第四章 紫の守護者 【九】
屋敷に入って直後、千聖軍の隊士達の前から、鵺の姿は消えていた。
代わりに現れたのは、今まさに探しに行こうとしていた少年本人である。何故か少し怒った様な表情を浮かべている。
「奏炎、無事だったのか!」
唖然とする隊士達の前で、息吹だけは感極まった様に相手に抱き着いた。いきなり緩く首を絞められた奏炎も、苦笑と共に息吹の背中を数度叩く。
「おい、妖怪はどこ行った?」
顔を顰めて他の隊士達に問う響一朗に、彼の望む答えを返せる者などいない。奏炎も、無言のままである。恐らくどんなに問い詰めても口を割らないだろう。
意味不明な展開に再び副長が頭を抱えそうになった時だった。
「ふ、副長っ、隊長方っあれを!」
一人の隊士が、切羽詰まった様子で一方向を指差した。見ると、中庭越しに見える屋敷の一角に、真紅の炎が溢れ返っている。息吹のそれとは色も大きさも異なる、言うなれば地獄の業火。
「まさか、刹那?」
呟いた一瞬後には駆けだしてしまう奏炎を、慌てて息吹が追う。それを見て隊士達も動こうとしたが、それを響一朗が止めた。
「あっちは、あいつらに任せれば良い。それよりも俺達は、まだ生きてる奴がいないか探すぞ」
「御意!」
落ち着いた状況判断故の命令に、隊士達は見事に揃った返事を出した。
その声を背中に、息吹はひたすら奏炎の後姿を追う。追いかけるのに必死になり、少しよそ見をした途端、追いかけていた筈の背中にぶつかった。
「おい?」
突然、予告もなしに立ち止まった奏炎。その目の前に在るものを見て、彼は硬直した。
赤い光だった。
以前、鈴波小路にて自分達を襲い、奏炎の「言霊」をあっさりと破ってみせた謎の物体。あの時同様、唐突な登場に、二人の反応は戸惑いの一色である。
「まさかこの光…」
だが、不意に何を思ったか、奏炎は赤い光に自ら近付いて行った。
「なっ、何をやって―――」
無防備な行動に、息吹が目を剥く。だが奏炎は立ち止まらず、真っ直ぐに赤い光にてを伸ばした。不思議と、光は以前の様に襲いかかったりはしなかった。
「やはりそうか……おいで」
優しげな声で、奏炎は光へと手を伸ばした。光はふるふると、まるでか弱そうに震えると、恐る恐るといった体で奏炎の指先に触れた。
「…そう。そんな事があったの…」
常より柔らかい語調は、あの鵺を相手にしている時のものに似ている。もしかして奏炎は、異形のもの相手にはあの口調になるんだろうか。
妖異じみた美貌を痛ましげに歪め、奏炎は光との会話を続ける。その顔が光への同情と、何者かへの憎悪を染まっていくのを見て、息吹はぞっとした。何か、空恐ろしいものを感じるのだ。
やがて、光がふらふらと奏炎から離れ、そして消えた。
「奏炎…悪いがお前には付いて行けそうにない…」
「突然だな」
はぁあ、と溜息を吐く息吹を間違っていると、誰が言えたものか。奏炎は常人が理解するには行動が異常すぎるし、言葉が少なすぎるのだ。説明もなく何でもかんでも行動されては、振り回される相手の疲労は倍増する。
「で? あの光は何なんだ」
「魂だよ」
「はぁ?」
珍妙な答えに、思わず間抜けな声が出てしまう。
「だから、魂。叨埜汪唎と同じ様に、力の残滓だけでこの世に留まっている存在だ」
「それじゃあ」
やはり何かに執着している邪悪なものなのでは、と考えた息吹に、奏炎は首を振った。
「執着しているものがあるのは確かだけど、それは違う。彼女は邪悪なんかじゃないよ」
「彼女?」
性別を特定した言い方に首を傾げる。だが奏炎はその疑問への答えを言ってはくれなかった。ふと、風に流れて焦げた臭いがした。
「あそこだ」
指摘する奏炎の声に、緊張が混ざる。先程までは小さく見えていた赤い色が、すぐ目の前でごうごうと燃え盛っている。その中に何やら人影を見付け、奏炎は歩調を速めた。