最終章 碧空は紅に染まる 【一】
終章
夏も大分遠くに過ぎ去り、完全に秋となった頃。
雅やかな泰京の市中に、とある噂が席巻していた。それは誰が語り出したか解らないもので、その内容も実に非現実的であったが、ひどく美しい物語じみたものであった為、麗しきを愛する京で、見事に広められていったのである。
それと全く同じ内容の話が今まさに、とある茶屋で語られている最中だった。
「ほら、東山の麓にある、叨埜家の屋敷がある里があるだろう?」
語り上手で騒ぎ好きと思われる男が、人の興味を惹く身振りと口調で語り始める。
「そこは、昔は妖が住んでいたともされる、不思議の土地でね…叨埜一族が住む前までは、秋にはそりゃあ見事な紅葉林が目立って、まるで燃える様な風景が広がっていたらしいんだよ」
そこで男は暫く間を開ける。それは聞き手に情景を想像させるに充分な時間で、京人たちは各々思い浮かべた紅葉林に、ほぅと感嘆を吐いた。
「でも妖達が去り、叨埜一族が住む様になってから、紅葉は一向に葉をつけなくなっちまって、ついには枯れた林だけが残されたんだ」
語り部自身が哀しげな顔をする事で、聴衆も無念そうに眉を顰めた。
茶屋中が語り手に続きを求める中、男は手に持つ扇を横に振り薙ぐ。
「それがどうだ、今年の秋、つい七日程前に奇跡が起こった!」
少し声を張り上げる事で、今まで話を聞き流していた他の客さえをも引き込んだ男は、そのまま続けた。
「紅葉林の一番手前、一番山から離れた所の大銀杏。そこに二人の男女が立っていたのさ。その二人はひどく変わった格好をしていてね、暫く銀杏を眺めていた。それを見た里の奴らは、ちょっとした観光人だと思ったらしい。それがどうだい」
ついに核心に迫りつつある内容に、聞き手は男に向かって身を乗り出す。
「その二人が手を取り合ったかと思うと、二人から突然真っ赤な光が溢れだしたのさ。それは真紅の中に少しの橙を零した、まるで黄昏の一瞬の様な色だったそうだ…そうさ、まるで紅葉の色そっくりだったらしい。
二人の姿はそのまま、その紅葉色の光に包まれ、やがて消えていく…それを見ていた奴がこう言ったのさ。その二人はまるで、秋の精霊の様に美しい笑みを浮かべながら、その身を光に変えたってね。そんで次の瞬間には、その紅葉林の木々には僅かながらも葉が戻ったらしい」
幻想的な光景を心の目に映し、茶屋の客の殆どが溜息を吐く。それを見て、語り手も満足気に微笑んだ。
「紅葉が消えた叨埜の紅葉林。そこに現れた秋の精霊の如き二人…その身が紅葉の様な光となって散ったとありゃあ、そいつらの正体は決まってるだろうなァ」
この京で語られている内容にはない事を、語り部は付け足す。それに、話は終わったとばかりに、余韻を肴に茶を楽しもうとしていた客達が振り返った。
「それじゃあんたは、その二人の正体は何だと思っているんだい」
一人の女性が興味津々といった様子で問う。すると男は、得意げにこう言った。
「妖が去って紅葉は消え、その二人が現れて紅葉が戻った。そうなりゃ答えは一つだ。その二人は秋の精霊なんかじゃないさ…秋の妖とされた、昔あそこに住んでた妖怪だよ」
肩をすくめた語り手の男に、茶屋中の人間が笑い声をあげた。
だがそれは賞賛の笑みでも何でもない、少しの呆れが混じったものだ。
「妖がそんな風に綺麗に散るもんかい」
「お前さん、語り手として奇抜な発想は必須だが、的を射ない想像は全く必要とされない能力だよ」
「精霊と妖怪を一緒にしちゃあ、そのうち神様の天罰が下るよ」
口々にそう言われ、語り手の男は口を尖らせた。
「何だい、そんなにおかしいってのか」
おかしいとも、と数人の聴衆が肯定する。しかし、二人の少年は違った。
「いや、この場で誰よりも現実を解っているのはお前だ」
「その語り、泰京一だと俺達が認める」
そう言って茶屋を出て行こうとする二人に、皆が驚いた。それは、二人の容貌が人並み外れて美しかったからだけではなく、その身に纏うのが墨染の狩衣だったからだ。
「妖にだって、美しく最期を飾る奴はいるんだ」
言いつつ、蒼い髪の少年が茶屋の暖簾を避けつつ店を出て行く。それに、墨色の髪を持つ少年も続く。
二人が出て行ってから数秒の後。
「ははは! 千聖軍のお墨付きとなっては、否定出来ないかも知れんなぁ!」
「ほんとほんと、笑って悪かったね、あんた」
妖についてはまず千聖軍を頼れ、と言われる陰陽師達の言葉で、語り手に対する目が一気に変わる。あっという間に賑やかになった茶屋を出た息吹は、目の前を無言で歩く奏炎を見詰めた。