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 木を叩く軽快な音が遠慮がちに木霊する。

 飾り棚の置時計に目をやると、いつの間にやら時刻は夕暮れを刻んでいた。

 粗方を終えた書類を束にして抱え、エリザベータは音のした扉に足を向ける。


「如何なさいました?」


 歩数にして十歩にも満たない距離だ。すぐに辿り着くも取っ手には手をかけず、気持ち声を張り上げ扉の向こう側へと話しかけた。

 室内は法具と呼ばれる法術の力を使った道具によって防音が保たれており、廊下へ声が通るのは扉の周囲だけである。


「姫様、任務に関してお話があると宰相閣下の使いの方がお見えです」


 程無くサレアの返事が聞こえ、エリザベータは誰に見られている訳でもないのに思わず首を傾げてしまう。けれど、取り敢えず。


「任務に関して、ですか。執務室で御話を伺ってもよろしいかしら」


 この書類を置いてきてしまいたい、と自分の腕の中を見下ろした。


「構わないようですよ。というよりこれから宰相閣下が執務室に足を運ばれますので姫様もお戻りくださいますように、との事でしたので」


 サレアは続けて。


「護衛をお付けしますので途中で止められる事も無いはずだそうです」


 扉を開く。


「さ、そうと決まれば着替えましょうか」


 満面の笑みと対面し、エリザベータはその場で固まった。


「インク塗れのそんな格好で、外出るなんて許しませんからね? 姫様」


 項垂れながら口から出たのは。


「……はい」


 短い肯定の返事だけだった。




***




 舞踏会に出る訳でもないので少々仕立ては立派だが、エリザベータは自室で着ていた物と変わらない白のローブに袖を通し、そのまま部屋の外に出る。

 先程言っていた通り、衛兵以外に護衛であろう兵士が四人。体躯の立派な、つまりは見た目を重視したのであろう近寄りがたい厳つさである。

 分かりやすい風除けだ。


「いってらっしゃいませ」


 扉を開いて佇むサレアの言葉に頷きで返す。


「宜しく御願い致します」


 胸元に右手を当て儀礼的な敬礼をした四人を従え、エリザベータは閑散とした廊下を歩き出した。

 赤い絨毯、大理石の床、平らに削られた石の上を進むにつれて、人気が増えて騒きも増す。そこここで囁かれる言葉の応酬に耳を傾ければ、やはり話題は勇者の事ばかりである。

 けれどエリザベータの背後に控える彼等を前に、使用人達は誰も声をかけてはこなかった。

 宰相に密かな感謝の念を送ると、エリザベータはこの後も暫く四人を借りる事は出来ないものかと内心でぼやく。


「姫様」


 ぼやいた先から声をかけられてしまったが左後方に控えていた護衛の一人が進み出た。

 ここで止まれば続く者も出てこよう、とエリザベータは強い眼で自分を見つめるメイドを彼に任せて先を急ぐ。


「何で止めるの! あの方が裏切ったなんて嘘よ、どうせあの女が何か言ったに決まってる」

「だとしても言ったところでお前が罪に問われるだけで」


 悪口程聞こえやすいものである。自分に対してなら尚更だ。


――貸出しは諦めた方が良さそうですね。


 表に出さない溜息の吐き方ばかりが上手くなっていく。

 寂しいものだと笑った。


 結局、途中で声を掛けてきた豪胆な使用人は彼女一人で、速やかに一行はエリザベータの執務室へと辿り着く。

 話がどれくらいかかるか分からない為、護衛の皆を将軍の権限で解放すると室内へと滑り込んだ。

 宰相はまだ訪れていない様で物音一つない空間、エリザベータは持ち込んだ書類を幾つかに選り分ける。宰相への分だけを机上に残し、後は引き出しに仕舞い込む。

 それから少し考えて、一枚の書類を別の引き出しから取り出した。


 “ジオリス・ミシェットに関する調査報告書”


