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赤髪の娘

 隠し部屋の密会から凡そ一月が過ぎた頃、城内にはある噂が実しやかに囁かれていた。戦場でガレン達が懸念したとおりに。


「勇者様が裏切ったのはふりなのですって」

「油断させて魔王を倒そうとしているんだろう?」


 小規模なものが数える程度あるだけで襲撃が減り、ジオリスも例の襲撃以降姿を見せていない為広まる速度も速かった。一時期の異常な混乱は静まり、使用人や兵士達の表情は明るい。

 サレアは休憩室に屯する彼等の話に相槌を打ちながら、密かにその顔へと目を注いだ。


――人間、信じたいものを信じるものね。


 以前よりも明るく振舞っているが、ヒステリックに喚きもする。不安を煽る噂話には特に敏感で、言い出した者は一瞬で吊るし上げられた。本当は皆理解しているのだろう、自分達の話に大した根拠などないことを。

 とはいえ、サレアもこの静寂を不思議に思っていた。嵐の前の静けさでないことを祈るばかりだが、このまま何事もなく済むわけもない。国を裏切りした事がたった一度の襲撃。死んでいるなら兎も角、ジオリスがほぼ無傷だったことをサレアは知っている。

 ここでふと視界に映った時刻に気が付き、サレアは座っていた粗末な椅子から立ち上がった。


「もう時間ですから私はこれで」


 サレアの言葉に皆が時計へ視線を動かす。まだ大丈夫だと動かない者、もうこんな時間かと続く者。彼女は彼等を置いて部屋を出ていく。

 無人の廊下を楚々と歩きながら呟いた。


「まさか本当に、死んでたりして?」


 まさかよねぇ。

 ぼやく様なその言葉は、足下を彩る臙脂の絨毯へと沈んで消えた。




***




 同日、シュルイドから三人の役人が登城した。秘書の様な役割を持つ赤髪の女と、財務を担当する高官、そしてその部下である。

 派遣された役人が帰城するついでにと襲撃の後処理の為に召喚された彼等は、城について程無く二手に分かれた。本来は三人共すぐ客室へと向かい、荷物を置いた後で城役人と面談の予定だったのだが、緊急の案件がシュルイドよりもたらされたとのことで兵士が迎えに来たのだ。

 けれど三日の道行に女は体調を崩していた為、彼女はメイドの案内で客室へ。そして他の二人が兵士の案内で術鳥をやりとりする為に通信室へと向かった。


 という建前である。


 実際のところ、客人として招かれたのは女一人。財務官とその部下は、シュルイド襲撃時に起こった強盗の主犯格と目されていた。兵士の案内で向かう先は、通信室ではなく尋問室である。関わった人間の恐らくは全てが確定しており、彼等に加担し実際の犯行を行ったごろつきは三人が町を出た直後に拘束済みだ。

 勿論、女は全てを町長から聞かされ城に来たので、体調不良というのは仮病である。彼女の仕事は二人を城役人に引渡し、ここで幾つか細々した用事をこなすことだった。滞在予定は今日を入れて三日で、最終日の朝には城を発つ予定だ。この後も役人に会う予定が入っている、のだが。


「バーシュ様。あの、本当にお加減が悪いのではありませんか?」


 客室へと辿り着き女を振り返ったメイドが、彼女を見て思わず声をかけた。バーシュと呼ばれた彼女の表情は苦しげで、顔色は紙の様に白い。

 仮病を知らされていたメイドはバーシュを演技の上手い人だと感心していたのだが、先刻よりも明らかに悪化している彼女の様子にそれを改めた。


「ええ、その、少しだけ」


 口元を手で押さえながら擦れる声で漏れる言葉に、メイドは慌てて扉を開く。

 よろめく様に続いたバーシュがベッドへと倒れ込むと、メイドは彼女の荷物を床へ下ろし水差しを手にした。グラスに注いだ水をバーシュに差し出す。


「ありがとう」


 細い腕で力を振り絞り起き上がると、バーシュはどうにかそれを口に含んだ。飲み干したところでメイドの手を借り、再びベッドへと横になる。


「失礼致します」

「ああ、ごめんなさい」

「いいえ、楽になさっていて下さい」


 バーシュは履いたままだった靴をメイドの手で脱がされ、ばつの悪そうな表情を浮かべた。どうにかしなくてはと思っても身体が動かず、吐き気は治まった様だが相変わらず顔色が悪い。


「お医者様をお呼びします。少し席を外しますが大丈夫ですか?」


 メイドの言葉に小さく頷く。


「お手数をお掛けしてごめんなさい。それから申し訳ないのだけれど、この後人と会う予定だったの。少し時間をずらして頂けるよう言伝をお願いできますか」

「承りました」


 相手の名前を確認すると、メイドはバーシュに布団を被せ部屋を出て行った。

 小さな音と共に閉められた扉を認めると、バーシュは右腕を顔の上に乗せ視界を閉ざす。


「はぁ、とんだ失態」


 自己管理がなっていないと、父親辺りに知られればこっぴどく叱られるはずである。襲撃とその後片付け、同僚がまさかの犯罪者で、その彼等に隠し事をしながらの慣れない旅など、疲れることは沢山あったがよりにもよって城で倒れるなんてと、バーシュは眉間に皺を寄せた。漏れる溜息。


