第四章 紫の守護者 【四】
だが、そんな屋敷の中の様子を知らない息吹は、必死に結界に穴が無いか探っていた。
その顔は完全に冷静さを欠き、彼の取り柄とも言える判断力を失っていた。それは当然と言えば当然の事だった。
憑依されたとは言え、真臣と同じく彼は己の行った事の全てを知っていたし、その感覚だけは直接味わった。だから仲間に術をかけた自分が許せなかったし、彼が何処に囚われているかも知っているのに何も出来ない自分が憎らしくて仕方なかった。
最早彼の頭には、姿を消した妖の存在など無い。ただ、未だ屋敷の中にいる奏炎の身だけが彼の精神を支配していた。
必死になって探すものの、見付かる気配すらない入口に、やがて息吹の頭も冷えてきた。
(もうこれは…真田副長を頼るしかないか)
自分よりも優れた陰陽師である上司なら、奏炎を助ける事が出来るかも知れない。
そう考え、踵を返した息吹の目の前に立ち塞がる人物があった。
「正直に答えろ、砥上一番隊々長。上司である俺に黙って、隊務を破った理由は何だ?」
「真田副長…っ!」
深緑色の髪を後頭部の高い位置で結い上げ、完全な戦闘態勢を整えた響一朗。その後ろには一番隊の面々もいる事に気付き、息吹は一気に安堵が身体を駆けて行くのを感じた。
「どうしてここが?」
だが安堵の次に来るのはやはり疑問だ。
「どうして、だと? お前らが何やらこそこそ屯所を出て行った時点で、目的地がここである事くらい予想は付いた」
「! 見ていたんですか?」
「盗み見していたみたいに言うな! 偶然だ、偶然っ」
ばつが悪そうに怒鳴る響一朗の様子から、自分達の行動を見守ってくれていたのだろうと考えが及んだ息吹は、少しだけ笑った。それから、表情を引き締め屋敷を指差す。
「内に、零番隊々長がいます」
「で、中には入られないんだろ」
「ええ、その通りで―――何で知ってるんですか」
「お前がちょろちょろ屋敷の周りを駆け回っていたからな」
「…っ、何で盗み見するんですか」
かなり恥ずかしいところを見られたいたと知り、息吹の口元が引き攣る。それに、響一朗は実に意地の悪い笑みを浮かべた。それだけで、彼に内密に行動していた自分への仕返しだと気付く。
だが、納得がいかないのは副長の後ろで一番隊員達が笑いを堪えている所だ。
彼らとしては、いつも冷静沈着で寡黙な隊長の意外な一面を見て、笑うなと言う方が無理だと言いたい心境なのだが、隊長としては矜持を傷つけられた気がしてならない。
「文句は後だ。とりあえず、結界を破るぞ」
「御意」
真面目な顔つきになった響一朗に、息吹も一切の私情を取り払った。一瞬で切り替えられた空気に、隊員達の肩にも力が入る。
袂から呪符を取り出し構える二人の陰陽師は、先程までの会話が嘘の様に冷静・・・否、冷徹と言う方が相応しい表情を浮かべている。
緑と灰色の瞳が、鋭く見えない結界を見据えた。そのまま、二人が呪符を振り上げた時。
隊士達の背後で、絶大な妖力が爆発した。
「「な――――ッ!」」
響一朗と息吹が同時に振り返り、予定とは異なる場所へと呪符を飛ばす。呪符は見事に隊士達を避け、違う事無く妖力を放つ「もの」へと張り付こうとした。
「馬鹿か! 相手の顔くらい見てから攻撃をしろ、阿呆共がっ」
抗議の声と共に、二枚の呪符が蒼い炎に灼かれていく。
あっさりと防がれた隊長達の攻撃に、隊士達が一斉に攻撃態勢を取る。炎と夜闇の所為ではっきりしなかった妖の顔が、弱まった妖自身の炎によって照らし出される。
その顔を見た全員の動きが止まった。