 何というか、そのまま過ぎるタイトルが付いているが一応極秘の調査書である。

 彼女がしている指輪がないと“新入隊兵士による食堂メニューへの要望書”という心底どうでも良い書類にしか見えない為、飾り気は一切ない。

 ジオリスの不審を感じ、ラクセルに報告を上げる為に調べたものだが事が起こった今、もう一度中身を確かめても良いかもしれない。

 小さな紙擦れの音を立てながら、エリザベータはページを捲る。一番疑わしいと思う記述を、指でなぞって読んでいく。

 今からちょうど一月前、ジオリスと魔族の会話。

 魔族は通常、好き勝手に喋るだけで会話になる事がない。高位であればある程、その傾向は強かった。けれど一月前の遠征でジオリスは魔族側の幹部と会話をしていたと言う。

 時折話し好きの魔族もいる様なのでそれかとも思えど、相手は歴史書に名を刻み少しばかり性格も明らかになっていた。

 一言でいうなら無口、である。

 実際は魔族、魔物だけに聞こえる周波で何かは喋っていたらしいが歴史の中で彼は一度も喋った事がない。

 なのに、彼は会話をしていた。

 周囲に居たジオリスの部下達もその会話は聞いており、不穏な言葉を吐いていた訳ではない様だったが、言葉遊びの様な暗喩を絡めれば目の前でも何がしかの相談を出来ない事もない。

 本当に魔王軍に付いたと言うなら、此処で何らかの取引をしたのではないかとエリザベータは眉根を寄せる。

 と、其処でノックの音が続けて二つ。


「どうぞ御入り下さいな」


 書類に落とした視線を上げると直ぐ様声を張り上げる。密談用の部屋は執務室の更に奥にある為に、防音機能は何処にもない。

 はたして入室してきた宰相の顔に、エリザベータは目を丸くした。


「早々に申し訳ない、奥の部屋をお借りしても構いませぬか」


 扉が閉まるのを確認した直後、宰相は青い色で口早に促す。


「ええ、勿論です」


 奥へ向かう宰相と反対に扉へ近付き鍵を閉めると、エリザベータも後を追った。

 小さな部屋に入ると此方も素早く鍵を閉める。

 防音の法術の気配を感じながら、彼女は宰相を見つめ首を傾げた。


「緊急の御様子ですから単刀直入に、どうなさったのですか?」


 首を振り、頭を抱え、肩を落とす、酷く忙しない老人に重たい空気が絡みつく。


「姫様に使いを出した直ぐ後で、魔王より襲撃予告がありましてな」

「一昨日終わったばかりだというのに、随分と早い予告ですね。内容に何か問題でもありまして?」


 エリザベータは眉根を寄せるが予告のペースが速いというだけでこんなにも塞いだ様子になるものだろうか、と言葉を返す。

 宰相は小さく首を横に振り、続けた。


「告げてきたのが、魔王本人だったのです」

「魔王から、直接ですか?」


 驚くエリザベータに鷹揚と頷いて見せるも、宰相の顔には憔悴しかない。


「襲撃予告はいつもの様に魔法によって映像と音声を飛ばす形で送られて参りました。この私奴(わたくしめ)の管理する鏡を通して、常ならば黒肌の魔族が場所と日時を告げ終わる。なれど先程の映像には魔王が直接映り、直接告げてきた。歴史上でも数えるほどしかない珍事、何か思惑があるのではと今も大臣達が議論を重ねております」


 其処で言葉を詰まらせ口を開いては閉じる。


「それ以外にも、何かあるのですか」


 思わず尋ねたエリザベータを視界に収めると、宰相は固く目を瞑った。


「襲撃を予告する魔王の隣に、笑顔で映るジオリス・ミシェットの姿が」

「ああ、では」


 ジオリスは冗談ではなく。


「彼もこの襲撃に参戦するそうです。報告だけを聞くよりも、ずっと衝撃がありました」


 自分の敵に回るのか。


「勇者に刃を向けられて、我等は戦う事が出来るのでしょうか」


 縋る様な眼差しに、エリザベータもその目を見つめた。


「負ける等あり得ません」

「姫様」


 この気持ちは心から。


「今までと同じです。民の為、陛下の為、国の為、敵を屠るだけですわ」


 けれど動揺するのも仕方のない事である。何せ国の英雄だ、実力を知っているだけに絶望も一入。


「ジオリス・ミシェットの相手は私がしましょう。本人と対峙さえしなければ皆も落ち着きを取り戻す筈」


 エリザベータに限って言えば、とうに覚悟は出来ているのだから。


「襲撃はいつかしら、そう時間を置いて下さる訳でもないのでしょう?」


 いつも通りの笑みを湛えて、彼女は不敵に腕を組んだ。

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