特筆する事のないある日
荒れ果てた野に立つ鴇色の髪の娘は、祈る様に目を閉じていた。
握りしめた手には、先端に赤い宝石を嵌め込み意匠を凝らした黒檀の杖。神聖な祭具の様で侵しがたい雰囲気を醸し出している。
「姫様」
けれどその空気を押し破り、娘を取り巻いていた男達の内一人が声をかけた。
聞こえているのかいないのか。返事をするどころか何一つ反応を見せない娘に、他の者は居心地が悪そうだ。己の身に纏う武器や防具をガチャガチャと鳴らすばかりで、娘の方を見ようともしない。
「エリザベータ様」
再度、声が揚がる。名前で呼んだせいか、今度は反応があった。
ゆっくりと深緑の瞳が現れ、話しかけた男を振り返る。白いローブは少し土埃に汚れていたが、凛とした立ち姿が高貴な育ちを窺わせた。
それもそのはず。
最初の呼び掛け通り、エリザベータは王族である。王族でありながら戦場の第一線に立つ、通称“姫術士”。
「申し訳御座いません、カリスさん。帰還致しましょうか」
丁寧な口調と洗練された物腰はどんな修羅場でも崩れることがない。荒くれ者の集う軍の中では、ともすれば嘗められかねないものであったが、エリザベータは強かった。
王家の血を引くものとして法術は勿論、母方の祖先に魔族が混じっていたらしい。更に魔法も使えるという根っからの術士で、国でも一二を争う実力者だ。五年前に卒業した王立学院では筆記を首席、実技を次席で卒業した才媛である。
今では王位継承権を放棄し、将軍として一角のものになっていた。軍人は確かに荒くれ者が多いが実力主義である。彼女は部下に慕われていた。
「構いませぬ。姫様に祈られて、村人等も浮かばれましょう」
今まで気まずげに顔を反らしていた兵達も一様に頷き笑顔を見せる。
夥しい血臭が立ち込める中、歪な、けれど彼等の日常。
「この地の魔族は去りました。一度魔族を退けたなら同じ場所が被害に遭うことはない。この戦は我等の勝ちです」
「ええ、そうですね。分かっております」
退けたなら人の勝ち。負傷者の有無で言っても、隊に死者は出なかった。上出来だ。
……この地の村人が全て殺されていたとしても。
駆けつけたときには既に誰も居なかった。魔族が村人だった何かを前に、足を組み頬杖をつき、四つ足の魔物が彼等の肉を食む。
辺境の、高々百にも満たない小さな村だった。後の被害を考えるなら、襲ってきた魔族を倒しさえすれば数字の上では釣りが来る。
けれど人は、数字になどなれはしない。だからこそ祈り、だからこそ。
「どうぞ、安らかにお眠り下さいませ」
戦場に背を向けて、エリザベータは風に溶かすように囁いた。