二人のお茶会
食事を終え、仮眠を取り、町の直ぐ側で兵士達の遺体の火葬を済ませた。彼等の遺品と遺灰を手に、エリザベータ達が城へと戻ったのは昨日のことである。六日をかけた帰りの道中、簡単な報告は術鳥を通して伝えてあった。報告書も既に作成済みで、城へ着いて直ぐ行われた帰還報告を終えると彼女達は程無く休みを許される。
エリザベータは現在、自室で思い切り寛いでいた。珍しくその手に書類は無い。
机の上には可愛らしいクッキーが沢山盛られた大皿が一つ、飲み物はサレアの手で準備中である。
ワゴンの上に乗る繊細な意匠が凝らされたティーセットを見ていると、サレアが徐に言葉を零した。
「またあったらしいですね?」
意味ありげな切り出しにエリザベータは首を傾げる。
サレアを見ると、彼女はエリザベータに視線を向けることなく口を開いた。
「魔物の仕業に見せかけた、火事場泥棒」
その言葉に目を丸くしたエリザベータをちらりと見ると、サレアは更に話しを続ける。
「内密に調査官を送ったらしいですよー、復興費用やら実際の被害状況やらの確認だって言ってね」
「……そうですか、内密に」
内密な話が何故一介の侍女に漏れているのか。エリザベータは視線を逸らした。
「サレアは恐ろしい程に情報が早いですね」
何処か遠くを見るエリザベータに対して、サレアは満面の笑みで胸を張る。
「うかうかしてると姫様ってば狸共に追い落とされてしまうもの。どんな情報でも、早く得るに越した事は無いでしょ?」
頼もしい味方だと喜ぶべきか、エリザベータは前日の謁見を思い起こしながら、静かな現実逃避を試みた。
***
帰還報告は大将軍と将軍三人で行われた。と、言っても実際にラクセルに報告しているのは大将軍だけで、将軍達は彼の後ろで立っているだけである。
エリザベータは身体の前で手を組み足を閉じて楚々とした佇まい、リューンは反対に後ろ手に腕を組み軽く足を開いて構えていた。ガレンは肩を竦め手を後ろで重ねてやはり軽く足を開いている。手持ち無沙汰なのかガレンは少し落ち着かなげに、手指を遊ばせていた。謁見室に集まる人々の注目は、滔々と報告を続ける大将軍に向かっている為気付いているのは両側のエリザベータとリューンだけである。リューンが注意しようか迷っていると、大将軍の声の調子が変わった。
「襲撃に関しての報告は以上です」
一通りの報告を終えたらしい。
けれど大将軍の台詞に違和感を覚えたのか、ラクセルは片眉を上げ、宰相は咳払いをした。
「他にも何かあるのかね?」
代表して尋ねた宰相に、大将軍は頭を下げる。
顔を上げると、再び淀みなく話し始めた。
「先程も申し上げたが、個人で隠れていた住民の被害が多すぎるのです。短時間の襲撃で、道のそこかしこに兵士が居た。態々家屋の地下や隠し部屋など探す暇も無かっただろうに、戦闘後見つかった避難民の六割以上が殺されておりました。役場によって作られたリストに載る者達に限れば、その八割が死亡ないし行方不明です」
宰相が顔を顰める。
「逆に、リスト外の者で被害にあった者は我々が町を出た時点で二組しか確認されておりません」
ラクセルは、足を組み替え玉座に深く凭れ掛かった。表情が隠れる。
「人間による強盗か」
「残念ながらその可能性が極めて高いと言わざるを得ません」
しかも役場のリストが使われたとなれば、役人が関わっているのはまず間違いない。リストの閲覧が自由に出来るのは上位の役人に限られている為、彼等が噛んでいる可能性も高い。
襲撃終了後、安否確認をする為だけのリストな上に個人情報でもある。事前に閲覧を申し出る事は出来ず、基本的に人目に触れることはない筈だった。
一応情報を集める段階では下の人間が作業しているが、一人一人が持つ情報量は大した量にはならない為、リスト全体を使っていると予測される今回は当て嵌まらない。
但し、実際どの様にして情報を集めたかは町の人間でないと分からないので、調査をしないと如何ともしがたい。
「町の人間の前では話していないな?」
「勿論です」
