。
気侭というか自由奔放を絵に描いた様な男である。戦う場所こそが大事なエリザベータとは違い、戦う事が出来れば何処でも良いのだろうかと彼女は眉根を寄せる。
「疲れの原因ににやつきながら聞かれても、腹立たしいばかりです」
苦々しい台詞に返る大きな笑い声。
「吃驚したろ」
愉快だと言いたげなジオリスにエリザベータは目を据わらせた。
「ええ、驚きました。驚いて差し上げたのですから、何故この様な事をしたのか御聞かせ願っても宜しいですかしら。勿論、魔軍の方が楽しそうなんてとってつけた様な理由以外を、です」
エリザベータの後方で完全に聞き役になっていた大将軍は此処に来て、彼女が随分怒っているのだと漸く察する。
行軍中も普段通り落ち着き払った状態のエリザベータを見て、ジオリスに近しい彼女は彼の行動をあっさり認めていたのだと大将軍は思っていた。けれど、聞いた事の無い氷点下の声音にやり場の無い怒りを腹の内に押し込めていたのだと悟る。
「だって、お前と戦えるだろ」
対して、やはり気負い無く答えるジオリスは担いだ刀を鞘から抜き取り、走る緊張を気にもせず言葉を続けた。
「訓練なんかじゃなくてさ、お前と本気の殺し合いをしてみたかったんだ」
エリザベータはジオリスを凝視し、諦めた様に首を振る。澄んだ瞳だった、嘘の見えない綺麗な眼。
「偽りなくそう仰れる貴方が恐ろしいですよ。まさかただそれだけの為に魔軍に寝返ったと仰いませんよね?」
天を仰ぎたい気持ちを叱咤して、エリザベータは黒杖を握りジオリスをねめつける。
ジオリスは嗤った。
「さぁ? つまんないしうんざりはしてたけど、人間滅ぼそうって程じゃないかもな」
自嘲している様にも、エリザベータを嘲っている様にも、どちらともとれそうで、彼には珍しく真意の見えない笑い方である。
けれど一転、口端を引き上げ明るい笑み。
「でも守るのにも厭いたから。魔王の親爺は好きにすれば良いっつーし、こっちのが水に合いそうだろ」
表情の変化による困惑は一瞬で、今引き出せるもの等これくらいだろうと割り切ったエリザベータは静かに首を傾けた。
「貴方らしくて理解に苦しみます」
ジオリスは既に攻撃態勢に入っている。
大将軍は腕を組んだままその場から一歩下がり、エリザベータはベルトに提げた法具に手をのばした。
「はは! ま、お喋りはこんくらいにして、さっさとやろーぜ?」
完全に姿を見せた太陽に、抜き身の刃が白く輝く。
腰の金具に鞘を括り付けると、ジオリスは変わらない明るさでエリザベータに刀を向けた。
***
ジオリスが懐から取り出したナイフを投げる。
「聖なるかな、誓なるかな」
手にした黒杖で弾きながらエリザベータは呪文を唱え始めた。同時に迫り来るジオリスに向かって、ベルトから取り外した法具を投げ付ける。法具の先に括り付けられた透き通る様な宝石が、強く輝き辺りを一面真白に染めた。直前に遮光の効果を持つベールを下ろした彼女を除き、ジオリスと大将軍は咄嗟に目を瞑り視界を閉ざす。
けれど、何も見えていないはずのジオリスは迷う事無くエリザベータに走り寄る。
「止ん事無き御光と速さを競う愚かなる者」
エリザベータは詠唱を続けたまま再度ベルトに手をやると、今度は青い宝玉の付いた法具を引き抜きジオリスに向けて発動させる。
一直線に勢い良く渦巻いて飛び出した水の砲が、目蓋を下ろしたままのジオリスへと迫った。
当たるかに見えた寸前、ジオリスはするりと身体をくねらせてあっさりと避ける。彼が足下まで来た最初の法具を蹴り上げ宙に浮かんだそれを叩き切ると、視界を遮っていた白い光は一瞬で立ち消えた。
すぐさま目を開けベールを払うエリザベータを視界に映す。にやりと笑ったジオリスに彼女は黒杖を握り締めた。
息を呑む間も無くエリザベータの目前へと迫るジオリス。
「阻むは大いなるっ、灼熱の……閃光」
エリザベータは目で追うのがやっとの速さで動くジオリスに何とか反応するが、上段から下ろされた刃を防ぐのに黒杖を持つ細腕では力が足りず。太刀筋はずらしたが右の二の腕を切り裂かれ真っ赤な血飛沫が上がった。
痛みに刹那顔を顰めたが、エリザベータは場違いにも微笑みを浮かべる。対して舌打ちをしたジオリスへ、彼女の流れる鮮血が踊る様に襲い掛かった。彼が後ろにステップを踏むと追い駆ける赤はいつの間にか燃え盛る炎へと変化していた。
「我が身を心とし臨機の盾を隠伏せよ!」
炎は更に狼へと姿を変えて、ジオリスに絡み付く。その間に詠唱は成功し、エリザベータの周囲を三対の光の盾がくるくると廻り溶けるように消えた。場所に張られる結界とは違い移動が可能な、攻撃された瞬間にだけ現れる非常に硬い盾である。
そしてエリザベータの傷口から現れたのは魔術の狼。神によって人に与えられたとされる法術は、精霊を介して自然界の力を使う為に呪文が必要な上、自然を傷付ける様な術は発動できない。その点魔術は呪文も要らず攻撃に転用し易い非常に便利な術である。純粋な魔族と違い魔力の量が少ない為に自分の血を媒介にしなければいけないが、傷付けば傷付く程威力は増す。彼女は王国一、戦闘に適した術士だった。
