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秘密の部屋

 サレアと二人、のんびり休日を楽しんだエリザベータは夕食を終えた処で一通の封書を手に取った。封は既に開けられていて、その内容も確認済みである。

 サレアはそんなエリザベータに目を留めると、首を傾げて口を開いた。


「それアラネア卿からですよね、どうかしました?」

「いえ、内容が少し」


 言いながら折りたたまれた紙を開くエリザベータにもその書き手にも、遠慮する事無くサレアは手紙を覗き込む。

 文面を目で追いながらサレアは段々と顔を青褪めさせていった。


「何これ寒い! ぞわっとする! 恋文じゃないですよぉ、こんなの! “瞬き煌く星影に謳う白月の我が愛らしき可憐なる妖精”って修飾し過ぎてもう意味分かんなくなってるし! 嫌がらせ? 嫌がらせなのっていうか、あの方こんな文章書くの!?」


 半狂乱で腕を掻き毟るサレアにエリザベータは不思議そうにぼやく。


「ですよね、このような事思いつきもされなさそうな方なのにどうされたのかしらと思いまして」

「だ、代筆だと良いなぁ。本人中身を確認せず出した、代筆だと良いなぁ」


 遠い目をするサレアを宥める事無く、エリザベータは手紙を封筒へと戻し机に置いた。そのまま時計に視線を動かすと、二度手を打ち鳴らす。


「もう約束の時間ですわ。手紙については御尋ねしておきますから、その為にも支度を手伝って頂けますか?」

「はい……お会いしたら一番に聞いて下さいね。姫様」


 泣き出してしまいそうなほどに取り乱したサレアに苦笑すると、エリザベータは彼女に指示を出し手紙の主へ会うべく準備を始めた。

 休日仕様の簡易ながら上質なドレスを脱ぎ捨て、灰色のお仕着せに袖を通す。エリザベータがスカートに皺がよっていないか確認している間に、サレアは彼女の長い髪を束ね頭の上で纏め固定した。

 続けて上から亜麻色の鬘を被せる。サレアが鬘の髪を更に纏める最中、エリザベータは自分の顔に化粧を施した。髪を結い終えたサレアが化粧道具を引き継ぐと、態とそばかすを散らし整える。前髪を慣らし仕上げに存在感のある黒縁の眼鏡をかけて、準備は終わりだ。


「うん、可愛く出来ました」

「別人に見える方が大事ですよ?」


 エリザベータを着せ替えながら機嫌を直したサレアは、満足げに彼女を見る。

 エリザベータの前に置かれた姿見には、困惑した表情を浮かべたメイドが一人立っていた。


「だいじょーぶですって、ちゃんと可愛い別人になってます」


 あくまで可愛さに拘るサレアにエリザベータは口を閉ざす。けれど一見して別人に見えることは確かなので、こめかみに人差し指を当てつつ彼女はこのくだりを流した。

 一歩二歩、部屋の中を移動する。静々後を追うサレアを余所に、エリザベータは何の変哲も無い壁の前で立ち止まった。

 純白の壁を上下に分ける飾り板の装飾がよく見える。繊細な蔓薔薇(つるばら)が彫り込んであり、如何にも美しい。

 エリザベータはそのすぐ下に手を当てながら、口を開いた。


(いにしえ)の盟約により、フィルディガンテの名の下に扉を開け」


 すると飾りに沿って人が一人通れる程の大きさで壁が抜け、底の見えない暗闇が顔を出す。

 王族に伝わる秘密の通路で、余人が先程の呪文を唱えても決して扉が開く事はない。

 エリザベータが横を見ると、サレアから角灯(ランタン)が差し出された。室内の棚にインテリアとして飾ってあった物だが、使用に何の問題もない。


「闇に灯るは(ほむら)の鮮紅、小さき炎を召喚せよ」


 受け取り中に火を灯す。硝子越しの淡い灯りが、石畳の通路を照らした。


「留守を宜しく頼みます」

「はい、いってらっしゃいませ」


 エリザベータは壁の中へ足を踏み出すと、上品に微笑んだサレアに見送られながら扉を再度閉ざした。シンプルな取っ手を軽く引き、鍵が掛かった事を確認すると彼女は颯爽と歩き出す。

