襲撃の終わりと漂う暗雲
「貴方どうやって此処に、いえ、何故その魔族を殺したのでしょうか。ああ、いいえ、勝手に御自分の姿を使われたからですとか特に意味はなさそうですわね、貴方の場合」
突如として現れリーダーを葬ったジオリスに、エリザベータは混乱したまま纏まり無く言葉を押し出す。
対して、ジオリスは楽しそうに笑っていた。
「そう、それよりも、今の爆発は何ですか」
そして漸く聞かなければいけない事を選びジオリスを睨みつけたエリザベータに、彼は明るく返事をする。
「どうやってって、送ってもらったのさ。魔術って便利だよなぁ? あ、そうそう、俺の振りするならもっと完璧にやれよって思う。んで何、爆発? 方角考えれば分かる気がしないか?」
ニヤニヤと厭味たらしく、エリザベータが取り下げた問いにも答えて見せるジオリスを彼女は鋭い眼差しで射抜いた。
「貴方、進んで人間を滅ぼす気ですか」
「いや? ま、寝返ったなりに仕事はするつもりだけど。聞いてくれよ、上げ膳据え膳三食昼寝付きの衣食住完備。これで給料まで貰ってるんだから、真面目な俺としては働かないわけにはいかないだ、ろ!」
機嫌良く答えていたジオリスが戸惑う兵士達に向け刀を振るおうと飛び出す。エリザベータは合わせる様に追いかけて間に入った。
白い刃と黒い杖が甲高い悲鳴を上げる。
「術士は返事をなさい!」
「は、い此処に!」
攻撃を防がれたジオリスがひらりと後ろに下がり、刀を手に当て刃零れを確かめる様な素振りを見せた。
エリザベータはそれを目線で追うに止め、背後の兵士に声をかける。瞬時に上がった返事に姿を確認する事無く言葉を続けた。
「大将軍閣下と将軍方に此の状況を伝えて下さい、他は煙の上がる場所に行って指示を仰いで」
「は!」
エリザベータが次いで下した指示に従い兵士達はあっという間に此の場を離れる。
程無く二人以外の人気が消えたその場所で、エリザベータは体勢を整えた。香ばしい臭いを意識の外へと努めて追い出す。
「リーダーが死んだのなら魔軍はもう此の地に手出ししない筈ではありませんか?」
「せっかく敵対してるのにあれだけしか戦わないのは勿体無いだろ」
二つ三つ路を挟んだ建物の陰から、白い鳥が三羽飛び立って行く。
刀の確認を終え、意気揚々と柔軟を始めたジオリスにエリザベータは目を眇めた。
「……そういえば貴方、今朝のダメージはどうしましたか」
「んー? 俺が回復術苦手なの知ってるだろ、自然回復に決まってる」
ジオリスの動きは滑らかで、痩せ我慢という選択肢も遠い。エリザベータの目から見て、顔色も良く健康体そのものに見えた。彼はその場で幾度か跳ねると肩をぐるぐると回し出す。
摺り足で一歩下がったエリザベータは徐に問いかけた。
「人間を捨てましたか」
瓦礫の上に立つジオリスを、エリザベータは静かに見据える。健やかな青天から降り注ぐ日差しが二人を突き刺した。
エリザベータが瞬きをした刹那、柔らかく抱き寄せられて彼女は体を強張らせる。
熱源は背中に、腕は押さえられ、右耳に微かな吐息。
「捨ててはないさ、強くはなったけどな」
細い首にかけられた大きな手が、エリザベータの言葉を奪う。
「やっと体が慣れてきた。お前も早く強くならないと、勝負にならずに殺してしまうかもな?」
囁きの終わりに髪に何かが触れたのを感じて、エリザベータは先程までとは別の意味で硬直した。
ジオリスの両手は塞がっている。何より、額の様な硬い感触ではなく軟らかな、唇の様な感触でエリザベータは凍り付く。
ジオリスは後ろからその様子を一通り楽しむと、最後首筋に顔を埋めて業とらしい甘い声音で喉を鳴らして見せた。
「さて、そろそろおっさん達が来るだろ。次に会う時までに、精々腕を上げておけ」
エリザベータはその台詞と共に拘束の力が弱まったのを見計らい、杖を勢い良く振り上げるもジオリスに当たる事無く空を切る。
「ジオ!」
半回転した先に見えたジオリスの小さな後ろ姿に、エリザベータはどすを利かせて名前を叫んだ。
ジオリスは一度だけ振り返るとにっこりと爽やかな笑顔を置いて走り去って行く。
わなわなと震えるエリザベータは、けれど直ぐに項垂れて炎の消えたそれへと視線を移した。腹部に穴の開いた黒焦げの死体が、石畳の上に寝転んでいる。
エリザベータは左手の甲の傷を塞ぐ血の塊を引っ掻いて剥がすと、魔術を使って死体の首を切り落とした。複数の宝玉を取り出し、簡潔な報せを告げる。
「此方エリザベータ・ロゼッタ、リーダーの死亡を確認致しました」
報告を飛ばし終えると、エリザベータは静かにその場の様子を見渡した。
