第一章 蒼の陰陽師 【四】
「例の男、刹那は恐らく、犯人ではありません。本人がそう言っていました」
一人小路に立ち尽くす奏炎に追いついた息吹に、彼はそう呟いた。前触れもなく発せられた言葉に、一番隊々長は片眉を上げる。
「その男が、自分が殺したのではないと言った、それだけで犯人が別にいると思うのは、どう考えても安易過ぎるんじゃないか?」
冷静に忠告する息吹に、奏炎は首を振る。そこに確固とした意志を見て、尚更息吹は首を傾げた。やはりこの新入り隊士は、常人には理解できない思考回路の持ち主なのかも知れない。
「あの男は妖です。けれど、普通の妖とは違う…もっとずっと、清らかで純粋で。そう、まるで人に悪意を抱いていないんです。そんな妖を、砥上隊長は見た事がありますか」
「無いな。と言うより、そんな妖が存在する事さえ、聞いた事がない。君の考えを疑う訳ではないが、確かなのか?」
「確かです。俺には解るんです。彼は、刹那は、ただの悪鬼と決めつけて良い存在じゃない…そう、『彼』が言ってるんです」
「彼?」
一瞬、表情が柔らかく愛おしげなものになった少年に、息吹は驚いた。そして、陰陽師として戦場に立っていた故の勘のお蔭なのか、その「彼」が、奏炎と話していたと思われる「何か」なのだと思い立った。
「俺の、誰よりも大切な…兄弟、です」
少しの間を置いて、奏炎が「彼」との関係を明かす。それに息吹は微笑んだ。
「家族か。君の家族という事は、やはり陰陽師なのか?」
「いえ。妖祓いをしている事に、変わりはありませんが。陰陽師ではありません」
「そうか」
彼の答えに、それ以上の追及を拒む気配を感じ、息吹はそこで口を閉じた。
「とりあえず、屯所へ戻ろう。きっと真田副長が、ひどくご立腹だ」
くすりと笑みを浮かべる一番隊の長は、屯所で苛々としながら奏炎を叱りつける言葉を考えているだろう上司の姿を思い浮かべ、内心、目の前の少年を哀れに思った。
しかし。
「随分と遅いご到着だな」
屯所で二人を迎え入れたのは、皮肉気な台詞を言うものの、息吹の予想よりは落ち着いた響一朗だった。
「急いで副長室に来い」
「何かあったのですか」
思いもかけない命令に、息吹が訝しげな顔をする。
「何があったも何も、とんでもない奴が俺の所に来たんだよ。この事件の真相を解明するのに、最も重要な人物がな」
その言葉に、二人は咄嗟に刹那を思い浮かべた。だが、その考えは的を射ていなかった。
「叨埜一族の、それも本家の三男坊が来たんだよ」
「叨埜一族が? そんな馬鹿な」
「ああ、俺も最初は信じられなかったよ。だがなぁ、そいつがこんなもの持ってちゃ、もう疑えないだろ」
そう吐き捨てて響一朗が懐から取り出したのは、小さな懐剣だった。それも、ただの小刀ではない。棕櫚の家紋が刻まれたそれは、紛れも無い叨埜家直系の者しか持てないものだ。
「本物…の様ですね」
「だから厄介なんだよ」
呪術師である叨埜一族は、己の立場に誇りを持っている。当然、正反対の立場にある陰陽師を快く思っている筈がない。そんな彼らが、素直に陰陽師の軍隊である千聖軍の助けを借りる筈が無い。
そう思って、響一朗および弦砕は、叨埜家に捜査の協力を申し出なかったのだ。協力すると言ってもそれは叨埜家の為なのだから、彼らは陰陽師から恩を売られるのだと思い、頑なに断るのは容易に想像出来た。
そんな相手が、しかも本家の男子が、直々に屯所まで赴くとは。はっきり言って、ありがたいより先に面倒くさい、という感想が来る。
「本家の男。だけど三男。帯に短し襷に長しとはこの事だな」
もしもこれが分家なら、本家の圧力が利かない下っ端が不安になって駆け込んだのだと思える。だが、本家。しかも男。
しかし三男というのは、家を背負う立場には遠い。本当に叨埜一族の総意を背負っているとも考え難い。
「とにかく、お前が会ってみろ、奏炎」
「…はい」
響一朗が、自室の障子を勢いよく開け放つ。そして現れたのは、突然空いた障子に驚愕し、目を見開いている青年だった。
少し癖の強い髪は、奏炎達と同じく惣髪。黒よりも僅かに明るい、蒼黒い髪が、その身に霊力を持っている事を示していた。髪色や瞳色の色素の如何で、霊力の強さは解る。