 意匠を凝らした角灯(ランタン)の灯りは些か頼りないものだったが、罠や脇道のない一本道である。足取りは軽い。

 程無く行き止まりに辿り着くと、脇に置かれた木製の机に灯りを乗せた。

 揺らめく光を頼りに目前の壁を仰ぎ見ればやはり此方もシンプルな取っ手が一つ。加えてノッカーと小さな鍵穴が視界に映り、エリザベータは躊躇う事無くノッカーで扉を叩いた。何度か続けたノックの音は不規則ながら暗号の様な響きである。壁の向こう側からも同じ様に不規則な音が幾度か返り、彼女は耳を澄ませた。

 音が止むと、エリザベータは首に提げていた鍵を外して目の前の鍵穴に差し込む。


(いにしえ)の盟約により、フィルディガンテの名の下に扉を開け」


 入ってきたときとは違い、呪文を唱え終わると今度は鍵が白く輝き勝手に回った。エリザベータはそれを引き抜きまた首元へと付け直す。

 鏡は無いが身なりを心持ち整え灯りを手に戻した。ゆっくりと扉を開く。

 光が零れ視界が広がると、その先には腕を組み仁王立ちする若い男。深緑に上質な藍色を織り交ぜて、金糸をあしらった装束は貴族然としている。ウェーブのかかった焦げ茶色の髪も柔らかそうで血筋の良さを感じさせた。


「遅い」


 ただし、これはエリザベータと同じく鬘である。


「御待たせして御免なさい、お兄様」


 何処か幼い笑顔を浮かべて、エリザベータはラクセルへと近付いた。




***




 ラクセルが王位を継ぐより以前。その椅子を巡っての争いからラクセルとエリザベータは仲が悪い、というのが周囲の人間にとって当然のことだった。

 実際はそこまで嫌悪がある訳では無く、身内として穏やかな関係が築かれていたのだがそれでも、仲が良いと声高に主張するにはお互いへ向ける情の中に些か負の感情が混ざりすぎていたのである。特に訂正される事無くその誤解は解かれなかった。勿論彼等に近しい人間達は、二人がそれなりに親しく交流を持っていた事を知っていたが極一部の話である。

 ついには、エリザベータが継承権を放棄した時の一時の諍いとすれ違いが、周囲の勘違いを確かなものとしてしまった。

 和解は疾うに済ませ、以前よりも親交は深まってさえいる位なのだが周囲は未だ不仲を囁く。

 流石に不味いとラクセルが噂を正そうとしたのだが遅かった。彼がエリザベータの名を口にするだけで彼女を謗る言葉が飛び交い、それを庇えば今更媚を売ったのかと陰口が流れる。叱ろうと宥めようと、エリザベータへの反感が強くなるだけで効果は無かった。

 継承権を放棄しておきながら王位が惜しくなり、細い血の繋がりを盾にしてラクセルに擦り寄り媚を売る女とまで話は膨らむ。次の王をエリザベータの子供にするつもりなのだと、結婚さえしていない彼女を危険視した高官によって暗殺騒ぎまで引き起こされた。折しも魔族の襲撃期、人間同士潰し合う余裕は無い。二人はそこに来て、この噂の懐柔を諦めたのである。

 公の場所ではお互い関心の無い素振りを見せ、けれどラクセルへの忠誠は隠さず。親しくし過ぎると不安になる周囲を考慮して、会うのはこの部屋でだけ。王族だけに許された通路以外に、外部と繋がる扉や窓の無いこの部屋は彼らの密会に丁度良かった。

 幾つか用意した架空の貴族の名前で相手に恋文を送るのが会合の合図であり、アラネアもその内の一つ。手紙を受け取ったエリザベータは、こうしてこの場へと訪れたのである。

 自身と同じ様に別人へと化けたラクセルの後を追い、エリザベータは部屋の中央にあるテーブルセットに腰掛けた。久しぶりの従兄との逢瀬に彼女はとても機嫌が良い。浮き立つエリザベータに向けて、ラクセルはすぐさま口を開いた。


「大臣からお前がジオリスと戦場で抱き合っていたと報告があったぞ」


 そして、固まる。


「何だ、噂だけじゃなく付き合っていたなら言えば良かったじゃないか、エリス」


 謁見室の冷たい印象とは違い、余り笑う事こそ無いもののここでのラクセルは実に親しげである。彼にとってエリザベータは妹同然で、エリスという彼だけの愛称を呼ぶ声も身内へと向けるに相応しい優しい響きだ。

