第一章 蒼の陰陽師 【一】
第一章
戦乱の世は遥か遠くに過ぎ去り、平穏な幕府政治が何百年と続いてきた島国、日帝国。
その第二の都である泰京の宮城近くにある、陰陽警察「千聖軍」の屯所。
全国から優れた陰陽師を集め、泰京こと通称京を守護させている軍の創設者は、天皇より政権を預かり、国の第一の都である陽都に城を構える本郷将軍一族である。
「それで? お前が今日から零番隊の隊長になる小僧か」
その屯所の中で、随分と荒々しい口調の青年が問うた。
彼がいるのは屯所の中でも、隊長格以下の者が立ち入りを禁止された区域。立ち入れるのは軍の総長と副長、参謀役に各隊長達だけという、幹部の会議室である。
そして彼の身分は上から二番目に位置する副長だった。
「お初にお目にかかります。本日付で幕府直轄陰陽警察・千聖軍の零番隊々長となります玉依奏炎と申します」
そんな副長に、下座に座る少年が頭を垂れる。きちんとした所作が、少年がそれなりの出自である事を物語っていた。
「若いな」
独り言に近い小さな声で、副長が少年をそう評した。確かに、二十歳前後といった風体の彼から見れば、まだ十五の少年は幼く見えるだろう。そしてもう一つ、少年には気になるところがあった。
「お前、今までは何処に住んでいた?」
「ここ泰京です。生まれは陽都ですが、三年程前からこちらに移り住みました」
「京にいた? その貌で?」
驚愕の表情で青年が更に問う。
何故かと言うと、副長の目の前にいる少年は、人並み外れた美貌を有していたのだ。白皙の肌に映える碧玉の瞳、薄く形の良い唇、細く綺麗な弧を描く眉、どれも理想の場所に配置されている。むしろ完璧過ぎて、妖が人に化けている様にさえ見える程だ。
そして何より存在感があるのが、碧玉の瞳と対を成すかの様な、蒼の髪。
陰陽師の軍隊に入籍するのだから、当然少年こと奏炎は陰陽道に帰依している。そして、陰陽道や神道と言ったものに属する者は、皆惣髪なのが常である。それが災いして、蒼の髪は切られる事なく背中あたりまで、その絹糸の様な光沢を放っていた。
これ程の美麗さと、目を引いて放さぬ神秘的な色合いを身に持ってしまえば、雅に目敏い京の町ではすぐに噂になった筈だ。なのに、こんな少年の話は今まで一度も耳にした事がない。
「これでも一応、陰陽師の端くれですから。自分が目立たぬ様にする術をかけた上で、市中を歩いていました」
副長の疑問を感じ取った奏炎が、苦笑しながらそう答えた。
「そうか。遅くなったが、俺は千聖軍総長補佐役にして副長の真田響一朗だ。とりあえずお前の直属の上司は俺になる。何かあれば俺に言え。そして、俺の命令には基本、絶対服従してもらう。いいな」
「解りました」
千聖軍の陰陽師は、他の一般的な武士の軍隊とは違って、十二の部隊のうち前半の六部隊は副長の、後半の六部隊は参謀役の直属の部下となる仕組みが取られている。
だが、その十二の隊の中に、奏炎が所属する零番隊は含まれていない。
「お前ら零番隊は非公式な部隊だ。他の隊に比べて任務は少ないが、その危険性は極めて高くなるし、責任も重大になるだろう。頼んだぞ」
そう、零番隊は軍の中でも隊長格以上の者でなければ知る事の出来ない、極秘裏に作られた…隠密の如き部隊。国でたった二つしかない陰陽警察の一つとして有名な千聖軍。しかし人々の心に、零番隊の名が刻まれる事は永遠にないだろう。
「危険性が高いなんて、望んでもいない事です。お任せを、真田副長」
微笑みながら頷く奏炎に、響一朗はどこか違和感を覚えた。その笑顔が余りにも挑戦的で、そして危険さに歓喜している様に見えたからだ。
「おお、君が玉依君か! 本郷利匡公直々の推薦を受けたからな、期待しているぞ」
不審そうに少年を見ていた響一朗の隣に、いきなり大柄な男性が現れる。それが誰か確認した途端、響一朗は慌てて上座を譲った。
熊みたいに大きな体躯に、こちらも獣の様な強面、更に強い光を宿す瞳を持ち、千聖軍の隊服である墨染の狩衣を着ているのは、紛れも無い千聖軍の頂点に立つ総長だった。
「俺は総長の宮本弦砕だ。響一朗は少し口が過ぎる事もあるが、上司としても陰陽師としても有能だ。まあ、愛想を尽かさずに気楽にやってくれ」
そういって豪快に笑う弦砕に、奏炎は僅かに眉を上げた。あまり表情が出ない彼にとって、この反応は心底驚いている証拠である。
「総長、余計な事を言わないでおいてくれませんか。それに、気楽にやってどうするんです。ここは子供の遊び場じゃなくてれっきとした、京を守る組織なんですよ」
「だーかーら、そんなに固くなってはいかんと言っているんだ。響一朗」
再び笑い声を上げながら、弦砕は部下の背中をばしばしと叩く。かなりの力が入ったそれに、響一朗は少し顔を顰めた。だが、そんな反応をされても、弦砕は暫くその行動を慎まなかった。
そんな光景を唖然として見ていた新入りの奏炎に、背後から声がかかる。
「…あまり気にしない方が良い。というより慣れた方が得だ。あれが、これから君にとっても日常茶飯事になるんだからな」
「!」
少しばかり想像したくない未来を想いながら、少年は後ろを振り返る。そこには、濃い灰色の髪、つまりは墨色の癖の強い髪と、同じ墨色の瞳を持つ陰陽師がいた。どこか薄幸そうな顔立ちが、儚げな印象を与える。
「申し遅れた。俺は一番隊々長の砥上息吹。歳は君より一つ上の十六だ」
「どうも」
互いに感情があまり感じられない声音で挨拶を交わすと、奏炎は響一朗に向き直った。
「早速なのですが、一つ、ご報告したき事があります。真田副長」
「何だ、言ってみろ」
「今京で騒がれている、叨埜一族が殺害されている事件についてなのですが…」
「なっ」
奏炎の言葉に、響一朗は僅かながら腰を浮かせた。
「叨埜一族だと? 何故それをお前が知っている」
「その前に、こちらではどこまでその件について掴んでいるのか、お教え願えませんか」
上司の命令に、少年は冷静に返す。それに少し苛立ちながらも、響一朗は口を開いた。