***
重さを感じる足音が聞こえてきたところでエリザベータは視線を止める。魔軍が既に引き上げている事は、結界で確認済みだ。彼女は幾らか気を緩め、足音の主が姿を見せるのを待つ。
間を置かず現れたのは、土と血で全身を汚したガレンだった。傷自体は大した事が無い様で、目が合うのを合図にエリザベータへと駆け寄って来る。
辺りへ視線を走らせぼやきながら、ガレンはエリザベータの目前で止まった。
「ジオリスの野郎、もう逃げた後か」
「ええ、頭が軽いと逃げ足も軽やかですね」
独り言に返ってきた台詞の刺々しさに、思わずガレンは脳内で疑問符を浮かべる。エリザベータの表情に限って言えば、常通りの穏やかさである。
瞬きを幾度か繰り返し、首を傾げながらもガレンは気を取り直す。
「野郎がリーダーを殺したって聞いたんすけど」
「勝手に姿を使われたのが気に喰わなかった様ですわ、大層な人物でもありませんのに自意識過剰ではないかしら」
けれどエリザベータの返答はやはり、強い揶揄が含まれている様でガレンは再び口を閉ざした。
窺う様に視線を合わす。
「ええと、何かあったんすか?」
困惑を全面に出したガレンにエリザベータは溜息を零した。
「いいえ。申し訳ありません、取り乱しました」
頭を振りエリザベータが今度こそ芯から穏やかな笑顔を見せると、ガレンも口角を上げ首を振る。
「いーっすよ、で?」
「ジオリス・ミシェットが魔軍のリーダーを不意打ちで刺しました、その後法術で止めを。ただ、更にその後で兵士達にも刃を向けていましたのでやはりスタンスとして、あの方は魔軍の側なのでしょう。私にも脅迫を残していきました」
遠くから再び足音が響いた。二人は会話を続けながら音のする方向へと顔を向ける。
「でもそれだと兵士の一部は夢見そうっすね。勇者は裏切った振りをして魔軍を内部から壊すつもりなんだ、とか」
「そうですね、それだけは有り得ないと思いますけれど。ところで先程の爆発音は?」
「ああ、教会を幹部が破壊したんすよ。こっちで火柱が上がったと思ったら突然魔術使いやがって、多分東も避難所がやられたんだと」
言いながらガレンは視線の先、黒髪に眼鏡をかけた大将軍補佐の姿に話を止めた。
エリザベータが声をかける。
「バーリック補佐」
手にした槍を背中に戻し、バーリックは人差し指で眼鏡の位置を正すとちらりと黒焦げの死体に視線をやった。
「お二人ともご無事で何よりです」
「貴方も」
「バーリック、早速悪い。さっきの爆発は東の避難所か?」
バーリックは無表情だったが、和やかな挨拶に空気が緩む。
けれどガレンはその雰囲気を馴染ませる事無く、バーリックへと話を向けた。
「はい、此方の火柱を合図に結界ごと避難所の上部を爆破されました」
「やっぱそっちもか。教会も幸い被害があったのは建物だけだった」
「では、どちらも地下は無事なのですね」
シュルイドの避難施設は二重になっており、今回は上部の建物部分に結界を張り囮としていた。住民達は全て地下に避難しており、出入り口が建物の中にあった為救出に少し時間がかかるかもしれないが、住民の多くは無事だろうとエリザベータは漸く胸を撫で下ろす。
「他の避難所に関しては結界が壊される事もなく住民の無事が確認されています」
バーリックの言葉は続き、エリザベータとガレンは表情を緩めた。
ただしそれも、一瞬で強張る。
「ですが、個人で隠れていた住民達はまだ生存者が一人も」
「……何組ぐらいいらっしゃる中の御話でしょうか?」
表情は変わらずともバーリックの声は硬い。
エリザベータは眉根を寄せて質問を挟んだ。
「二十程だったはずです」
ガレンも訝しげに唇を噛む。
「きな臭いな、何故そんなに居場所がばれてる」
通常、二十隠れればその内の十組は魔軍に見つからず助かるものである。今回は思いの外早く決着もついたので、そうそう発見されるとは思えなかった。
「後味の悪いあれ、でしょうか」
「そうかもしれない。もし隠れ場所全てという事なら、結構上まで関わっているかもな」
表情に苦みをのせて男二人が呻いていると、エリザベータが両手を打ち合わせて音を立てる。
「ともあれ」
視線を集めたところで左手を死体へと向けた。
ジオリスの使った術よりも高温の炎を魔術で創り出し、黒い塊を灰へと変えるとエリザベータは荒れ果てた周囲を見渡す。
「一先ず戻りましょう」
この場でやるべき事は無くなった。
瓦礫だけが佇むその場をエリザベータにつられて見やったガレンとバーリックは、彼女に頷き歩き始める。
小声で会話を交わしながら立ち去る三人を、煉瓦の崩れ落ちる音が見送った。