その色が人間離れしていればいる程、霊力が大きい証なのだ。
「初めまして。俺は零番隊々長の玉依奏炎です。失礼ながら、あなたは」
「叨埜真臣です」
丁寧に頭を下げた青年は、三人の陰陽師に萎縮している様に見える。そんな彼に、奏炎は実に直接的な質問をかけた。
「あなたに訊きたい事は一つです。あなた達一族が犯した過去の罪とは、一体何ですか」
刹那が言い残した言葉について。
だが、それを知らない二人は怪訝な表情を浮かべざるを得ない。
「何で、それを…」
しかし、そんな響一朗達よりも驚いたのは真臣だった。瞳を動揺に揺らし、震えた声で理由を問う。その様子は、不躾な質問よりも、その内容に驚いている様にしか見えない。
「ある人物から、聞いたんです」
「ある人物…?」
「それを言う事は出来ません。俺が求めている答えを、あなたは知っていますか?」
どこか上から目線の奏炎に、真臣は更に縮こまる。それでも恐る恐ると言った体で、口を開いた。
「心当たりなら、あります。でもそれは…僕の一存で明かす訳には」
その発言で、陰陽師達は彼が一族の総意でここに来たのではないと悟る。
「その所為で更に犠牲者が出ても良いのか」
渋る青年に、響一朗が冷徹な言葉を浴びせた。真臣の身体がびくりと反応する。
「貴様がここでその話をしなかった所為で、貴様の兄や親が殺されても良いのか」
「それは…!」
「嫌なら、素直に話す事だ」
高圧的な副長の声音に、小心者に見える真臣が逆らえる筈が無かった。かなりの間唇を噛み締めた後。
「解りました。それで一族を助けられるなら、話します」
奏炎がいると、方向性は全く間違っていないとは言え、どんどん話が飛んでいく。その事に、響一朗は苦虫を噛み潰した様な顔をした。有能過ぎる部下というのは使い勝手が悪いものだと、初めて知った。
「僕達一族が犯した罪。それは、僕が知る限りでは、十年前の『あの事件』しか有り得ません」
「あの、事件?」
「はい。僕の祖父にあたる、当時の一族の長であった叨埜汪唎が下した命により、叨埜一族は、ある妖の一族を、滅ぼしたんです…」
悔しげに、小刻みに身体を震わせながら、真臣は声を絞り出した。その内容に、その場の全員が驚きを隠し得ない。
「妖を、滅ぼしただと?」
「そうです。十年前の、秋の直前でした…」
瞠目しながら響一朗が問うと、青年は肯定した。
「それで? その妖とは、何の妖ですか!」
焦燥の表情で奏炎が迫る。その顔が切羽詰っている様に見えて、息吹は違和感を覚えた。
「何の…って、どうしてですか」
「どうしても何も無い! 良いから、答えて下さい」
乱暴な語調になりながら、奏炎は尚も問い詰める。しかし、一族を救う為と敵陣とも言える場所に乗り込んでくる真臣にも、意地というものがある。
彼が行動するのは一族の利益の為なのだから、不利益になるかも知れない質問の答えを、易々と教える訳にはいかなかった。
「理由を、教えて下さい。僕は僕の一族を助けたい。その為に必要な事なら―――」
「生き残りがいるかも知れないからだ、その滅ぼした妖の中に!」
真臣の発言を遮る様にしてとうとう怒鳴ってしまい、奏炎ははっとして口許を抑えた。
「生き、残り…?」
「あ、ああ」
茫然として繰り返す相手に、刹那を思い浮かべながら首を縦に振る。
「なんだ…亡霊じゃ、無かったのか…あれは」
「え?」
「解りました。教えます…記録によると、僕たち一族が十年前攻め入ったのは、絶海の孤島、桔梗島です」
真臣の答えは、奏炎にとって最後まで聞く必要のないものだった。
「まさか、そこは」
「やはり知っていらっしゃいましたか」
「それは絶対の禁忌だぞ! 人が絶対に犯してはならない大罪だ。何故、そんな事を!」
愕然としながらも、奏炎は叨埜一族を断罪する言葉を叫んだ。
「祖父は、求めていたんです。不老不死の妙薬を…」
哀しげに、恥ずかしげに、真臣はその断罪を受けた。十年前と言えば、目の前の青年はまだほんの子供。責任などある筈もない。
だから、奏炎も何とか、それ以上は言うまいと己を抑え込んだ。