最終章 碧空は紅に染まる 【三】
「……え」
背後からした声に、奏炎は碧玉の瞳を限界まで見開いた。そして、ゆっくりと、恐る恐る振り返る。
「せ、つ…な?」
人通りの少ない河原へと辿り着いていた二人の後ろで、白衣が閃く。太陽の最後の光を受けて、その人物の胸元の紅玉が煌めいた。
「久方ぶりだ」
穏やかに笑う鬼は、そう挨拶して奏炎へと近付く。そんな刹那の歩みの倍の速さで、奏炎は彼に抱き着いた。
「刹那! 刹那、刹那…っ」
何度も何度も名を呼び、苦しいくらいに抱き着いてくる奏炎に、表情の乏しい筈の刹那は酢を飲んだ様な表情をした。
「どうしたんだ、奏炎…」
冷静な顔しか見た事がない奏炎の意外な反応に、刹那は驚くしか出来ない。
「嬉しいんだよ。お前が生きていてくれて」
だから、息吹が答えを教えてやった。
「生きて…?」
何を言っているのだ、と首を傾げる刹那に、息吹は例の噂を放してやる。すると、刹那は顔を顰めた。
「確かに私は朱里と共に紅葉林に行った。だが…」
こうして生きているぞ、と言う刹那は、未だにくっ付いて離れない奏炎に弱り切った。
「奏炎、きっと今までずっと、心の中で泣いていた筈だ」
苦笑しながら知らせると、その内容に奏炎が反応する。
「息吹、俺は泣いてなんか―――」
しかし反論し終わる前に、その頭を刹那が撫でた。幼い子供を宥めすかす時みたく、幾度も優しく。
「死んだりなどするものか。いや、一度はそれも考えたが―――やめた。そんな事をすれば、朱里とお前に怒鳴られる」
何せお前達は本当に似ているからな、と苦笑する鬼の目の前で、今の空そのまま、碧玉の瞳が紅に染まった。
「まったくだ。本当に死んでいたら黄泉でお前を嫌と言う程いたぶってやろうと思っていんだがな」
頭を撫でていた刹那の手が止まる。いつもながら突然に登場する調祇に、息吹の口元も引き攣った。
「だが…よく生きる道を選んだな」
自分よりもずっと永い時を生きている相手に、調祇は人の悪い笑みを浮かべた。けれどもその血色の眼は確かに暖かくて、刹那も柔らかな笑みを浮かべた。
「って、調祇っ? お前、回復していたんならどうして言ってくれないんだ!」
あっという間に蒼い髪に戻った少年が、自分の半身へと問いかける。けれどもその答えは返ってこない。無理して人間界へ来てから十日、応えがないのは相当疲弊しているからだと考えていたのだが、違ったらしい。
「答えろってば、調祇―――っ!」
いくら怒鳴っても調祇の許へ届く声量は変わらないのに、奏炎は叫ぶ。
そんな穏やかな光景に、息吹はただ微笑んだ。
千聖軍零番隊々長、玉依奏炎。
人よりも妖との絆を重んじる、異端の陰陽師の伝説は、まだ始まったばかりである。
ここまでお付き合い頂いた読者の皆様、誠にありがとうございました。
投稿作としての「氷炎二重奏~刹那の紅に碧空は染まる~」はこれにて完結です。
これから加筆修正を行いますので、またお目にかかれた時、少しばかり覗いてみてやって下さい。




