序
第10回角川ビーンズ小説大賞投稿、二次選考落選作品です。
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氷炎二重奏 ~刹那の紅に碧空は染まる~
序
人さえも近付かない、絶海の孤島。
海の上に浮かぶ島国からも離れ、誰もその存在を知らない。全てから忘れられた孤独な島に、自分達は息を潜めて暮らしてきた筈だ。
人と殆ど変わらない姿をしていても、彼らと相容れる事は絶対に出来ないと、自分達はよく解っていたから。だから、この島に移り住んだ。その際に、遥か昔から暮らしてきた土地を、人に譲り渡してまで。
そんな事をした理由は、唯一つ。
自分達が、人を愛していたから。
愚かで短命で、卑しい。けれど、時にこちらの考えを遥かに上回る事をやってのける彼らが、面白くて。醜くてちっぽけなのに、運命に抗う様が美しくもあって。
人の間ではこの感情を「愛」とは呼ばなくても、自分達は確かに人という生き物を愛おしく思っていた。
それなのに。
「朱里、千草…」
己の腕に倒れ込んだ同胞の身体に、一人の青年が喉を震わせた。正確には、青年の姿形をした異形のものである。
彼が島を離れた少しの間に、彼の里は燃えてしまった。それは彼が島へと帰るほんの少し前の話で、彼の目の前には島を舐め尽くし続ける劫火が映っていた。
真紅の色は、まるで血の色の如く地面を這い回っている。その中に数多と頽れる同胞達の身体。まさに、地獄絵図と言うに相応しい光景だった。
元は美しかった新しき故郷。最愛の里。地獄と化した、彼の帰るべき場所。
恐らくこの島に、彼以外の生き残りは居ないだろう。そして、島から出る仲間などいる筈もないのだから、つまり彼は孤独になったのだ。
彼の帰還を笑顔で迎える筈だった同胞達。その半数が、もう氷の既に様に冷たくなっている。その現実から目を背ける様に、彼の視線は腕の中のまだ僅かに温もりを残す身体に注がれていた。
「一体、何故…誰がこんな事を」
彼の一族は温和で仲間意識が強い。だから、同胞がこんな事態を引き起こしたとはとても考えられなかった。
ならば、やったのは部外者。しかしそれもまた、考えられぬ現実だった。何故ならここは、誰も知らぬ絶海の孤島だ。
「朱里…私は一体どうすれば良い。お前達が、お前がいなくなったここで、私はどうすれば?」
茫然とした呟き。応える者の存在しない問いかけは、ただ虚空に消えゆくのみだった。秋の空に、熱を帯びた風が、彼の言の葉をすくい舞い上げる。
「おい、まだ生きている奴がいるぞ!」
唐突に、彼の仲間のものではない声が響いた。それと同時に現れた姿は、人間のもの。その手に、人ならざる者の血を色が染み着くまで吸った刃を持った、人間のもの。
一目で判る。彼らが自分の仲間の仇。人よりずっと優れた五感が告げている。あの刃に纏わりつくのは同胞の血の香りだと。
そしてその刃を、人は彼に向けた。
「お前で最後だな」
「おい待て、見ろ、あの姿!」
一人の人間が、青年の装いに驚愕の表情を浮かべた。焼野原となった島に倒れ伏す他の者達とは異なる、良く言えば華やか、悪く言えば華美な装束。
「もしやお前は、この島の長か?」
「…だったらどうした」
否定でも肯定でもない言葉を、青年は返す。
家族を奪った、八つ裂きにしても足らない相手だ。その相手に答える声を、彼は出来うる限り押し殺していた。そうでもしなければ、すぐにでも彼らを殺してしまいそうだったから。
「長であるお前なら、角を持っているだろう。鬼の角は不死の妙薬となる」
「さぁ、お前の角をこちらへ寄越せ。我らが主はそれをご所望だ」
目の前が、真っ暗になったかと思った。否、真紅に染まったのだ。
鬼の角。そんなものの為に、この島は滅ぼされたのか。
不死の妙薬? 主の望み? そんな身勝手な理由で、同胞の命は儚く散ったのか。
怒りを抑えるなど、出来はしなかった。彼の頭の中は、一族を殺した者達に同等の苦しみを与える事で一杯になってしまった。
「愚かな…貴様ら全員、ここから生きて帰る事、叶うと思うなよ」
鎮まりかけていた炎が、瞬時に息を吹き返し島中を覆った。有り得ない現象に、青年を前にしていた人間達が驚愕の表情で辺りを見詰める。
「覚えておけ、人間共。卑しき穢れた存在よ…私は貴様らを許さない。貴様らは、未来永劫この私の呪いを受ける事になる…!」
怒りと哀しみの感情と共に、青年は持てる限りの力を仇共に投げつけた。それは見えない刃となり、彼の家族を殺した者達に裁きの鉄槌を下していく。
そして、暫くも経たない内。
平穏だった人ならざる者の楽園は、血の海と化した。人と鬼、両者の血が混ざり合う場所に佇むのは、紅に染まった一人の鬼。
彼の悲劇とも呼べる終焉への舞台は、ここから始まる。