第一章 蒼の陰陽師 【二】
叨埜一族とは、日帝国でもそれなりに名の知れた呪術師の一族である。
呪術師とはその名の通り、誰かの依頼で人を呪う事で、依頼者への利益を与える事を生業とした人々の事だ。世間体としてはあまり誇れない職だが、彼らを必要とする者は財を持つ者にほど多い。
そんな叨埜一族の者が、ここ最近連続して不審な死を遂げていた。
始めは第二分家の者が、次に第一分家の二男が、そしてその長男が、更に一昨日、本家の四男が変死して見つかった。
だが、どの遺体にも目に見えた損傷は無く、誰かに斬られたり殴られたりという痕は一切無かったらしい。そしてまた、医師の判断によれば毒殺でもない。
「現実的に言って有り得ない話だ。だから、そういった厄介事の専門である千聖軍に、この事件の捜査をするよう、幕命が下された」
忌々しそうに話す響一朗の表情には、少なからず幕府への嫌悪感が現れていた。それも致し方の無い事で、千聖軍は幕府が作った組織でありながら、その存在意義を感じられないからと蔑ろにされている代表格なのだ。
厄介払いされるかの如く将軍のお膝元である陽都から遠ざけられ、よりにもよって天皇のお膝元である泰京に送られて、何か面倒事が起これば押し付けられる。
完全な「捨て駒」としての扱いに、憤りを感じるなと言う方が無理があった。
「幕命?」
しかし奏炎は、そう言った響一朗の私情とは違う所に反応した。
「たかが呪術師の一族の変死事件に、わざわざ幕府が命を下したと?」
それは確かに異常な事。
本来、幕命が下される対象となるのは、国の危急となる案件にだけだ。それを、国の政治とは表舞台上、一切の関係が無い呪術師の一族の為だけに振るうとは考え難い。
何か裏がある。そう考えるのは当然の流れだった。
「ああ。きな臭い話だ。だが立場上、とてもじゃないが逆らえないんでな、今の所は監察および一番隊が調べをしている」
幸い、事件が起きているのは全て泰京で、である。
「そうですか。では、その四人の遺体が発見された場所に、いつも一人の青年がいる事には気付いていますか? 千聖軍よりも早く、唯一人、確実に現場に辿り着ける人物がいる事に」
「…何だと」
驚愕の台詞に、響一朗も弦砕も、そして息吹も息を呑んだ。
「馬鹿な、そんな奴がいたら、まず俺の部下が報告する筈だ。第一、どうしてそんな男の存在を、お前が知っている?」
信じられないとばかりに、息吹が呻く。自分が指揮する一番隊が、そんな重大な事を見逃していたとしたら、と考えると背筋が冷える思いなのだろう。
「常に彼は、千聖軍が辿り着く前に姿を消しています。存在に気付けないのも仕方が無いでしょう。そして俺は昔から、厄介事に巻き込まれるのだけは天性の才があるんです」
つまり偶然だと言いたい奏炎に、響一朗は言い切った。
「そんな事はどうでも良い。とにかく、少なくともお前はその男とやらの貌を見ているんだな? どんな奴だ」
「背は副長と同じくらいでしたね。髪色は錆色、瞳も同色だったかと。ただ、とんでもなく肌が白く、中性的な顔立ちをしていました。年齢も副長と同じ、あるいは少し若いくらいでしょう」
適格に質問に答える奏炎に、弦砕が頷いた。
「成程。それだけ解れば、君の部下も動きやすいな? 息吹君」
「はい」
「新人にしちゃ、出だしから役に立ちそうだな」
響一朗もまた、満足げに頷いていた
「裏が取れました。確かに玉依隊長の言う男は、全ての事件現場に姿を現していた様です」
そんな息吹の報告が上がったのは、奏炎が入隊して二日後だった。
「お前からの報告という事は、裏を取ったのは監察の坂上か。とすると、情報は確かだろうな…どうします総長」
「ふむ。一応今まで、この件を追っていたのは一番隊だ…だが、幕府からの『密命』の担当として最適なのは、一番隊よりも…」
弦砕が言わんとしている事を察し、響一朗も考え込んだ。
そう、今回の謎の変死事件の調査は、幕命と言えども「密命」なのだ。とすると、世間的にそれなりの知名度を持つ一番隊よりも、折角作られた非公式の部隊である零番隊に任せた方が良い。
それが、弦砕の考えなのだろう。だが、零番隊の隊長は二日前に就任したばかり。当然、まだ一つも任務をこなしていない。そんな未熟な隊士の双肩に任せられる程、幕命の名は軽くないのだ。
「どうしたもんか…」
呻く響一朗に、それまで黙っていた息吹が口を開いた。
「迷っておられるのでしたら、玉依隊長に任せてはいかがでしょう?」
「何だと」
「無謀な事を言っているのは解っております。ですが、不思議な事に任せても大丈夫だと思えてしまうのです。あの、危険な任務という言葉を喜んでいたかの様な、表情を思い出すと…」
少し言葉を濁す様に、息吹は理由を告げる。その心境は、響一朗にも弦砕にも、察する事が出来た。
当然だ。自分と歳も変わらない少年が、初めての任務に危険さが伴うと聞かされ、それに躊躇うなり緊張するなりの反応をしない方がどうかしている。隊士達を仕切る立場である弦砕や響一朗でさえ、今までそんな隊士に会った事がない。
