第二章 紅の妖 【五】
同日、叨埜一族本邸の離れ。
どす黒い焔が、ゆらゆらと揺れて室内を照らしている。それを怯えた目で見詰める人影があった。
「まだ、そこにいるんですか、あなたは…」
かたかたと身を震わせながら、声の持ち主―――叨埜真臣は焔を見詰め続ける。
本能的に嫌悪と畏怖を感じる焔の正体を、真臣は知っていた。
「あなたの所為で、もう何人の同胞が殺されたか解っているんですか? あなたの孫も一人、殺されたんですよ」
僅かに責め立てる空気が室内に漂った瞬間、焔が大きく揺らいだ。まるで、己を責める真臣に怒った様に。
否、「様に」ではなく、実際にそうなのだ。何故なら、この焔は生きている。
「あなたが世の中の道理を曲げてまで『生』を欲したが故に、無益な死を幾つも招いているんです。それなのに、あなたはまだ現世に執着するんですか? お祖父様」
瞳に完全な恐怖の色を浮かべながらも、真臣はそう焔に向かい言い切った。
祖父の魂なのか、霊力の残滓なのかは解らない。けれども、いつからか離れに居座るこの焔が叨埜汪唎である事に、真臣は気付いていた。
それは確たる証拠があるものでも、またそれを証明出来るものでもなかったから、この事は一族の誰にも言っていない。だが本当は、言いたくて言いたくて仕方が無かった。
一人で抱えるには、この問題は恐ろしく、そして大きすぎた。
脳裏に蘇るのは、死の縁でも手段を選ばず生を求めた祖父の醜い姿。そして、以前門扉に立っていた、赤い髪をした異形の青年の、凛とした立ち姿。
恐ろしく整った美貌の中、人には持ち得ないものがあった。黒光りする、鬼の角。
一目で判った。その妖が、祖父が手にかけた「赤鬼」と言う異形だという事は。そして、不思議に思った。記録では絶滅した筈の妖が、どうして存在し得るのかと。
まさか祖父と同じ様な、亡霊に似た類のものかと思った。だが違ったらしい。
「あなたは亡霊の方が良かったですか? それとも生きていてくれて嬉しかったですか? あなたが求めた『角鬼』だけを取り逃がしていたなんて、あなたにとって恥にはならないのですか?」
答えなど一切返ってこない問いを、幾つも幾つも真臣は紡ぎだす。
そんな中、ふと一人の陰陽師を思い出す。
自分が一族に内密に救援を要請した、千聖軍の少年。あの鬼と似通った美しい姿形の陰陽師。彼に話せば、この焔を何とかしてくれるだろうか。
不思議な自信と霊力を持つあの陰陽師なら、何とかしてくれるかも知れない。そう、希望に似た感情が芽生えた瞬間、それは見事に萎んでいった。
「駄目か…この邸に、陰陽師なんて入れられる筈がないもんな」
がくりと肩を落とし、真臣はもう一度視線を焔に戻した。そこで、ある事を思い付く。
もし、この焔ごと持ち出せる事が出来たら?
実物を目の前に見せ、これが叨埜汪唎の魂か何かだからどうにかしてくれ、と奏炎に頼めば。
光が差し込んだ様に心の内が明るくなる。だが、世の中そう簡単に何もかもが上手くいくわけではなかった。すぐに、運び出す事の危険性が胸をよぎる。
正体不明の焔を離れから持ち出し、自分が襲われたら。そう考えると、このまま何も知らぬ顔をして放っておくのが、最良の選択肢ではとさえ思えてくる。
呪術師の一族に生まれ付いたにしては彼の正義感は強く、しかしそれを貫くには精神が弱すぎた。
「どうすれば良いんだ…」
真臣はその場で頭を抱えて蹲った。そんな真臣を前に、黒い焔が一際大きく揺れ動いた。
・・・ヲ、寄越セ・・・
何か音が聞こえた様な気がして、真臣が顔を上げた時、彼の顔の目の前で真っ黒い焔が煌々と燃えていた。おどろおどろしい声を放ちながら。
・・・真臣ヨ、貴様ノ肉体ヲ寄越セ・・・!