「馬鹿なこと、考えてたからだ」


 正直なところバーシュは城に着いたその瞬間まで、同僚達ではなく自分が件の犯人と疑われているのではないかと疑心暗鬼になっていたのだ。町長に全てを明かされていたのに、どうしてか信じきれなかった。

 疲れていたのだろう、曖昧な頭でバーシュは暫し虚ろを泳ぐ。

 そうして夢の世界へ片足を浸していると、木を叩く音で目を覚ました。


「どうぞ」


 バーシュは右腕を顔から下ろす。次いで張り上げた彼女の声に、扉が開かれた。


「失礼致します、お医者様をお連れしました」

「初めまして、お嬢さん。調子はどうかね」


 先程のメイドと眼鏡をかけた年老いた医者が、小声でバーシュに話しかけながら部屋へと滑り込む。


「初めまして、こんな体勢でごめんなさい。頭痛がして、後は何処が痛いということもないのですが身体がだるいです」

「よいよい、君、身体を起こしてあげてくれるかね。うむ、ありがとう。ちょっと失礼するよ」


 医者に促されメイドがバーシュの身体を起こした。彼は満足げに頷くと、彼女の額に掌を当てる。再び頷き、持ってきた鞄から器具を取り出しバーシュの口を開き中を覗き込んだ。目の下を指で押さえたり、心音を聞いたりとその後も幾つか質問しながら診察を終えると、医者は笑って彼女に告げる。


「旅の疲れ、後は悩み事が原因じゃろうよ。なるようにしかならんのだから、程々になさい。誰かに相談するのもよかろう、何を悩んでおるかは聞かぬがのう」


 言葉に詰まるバーシュを気に留める事無く、医者は薬箱へ注意を移した。彼女は目線を彷徨わせ、その弾みでメイドと視線が交わる。


「ありがとうございました」

「大した事がなくて良かったですね」


 医者を連れてきてもらった礼をしていない事を思い出し、バーシュは感謝の言葉を口に出した。

 メイドもにこやかに返し、作業中の医者を一瞥すると会話を続ける。


「ご用命の件ですが、急ぎの用事ではないので今日はお休み下さいます様にとのことでした。明日の十一時にお越し下さいと言付かっております」

「そう、重ね重ねありがとう。申し訳ないけれど助かります、了解しましたと伝えて下さい。何度もごめんなさい」

「構いません。確かに承りましたので、どうぞご安心下さい」

「そうじゃよ、身体を壊している時は甘えて何ぼじゃ」


 準備を終えた医者が薬を片手に割って入る。


「今日はしっかり休む事じゃな、薬というか栄養剤じゃがぐいっといきなさい、ぐいっと」

「紫色……」


 医者から渡された小瓶の中身を、バーシュは恐る恐る呷った。少しどろりとしていたが清涼感のある後味で、意外にも美味しい。首を傾げた彼女に医者は笑った。


「さぁ、少し眠ると良い。なぁに、横になって目を閉じればすぐに夢の中じゃよ」


 医者の言葉通り、身体を倒したバーシュに数分と待たず睡魔が襲う。

 思う事はあれ今はただ、休息がいるのだろう。バーシュは逆らう事無く眠りに落ちた。




***




 目を閉じてから一時間もたたない内に、バーシュは目を覚ました。室内に二人の姿は無く、彼女唯一人。あまりに短い睡眠に、体は不調を訴えたままである。

 気だるげに身体を起こすとサイドテーブルの上に水差しと二枚の紙片を見つけた。


“夕食は此方にお持ちします。何か御座いましたら控え室までお申し付け下さい”


 綺麗な文字が書いてある紙を捲れば、客室近辺の簡易な間取り図が顔を出す。メイド達が居るであろう控え室の位置を確認しながら、バーシュは水差しからグラスへと水を注いだ。口を湿らせ一息つく。


「どうしよ、目が冴えた」


 睡眠薬でも入っていたのではというくらいあっさりと眠りに落ちたにもかかわらず、早い目覚めだ。幸い薬のお蔭で多少気分は持ち直したが、どうしたものかとバーシュは悩む。明日の為にも休息が必要なのは分かりきっているが、暫くは眠れそうに無かった。

 両手に視線を落とし、掌を握り、開く。


――少し散歩してみるか。確かこの時期開放されてる花園があったはず。


 ベッドから足を下ろし靴を履いた。室内を幾度か往復しながら、体調を確かめる。特に問題は無さそうだとバーシュはゆっくり扉へと向かった。

 後から考えれば、この状態で外に出るべきではなかったと思える。けれど、バーシュは躊躇う事無く客室を後にした。そして部屋を出て二つ角を曲がったところで、バーシュは突然歩みを止める。


「花園って何処にあるんだっけ」


 部屋を出る前に気が付くべきである。

 控え室で聞こうにも、何故か逆側に来てしまっていた。戻るのも億劫で、バーシュは仕方がないとばかりに歩き出す。メイドでも衛兵でも使用人は沢山いるはず、彼女は適当に人を捕まえることにしたのである。

