帰城の前に
町の中心、教会前広場にて、大将軍以下五名は顔を突き合わせ瓦礫の撤去について協議していた。
通常襲撃によって損壊した建造物の始末の全てはその土地の住民の手に委ねられるものである。けれど半数弱の住民が瓦礫に埋まる地下に閉じ込められている以上、役目は終わりと彼等を放置するわけにもいかない。
それに加えて運の悪い事に、町長と副町長が教会と東避難所の地下にそれぞれ逃れていたらしい。辛うじて術鳥での連絡が取れた事は幸いだったが、現在町の代表として話をするのは艶やかな赤髪が見事な年若い女性の役人だった。秘書の様な役割をしていたらしく、有能ではあるが経験に乏しい。今後について大将軍達とも打ち合わせの場を開いたが、自分自身の何処か上滑りした声にも気付かず両手を握り締め張り詰めた表情で、二言三言喋った後はただ立ち尽くすだけだった。
取り合えず町長なり副町長なりを表に出さなければ、休憩一つ儘ならない。
彼女をおいて進められた話し合いは、地下に結界を張りつつ上部にある瓦礫を法術で粉々にしてしまおうかという方向で纏まっていく。強度の事や必要な術士の人数など、後は細かく煮詰めるだけだ。
そこでエリザベータは大将軍達から離れると、少し距離のある場所で被害状況の確認をしている彼女に近付き声をかける。
「申し訳ありません、戦闘時に北の結界石が壊されてしまったのですが予備は御座いますかしら」
とろんとした眼差しに幾人かが頬を染めたが、声をかけられた女は僅かに目を彷徨わせた後、エリザベータをじっと見詰める。彼女は首を傾げたが、疑問を口にする前に女が答えた。
「勿論です、交換をお願い出来るということでしょうか」
「ええ。私で宜しければ、ですけれど」
「姫様以上の適任なんていません。今お持ちしますのでどうぞよろしくお願いします」
エリザベータから目線を動かさず、口端を押し上げ笑みをかたどった女は頭を下げて他の役人へと指示を出す。
早い対応に感謝を伝えようと口を開こうとし、エリザベータはタイミング悪く零れ落ちそうになった欠伸を噛み殺した。きまり悪げに咳払いを一つした彼女はわたあめの様な雰囲気で笑う。
「有難う御座います」
女の両手は未だ握り締められた儘である。
***
大まかな救助策が立てられエリザベータが役人から結界石を受け取ったところで、五人は各避難所へとばらばらに居所を移した。大将軍が教会、バーリックが東、リューンが南、ガレンが西、エリザベータは北へと動く。
五人はそれぞれの避難所を拠点とし、個別で隠れている住民の捜索や戦死した兵士の回収、魔物の死骸の始末を指揮する事となった。勿論教会と東避難所の二人には瓦礫の撤去の指示、エリザベータは結界石の交換という付け足しがある。
エリザベータは足早に北の避難所へと辿り着くとカリスへと術鳥を飛ばした。
その後怪我人と遺体の捜索に半数を割いて、更に残りの半分を幾つかに分け住民の捜索にまわす。拡声器の働きをする法具と役人の持っていた避難リストを手に、彼等は疲労を隠し颯爽とその場を離れた。
毅然とした後ろ姿を見送りながらまたも出そうになった欠伸を抑え、エリザベータは避難所を見上げる。
教会と東避難所の瓦礫が撤去されるまでは役人など一部を除き、全ての住民が避難所での待機を余儀なくされていた。街中には尚も無惨な遺体がそこかしこに点在しており、助かったとはいえ緊張状態の続いた彼等を解放することは憚られる。未だ隠れている生存者の捜索にも邪魔になるためだと言われ、住民の多くが不満一つ漏らさず国軍の指示に従った。
――この中にも居るのでしょうか。
何処か虚ろな思考のままに、浮かぶ疑問。
「姫様?」