と、ジオリスは狼が触れる寸前にそれを切り捨てて、エリザベータに向かって飛び込もうとし、またも後ろに一歩下がった。切られた狼が今度は液状になり彼が立っていた場所に降り注ぐ。じゅわ、と黒煙を上げ草と大地を溶かした魔術は地面を黒く染め上げた。
ジオリスは刀を一瞥し纏わり付く赤黒い液体に眉根を寄せ呟く。
「弾け」
それは瞬時に白い光に弾かれて消えた。
「結びの四方を顕現せよ」
すかさず動きの止まったジオリスを囲む様に中範囲の結界を発動させたエリザベータは、直前にベルトの法具を結界内部へと放り投げる。同時に、爆音。
結界に閉じ込めてしまえば、その中でなら法術でも攻撃が出来るのである。
が、結界に突如亀裂が入り黒い影が飛び出した。直後再度の爆音が響き渡り辺りが色濃い黒煙に包まれる。先に法術を行使し結界内の自然力を使いきる事で、ジオリスは爆発を逃れた様だった。
窮地を覚りエリザベータはすぐさま走り出そうとし、背後に僅かな金属の感触を受ける。直感に従い左に身体を動かすが、右肩に鋭い痛みを感じて小さく呻いた。光の盾による攻撃の定義は一定以上のスピードで近付く物、である。ジオリスはゆっくりと彼女の背後に忍び寄り、肌に刃を触れさせてから貫いたのだが気付かれて刃先がずれてしまった。ダメージは与えたが失敗である。飛び退く様に距離をとった。
エリザベータは先程とは比べ物にならない流血で、辺りを漂っていた魔が引き寄せられていた。突風が吹きぬけ黒煙が晴れる。黒く淀んだ魔の霧と赤く濁った魔術の炎が、エリザベータの身を守る様に渦巻いていた。
霧の中から三匹、炎の中からも三匹魔術の狼が徐に現れると、ジオリスを取り囲み唸り声を上げた。エリザベータは青い顔色で口元を押さえている。
狼達が一斉にジオリスに襲い掛かった。斬れば毒水が降ってくる為、彼は狼の頭上を飛び越え様と高く跳ねる。
「顕現せよ!」
押さえた手の平で隠した口は、呪文を唱えていたらしい。エリザベータは法具を投げながら結界構築の最後の一言を叫び、ジオリスを空中に捕らえる。
「風よ渦巻け」
ジオリスは今度も先に法術を使う事で逃れ様としたが、ぴくりとも風は動かなかった。目を丸くする彼に大量の水が襲い掛かり、髪の先から足の先までびしょ濡れになる。
ジオリスの声は精霊に対して強制力を持っている。先天的なもので短い呪文でも法術が使える特技と言って良いものだったが、一部の精霊相手には反発を受けるせいで法術が発動しないという欠点も持っていた。けれど強い術を使おうとしなければ不発は滅多にない。彼は舌打ちした。
結界に練り込まれていた魔力が内部に渦を巻き始める。
結界を壊そうとジオリスが刀を突き刺した瞬間、鼓膜の破れるような轟音と眼の潰れる様な雷光。
パリン、と音を立て結界が崩れるとジオリスは消し炭の様に黒くなった服を纏い、地面へと降り立った。
「……ぐっう」
何故か肌は焼け焦げた後も無く綺麗なものだが、酷い吐き気がある様でジオリスは刀を地面に刺してしがみ付く。
「今何か、やっただろ、あんなタイミング良く、術が発動しないなんて、どうやったのさ、けほっ、ごほっ……はー。お陰でびしょびしょだよ」
「明かした処で防ぐ手立てがあるとは思いませんけれど、黙秘しますわ。少しは頭も冷えたでしょうに何か問題でもありまして?」
ジオリスは焦がした服や吐き気、痺れる手足には言及せず濡れた事だけを言う強がりを見せる。
流血と痛みで血の気が失せ真っ青なエリザベータも、それらには一切触れず飄々と返答した。
「問題は無いけど」
ジオリスはゆっくりと立ち上がり米神を押さえる。
「あー、何か疲れた」
エリザベータと眼を合わせたまま二・三歩下がると刀を鞘へと戻した。
「元々挨拶みたいなもんだったし、俺そろそろ帰るわ。今日はもう来ないからエリィも日没までしっかり休めよ」
しっかりとした足取りで更に数歩歩くと、最初に投げた短剣を拾い上げ懐に仕舞う。
「随分あっさりしていらっしゃるのね」
訝るエリザベータにジオリスは笑顔を向けるだけである。彼女は無言で後ろを向いた彼に未だ顕現したままの狼達を嗾けた。
けれどリン、と鈴の様な音が鳴り、エリザベータを見る事無く手だけを振っていたジオリスの姿が歪んで消える。
標的を無くした狼達がどろりと溶けてエリザベータの傷口に戻った。
「ジオ」
彼の精神は何も変わらず存在したが、身体は何か変わった存在になってしまったらしい。
少なくともあの雷撃で死なないのは、人間では無い。
小さく息を吐き出すと、エリザベータは大将軍を振り返った。戦闘前と変わらず腕を組んだままの佇まい。
「ご苦労だったな」
掛けられた労いの言葉に、彼女は首を振り微笑んだ。