 と、決意して程無く廊下の角から話し声が聞こえてきた。バーシュが表情を明るくして足を速める。


「サレア様。それで、姫様はなんて?」


 けれど耳に飛び込んだその言葉に、思わず止まり息を潜めた。


「ですから、彼の方に対して何か仰っていてもいなくても、私は何も申しません。私達侍女は主人の生活を侵してはならないと、貴女もその一員ならばお分かりでしょう」

「でも、だってジオリス様が心配なのです。噂が本当ならあの方はお一人で今も戦っておられるのだわ……!」


 様付けの呼称に貴族かと危惧したのだが、違うらしい。取り込み中の様だが相手が侍女ならば特攻しても構わないかと、バーシュは足を踏み出し、再度止まった。


――ジオリス様、ジオリス……勇者? 一人で戦ってる?


 唾を飲み込む音が頭に響く。


「そう思うなら信じていれば宜しいでしょうに、どうして確認されたがるの?」

「だって姫様だけが裏切った後のジオリス様とお話なさっているのですもの、知っているはずだわ」


――何を知っていると。


「ですから、肯定にしろ否定にしろ、確認出来たところで何が変わる訳でもないでしょう」

「いいえ、分かれば陛下がきっと動いて下さいます! そうすればジオリス様がお一人で戦う必要も無くなる筈です!」

「陛下が動く? ありえません」


 聞いてはいけない様な、聞かなくてはいけない様な、不可思議な感覚。


「でも、ジオリス様は私達の為に裏切ったふりをしたんですよ! 本当に裏切ったわけじゃない、内側から魔軍を倒そうとするあの方を助けて下さらないはずが」


 侍女の言葉が終わる前に、バーシュの視界は真っ赤に染まった。


「そんな訳あるか! ふざけないでよ!」

「え」

「誰?」


 突然の叫び声に驚く侍女達に返事はなく、二人は訝しげに角から顔を出す。彼女達の前には荒い息を吐きながらしゃがみ込む赤髪の女が一人。


「大丈夫ですか? 私の声は聞こえていますか?」

「わ、私お医者様を呼んで来ます!」


 状況は分からずとも明らかに体調不良が見て取れた為、侍女達は慌ててバーシュへと駆け寄った。けれどバーシュは額に汗を滲ませ彼女達が側に来た事にも気付かない。


「今お医者様がいらっしゃいますから」

「父さんの腕を奪っておいて、そんな調子のいい事言わせない。父さんが何をしたって言うの……許さないから」


 医務室へと一人が走り去った後、側につくサレアの声は相変わらずバーシュの耳を素通りしていた。彼女は、ただ呻くように呟いている。


――ああ、もしかして。


 サレアの脳裏をある推測が過ぎったが、彼女は確かめる事なくバーシュを客室へと促した。




***




「目が覚めてしまったのかね?」

「ごめ、んなさい」


 ベッドに横たわるバーシュは申し訳無さそうに、目の前に座る医者を見る。彼の背後に見える侍女達や、明日会う予定だった役人まで居て彼女は酷く落ち込んでいた。気の高ぶりは一時的なもので、衝動が過ぎれば気まずさしか残らない。心配そうな侍女の視線が、バーシュには痛い。


「倒れるほど調子が悪いのに出歩くなど、流石に軽率だと言わざるをえないな」

「いえ、あの、よく分かりませんが私が廊下で噂話などしていなければ、倒れることは無かったと思います」


 眉を顰めた役人に侍女が声を上げるのも、情けなさを加速させた。彼は機嫌の悪さを隠すことなく彼女を振り返る。


「何だ、それは」


 鋭い声音に侍女は身を竦ませた。彼女の隣に佇むサレアはといえば我関せず、客室の壁に同化している。診察を続ける医者も、会話に加わる様子は無かった。

 侍女は困惑しながら、小さな声で役人に答える。


「何か、その、私が失礼なことを申し上げてしまったようで」


 言いながらバーシュを窺う侍女は、自分の話の何処が彼女の気に障ったのか分からないのだろう。曖昧に言葉を濁す。

 善良そうな侍女に申し訳なくなって、バーシュは彼女に視線を向けつつ首を横に振った。


「勝手に立ち聞きしたのですから、貴女は何も」


 目を伏せ、唇を舐め小さく息を吐く。重々しい空気を漂わせるバーシュの姿に、室内の人間は知らず彼女へと注目を集めた。

 バーシュは顔を上げると、正面にある白い壁紙を睨みつけ口を開く。


「私は、ジオリス・ミシェット……様の副官を務めさせて頂いていたデニル・ローの娘、ネルテ・バーシュと申します。私事でお騒がせして申し訳ありませんでした」


 言い終えると同時にバーシュは深く頭を下げた。侍女達の会話を知らない医者と役人も、その言葉に息を止める。

 バーシュの台詞の意味を理解した侍女が顔を青褪めさせていくのを横目で見ながら、サレアはやはりと心の中で呟いた。

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