 但しからかおうとする気持ちを一切隠していない為、エリザベータは涙目である。


「御付き合い等していないと、知っていらっしゃるでしょう。意地悪ですわ、お兄様」


 エリザベータにとってもラクセルは親戚というより家族だった。呼称の通り兄として慕っており、批難の声にも甘えが滲む。

 ラクセルは妖艶な流し目でくつりと笑うと、視線を動かさず嘲笑に転じた。


「あいつ等は未だにお前が目障りらしいからな、態々戦場に間者を送り込むとは暇にさせすぎたか」


 決して無能では無いのだが、要らぬ事ばかり懸命な己の臣下にラクセルは眉根を寄せる。

 エリザベータは思わず俯き、窺う様に小声で返した。


「ああそうでした、御免なさい。住民にジオの情報が漏れていたので確認はしてみたのですけれど、何方が間者だったのかは分かりませんでした」

「お前を探る為の子飼いなら俺にはあまり関係のない事だ、謝られても仕方がない。但し、反省はしておけ。居ると分かっている鼠一匹捕まえられぬとは、昔からお前は詰めが甘い」


 少しだけ過ぎる王の顔に、エリザベータは背筋を伸ばす。

 けれどラクセルは腕を組み足を組み、浅く腰掛けたまま背凭れに寄りかかると、だらしの無い格好で意地悪げに続けた。


「しかし、抱き合っていたのは本当の事だったか」

「後ろから拘束されただけです。首に手が掛かっていたから動けなかったの、抱き合ってなんていません」

「ほう」


 ラクセルの言葉でエリザベータは付き合っている、という事だけを否定した自分に気が付く。慌てて反論するも片眉を上げ目を細めたラクセルに、彼女は自身の発言を振り返った。

 身動きを封じられ急所を押さえられたというのは、命に関わる様な失態である。何も自分で告白する事でもなかったのではと、ねめつけるラクセルから口元を隠した。


「抱き合っていたなんて話になるくらいだ。お前、自力で切り抜けた訳ではないんだろう。ジオリスの気紛れか」


 けれど既に口から出てしまった言葉は戻らない。エリザベータは肩を落とし項垂れながら頷き、ラクセルは彼女を睥睨する。


「お前は、敵の情けに助けられてどうする。自分で術士を選んだのだろう、将軍の地位に相応しい働きを見せろ。本当に、詰めが甘いというか抜けているというか。継承権を放棄する時だとて、もっと慎重に事を運んでいればもう少し今の事態もましだっただろうに」


 過去へ遡っての説教になり始めたラクセルに、エリザベータは視線をうろうろと彷徨わせた。途端に飛ぶ咳払い。


「エリス、聞いているのか」

「はい、勿論ですわ」


 条件反射で背筋を伸ばし返事をしたが、エリザベータは少しして、思わずといったていで笑い出しラクセルに不審の眼差しを受ける。


「お兄様は厳しい方ね」


 喜びを隠さない嬉しげな口調に、ラクセルも肩の力を抜いた。


「お前も相変わらずだな、嬉しそうに言う台詞でもないだろうに」

「別にそういう趣味がある訳ではありませんよ?」


 楽しそうに笑いながら、二人はまだ大して仲の良くなかった昔にもした懐かしいやり取りを思い出す。

 厳しい事が嬉しいと言った幼いエリザベータにラクセルは一言、そんな趣味があったのかと返したのである。小さな彼女は意味が分からなかったが、今ならその意味も理解できた。理解できたから嬉しいという内容でもないけれど、時間の流れを感じて感慨は深い。

 と、エリザベータは思い出した様に首を傾げた。


「ところであの恋文の文面は、いつもお兄様が考えていらっしゃるの?」

「話を逸らすな」


 話題を変えられラクセルは説教の途中だった事を思い出す。


「いえ、その様なつもりではありませんわ。ただ本当に気になって、サレアと話しておりましたの。お兄様がこんな文章を御考えになるかしらって」


 けれど、今日のは特に不思議だったと他意無く続けるエリザベータに、ラクセルは小さく息を吐き諦めた。奇しくも彼女の質問の答えが意趣返しになるだろう。


「あれは、宰相が考えている」


 果たしてラクセルの返答に固まったエリザベータを、彼は生暖かい眼差しで見やった。冗談であろうと真面目にであろうと、宰相が(くだん)の文章を考えたという事が彼女には理解しがたい。どう収拾をつけるのか、とエリザベータを見るラクセルの眼にも気付かず彼女は暫く動かなかった。けれどそうして数分後、一つ頷いたエリザベータの顔は実に晴れやかなものである。

 聞かなかった事にしたらしい。ラクセルも敢えて蒸し返そうとはしなかった。

 直前の問答を記憶から押しやった二人は、其の後も話しに花を咲かせる。従兄妹同士の談話は遅くまで続いた。

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