それ以上を考える前に連絡を受け辿り着いたカリスがエリザベータを揺り戻す。
目蓋を下ろし軽く首を振ると、エリザベータは言葉を紡いだ。
「カリスさん、御待ちしておりました。私は今から北の結界石を交換しに参ります。その間、此方の指揮を御任せしますわ。仔細は此方に」
「御意」
避難リストと共に渡された書面を受け取り、カリスは一礼する。彼が頭を上げるのを確認すると、エリザベータは更に町の端へと歩き出した。
赤黒い跡、損壊した建物。魔物の残骸を見つける度に、灰になるまで焼き尽くす。
人間の遺体が無いことにほっとしながら漸く辿り着いた荒地には、たった一つ、深い穴が開いていた。魔族はどうしてこの場所が分かったのかと、再び穴の前で疑問が浮かぶ。
けれど再度眠気が襲ったところで、取り敢えずは結界をどうにかしなければと気を取り直した。エリザベータ達がこの町を去るまで探知の結界は持続させることが決まっている。核を結界石に移さない限り、彼女は疲労するばかりである。
エリザベータはベルトの小物入れから結界石を取り出すと、深く暗い穴の中へと放り投げた。次いで指し示す様に黒杖の先端を穴へと向ける。彼女は清廉たる旋律で呪文を唱えた。
「秘せし碑石、大いなる大地へと還れ」
ゆっくりと流れる土砂が結界石を覆い隠し目前の地面がすっかり平らになると、エリザベータは呪文を続ける。
「新たなる輝石を標とし、我が意を汲み取りて結びの四方を継続せよ」
これで核の移動は完了である。両手を上に押し上げ伸びをすると、エリザベータは踵を返した。
町全体を覆う広範囲の結界だと維持するだけでも随分と疲労するものである。まだ時間が掛かるなら仮眠は無理でも、何か口にしておきたい。エリザベータは帰る道すがら、食べ物の名前を取り留めなく上げ連ねた。
幾らか軽くなった気のする足で、避難所へと急ぐ。行きとは違う道順だったが粗方の捜索を終えたのか、帰りは死体の影も見ることは無かった。
戻ってきた避難所では、待ち構えていたのかエリザベータの方を見てカリスが立っている。彼女が気付いたことを察して彼は口を開いた。
「お疲れ様です」
深々と一礼するカリスの前まで近付くと、エリザベータは淡く微笑む。
「有難う御座います。どの辺りまで捜索を終えているのでしょうか?」
「先程一通り見回ったと報告がありました。今は見落としが無いか、もう一度確認しているところです。生存者が二組十七名、死者が八組で判別出来た限りでは三十四名。兵士の遺体は九体回収しましたが状態が悪く何れもどの隊員かは分かっていません」
エリザベータはいつの間にか用意された椅子に呆れつつも有難く座る。その椅子を用意したであろうカリスの報告を聞きながら、彼女は渡された書面を流し見た。
襲撃時の死者の多くは、綺麗な状態で見つかることが極めて少ない。下手をすれば灰の一つも見つからないこともあった。つまり、見つかった死者よりも、実際の死者は多いという事である。
「やはり、多すぎる気が致します」
あまりに小さな呟きだったせいで、側に居るカリスは気付かず兵士へと指示を出している。エリザベータ自身も聞かせる気の無い独り言だったため、何をいう事も無く。その後もカリスと、役人と、二・三の確認をしながら報告を待った。
最終的に生存者を一組二名増やしたところで捜索を一段落させる。
術鳥が教会と東避難所の瓦礫撤去完了を連絡してきたのである。後の細かな片付けは町の人間に任せる事になり、エリザベータは兵士達を集め避難所から住民を開放した。
危機が去ったことは知っていても、恐る恐る扉を押し退け出てきた住民達は騒きを大きくしながら行列を作る。
「有難う御座います」
