魔族と隠れ鬼
細剣に付いた返り血を指先で拭い取り、楽しそうに笑う魔族は気侭な散歩でもしているかの様に無邪気に見える。
けれど辺りにはゆうに十は越える魔物の群れが集まっており、広場を護る兵士達と死闘を繰り広げていた。
少しの距離を挟んで相対するリューンとガレンの表情も硬く、異様なのはこの魔族ただ一人だというのが良く分かる。
更に後ろへと下がったエリザベータは小さく息を吐いた。
「法術は何を使おうとしているか先読みされて使い物になりません」
リューン達に告げ、先程から上空を旋回している五羽の術鳥へと手を伸ばす。合図と同時に急降下した鳥達が彼女の周囲をくるくると回った。その中の更に一羽を自らの腕に止まらせるとちらり、と二人の顔を見る。
「分かったところで意味は無い、そういう使い方をすれば良いということか」
リューンは呟いて、両手で持っていた大剣から左手を放すと、柄に埋め込まれた水晶にその掌を翳した。
ガレンが庇うように構えを変える。
「契約の氷よ、繋がりをもって凛冽たる刃に氷雪の加護を与えよ」
呪文の終わりと共に突き刺すような冷気を一瞬放つと、リューンの刃は氷の様な輝きを宿した。
変わって、ガレンが同じ様に柄に埋め込まれた紅玉へと掌を翳す。
今度はリューンが一歩、前へ出た。
「契約の炎よ、繋がりをもって苛烈なる刃に紅蓮の加護を与えよ」
ガレンもまた呪文を唱え終わると、刹那嬲る様に炎が現れ彼の持つ刀身が赤々と燃え盛る揺らめきを宿す。
敵を切り裂けば何度でも傷口は凍り付き、焼き払われる、属性付加の法術。
戦闘準備は万端だと魔族を睨み付けたガレンは、ふとエリザベータを振り返る。
「そういやこいつ幹部なんすよね、こっちが当たりっすか?」
ガレンの質問に黒杖を持ったままの手で口元を押さえると、エリザベータは苦しげに眉を下げた。
「確認を忘れておりました」
そろそろと気まずげに視線を逸らすエリザベータにガレンは目を丸くする。
「え。しっかりして下さいっすよ、姫さん」
「申し訳御座いません」
けれど一転はきはきとした謝罪の台詞で開き直りにっこりと満面の笑みを浮かべたエリザベータは、さっさと術鳥の報告に耳を傾けガレン達から目線を外した。
リューンが頭を掻きながら、未だ返り血に夢中な魔族へと話しかける。
「お前はリーダーか?」
リューンの言葉に魔族は手を止め視線を合わせる。
「違うなあ、わしはリーダーやおへん」
血の付いた指先で唇をなぞりながら、魔族は初めて人間に向けて答えを返した。
“リーダーか否か”、この質問にだけは答えなければいけないというのも、彼等魔族が決めた不可思議なルールである。
襲ってきた相手に頼るのは気に喰わなくともリーダーを倒さなければ襲撃は終わらない為、必ず国軍がする質問だ。
「じゃあ、閣下んとこっすね。誰か応援行った方が良いっすかね?」
返事を聞いてガレンは首を傾ける。
その視界の端、あからさまに意地の悪そうな魔族の笑顔にガレンは不審げに眉根を寄せた。
思わず無駄な問い掛けをしようと口を開いたガレンに、エリザベータが被せる様に言葉を挟む。
「どうやら、隠れ鬼をする必要があるようですわ」
言いながら報告させていた術鳥を小突き、音量を上げて再度喋らせる。
『此方遊撃隊。戦闘に居た魔族の一人、髪の短い方を幹部と確認。リーダーでは無い』
術鳥を途中で止めて、エリザベータは口端を上げる。
ガレンは魔族に背を向けて項垂れた。
「げ、マジか。それっぽいの他に居なかったと思うんすけど」
「手当たり次第、虱潰しにするしかありません」
苦笑を浮かべてエリザベータは姿勢を正す。
あちこちで上がる土煙に、冷気が混ざった。
「てっきり幹部連中がリーダーだと思ってたのに。良かったんだか悪かったんだか」
唇を突き出して只管に愚痴るガレンとそれを、エリザベータは交互に見るが、彼は落ち込むことに必死で気付く様子が無い。
「良かったと思いましょう。リーダーとはいえ、幹部よりは弱いでしょうから」
何処に居るのか分からない辺りが若干マイナス寄りではあるけれども。
それよりも取り合えず、エリザベータの視線の先をガレンにも教えた方が良いのだろうか、と彼女が口を開く寸前。
「ガレン殿! いい加減手伝え!」
堪忍袋の緒を引き千切ったリューンが声を荒らげ、叫び声を上げた。
突然戦闘を再開させた魔族と背後でただ愚痴る同僚に、怒髪天を衝いたらしい。
ひやりと辺りの温度が下がり慌ててガレンも参戦する。
エリザベータは小さく首を振ると、目を瞑り現在の魔軍の配置を確認しながら術鳥の報告を再開させた。