あんなにも自信に満ち溢れた・・・否、どこか狂気じみている人物には。
「確かに、あいつはどこか異常だ。望んでもいない事だ、って事も無げに言っていたな」
「はい。少々気になります。ですが、だからこそ任せてみても良いのではと」
思った次第です、と息吹はそこで言葉を切った。
「良いだろう。この件の捜査主権を零番隊の与えてみる事にしよう。それで構わないですね? 総長」
相変わらず総長にだけは丁寧な口調を利く副長が、そう確認を取る。勿論弦砕は反論せず、ただ大きく頷いた。
「それなら息吹。ここに奏炎を呼べ」
「は」
暫くして現れた奏炎は、何もかもを見透かした様な顔をしていた。
「俺に、例の事件を任せて下さる…という事で、宜しいのでしょうか?」
「全部御見通しってか? つくづく食えない野郎だな、お前は」
「お褒めに預かり光栄です」
にこりと笑って皮肉をかわされた響一朗は、かなり嫌そうな表情を浮かべる。だが何も言わず、奏炎に桐の箱を投げ渡した。
「っと…これは?」
いきなりの行動に少し冷や汗をかきながら、箱を受け止めた奏炎が問う。
「狩衣だ。今後、任務の際はそれを常に着用してもらう。千聖軍の隊服だからな」
「了解しました」
「ああ、言い忘れていたな。今の所零番隊所属の隊士は、お前だけだ」
「…は?」
さらりと言われた内容に、奏炎の反応が実に三秒遅れた。弦砕は気まずそうに視線を明後日に向け、息吹も息吹で奏炎と同じく驚愕の表情を浮かべる。
「真田副長、何を言っておられるのですか?」
「だから、今の所零番隊は一人編成だと言ったんだ」
「…無茶苦茶でしょう!」
きちんと状況を理解し、息吹は声を荒げた。
「たった一人で、この幕命さえ下される大事件に挑めと? いくらなんでもそれは無理です!」
「お前が零番隊に任せたらと言ったんだろうが」
「たった一人だと知っていたなら、あんな事は申し上げません!」
いきなり口喧嘩へと発展しそうな二人を、奏炎は唖然として見詰めていた。だが暫くして、この状況を打開する簡単な策を見出し、仲裁に入ろうろする。
「大丈夫です。砥上隊長。一人でもどうとでもなります」
「馬鹿を言うな、いくら一個隊の人数が少ないと言えども、俺には十人の部下がいる。一人もいない君に任せられる程、俺は非情じゃない!」
無口な印象だったのに、意外と血の気が多かったらしいな、と奏炎は思った。己の身を案じてくれている人物に対し、それはいささか冷静過ぎる視点でもあるが。
「一人でもどうとでもなる、か。その自信は一体どこから来る? 奏炎」
だが、響一朗は奏炎の発言を見逃さなかった。そしてそんな副長の指摘に、息吹もはっと息を呑む。
「別に、根拠のあるものではありません。ただ俺には、師から授かった陰陽術と、何があっても信頼出来る者が一人、いますから」
「師? お前の陰陽術はやはり何処かの流派のものか?」
論点が多少ずれつあるが、響一朗はそこに食いついた。
陰陽師にとって、自分が持つ陰陽術とは違う流派の陰陽師は、貴重な情報源でもあるのだ。この謎めいた少年が操る陰陽術が、一体どれ程のものなのか、響一朗は始めから気になっていた。
「流派ではありません。いえ、流派と言っても過言では無いのかも知れませんが…俺の師は、どこかの流派に所属している人ではありませんでした」
「はぐれ陰陽師か?」
奏炎の答えに、響一朗の顔が興醒めした様なものに変わった。
はぐれ陰陽師とは、陰陽術を修めながらも、それを活用出来る立場に居られず、陰陽師を名乗らず暮らしている者の事だ。当然、一介の陰陽師よりもその実力は劣る。
「はぐれではありません」
しかし奏炎は、即刻それを否定した。その表情が少し怒りを含んでいて、響一朗は驚いた。まるで、師をはぐれ陰陽師と称された事に、ひどく憤慨している様に見えたからだ。
(そりゃ、弟子が師を尊敬すんのは当然の流れだが…こいつがこんな反応をするとはな)
どこか冷めて、表情も滅多に変わらない奏炎の事だから、無表情に軽く否定するだけかと思っていたのだが。
そんな事を考え、更に彼の師について探ろうとした時。相手が不意にあらぬ方へ視線を遣った。
「…どうかしたの?」
小さな小さな声で、奏炎が空を見詰め呟いた。その声音は、普段からは想像出来ない程に柔らかく優しいもの。
「?」
突然の事に、三人が状況を掴めず顔を見合わせる。しかしそんな事はお構いなしに、奏炎は何もない所を見詰め続けた。
「ああ、ああ…解った、鈴波小路だね?」
「鈴波小路? 鈴波小路がどうかしたのか」
意味不明な現状に耐えられず、少しばかり声を荒げ響一朗が問う。すると、奏炎は碧色の瞳に濡れた様な影を纏い、ゆっくりと三人に向き直った。
その表情に、三人の背中に悪寒が走る。
「鈴波小路へ行きましょう。そこに、新しい犠牲者と…例の男がいる筈です」