「助かった! 有難う!」
「怖かったよ!」
何か喋っていないと落ち着かないのか、どの住民も騒がしい。
「ああ、町が」
「家は無事かしら」
そんな中、不安そうに辺りを見回す住民の一人が、列を整理する兵士に目を留め声をかけた。
「この襲撃って幹部が来たんですか?」
「……それは」
住民には知らされていないはずのことを聞かれ、兵士は思わず固まり言葉を詰まらせる。その質問に近くに居た一部の住民も立ち止まり、無言で兵士達を見た。
彼等が立ち止まった事で、何事だろうかと質問の聞こえていなかった他の住民達も歩みを止める。列が止まった原因を探す住民達の視界に、エリザベータの姿が映った。
「姫様?」
「え、エリザベータ様?」
「姫術士が居るって」
知名度のあるエリザベータが居ることに、辺りの注目が彼女へと移る。仕方なくエリザベータが口を開こうとした刹那、誰かの声が遮った。
「襲撃に来た魔軍の中に勇者様が居たって本当ですか?」
先程よりも静かだったせいで響き渡ったその台詞に、軍関係者は目を見開く。
一瞬の完全な静寂を挟み、住民は一気に爆発した。
「そんな、あのお触れって本当に!?」
「俺も聞いた、嘘だと思ってたのに!」
避難所を出て直ぐとは比べ物にならない大きな騒ぎに兵士達が慌てて声を上げる。
「静かに!」
「そんな! 信じられない!」
「止まるな!」
「ああ、この町は勇者様に見捨てられたの!?」
けれど悲鳴に掻き消されその声が彼等に届く事は無かった。
眉根を寄せたエリザベータが側に立つカリスに何事か囁く。頷いた彼は胸元に提げた法具を引き抜き、真上に放り投げそれを鞘に入ったままの剣で弾いた。瞬間、大きな音と共に光の花が空に咲く。日差しの下でも不思議と際立つ法術の光に驚いて、辺りは再度静まり返った。
「静粛に!」
張り上げるカリスの声に呆気に取られる住民を尻目に、彼はエリザベータに一礼するとその場を譲る。
派手なパフォーマンスに苦笑いしながら、エリザベータは近くの箱に飛び乗り微笑んで告げた。
「エリザベータ・ロゼッタと申します。将軍の階級を頂いております、どうぞ御見知り置き下さい」
優雅にローブの裾を摘むと、ドレス姿の時と同じ様な礼をする。エリザベータは口を挟ませること無く続けた。
「疑問には御答えしますが、其の後は静かに速やかに、移動を御願い致します。まず最初の方、幹部についてですが参戦しておりました」
此処でエリザベータの台詞に口を開こうとした住民を、彼女は射抜くように見下ろす。
「騒がれる方は途中で退場して頂きます、どうぞ御静かに?」
がちゃりと金属同士の擦れる音が鳴り住民達がふと見れば、いつの間にか兵士達が等間隔に彼等を囲んでいる事に気が付いた。その威圧感に若干顔色を青くして、彼等は開いた口を再び閉ざす。
「あまり無い事でしたが事前の情報がありましたので、私共も戦力を揃えて参りました。結果は皆様御存知の通りですわ、魔軍を退け町は守られました。もう此の町が魔軍に襲われる事は御座いませんから、幹部の有無等御気になさらず心安らかに御過ごし下さい」
静かになった住民達に満足しエリザベータは続けたが、話の内容は要するに、幹部が居ようと国軍の勝ちなのだからぐだぐだ騒ぐなという事だ。質問の答えではあれど、事実の説明になっているかは怪しいものである。
「次に勇者、ジオリス・ミシェットですね。予め布告されておりました通り、彼は先日国を裏切り離反しております。そしてこれも直ぐに確認された事ですが魔軍に寝返りました。但し今回に関しましては、私共が町に着く直前単独で一度襲って来ただけで襲撃自体には参加しておりません」