『――リーダーでは無い。大将軍と補佐が交戦中、嗤い声を聞くと肌があわ立って落ち着かず。特殊能力と見られる』
『北地区です。避難所には防御結界を張りました。先程襲撃を受け、魔物だけで数は五十強。問題ありません』
『こちら東。魔族三名を含む三十程の魔軍と交戦中だが幹部ではなさそうだ。避難所には指示通り結界を張った』
『西側。結界を張り終え待機している。鈴の音が大きくなってきているのでそろそろ魔軍が来ると思われる』
『南です。魔族一体と魔物が三体来ましたが始末しました。重傷一名、避難所へ入れて結界を再構築しました』
全ての術鳥が報告を終えると掌を上にし、それ等へと向ける。
「留まれ」
エリザベータの一言で術鳥は宝玉へと戻り、彼女の白い手の中に落ちた。
再度、その宝玉に術を込める。
「教会前です。先頭に居たもう一人の髪の長い魔族を幹部と確認しました。法術の内容を先読みする能力があります。リューン将軍、ガレン将軍が現在教会前広場にて戦闘中です。但し此方もリーダーではありません、よって魔族を発見次第その全てに確認を御願い致します。それから此方はその他に魔物が二十と少し、魔族が三。戦闘を開始しております。凡そですが魔軍全体の数は北東十、北五十、東三十、西四十、南三十です。それから、探知結界の核がエリザベータ・ロゼッタに移りましたので緊急時には結界を解除する事も有り得ます。音が鳴らなくなりましても御注意を……羽ばたけ」
聞き取れる程度に、けれど少しばかり早口で言うと黒杖を放し直ぐに飛ばす。
白く降り注ぐ羽根の隙間から、兵士達が魔物を相手に健闘している姿を覗く。
エリザベータはベルトの法具の紐部分を指に引っ掛け、くるくると回し勢い良く放り投げた。赤い石が月明かりに煌く。
「我が意を汲み取りて結びの四方を顕現せよ」
兵士からもリューン達からも少し離れた場所に居た魔族一人と魔物二匹を、中規模の結界へと押し込めた。
一緒に閉じ込められた法具が魔物の内の一匹にぶつかった刹那、爆発が起き壊れた結界の隙間から熱風が押し出される。
煙が晴れた後のそこでは、右足を血に塗らした魔族と全身を赤く染めた魔物が一体唸り声をあげていた。直撃を受けた魔物は地面に倒れてぴくりとも動かない。
派手な攻撃のせいでエリザベータの元に味方からは歓声が、敵からはナイフが飛んできたけれど、彼女を覆う光の盾が強い光と共にそれを弾く。
「さて、どうしましょうか」
エリザベータは誰に聞かせるともなく、囁いた。
***
魔物を一匹仕留めた後は何処の戦闘も混戦状態だった為、迂闊に手を出せば味方の足を引っ張る結果になりそうだと、エリザベータはすっかり傍観態勢である。
時折大怪我を負った兵士を回復させるくらいでやる事が無かった。
万一ジオリスが出て来た時の為にある程度力は温存する予定だったが、それにしても、である。
どうせ手が空いているならばリーダーでも探すべきか、とエリザベータは思案した。
「あら」
その時町を覆う探知結界が今更に何かを探知し、エリザベータは確かめるべく目蓋を下ろす。
映ったのはマスクとマントで顔を隠した見るからに怪しい人影だった。魔族っぽく黒い肌が布の隙間に垣間見える。
体格からしても、ジオリスでは無い。無いが、リーダーの可能性はあった。同じくらい、罠だという可能性もある。
どうしようか、とエリザベータは戦場に視線をやった。
リューンとガレンの将軍二人は、苦戦はしていたが特に問題もなさそうである。幹部を相手取る機会はそうそう無くとも魔族相手の戦闘は手馴れたものだ。エリザベータが魔力を取り上げずとも、軽々といなしている。
混戦状態の兵士達は言わずもがな。手を出す隙がない。
此処に居ない事で不測の事態が起きたり、回復が間に合わなかったり窮地に立たされる事があるかもしれないが、それはまあどんな状態でも似たようなものだろうと一つ頷く。
今回、将軍位の人間は自由に動いて良いと予め言われていたエリザベータは、この場をリューン達に任せ侵入者を追うことにした。
「リューン将軍、ガレン将軍。気になる事がありましたので少し他を見て参ります。倒されないで下さいね」
声を張り上げ呼び掛ける。
「分かった」
「っ、と。姫さんも気ぃつけて下さいっすよ」
激しい戦闘中にも関わらず、リューン達は何事も無い様に返事を返す。
加えて近くに居た部隊長に行き先を告げると、教会前の報告の番代わりを命じて広場に背を向け駆け出した。
走っている最中、幾度か強い光が何かを弾いたが、エリザベータは振り返る事無く侵入者目掛けて足を進めた。