暫くして身体を起こしたラクセルは大将軍に短く確認を取ると、片肘を肘掛に乗せ頬杖をしながら思案した。
宰相をちらりと見る。彼は頷き頭を下げた。
ラクセルが大将軍に視線を戻す。
「その件については此方で確認しておこう」
「は」
この件をこの場でこれ以上話す事は無い。言外に告げられた言葉に大将軍は恭しく礼をする。
身体を起こしたのを確認すると、宰相が口を開いた。
「報告は以上で宜しいか」
大将軍が無言で頷き、宰相は後ろの将軍達を見る。三人は姿勢を正すと、胸に拳を当て頭を下げることで彼の言葉を肯定した。
宰相は真っ白な顎鬚を二・三回撫で付けると、ラクセルへと視線を移す。彼は悠々と終わりを告げた。
「皆、御苦労だった。変則的な此度の襲撃にも関わらず良くやってくれた、ゆっくりと休んでくれ」
将軍達三人は再び礼をし、大将軍が彼等を代表して答える。
「有難きお言葉、謹んで頂戴致します。それでは」
頭を下げ部屋を出た大将軍に続き、三人もその場所を後にした。扉を潜る直前エリザベータはラクセルと目線があう。彼女はにっこりと笑って、立ち去った。
***
あの場に居たのはラクセル、宰相、大臣達。大将軍に将軍二人、衛兵、近衛と、さてサレアは誰と繋がっているのだろうか。エリザベータは彼女を信頼しているが、それでもやはり恐ろしい。
情報源が一つでは無いというのは以前に確認済みである。けれど知らない方が良い事もあると嘯かれ、エリザベータは結局その情報源の誰一人として教えられたことがなかった。
「後は調査待つしかないけど、人間の欲は怖いですよねぇ。今から魔軍が攻めてきて殺されるかもって時に、金勘定ですよ? 理解できないって言えるあたしは幸せかしら」
エリザベータがひっそりサレアに怯えていると、彼女は彼女で人間に怖じけていた。
例えば今何気なくサレアの注いでいる紅茶は、貴族的には安いものである。それでも一般人が飲むには高すぎて手が出ない。
王位継承権を放棄したとはいえ、エリザベータは未だ王族で。侍女とはいえ、サレアは侯爵令嬢だった。金銭面の苦労はした事が無く、知識として知ってはいても本当に理解しているとはいえない。
幸いなのだろう。恵まれているのだ。
「まあ、それより。ジオリス様はどんな感じだったんですか?」
物思いに耽っていたエリザベータをよそに、サレアはちゃっかり自分の分まで紅茶を入れ終えていた。彼女はエリザベータの向かいの椅子に座って頬杖をつく。
机の中央に鎮座するクッキーに手を伸ばし、口に銜えてパキリと割った。
「聞きましたよー、あいつ二回も来やがったんでしょ? しかも姫様ご指名だったとか」
そこのところどうなの、とサレアはもごもごと口を動かしている。食べたり喋ったり忙しいが、食べながら口を開くことがないのは育ちの良さか。
まだ熱い紅茶を一口啜って、エリザベータは呆れを顔に浮かべた。
「本当に、何処からそんなに聞き集めていらっしゃるのかしら?」
「ふふふ、女に秘密は付き物ですよ」
ごくん、と飲み込み不敵に笑うとサレアはもう一つクッキーへと手を伸ばす。彼女は会話の続きを目だけで促して、エリザベータを見上げた。
「飄々としておりましたよ、裏切る前と全く変わらぬ気安さです」
「姫様にだけですか?」
「どうでしょう。他の方に話しかけたりはなさいませんでしたし、分かりませんわ」
サレアはクッキーを取る手を止めて、カップを戻す。不安を滲ませエリザベータを見詰めた。
「ねえ、姫様。本当に、ジオリス様に巻き込まれないように気をつけて下さいね。裏切り者と繋がってるなんて言われたら格好の不祥事ですよ、狸共が黙ってません」
「そうですね。絶えず突き放していたつもりですが、もっと気を付けます。心配して下さって有難う」
サレアに心配されたことが余程嬉しかったのか、エリザベータは稀に見る輝く笑顔を浮かべる。
サレアは思わず口を尖らせた。
「もっと真剣に、ですねぇ」
けれどもごもごと言いながらクッキーを玩ぶサレアの頬はほんのりと朱色に染まっていて。
白い窓枠の先にはなだらかな午後、穏やかな平和が部屋を満たした。