続くジオリスに関しての説明には抑えきれず幾人かが声を上げたが、構えていた兵士達が無言で拘束していきそれも直ぐに静まり返った。
連れて行かれた住民と入れ違いに、先頭に居た役人が騒ぎに気付き戻ってくる。エリザベータに話を聞こうとし、カリスに止められた。
「彼は其の際、重傷を負い退けられました。勇者とはいえ、日々鍛錬を重ねる軍人にとってはその程度のもの。恐れるに足りませんわ。さあ、納得して頂けましたら御約束通り黙って進んで下さいな」
エリザベータの凛とした立ち姿と反論を許さない堂々たる物言いに呑まれ、一人また一人と歩き出す。
「そう、よね。もう終わったんだから」
「裏切り者になる位だから、噂程優秀なお人じゃなかったのかもな」
時折小さく聞こえる声にも、否定の言葉は一つもない。
次第に住民達の姿はなくなり、周囲には兵士と役人が残っているだけ。避難所はこの後兵士の休憩に使われるため、近隣に住む住民も今は他所へ行き戻っては来ない。
エリザベータは木の箱から下りると口元を隠し、欠伸を零した。
「後の指示は私が。姫様はもうお休み下さい、食事も向こうにご用意を」
カリスが心配そうに話しかけるのを片手で制すと、エリザベータは先程から物言いたげな役人に目線を送る。
「何か、連絡事項が御座いますか?」
押さえきれない眠気のせいで、幾分おっとりとした口調になる。
法術の知識に疎いのか、役人は眠たそうなエリザベータに批難の眼差しを向けた。カリスがこめかみを引き攣らせるが、男は気付かずエリザベータを咎め立てる。
「差し出がましいことですが、何故あのような嘘を? 一般人は真実を知ることが許されないとでも言うのですか」
「偽りは一切騙っておりませんわ、精霊に誓いましょう」
役人は二の句が継げず押し黙る。法術士が精霊に誓うというのは、破れば実害があるだけにかなり信用出来る言葉だ。誓った事柄を違えれば、法術を使うために必要な呪文が何倍にも長くなり、術の行使が難しくなる。
エリザベータは言葉を呑み目で訴える役人を、さらりと無視して話を続けた。
「先程も申し上げましたけれど、もう此の町に襲撃は御座いません。なれば幹部も勇者も過去の事、悪戯に不安を煽る事も無いでしょう」
「ですが」
役人は反論しようと口を開くが、結局何を言うこともなく口を閉ざした。
エリザベータは傍から見て変化が分からない位ほんの少し、目を細めた。
「私共は此の後食事と休憩を挟み戦死者の葬送を終え次第城へ戻ります、もう此の町で何か御手伝いする事も御座いません。襲撃によって人は傷付き町は随分と荒らされましたけれど、過ぎた事に感ける暇が御有りでしょうか?」
エリザベータの物言いに、役人が唇を歪め彼女を知らずねめつける。カリスが我慢しきれず剣を抜きかけ。
「カリスさん、御食事はどちらに御用意して頂いたのかしら?」
エリザベータが言葉で止める。さり気無く役人の視界を遮りカリスを隠した彼女は何事も無かった様に首を傾げた。
「申し訳ありません、ご案内します」
カリスはハッとしてエリザベータに詫びると、即座に部下を呼び案内を任せた。不満げな役人も、仕方なさそうに自分の仕事へと戻っていく。
兵士に続き歩き出したエリザベータの背後では、カリスが他の兵士達の休憩の為采配を振る声が聞こえた。
直ぐ近くの少し豪奢な民家の様な家に入ると、エリザベータは食堂らしい部屋のテーブルに着く。案内役の兵士が食事の配膳も手がけ、彼女は彼を労い外へと戻した。
一人になった室内で湯気の立つ食事を見やる。暖かいものを食べると、生き返った気になるものだ。
エリザベータはほっと吐息を零しながら、胡椒の効いた干し肉のスープを口に運んだ。